第36話 鉄子は彼女の後ろに立つ。
「……という状況になります」
「そう。では、今日はこのまま、こちらで野営ですね」
レティはそう言うと、天幕の外を気にするように視線を動かした。
「……陛下の責任ではございません」
「それは……分かっています」
天幕の外では尋問を終えた裏切り者の中の生き残りが、この世のものとは思えない悲嘆の嘆きをあげていた。
いわゆる「踏み絵」と同じである。
この軍団の中には、まだカンク東王国以外の2国からの兵士や騎士がいる。実際にレティを殺そうとしたのはその一部だったとはいえ、まだ仲間が残っていないとも限らない。
だから、ひとりずつ、負傷はするが死にはしないところへ槍を突き立てさせているのだ。自分は裏切り者の仲間ではないという証明のために。
その槍に突かれる度に悲鳴があがるのだ。もちろん、死んでも問題はないので、この地獄は続く。
当然だが、指揮官であるカーマイン卿は、槍で裏切り者を突くことができたからといって、それだけで残りの兵士たちを信じるつもりはない。
だからこの先、カンク東王国以外の兵士をレティの近くに置くつもりはなかった。それに、もし戦闘が始まれば、カンク東王国以外の兵士たちは最前線の一番前に出す予定だ。死ぬのならばまずこの者たちからだろう。
かといって、カンク東王国以外の兵士を全て抹殺するという訳にもいかない。
この先、今回と同じような、もはや襲撃などとは呼べない規模の敵対的軍事行動がないとも言い切れないのだ。戦力をこれ以上、減らすことはできない。
ただ、レティの周辺に関しては、もはや安全に近いとカーマイン卿は考えていた。
それは、勇者のぞみの存在である。
(勇者ノゾミさまが陛下のお近くにいらっしゃる限り、陛下の安全は問題ない。それよりも、尋問の結果、対外的な課題が大きくなってしまった。そちらの方が問題は大きいだろう……)
カーマイン卿は今回の戦いをどう終わらせるか、という大きな問題について、レティの考えを知りたかった。だが、今、ここで聞くべきではないとも考えていた。
(ケイコ教国にそそのかされて動いたカンク・トール・エックス王国の軍勢。そのカンク・トール・エックス王国とつながっていたと考えられるシンサ王国の王家……いや。第3妃というべきか。今さらではあるが、内戦も外征も覚悟しておかねばならんとは……)
これは今回の尋問で分かった断片的な事実をつなげて推測したことだった。だが、大きく外れてはいない。それでいて、確たる証拠もないのが難しいところだ。
のぞみが外壁サイズの大きな石をたくさん落とした後……そこからは追撃戦となった。逃げる敵を背中から攻撃するのだ。そのほとんどを蹴散らし、戦闘はすぐに終了した。
もちろん、逃げ切った者もいるが、カーマイン卿はそこを問題とは思っていなかった。
むしろ、逃げ切った者からこの戦いの話が広まり、あと少しの行程での襲撃がなくなることを期待していたくらいである。
(しかし、あの目……まるで闇のような……深い夜の底のような……)
カーマイン卿はのぞみが外壁のような大きな石を処理する現場にいた。その下には無数の死体があったのだ。幼い少女には見せたい光景ではなかった。
ところがその作業をのぞみは平然とやってのけたのだ。
(いったいどのような経験を積めば、あの年頃でああなる? それともだからこその勇者なのか?)
レティの後ろに控える、背の低い金髪の侍女。その金髪はカツラで、実際には黒髪である。
(どう考えても、外征を進めるのならば戦力として欲しい。だが、そうすると陛下の守りが格段に薄くなってしまう。連合王国の首都ではなく、こちらの王宮ではめったなことはないだろうが……同時に内戦、ということも考えられる。何もやり返さないというのもできない。すぐに、ではなくとも……)
いろいろなことを決断するのはレティだ。
だが、動き出せばその中核になるであろうカーマイン卿は考えることをやめられない。どのような決定にも従い、最高の結果を上げなければならない。
(御親征を願うのがもっとも効率がよいのかもしれぬ……)
レティ本人が外征に出てしまえば、当然、勇者のぞみもそこにいる。レティを守りつつ、カンク・トール・エックス王国と戦う時の戦力としても期待できる。
国内に残り、内戦で危険にさらされる可能性もなくなる。レティがそこにいないのだから。
問題は……レティそのものが戦場という危険地帯に身を置くことになるという点だ。
(いっそ、カンク・トール・エックス王国を平らげて、その功績をもって連合王国の女王となって頂く方が早いのかもな……)
カーマイン卿はそんな夢想をしてしまった。勇者のぞみがいるのなら、それも不可能ではないだろう。そう思ってしまったのだ。
「カーマイン卿。ノゾミさまが勇者と気付いた者はどのくらいいるかしら?」
「はい。あの後はすぐにカツラをつけて頂いたので……ほとんど気づいてはいないと考えております」
「そうなのね……」
「兵士たちからは『土魔法』の侍女、とは呼ばれているようですが……」
「なるほど。勇者、とは呼ばれていない、か……」
外壁の上に立つ黒髪の侍女を見た者はいたかもしれない。だが、あの時……それ以上に目をひかれるものがいろいろとあったのだ。兵士は生き抜くためによそ見をしている余裕はないはずである。
「そのあたりは、どこかからの知らせを待つべきかと」
「確かにそうですね」
のぞみが勇者だと気づいて、それを求める者ならばそうと分かる連絡をしてくるはずだ。レティもカーマイン卿の言葉に納得した。
(まだ15にもならぬ身で、このようなことまで考えねばならぬとは。我々で必ず陛下をお守りせねばならぬな……)
レティがのぞみを守ろうと思ったように、カーマイン卿もレティを守りたいと強く思ったのだった。
この数日後に、レティたちはカンク東王国へと無事に帰国したのだった。あれ以降、あのような戦闘は一度も起きなかった。
だからといって、何かにケリがついた訳ではないのが問題だった。
――ケイコ教国の聖都、王城。
「……つまり、勇者ノゾミは無能ではなかったということか?」
「3倍の兵で攻めて、それを跳ね返すなど……そのようなことができるとしたら勇者以外には考えられません」
「『土魔法』のことは確認が取れたのだな?」
「ええ。『勇者のぞみは『土魔法』の天才である』という報告だけでは理解できなかったのですが……」
「天才、とは……?」
「城壁の修繕を一瞬で終わらせていたとのことです。それをもって『天才』と評したのだと」
「そうか……『土魔法』を軽視するのもほどほどにするべきかもな……あの者の報告を誰かが軽く見たのであろうて」
そこで一度、ふたりは息を吐いた。
「……つまり橋を架けたという話も、砦を建てたという話も、真実ということか?」
「おそらくは……そうとしか考えられません……」
「ふむ。まあ、よい。逃がした者を望んでも仕方がなかろうて」
そう言うと、聖王ル・トラン・ブルー2世は立ち上がった。もう話は終わりだ、と言わんばかりに。
「しかし、父上……」
「何をあせる?」
「……戦力となるのならば、取り返すべきか、と。あれは勇者にございます」
「ふむ……そう考えるか……」
「いつか、我が国に牙を向けるやもしれません。そういう仕打ちはしていたか、と」
「……若いのう」
「父上……」
「よいか。聞くところによると、城塞のような砦を一瞬で建ててしまう、そういう能力ということだ。川に架ける橋も、な」
「はい。戦において効果は高いか、と」
「だがな。その方法では、戦において、少しずつ面を押し広げることしかできん」
「……確かに、そうかもしれません」
「面を広げれば、そこで開墾し、農作で糧を得て、人が暮らす。そうやってペンドリーノ平原を制覇したとして、さあ、いつ、かの国が我が国と戦火を交えるのだ? かの国はペンドリーノ平原では我が国からもっとも遠い国であるぞ?」
「それは……かなり、先になるか、と」
「そういうことだ。その頃には我々も、勇者ノゾミも生きてはおらん。つまり、シンサ・カンク・センラ王国がペンドリーノ平原を制覇などできんよ。勇者ノゾミの能力では、な。せいぜい、今回、敵対したカンク・トール・エックス王国の領土がいくらか奪われるくらいではないか?」
そう言われて第二王子である聖王子シェフィールドは納得したのだった。
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