もし君にその毒が送られたとしても
白神天稀
もし君にその毒が送られたとしても
「ダメだ、止められなかった……」
キーボードに拳を振り下ろし、男は唇を噛んだ。
その若い彼は展開されたモニターの前で頭を抱え、表示された地図に赤い点が増えていく様子を恨めしく睨む。
その横に座るもう一人の男は、彼の頭に右手を乗せたまま、咥える煙草に火をつける。
「大国は既に『ヤツら』の勢力に飲み込まれた。西側も、時間の問題だろう」
「となると、次の標的は中央圏か。いや……もう上陸してるかもしれない」
「クソっ、あのボスが来なけりゃこんなことには!」
「考えるな。俺ら技術者がいくら喚いたとこで、上層部は耳を傾けんだろう」
「じゃあ、この惨状をどうすれば……」
「気持ちは分かる。俺もまさか、ここまでの被害を出すとは思わなかった」
先輩の男は侵略されゆく世界を液晶に臨みながら、力なく煙を吐き出した。
「増殖スピードは規格外、対応は実質不可能。このまま『ヤツら』がのさばっている光景を、指くわえて見てるしかないのか」
「ああ、俺たちは失敗した。いくら止めようとしたところで、もうどうしようもない」
「クソッ!!」
若い男はまたもや感情的に拳を振り下ろす。
狙いが逸れたのか、手はキーボードの真横を通りデスクを揺らした。
傍観していても事態が好転することはない。今あるのは拳への痛みだけ。
アラート音が鳴りやむことはなかった。
「この感染はデータやシステムの世界から飛び出して、ついに人の意志にまで到達しちまった」
憂いに満ちた声で、ニコチン交じりの吐息を彼は溢す。
「電子の海なら、まだ絶滅も叶ったかもしれねぇが……人を侵食し始めた今、止める手立てはなくなった」
「ならいっそ、データベースを一度破壊しちまえば……」
「無駄だ。破壊しようと、『ヤツら』はまた発生を始まる。何よりそんなことしちまえば、それこそ本末転倒ってもんだ」
煙草の男は憤慨する後輩を着席させ、チョコレート味のカロリーバーを手渡す。
「ろくに休憩も取らなかったろ。いや、取れなかったというべきか……これで良いから食え」
「要らない。アンタが食ってくれ」
「俺はさっきからもう食い飽きてる。良いからほら、まだ余裕があるうちに。な?」
その強引さに負け、後輩は渋々その携帯食料を口にした。
ぼそぼそとした食感に苦戦する中で、喫煙者は問いを一つ投げる。
「お前、蚊についてどう思う?」
「はぁ? なんだよ急に……」
「世間話だ。こんな時なんだ、ちょっとは付き合えよ」
「あぁ? まあ、鬱陶しいと思ってるよ。刺されると痒いし、伝染病は運ぶし。しかも奴ら、血ィ吸う時に小便していってるらしいぜ? 絶滅すりゃ良いのに」
「その通り。人間にとって蚊は忌々しい、消えて欲しい存在だ」
「ああ。羽音を聞くだけでイライラするしな」
「だが蚊が消えたら、世界は終わっちまうぜ」
「ハァ? 何言ってんだお前」
「事実だ。なんてったって蚊は、この世界に必要不可欠な生物なんだからな」
喫煙者は得意げな顔を浮かべながら、画面の先を見つめて語り出す。
「蚊は多くの生物にとって餌となる。幼虫は河川の水質を浄化し、成虫は花粉を運んで植物の繁殖に貢献している」
「ほーん」
「厄介な伝染病も、他の生物に運ぶことで全体数を調整する役割を持っている。蚊は生態系を保全するために不可欠な番人なんだ」
「なるほど、そーかいそりゃあ良い。今俺らの頭を悩ませてる『コイツら』にも是非そうしてもらいたいね!」
「正解。まったくもって、違いない」
結論の見えない話に後輩が苛立ちを覚えて来た頃、男は新たに問いかけた。
「お前はマラリアを知っているか?」
「馬鹿にすんな。マラリアは熱帯地域特有の伝染病だろ? 蚊を媒介するその病は年間に三億弱の人間の死因になっている」
「そうだ。結局蚊は必要な存在とはいえ、人間の命を脅かす危険な存在だ」
「だから、何言って――――」
「だったら蚊に人を刺させなきゃ良い。そう考えたヤツがいた」
「……ほう」
「刺されなきゃマラリアは伝染しない。少なくとも発症数はグッと減らすことができる」
「そんなこと、どうやって?」
「遺伝子操作さ」
これまで仏頂面を浮かべていた後輩の顔が、僅かに晴れてクリアになる。
「……そういえば前にニュースでやっていたな。遺伝子組み換えで生まれる個体を制御し、死滅やオスへの性別指定。それと……無害化だ」
「実験結果によれば、マラリアの病原体を持った個体は九割以上に激減」
「けれどそれじゃ、生態系が……」
「蚊を完全に駆逐するわけじゃない。殲滅対象は病原体を媒介する種のみとし、人を刺さぬ種、病原体を運ばぬ無害な種を中心に繁栄させる」
その言葉に後輩は。一つの結論に至る。
「――――増殖が止められないなら、その有害性を除いてしまえば良い? そういうことだな!?」
「……現に有害な蚊は地球上から消えたわけじゃない。それと同様に、『ヤツら』の完全無害化もだ」
「だが希望ならある! 有害性に優先順位を設定し、有害性の高い者から排除していけば!」
「いつかは平和が戻って来る。辛く長いプロジェクトになるが、覚悟は良いか?」
「良いとも、やってやるさ…………って、回りくどい説明だったな!!」
「働き詰めだったんだ。少しぐらいの雑談休憩は許してくれ」
男達はカロリーバーの包み紙を捨て、煙草の火を消し、再び警告を表示するモニターへかじり付いた。
「まずは優先度の設定からだが、何からやれば……」
「俺の考えだが、最初は極東で発生している『ヤツら』へ対応を済ませる」
「極東だって!? なんでそんなとこから……それに、被害範囲だってまだ拡大していない!」
「だからこそだ。情報において、あの国が味方につけば心強い。きっと我々の協力者になってくれるはずだ」
「くっ……了解。システムを構築するから、指示を出してくれ」
「――偽造情報の蔓延。これが本来は最優先で阻止すべき事項だが、本件では無視する」
「なんだって!!?」
「あの国には独自の防御網がある。その対策は既に組み上がってるのさ」
「そんなものがあるのか!」
「ああ。彼らは敵と味方を判別する術を獲得している」
「なら、一体何をすれば……!」
煙草の香りが仄かに香る口を、男はニヤリと形作る。
「『ヤツら』が運ぶその毒を、無害なものへ変換させる……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あっ、まーた湧いてるよ!」
スマホを眺めるや、男子高校生は苛立った声を上げた。
自身が表示しているタイムライン上に、大量のスパムコメントが流れて来る。
『その出来事は私の人生において非常にショックでした』
『今後もこのような活動を続けて、私と皆さんを幸せにしてください』
『Wow !』
『ぱピこ』
『أريد أن أحوله إلى كتاب』
『책화하고 싶다.』
「うっぜーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
発狂する横から級友が彼のスマホ画面を覗く。
「すっかり湧くのが当たり前になったよね、インプレゾンビ」
「ほんっっっっっとしつこくてイヤだ! 検索機能も半分以上役割果たしてねーしよ」
「分かるー。変な日本語の文や敬語だったり、外国語そのままなこともあるから、まだ見分けはつくけどね」
「それな。日本語の壁様様ってやつ?」
「でもアニメやエンタメ系の投稿には健全にコメントしてくれてる海外のファンもいるから、紛らわしくて参っちゃうよね」
「あーたしかに」
「海外は母国語でこれやられてると思うと、想像しただけで嫌になるね」
「最近だと海外じゃAIか人間か、文章だと区別つかねぇって話だぜ? フェイクニュースも流れ放題。まったくとんでもない環境にしてくれたぜ」
話が盛り上がる最中、ピコンと新たな通知音が鳴る。
「あ、噂をすれば僕のとこにもインプレが……」
ホームを開くと通知のポップアップの中に、彼の投稿へのメッセージが表示される。
『私はこのイラストをとても素敵に感じました!』
数秒間、そのメッセージを彼は眺めていた。
そのメッセージを何度か読み返し、咀嚼するように見つめた。
ハッと気が付いたように画面を睨むと、そのままコメントを送ったアカウントをブロックする。
「――――って、なに喜んでんだよ。僕は……」
数分前に投稿されたアニメキャラクターのイラストに、そのメッセージは一番乗りで送られていた。
少し惜しさを感じつつも、彼はタイムラインの巡回を再開する。
運ばれてきたその言葉が、受け取った彼を死に至らしめる毒となることはなかった。
もし君にその毒が送られたとしても 白神天稀 @Amaki666
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