第四話 ろうぐま

『【スカイ】お疲れ様です。前世について、何か分かりましたか?』

 メッセージが届いた。SNS上の友人、スカイからだ。

 荻野明(おぎのあきら)は、スマートフォンの画面をタップし、返信を書く。

『【おはぎ】いいえ、何も。今日もあの本を探していましたが、見つかりませんでした』

 少し間をおいて、返信がくる。

『【スカイ】残念ですね。私の方も、今日も何も見つかりませんでした。カウンセラーさんに話を聞いてもらって、それだけです。前世の謎は何も分かりません』

 明の胸がキュッとなる。画面の向こう側の人物の苦しみを、明もよく知っている。

『【おはぎ】辛いですね。あなたも私も、早くこの謎が解けたらよいのですが』

『【スカイ】簡単に見つかるとは思っていません。もう何年も探してきました。これからも気長に探します。おはぎさんも、あまり落ちこまないでくださいね。無理は禁物ですよ』

『【おはぎ】大丈夫です。私も、そう簡単に見つかるとは思っていません。では、おやすみなさい』

『【スカイ】はい、おやすみなさい。よい夢を』

 明はスマートフォンを机に置いた。ベッドに横になる。そして思いだす。家族にも友人にも言えない秘密の記憶──前世の記憶を。

 明には、前世の記憶がある。

 前世では、明は大きくて丸い、毛むくじゃらで六本足の生き物だった。両親と兄弟で仲良く暮らしていた。親は本を読み聞かせてくれた。その本に人間の絵が載っていたことを、明ははっきりと覚えている。

 だが、その平和な生活は突然終わった。何かが家に押しいってきて、家族を殺した。阿鼻叫喚の中、その何かは明へ近づいてくる。そこで記憶はプツリと途切れ、気がつくと、今世の荻野明になっていた。

 今世は、二本足で毎日歩く、ただの男子中学生だ。昼間は学校へ行き、夜はネットで音楽を聞くだけの日々。最近聞いているのは、シンシャという名前のアーティストだ。耳に心地よい歌声で、勉強中にかけている。

 そう。明は、どこをどう切り取っても、普通の人間だ。

 しかし、明の魂の一部分は、まだ前世に囚われたままである。

 家族や友人には前世のことを話していない。厨二病を拗らせたと思われるに違いないからだ。そのため、明はおはぎというハンドルネームを使い、SNSで前世の記憶について発信・情報収集をしている。少しでも前世の情報を集めるために。

 あの六本足の毛むくじゃらの生き物はなんなのか、あの読み聞かせの本はなんという題名の本なのか。それとも、この記憶は全て妄想の産物なのか……。

 考えても答えは出ない。やがて明は眠ってしまい、また朝が来る。

「おはよう、明。早く朝ごはんを食べて、学校に行きなさい」

 明は両親と朝食をとる。父も母も良い人だ。大切な家族だ。しかし、どこか、作り物めいたドラマにも見える。家族団欒のワンシーンを見ている気分だ。本当の家族が他にいる、と錯覚してしまう。

 明は良い息子らしく朝食を食べ、学校に行った。学校も楽しいが、どこかおかしい。ここにいていいと思えない。

(俺は一体なんだ?)

 その問いが脳から離れない。

 まあまあ刺激的だが薄っぺらく感じる学校での一日を終え、あっという間に下校の時間だ。西日が眩しい中、明は通学路を一人きりで歩く。なんの変哲もない帰り道──かと思いきや。

(ん、本屋?)

 古い小さな神社の横に、真新しい建物が建っている。ピカピカの白い看板には「新月書林 探している本あります」と青い字で書いてある。建物の外見からして、ブックカフェか何かだろうか。

(暑いし、喉乾いた。何か飲むか)

 明は店のドアを開けた。チリン、と涼しいベルの音が鳴る。

 中は薄暗い。背の高い本棚が奥まで続いている。レジカウンターに座っている男性が「いらっしゃい」と小さな声で言った。通路にはソファやテーブルがあり、読書ができるようになっている。真っ赤なロングヘアの女性が一人、ソファに座って本を読んでいる。

(適当に冷やかして帰ろう)

 明は本棚を見てまわる。並んでいる本は、流行りの小説や漫画が一切ない。年月を経た古そうな本ばかり並んでいる。背表紙に書かれた題名は崩し字ばかりで、なんと読めばいいか分からない。適当に二、三冊取って中身を見るが、うねうねと崩れた文字ばかりが並んでいて全然読めない。

(この店、こういう古文書的な本ばかり売ってる店か)

 明は踵を返し、出口へ向かおうとする。その時、あの赤い髪の女性がやってきて、本を明の前にある本棚に戻した。そしてまた別の本を取り、ソファへ戻っていった。

 明は何気なく、彼女が戻した本に目をやる。背表紙には『西旗町妖怪絵図その六 牧川蓮司』と、ちゃんと読める字で書かれている。明は本を手に取った。その表紙には──六本足の毛むくじゃらの生物がいた。

 明は本を取り落としそうになった。慌てて両手の指先に力を込める。ソファへ向かって歩きながら、本を開く。

 六本足の動物が筆で描かれている。体は丸く、毛むくじゃらで、小さな一対の目がある。口は大きいく、牙は無い。柔らかい輪郭に淡い色がマッチしており、とても可愛らしい。ページの端には短い文章が書かれている。

『ろうぐま。黄昏の林に住み──時折人里に──』

 達筆すぎて全く読めない。明は絵に集中することにした。

 動物達は家族のようだ。親が二体と子が三体。森の中で平和に暮らしている。子どもは、六本の足をうまく使って枝や木の実、白いボールで遊んでいる。親は魚や兎を狩っている。夜は焚き火の周りに集まって食事を取り、巣で眠るようだ。最後まで平和で優しい世界の絵本だった。

(俺の記憶はただの妄想じゃない。この生き物はきっとどこかにいるはずだ。一体誰がこれを書いたんだ?)

 奥付を見ようとした時、何かが本から落ち、チリンと涼しい音を立てた。しゃがんでそれを拾う。

(これは……栞?)

 赤い紐の栞だ。先端に小さな鈴がついている。

(あの赤髪の人のか?)

 店員が明の元へやってくる。

「お客様。そろそろお時間です。お帰りください」

「あ、はい。すみません、この本を買いたいんですけど」

「お代はいただいておりません。その本は持ち帰りいただいて構いませんよ」

 明は目を丸くした。

「え、本当に? タダなんですか?」

「はい。それより、もうお帰りの時間です。急いでいただく必要があります」

 店員の笑顔から、「帰れ」という圧を感じる。明は店員に言われたとおり、出口へ向かった。しかし、店を出る一歩手前で、右手に栞を持っていたことを思いだす。あの人に栞を渡して帰ろうと、明は店内へ引き返した。

 赤髪の女性はまだソファで本を読んでいた。

「すみません」

 彼女は顔を上げて明を見た。目の色が金色だ。顔立ちや雰囲気も、この辺の人間には見えない。外国からの観光客かもしれない。

「これ、本に挟まっていたんですが」

 彼女は金色の瞳でしおりを見ると、興味なさそうに視線を逸らした。

「ああ……それ。いいよ、あげる」

「え?」

「それは栞だけど、お守りでもある。正直で優しい君にあげるよ。ポケットに入れておきなさい。きっと役に立つ」

 本といい栞といい、タダでもらってばかりだ。「タダより高いものはない」ということわざが、明の頭の中に浮かびあがる。

「棒きれのように立ってないで、早く行ったら? 読書の邪魔よ」

「は、はい。貴女はいいんですか? 店員さんが言うには、もう閉店っぽいですけど」

「私は許可を貰ってるからいいの。帰り道も分かるし」

 そう言うと、彼女は自分の読書に戻った。膝の上の本に視線を落とす。明など見えていないかのような態度だ。

 明は小さな声で形式だけの礼を言うと、今度こそ出口に行き、本屋を出た。

 外は夕暮れ時。空は濃い桃色だ。鱗雲がピンク色に染まっている。

 明は本をカバンに、栞をポケットに入れると、歩きだした。木々や塀の長い影が地面に落ち、薄暗い。とても静かで、耳が痛くなるほどだ。

(……静かすぎないか?)

 いつもは車のエンジン音や自転車の走る音、小学生の話し声なんかが聞こえるはずだ。だが、今はなにも聞こえない。木々の枝葉がこすれる音さえも。

(なんか、たってる家も変だ。あの家、あんなにボロかったか? あそこにあんな大きな木、生えていたか?)

 丁字路まで来た時だ。道のど真ん中に男性が倒れている。明は救急車を呼ぼうと、スマートフォンを尻ポケットから出し、操作した。しかし、一一九番を押しても繋がらない。画面の端に、圏外とある。

(け、圏外? そんな馬鹿な!)

 明が何度も通報を試みていると、倒れていた男性がむくりと起きあがった。そして、明の横を走り抜けてどこかへ去っていった。道端の枯れ葉がふわりと舞い上がる。その足の速さは、絶対に人間の出せる速度ではない。

 明の頬を冷や汗が流れた。ものすごく嫌な予感がする。

 歩みが早足になり、やがて走りだす。丁字路を右に曲がり、三番目の角を左に曲がれば、明の家だ。家があるはずだ。

「嘘だろ」

 明は膝から崩れ落ちた。

 家があったはずの場所は、草がこんもり茂る空き地になっていた。空き地の奥は森に変わっている。西日が逆光となっているせいで、森は真っ黒に見える。夕暮れの空に、黒い森。まるで版画か影絵のようだ。

 草が揺れた。そして、灰色の何かが草をかき分けて出てくる。

「……お前らは」

 大きく丸い、毛むくじゃらの体。六本の足。小さな目。大きな口。

 何か言おうと明は口を開いた。しかし何も言葉が出てこない。そのままポカンと口を開けて、彼らを見つめるしかできない。

 『彼ら』は二体いる。一体が嬉しそうな鳴き声をあげて、明に体を擦りつける。温かい。明はそっと撫でた。毛はゴワゴワとしている。枯れ葉や小石が絡みついている。

 夢でも幻でもない。確かに存在している。明の記憶は本当だった。

 明の目から涙がこぼれた。しゃくり上げながら、両腕をゆっくり回し、しっかりと抱きしめる。

 もう一体が、草むらから出てきた。手に何かを持っている。それを明に差しだした。明は抱擁をやめ、プレゼントを受け取った。

「これは……帽子?」

 小さい子どもが被る、ごく普通の黄色い帽子だ。土汚れがついている。

「なんで俺にこれを?」

 明は帽子の内側を見る。中にネームタグがあり、そこになにか書いてある。

『年少 さくら組 おぎのあきら』

 時間が止まった。明はそう感じた。全く頭が動かない。

 『彼ら』が、甲高い鳴き声を上げて明を突き飛ばした。明はなすすべもなく倒れ、背中や尻を強かに打った。痛みで起き上がることができない。うめき声を上げる。『彼ら』はまだ甲高い声で鳴いている。明は痛みを堪えて、目を開ける。

 頭上に、巨大な鳥がいる。羽根の先から羽根の先までの長さは、二車線道路の幅をゆうに越えるだろう。色は烏のように真っ黒だが、烏と違い、足は四本もある。嘴は巨大で、端から何かが垂れさがっている。あの大きさなら、人の頭などプチッとちぎってしまえるだろう。

 『彼ら』は雄叫びをあげ六本の足を振り回し、鳥を威嚇している。しかし効果はなさそうだ。鳥は人間と『彼ら』、どれから食べるかを吟味しているように見える。

 明はなんとか身を起こすと、地面に落ちていた小石を拾って投げた。鳥の顔が明に向いた。構わずに二つ、三つと小石を投げる。小石がなくなると、ポケットの中の栞を投げた。

 栞はぽとっと地面に落ち、チリン、という、場違いなくらい涼しい音が鳴った。

 その瞬間、鳥が凄まじい鳴き声をあげた。羽根をバタバタと動かし、頭を激しく振る。羽ばたきによって突風が発生し、明の目にゴミが入る。

 『彼ら』は突風を物ともせずに明の元へやってきた。一体が明を抱き抱え、そして全速力で走りだした。

 顔を毛皮に押しつけられているから、明は何も見えない。しかし声は聞こえる。怪鳥の世にも恐ろしい、怒り狂った鳴き声が。

(あの帽子。あれは俺の帽子だ。俺が幼稚園に通ってた時の)

 怪鳥から逃げだす時、『彼ら』の片方が帽子を拾うのを見た。『彼ら』はあれを大切にしてくれているのだ。

(俺の記憶は本物だ。だが前世じゃない)

 小学生の頃、学校検診で虐待を疑われたことがあったのを、明は思いだした。肩や胸、腹に古い傷跡があったからだ。両親は小さい頃に交通事故に遭ったからだと説明していた。明はその説明を疑ったことはなかった。そもそも今世の自分にあまり興味がなく、どうでもよかったからだ。

 だが、おそらく真相は違う。明の身に起きたことは、事故でも虐待でもない。

(帰ったら本当のことを親に聞こう。ちゃんと話そう。生きて帰れたら)

 怪鳥の鳴き声の中に、別の音が混じった。明は耳を澄ませる。知ってる音だ。

(シンシャの歌?)

 毎晩ネットで聞いていたシンシャの曲だ。先日リリースされたばかりの新曲である。

 何故、今、ネットシンガーの曲が聞こえるのか? 頭の中が疑問符だらけになったが、同時に直感が囁く。

(この歌の方へ行けば、日常の世界に帰れるんじゃ?)

 明はもがき、なんとか声をあげる。

「ねえ、この歌の方へ走って!」

 『彼ら』に声が届いたかは分からない。しかし、歌はだんだん大きくなってくる。近づいているのだ。

 やがて、ふわりと体が浮き、そこで怪鳥の鳴き声が途切れた。



 急に『彼ら』の腕が解け、身体が軽くなった。明は地面に倒れ、尻餅を着く。腰が痛い。

(ここは……?)

 腰をさすりながら立ち、周りの様子を伺う。

 小さな神社の境内だ。木造のお堂に、砂利を敷き詰めた地面。中央には正方形の広場があり、そこに女の子がいる。

 彼女には見覚えがあった。明のクラスメイトだ。名前は確か──

「乾(いぬい)さん?」

 彼女は眉をひそめた。

「白田(しろた)だよ。白田朱里(しろたしゅり)。覚えてないの?」

「ご、ごめん。間違えた。覚えてるよ」

 明は笑って誤魔化そうとするが、白田はしかめ面のままだ。

 白田の横には小さな段ボールがあり、その上にスマートフォンがある。シンシャの曲が、スマホから聞こえてくる。

 二人の間に、妙な沈黙が流れる。明はなんとか場を取り繕おうと、話しかけた。

「な、なにしてるの?」

「ダンスの練習。今度、祭りで踊るからさ」

「祭り? 祭りがあるんだ」

「そうだよ、この神社で。私はここの子だから。伝統的な神楽も踊るけど、それだけじゃ人が来ないから、他のダンスも踊るんだよ」

「そうなんだね。練習を邪魔して悪かったね」

「別に。それより、君の方こそ大丈夫? ものすごく汚れてるけど、どうしたの?」

「なんでもない。なんでもないよ」

「じゃあ、後ろの毛むくじゃらはなに?」

 明は振り返った。植え込みの中に、『彼ら』がいた。二体並んで立っている。白田のことを好奇心たっぷりの目で見つめている。

「あ、これ? 着ぐるみ! ショート動画を撮るための」

「動画? ここで撮るの?」

「ごめん、ここじゃ迷惑だよね。すぐ出ていくよ。じゃあね!」

 明は『彼ら』の手を強引に引っ張り、鳥居へ走りだした。後ろで白田が待ってとかなんとか言っているが、無視した。

 神社を出ると、そこは先ほど、本屋に入るまで歩いていた通学路だ。本屋があったのは、この神社の隣だったはずだ。明は神社の隣を見たが、そこにあの奇妙な本屋はなく、代わりにただの空き家が建っていた。

 道を自転車が走り、小学生が歩いている。通行人の視線が明にチクチクと刺さる。『彼ら』は見られても全く意に介していないようだが。

(本当にどうしよう。どこに住んでもらったらいいんだ? そもそも正体はなんだ? あの場所にどうやったら帰してあげられるんだ? いや、『彼ら』は帰りたいんだろうか? あ、そうだ。スカイさんにも連絡しないと。前世の謎が解けたって。でもどうやって説明すればいいんだ?)

 悩みが次から次へと湧いてくる。しかし、明は疲れていた。もう脳みそが働かない。途方に暮れて、『彼ら』を見る。二体とも潤んだ目で明を見つめるばかりだ。

「……とりあえず、家に帰るか。今度こそ」

 明は『彼ら』に向かって微笑んだ。明の奇妙な家族は、嬉しそうな鳴き声をあげた。

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