第五話 輝かしい青春の品々
「そういえば、榎森(えのもり)。覚えてるか? 光田(みつだ)のこと」
榎森恭司(えのもりきょうじ)は首を傾げた。
「ん? みつだぁ?」
周りを見る。ここはホテルの広間。同級生達が酒を飲んで談笑している。約十年ぶりの再会で、場は盛りあがっている。だが、この中に光田という人物はいない。
恭司は高校生の頃の思い出を振り返ろうとする。しかし、酒がまわった頭では何も思い出せない。
「小説を書いてた奴だよ。お前、仲良くしてただろ?」
「ああ、あいつか。いたなぁ」
小説、と言われてようやく記憶の霧が晴れた。
確かに、榎森の友達の一人に、光田という人物がいた。教室の端で背中を丸めて座っている姿を思いだす。
恭司と光田は友達だった。
友達になったきっかけは、恭司の友人の一人が光田の小説を教室に持ってきたことだ。光田は文芸部に所属しており、文芸部の部誌に彼の小説が載っていた。その部誌を何冊か、友人が持ってきたのだ。
恭司は教室で、光田の小説を朗読した。
小説は中々面白かった。しかし、小説の内容よりも、光田が小説を書いているという事実が面白かった。無口で何を考えているのか分からない彼が、家族や恋愛について語っているのだ。恭司と友人らは大いに笑い、その時から恭司は積極的に光田に積極的に話しかけるようになった。
話しかけてみると、光田は口数が少ないものの、いいヤツだった。恭司は良い友人を得ることができた。しかし、その仲は長く続かなかった。大学受験や就職活動でみんな忙しくなり、ゴタゴタしているうちに疎遠になってしまったのだ。
「光田がどうかしたのか?」
「あいつ、小説家になったんだってさ」
「え、そうなの?」
「らしいぞ。この間、『青い百合』って名前の本を出したらしい」
恭司は早速、その本の名前をスマートフォンで検索した。その本の作者は三田遼(さんだりょう)。今年の春にデビューしたらしい。『青い百合』のレビューを見ると、そこそこ高評価のようだ。
「同窓会には来てないよな?」
「ああ、いない」
「残念だな。来てたらサイン貰えたのに」
「だな」
恭司は友人らと飲みあかした。日付が変わる頃に、同窓会はようやくお開きになった。
他の同級生が電車やタクシーで帰る中、恭司は徒歩だ。彼は数年前に地元に帰ってきてから、ずっと実家で両親と暮らしている。実家はホテルから歩いて三十分くらいの住宅街にある。歩けない距離ではない。それに、高校時代に毎日通った道を辿るのも悪くない。
青白い街灯に照らされた道は、静まりかえっていた。駅から少し離れると、車や電車の音も聞こえなくなる。あまりの静けさに耳が痛い。通りの店は当然閉まっている。
昔、学校帰りの恭司は、この通りの店で買い食いをした。赤い屋根のパン屋で焼きそばパンを買ったり、どうして潰れないのか不思議になるくらいボロボロの店では、夏はアイスを、冬は大判焼きを売っていた。昼休みにゲームし、それで負けた奴が放課後に買うルールだった。恭司は卓球でビリになり、ここで買ったことがあった。
(この道を、光田とも歩いたんだよな。あの時は未来の作家と一緒に帰っているとは夢にも思わなかった)
こうして歩いていると、この通りは昔と変わらないように見える。しかし、あのパン屋のシャッターはもうずっと上がってなさそうだ。サイダー屋の隣には知らない店がある。光田も、この道が変わりつつあることを知っているのだろうか。
(あいつが昔書いた小説、もう一度見てぇな。これなら部誌を捨てなきゃよかった)
新人作家の幻の作品はもう手に入らないのだ。そう思うと少し残念だ。
歩いていると、一軒だけ明かりが灯った店を見つけた。見た目は小さなコンビニだが、ガラスの窓から見える棚には本が並んでいる。自動ドアの上には電飾看板があり、「新月書林」という四文字の店名が輝いている。
恭司は中に入った。真っ白な蛍光灯の明かりが眩しい。棚に本しか並んでいること以外は、コンビニとよく似ている。カウンターにはエプロンをつけた女の店員がいる。直立不動の姿勢でニコニコと笑っており、恭司に愛想よく「いらっしゃいませ」と言った。
恭司はふらつく足取りで棚を見てまわる。酔っているせいか、背表紙の字が、ミミズがのたくっているようにしか見えない。
ブラブラと歩いていると、恭司は『ご自由にどうぞ』と書かれた棚を見つけた。そこにはいくつかの本や雑誌、手書きの冊子が、表紙が見えるように台座に置かれている。その中に、見覚えがある冊子があった。パラパラとページをめくるうちに、それが例の部誌だと気づいた。
「おお! こんなところで売ってんのか! ツイてるな、俺」
本を持ってカウンターに向かう。すると、店員は「それは無料です」とにこやかに言った。
「あちらの棚の本は無料になっています。どうぞお持ち帰りください」
「ほ、本当に? いいのか?」
恭司は何度も確認する。店員の答えは一貫して「無料です」だった。訝しみながら、彼は本を持って店を出て、実家があるマンションに帰った。
(捨てる予定の本だったのかね。タダで手に入れられてラッキーだけど、なんか怖えな)
翌日の昼ごろ、恭司は目を覚ました。ベッドのサイドテーブルに、昨日買った部誌が置いてあった。
恭司は部誌を読む前に、まず光田のデビュー作『青い百合』を読むことにした。タブレットで電子書籍を買い、読みはじめる。しかし、十分もしないうちにしんどくなってきて、画面を閉じた。読書などという慣れないことをすべきではなかった。
続いて部誌を開き、光田が書いた小説を探す。すぐに見つかった。見覚えのある文章があった。この頃、彼はソーダという、片仮名のペンネームを使っていたようだ。
(ダッセェな)
恭司は唇の端で軽く笑うと、光田の小説のページを撮影した。それをメッセージをつけてSNSに投稿した。『俺、三田遼の同級生だったんだけど、あいつが高校の時に書いた小説を見つけたぞ』というテキストを添えて。
反響はほとんどなかった。十数人が反応しただけだった。光田からはいいねも何も無かった。
(無愛想なのは相変わらずか)
しかし、数日後。
にわかに恭司のスマホがうるさくなった。通知音が鳴りやまないのだ。あの部誌の投稿が急にバズったのだ。この時にはすっかり光田のことを忘れていた恭司は慌てた。なぜ今になってバズったのか、仕事中であることも忘れて調べた。
発端は、光田(SNS上では三田遼という名前である)の投稿文だった。
『今日は暗いお話をします。私は高校生の頃、いじめられていました』
恭司は目を疑った。
(いじめられていた? 光田が?)
全く知らなかった。
『いじめていたのは、クラスの中心人物の男子生徒・Aとその取り巻きです。私の友達になるふりをして、私をいじめてきました。昼休み、教室ではゲームがありました。クイズをしたり机を挟んで卓球をしたりと、どれも単純なものでした。しかし、ゲームに参加している同級生が運動部なのに対し、私は文化部でした。運動部に有利なゲームばかり出されて、私は全く勝てず、ほぼ毎日ビリでした。いつもビリの俺を、周りが笑っていました』
「は?」
恭司の口から低い声が漏れる。周囲の同僚が何事かと彼に目を向ける。彼は誤魔化し笑いを浮かべてやり過ごすと、続きを読む。
『ゲームに負けると、放課後、パシリになるルールでした。私はほぼ毎日、放課後にお菓子を買いに行かされていました。
しかし一番つらかったのは、教室で私が書いた小説を読まれることでした。Aは大勢の前で私の小説をゲラゲラと笑いながら声に出して読みあげました。取り巻きもそれを聞いて笑っていました。私はじっと耐えるしかありませんでした』
恭司は歯をギリギリと噛み締める。
(あ、あいつ! デタラメ言いやがって!)
ゲームが運動部に有利だったというのは、確かにそうかもしれない。しかし、光田がいつもビリだというのは嘘だ。恭司も他の友人もビリになっていた。光田だけがパシリだったわけじゃない。
それに小説の朗読が嫌だというのも意味が分からない。部誌として公開しているのだから、みんなの前で読んだっていいだろう。面白かったら笑ったっていいだろう。
(何がそんなに嫌なんだ? 嫌なら公開しなければいいのにさぁ)
恭司のSNSには、『こいつが三田先生をいじめてた同級生?』『三田先生が急に高校時代の話をしたの、こいつのせい?』『人の作品を勝手に公開するの、著作権法違反!』といった怒りのメッセージが次々と届いてくる。
(みつだぁ、お前、こんなヤツだったんだな)
光田の投稿に返信しようと画面を開く。しかし、すんでのところで指が止まった。今は誹謗中傷と訴訟の時代だ。下手なことを言って訴えられたらマズい。ここはグッと堪えるべきだ。
(クソ、この野郎。やり返してぇが、どうすりゃいいんだ? 何かあいつの弱みはないか?)
恭司は脳みそを絞るが、何にも思いつかない。
ここは一旦引くしかないと判断した恭司は、SNSで件の投稿を削除した。いじめをしていないという主張と、勝手に小説をあげたことへの形式的な謝罪を投稿した。そして、炎上の沈静化を待つ。
しかし、一週間後。恭司が職場で昼食をとっている時。
光田が新たなメッセージを投稿した。
古いノートの見開きページの写真だ。下品な落書きがされている。一緒に添えられたテキストには『いじめ加害者Aとその取り巻き達が私のノートに落書きをしました。今も証拠としてとっています』とある。
(いや、確かに描いたけどさ。これをいじめ呼ばわりは酷くないか? 俺のノートにも描かれたぞ、これ)
恭司も覚えている。休み時間に、恭司とその友人達で描いた落書きだ。どうして描いたのかは覚えていない。その場のテンションとノリで、この下品な落書きを描いた。ただ、光田のノートだけではなく、そこにいた全員のノートに全員で描いた。
(今にして思えば、悪かったと思う。でもいじめてねぇよ!)
SNS上には光田の味方が大量発生している。彼を慰め、恭司に敵意を向けている。ダイレクトメールの受信欄は罵倒のメッセージでパンクした。炎上は止まりそうにない。
頭の奥が痛い。指先が熱い。
(クソ。クソクソクソ! この画面の向こうにいる奴ら、全員殺してやる!)
「──森さん、榎森さん」
恭司は画面から顔を上げた。上司が背後に立っていた。怒りの目で彼を見ている。時計を見ると、もう昼休みは終わっていた。
「す、すみません」
恭司は謝罪すると、すぐに午後の仕事に取りかかった。しかし、ほとんど上の空だ。何も集中できない。
その数日後。また光田は『いじめの証拠』をSNSに公開した。壊れた筆箱や傘だ。それらは恭司が誤って壊してしまったものだが、『私の物を壊して楽しんでいました』ということにされた。
また別の日、光田は泥まみれの体操服の写真を投稿した。それは『運動場で加害者達に殴られた時の服』ということになっていた。恭司も当時のことを覚えている。好きになった女子を巡って、恭司と光田と他の友人達で大喧嘩になり、乱闘になったのだ。若気の至りだったと反省はしている。しかし喧嘩である。いじめではない。
恭司は確信した。
光田は、恭司をいじめ加害者に仕立てあげて破滅させようとしている。
(どうすればいい? 名誉毀損で訴えるか? いや、そんな金も時間もねぇ。何より、いじめを『していない』証拠がねぇ)
泣き寝入り、の単語が点滅する。それは絶対に嫌だ。しかし、有効な手段も無い。
仕事は手につかなくなる一方だ。上司の叱責が増えた。だが、それもやがて恭司を心配する声に変わった。「榎森さん、最近本当にどうしたの? 何か悩みがあるなら教えて?」と言われるようになった。当然、悩みなど話せるはずもなく、恭司は曖昧に誤魔化すばかりだ。
(あいつは次々と証拠とやらを出してくるが、他に何を持ってるんだ? 紙飛行機にして窓から飛ばしたテスト用紙か? 俺がうっかりお茶をこぼしてしまった本か?)
職場からの帰りもしんどい。電車を降りて駅を出た後、家までの帰り道が辛い。高校時代に歩いた思い出の道が、すっかり汚れてしまった。
打つ手が無いまま、時間だけが過ぎていく。恭司は背中を丸めて家へ帰る。居酒屋でやけ酒をしたせいで、もう真夜中だ。
「──ん?」
道端に、煌々と輝く店があった。それは同窓会の帰りに寄ったあの本屋だった。
(いいもんねえかな。光田の証拠とか)
恭司は中に入った。『ご自由にお取りください』のコーナーへ行く。
果たして、あった。
証拠があった。
紙飛行機にして窓から飛ばした光田のテスト用紙。
お茶のシミがついた光田の本。
酔いが吹き飛んだ。恭司は証拠を引っ掴むと、レジへ走った。営業スマイルを浮かべた店員に迫る。
「なあ、おい、この店は一体何の店だ?」
「当店は、お客様が探している書物・文書・記録・書類等を提供する書店です」
「普通の書店は他人のテスト用紙やシミのついた本なんざ売らねぇんだ。本当はどういう店なんだ?」
「どういう店? それは重要なことでしょうか。お客さまにとって大事なのは、商品ではないですか?」
店員は紙袋にテスト用紙と本を入れると、恭司に差しだした。
「前もタダで部誌を貰えたが、今回もタダか?」
「はい」
「タダより高いものはないだろ」
「このサービスに関しては無料でございます。見返りは求めません。どうぞ、お受け取りください」
恭司は紙袋を受け取り、慎重にカバンにしまう。
「また来る」
「はい、お待ちしております。ただし、この店は気まぐれです」
すぐに家に帰ると、恭司は証拠品を押し入れの奥、埃まみれの隙間に隠した。そして翌日、光田のSNSをチェックした。新しいいじめの証拠画像は投稿されなかった。仕事から帰ると、例の本屋はなかった。綺麗さっぱり建物ごと消えていた。
(ま、普通の店じゃねぇからな。消えることもあるだろう。だが、今まで二回俺の前に現れたんだ。また出てくるはずだ。焦りは禁物だ。また本屋に行ったら、何を貰うかだけを考えよう)
高校時代のことをできるだけ詳細に思いだす。なんなら、友人らにも連絡し、当時の出来事を教えてもらった。
この結果、光田が挙げる『証拠』についての見当がついた。何度も写させてもらった光田の宿題ノート、光田に誤送信した下ネタだらけの携帯メール、名前を渾名に書き換えた光田の入学願書、あまりにつまらなくてすぐに捨てた、光田が書いた文化祭の劇の脚本……他には、名前や点数を書き換えたテスト用紙や赤ペンを入れた部誌など。他にもたくさんある。
恭司は毎日、『証拠』のことだけを考えて生活した。考え続けていれば、あの本屋が再び現れるような気がしたのだ。
そしてその直感は当たりだった。ある蒸し暑い日の夜、マンションの一階にあの本屋が現れた。その日の商品は宿題ノートだった。恭司は当然もらって帰った。
また別の夜には、願書が売られていた。恭司はガッツポーズして持ち帰った。
本屋が現れるたび、恭司は『証拠』を持って帰った。本当は一度に全部の『証拠』を売り出して欲しいが、店員曰く、そういう希望は受けつけていないという。下手にゴネて出禁にされても困るので、恭司はそれ以上何も要望しなかった。
それに、焦る必要もない。最近、光田はSNSで高校時代のことを話さなくなった。代わりに、『最近、家の中から物が消えるんだけど』『おかしい。絶対に誰かが家の中にいる』といった投稿ばかりになった。
「榎森さん、最近よく笑ってるけど、なにか良いことあった?」
職場で上司や同僚が尋ねてくる。榎森は「いえいえ、何も」と落ち着き払って、机の下でスマートフォンを見る。弱音を吐き続ける光田のSNSは一番の娯楽だ。
(人を加害者呼ばわりした罰だ)
ある夜には、電源が入らない携帯電話が売られていた。スマートフォンが主流の現代から見ると、信じられないくらい分厚い電話だ。早速持ち帰り、押し入れのコレクションに加えた。
(電源が入らないのが残念だな。せっかく充電器を中古で手に入れたのに、充電できないし、バッテリー交換の蓋は全く開かないし。もし電源を入れられたら、当時のメールを確認できたんだが……)
とうとう、捨てた脚本も手に入った。
(これで、書類系は大体手に入ったかもしれないな。いやあ、楽しかった。他の証拠も手に入れられたらいいんだけどな。上履きとか。まああそこは本屋だから、それは無理だろうな)
恭司は店を出ると、ゆっくり歩きながら、電灯の明かりを頼りに光田の小説を読む。
読んでいるうちに、口角が上がる。あまりの退屈さに、読んでいると笑えてくる。これをインターネットに公開できないのが辛いくらいだ。たかが文化祭の劇に、何十枚もの脚本を書いてくるのも、光田らしい。
恭司は最後まで読み終わった。最後のページには、手書きで「許さない。必ずツケを支払ってもらうぞ」と書かれていた。
(当時、書いたのか? 作家というヤツは、自分の作品を少し蔑ろにされたらすぐに怒るんだな。ゴミみたいなものを作るクセに)
鼻歌を歌いながらマンションに入る。自分の家に入ろうとした瞬間、
「すみません」
背後から突然声をかけられた。恭司は叫び声を上げて振り返った。
そこには二人の警察官が立っていた。
「榎森恭司さんですね?」
「は? こんな時間に何なんですか?」
「榎森さんのご自宅に、盗まれた携帯電話があると通報を受けまして」
ドアがそっと開き、中から両親が顔を出した。二人とも憔悴しきっている。
「昼間、警察の人が来てね。母さんは恭ちゃんが盗みなんかやる人じゃないと分かってるから、中に入れたんだよ。それで……恭ちゃんの押し入れの中から色々出てきて……ねえ、恭ちゃん。あれは一体なんだい?」
母は泣き出した。父は母の背中をさすりながら、恭司を怒りのこもった目で見つめている。
(あの携帯。充電できなかったのは壊れてたからじゃねぇ。バッテリーの代わりに発信機が入っていたから、か)
恭司は、この事態をどう説明するかを必死に考える。
しかし、どうすることもできなかった。
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