第三話 どんな願いも叶うすごい魔法が使える本

 給食の時間。

 さくらは魔法をかけた。

 やり方は簡単だ。皿の上の食べ物、この場合は大学芋を見つめて、念を送るだけ。これで大学芋はとびきり甘くなった。

「んー……あまっ、う」

 本能が甘すぎる大学芋を拒否し、思わず吐きそうになる。さくらはお茶を口に含み、芋を喉の奥へ流し込んだ。

 ほとんど暴力に近い甘味。しかし、時にはこういうジャンキーな味を食べたくなるものだ。

「大丈夫?」

 向かいに座っている女友達、星奈が心配してくれる。

「平気。ところで星奈、当選おめでとう」

「ありがとう。でも一緒に行けたら良かったのに」

「しょうがない。まだ二次先行があるし、そっちに賭ける」

 さくらと星奈が推しているアイドルグループ、カラフルレイン。そのライブの抽選チケットを二人で申しこんだ。その結果がついさっき、発表された。この学校はスマートフォンが禁止なので、二人で女子トイレに行き、こっそり確認した。星奈だけ当選していた。

 二人とも落選しなかっただけ、まだマシだ。頭では分かっている。しかしさくらは推しに会いたかった。

 魔法がかかった大学芋をまた一つ食べる。甘ったるい味が、さくらの暗い気持ちを覆い隠す。しかし、甘味がもたらす多幸感はすぐに消える。

(もっと役に立つ魔法がほしいな)

 さくらの魔法は、どんなものでも甘くなる魔法だ。食べ物も食べ物以外のものも、どんなものでも、甘い味をつけられる。

 小さい頃のさくらにとって、それは全知全能の魔法だった。苦手なピーマンも辛いカレーも、魔法を使えばなんでも美味しく食べられた。ティッシュを食べすぎて入院してからは乱発するのをやめたが、最高の魔法だった。

 しかし、今となってはヤケ食いにしか使えない魔法だ。ピーマンもカレーも、そのままの味が良いに決まっている。

「とにかく、星奈は楽しんでね」

「うん!」

 星奈は楽しみでしょうがないという顔で笑う。その笑顔を見た瞬間、さくらは残りの大学芋を全部、口に運んでいた。甘味で心を麻痺させなければ、何も悪くない星奈に苛立ちをぶつけてしまっただろう。

 放課後、さくらは一人で学校を出た。普段は色んな友達と帰っているが、今日は誰とも予定が合わず一人だ。他のクラスメイトはみんな部活だ。星奈も美術室へ行ってしまった。彼女は最近美術部に入った。三つ編みの少女の絵をよく描いている。

 とはいえ、さくらは今日一人で帰りたかった。特に星奈とは一緒に帰りたくなかった。一緒にいるだけで惨めな気持ちになってしまうからだ。都合がつかないことに、内心ほっとしたくらいだ。

 一人きりで、住宅街の歩道を歩く。静かな帰り道は、考え事をするのに最高だ。

(あの魔法の本が必要。あの時読んだ、あの魔法の本が……)

 魔法が使えるようになったのは、幼い頃に魔法の本を読んでからだ。いつどこで読んだのかは思いだせないが、ゴワゴワとした古い紙の触感とクルクルと曲がりくねった不思議な文字は覚えている。

 本にはたくさんの魔法が載っていた。空を飛ぶ魔法、瞬間移動する魔法があった……はずだ。はっきりとは覚えていないが。

 本に載っていた、たくさんある魔法の一つに、なんでも甘くする魔法があった。

「なんでも甘くする魔法 次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式の手順】このページを三回読む」

 本のページにはこう書いてあった。今でもはっきりと覚えている。

 さくらは三回読んだ。それから、この魔法を使えるようになった。

(あれから本をどこにやったんだろう。題名はなんだっけ? 何にも覚えてないや。でも絶対どこかにあるはず。題名さえ分かれば探せるのに)

 目を固くつぶり、思い出そうとする。しかし、本の記憶は霧のようにあやふやで、何も分からない。

 チリンと、鈴のような涼しげな音が鳴った。

 目を開けると、四辻のど真ん中に建物が建っていた。

 白い壁が目に眩しい、二階建ての建物だ。窓は小さく、ガラスはすりガラス。屋根は赤茶色の瓦屋根。台風が来たら吹き飛ばされそうな、いかにも昭和といった雰囲気の建物だ。それが、何もなかったはずの交差点にある。

 玄関の引き戸の前には、カフェでよく見かけるおしゃれな立て看板があった。『新月書林 探している本あります』とチョークで書かれている。

 さくらは頬をつねった。痛い。

(昔話の本で読んだ。どんな本でも見つかる魔法の本屋……実在したんだ)

 さくらは戸を引いた。涼しい空気が漏れ出してくる。中は、本棚が並んでいて、普通の書店のように見える。

 店内に入り、後ろ手で戸を閉める。外の音が遠くなった。

「いらっしゃい」

 すぐそばで声がした。さくらは文字通り飛び上がった。

「驚かせて申し訳ありません。新月書林へようこそ」

 窓際に男性が立っている。くすんだ緑のエプロンを身につけた、ごく普通の人間の店員に見える。

「お探しの本はこちらです。あちらの読書スペースでお読みください」

 店員は持っていた本を恭しく、さくらに渡した。ボロボロの古い本だ。慎重に扱わないと、ページが破けたりバラバラになってしまいそうだ。

「そうそう、これだ、これ。こんな本だった」

 昔、さくらが読んだ時も、同じようにボロボロだった。

 黒い表紙に書かれた題名を指でなぞる。金色の文字で「どんな願いも叶うすごい魔法が使える本」とある。小さい時は思わなかったが、安直すぎる題名だ。

 さくらは本を持って読書スペースへ向かう。向かう途中でくしゃみを一つする。

(この店、埃っぽいな。喉がイガイガする)

 ソファの座面を適当に手で拭った後、そこに座り、本を開いた。まるで踊っているかのような、クネクネした独特の形の文字が並んでいる。

「ようこそ! この本の書いてある通りにすれば、君は魔法が使えるようになるよ」

 心踊る前書きのページをめくる。目次はなく、さっそく魔法の説明が始まった。

「動物と話せるようになる魔法 次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式のやり方】真夜中、このページを開いた状態で、動物(なんでもよい)を三頭捕まえる」

 初っ端からやたら難易度が高い魔法がでてきた。夜中に本を片手に動物を探すなんてやりたくない。

 次のページをめくる。

「花を咲かせる魔法 次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式のやり方】明け方に野原で草花を集める。次の呪文を唱えながら集めた草花を川辺で燃やす」

 夜明けごろに外に出たくないし、焚き火なんてしたら消防か警察に通報されてしまう。

 次のページには、夜に足元を照らす魔法。儀式のやり方は、百本の蝋燭を灯した後、燃える蝋燭の芯を指でつまんで一本ずつ消していく、というものだ。この間呪文を唱え続ける必要がある。

 面倒臭すぎる上に、今は懐中電灯もスマホのライトもある。必要ない。

 その後のページも、似たようなものが続く。鉢植えの水やりの時期が分かる魔法、足が少し速くなる魔法、お湯を沸かす魔法。どれもこれも儀式が面倒なうえ、不要な魔法ばかりだ。

 幼い頃にさくらが得た、甘くする魔法もあった。他のページには苦くする、辛くする、塩味にするなど、似たような魔法がずらりと並んでいる。儀式のやり方はどれも一緒で、そのページを三回読めばいいだけだ。儀式は簡単だが、食べ物の味を変える魔法はもういらない。

(なんかもっと便利な魔法はないの? 欲しいものが手に入る魔法とか)

 さくらはペラペラとページをめくる。

「くじ引きで当たりを引く魔法」

 見出しが目に飛びこむ。まさにさくらが求めていた魔法だ。

「次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式の手順 一番 午前二時に人を七人殺す】」

 思わず本を手放した。膝の上に置くのも気持ち悪く、そっと指でつまんでテーブルに置く。

 心臓の鼓動が速い。頭の奥でチリチリとした感覚がある。嫌なものを見てしまった。マズい。要注意。虫の知らせ。

(……ま、まあ。平和で簡単な儀式の魔法ばかりとは限らない。運は簡単に操作できないってことだね。第一、儀式をしなければ何も問題ないんだから。とりあえず読むだけ読もう)

 さくらはゆっくりと息をした後、儀式の手順の箇所から読む。

「二番 死体を七百七十七個に切り分ける 三番 北の山へ埋め、七十七日誰にも見つからないよう守る 四番──」

 気持ち悪くなってきた。読むのをやめて、次の魔法へ進む。

「空を飛ぶ魔法 次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式の手順 一番 本を持って高いビルから飛び降りる】」

 そんなことをしたら死んでしまう。さくらはそのページを読み飛ばした。

 次の魔法は、意中の相手を惚れさせる魔法。儀式の手順は、大麻や阿片、血に臓物、その他気持ち悪い材料を使って薬を作るというもの。その次の魔法は、若返りの魔法だ。その儀式の内容を見た瞬間、吐き気が込みあげてきて、さくらは本を閉じた。

「もう店員さんに返そう。魔法なんかいいや」

 ソファから立ちあがろうとしたその時、ページが一人でにめくれた。

『お目当ての魔法が見つからないのかい? 君は困ったワガママさんだね』

 さくらは凍りついた。異常なことが起きていると頭では分かっているが、身体が思うように動かない。

『しょうがない。とっておきの魔法を教えてあげよう。ほら、次のページを見て』

 何もしなくても次のページが開く。

『この魔法の儀式は簡単だ。このページを読み進めることだけ』

 さくらは紙面から目を逸らすことができない。

『この魔法は、受験すれば必ず受かり、誰よりも速く走れ、好きなアイドルのライブにも行ける。すごいだろ? なんでも願いが叶うんだ。すごいだろ?』

 紙がめくれる音がする。

『この挿絵を見て。ほら、きれいでしょ。よーく眺めて』

『ほら、この詩をよく読んで。三回、繰り返し』

『君の名前は? さあ、口に出して答えて』

「ヘエックション!」

 さくらは盛大にくしゃみした。

 上体を折り曲げて、二度三度、くしゃみと咳をする。声出そうとした瞬間、埃を思いきり吸ってしまって、喉と肺がつらい。

「大丈夫ですか?」

 店員がティッシュを持ってやってくる。

「あ、はい。大丈夫です。すみません……あ!」

 さくらの足元に紙が散らばっている。本の中身だ。くしゃみをした拍子でテーブルの脚を蹴ってしまい、本が落ちたのだ。落下の衝撃で古い本はバラバラになってしまった。

「ご、ごめんなさい! 弁償します!」

「いえ、お代はいただいておりません。その本は貴女のものです。一部分でも全部でも、お持ち帰りいただいて構いませんよ」

 店員は柔和な笑みを浮かべてそう言った。

「え? お金、いらないんですか?」

「はい。ただ……申し訳ありませんが、もうお客様のお帰りの時間です。急いでいただく必要があります」

「は、はい」

 さくらは腰をかがめ、紙を集めようとし──手を止める。

(あれ? 私、どうしてこの本が欲しいんだっけ? そもそもどうしてこんな埃だらけの本屋にいるの?)

 少し考え、思いだす。新しい役に立つ魔法が欲しかったことを。

(本のことを考えてたら本屋に来て、欲しかった魔法の本が読めて……それで……)

 さくらの背後で店員が咳払いをする。

「お客様。申し訳ございませんが、刻限が迫っております」

「あ、すいません」

 さくらは適当に一枚取った。店員に謝罪と礼を言い、新月書林を出る。

 外は薄暗く、空は茜色だ。

 さくらは手元を見る。黄ばんだ紙が確かにあった。それを西日にかざす。

「どんなものでも塩辛くする魔法 次の儀式を行うと、この魔法が使えるようになるよ。

【儀式の手順 このページを三回読む】」

 読んだ瞬間、がっくりと膝をつく。

「なんで、なんでよりにもよってこの魔法なんだ! 甘い味の次は塩味? どうして!」

 店は消失し、ただの四辻に戻っていた。店の影も形もない。

「あーあ、ハズレを引いちゃった。どうしてこうなんだろう。またあの本が欲しい。題名なんだったっけ」

 しかし、不思議なことに、なにをどう頑張っても、ついさっき読んだ魔法の本の題名が思い出せない。表紙を見たはずなのに、そこだけ記憶がすっぽりと抜けている。

「あれ、さくらちゃん?」

 名前を呼ばれ、振り返った。星奈がいた。

「あ、お疲れ。部活は終わったの?」

「うん。下校時間が来たからね」

 スマホを確認すると、五時を過ぎていた。あの本屋に入ってから、いつの間にか一時間以上経っていたようだ。

「コンビニでポテトを買うつもりなんだけど、星奈ちゃんも食べる?」

「うん、食べる!」

 コンビニに入ると、さくらはポテトを買った。新しく得た魔法を、早速試した。ページを三回読んだ後、ポテトに向かって軽く念を送る。味見すると、ほどよいうす塩味で、とても美味しい。一緒に食べた星奈も美味しいと喜んでいる。

(またあの本屋に入れたら、次こそ役に立つ魔法を手に入れるんだ)

 ポテトを食べながら、さくらは固く決心した。

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