第35話 鉄子は彼女の敵を討つ。



「陛下の敵、は……外にも……」

「レーベンス卿! 無理をしないで! 誰か! クレアラを! 治癒を急いで!」


「……あ、そうだった。外にもいるよね。あっちから攻めてきたんだし」

「はい……外、は……数で、負けている、よう、です……」


 毒矢を受けたと思われる副官の声は弱々しい。

 だがこの副官は気づいていた。この敗北必至の状況を変えられるとすれば勇者ノゾミしかいないということを。


「もう、レティさまの近くは大丈夫? 離れてもいいなら、外もなんとかしたい」

「はい。こちらは……どうにでも、なり、ます……勇者、ノゾミ、さま……どうか、よろしく、頼み、ます……」


「じゃあ、行ってきます、レティさま」

「あ、ノゾミさま……」


 再びのぞみは風のようにレティたちの前から消えた。次の瞬間には防壁の上に、侍女たちと同じ灰色のワンピースを着た少女が立っていた。

 外の敵と戦うためだと分かっていなければ、どこにいるのか気づくことはなかっただろう。


(いつの間にあそこへ……あれが、ノゾミさまの勇者の力……? まるでおとぎ話の転移魔法のよう……。『鉄道』だけがノゾミさまの力ではないということ……? 全く動きが見えない……。さっきの戦いも……こう言ってしまうと怖ろしいけれど……勇者というよりも、まるで暗殺者のよう……)


 ごくりと唾を飲み込んだレティが思ったことは間違いではなかった。

 そして、のぞみが本気で暗殺を考えた場合、それを防ぐことができる人間はほとんどいないだろう。

 勇者ならどうにか、というところか。今ならば、勇者アカツキ、もしくは勇者ナハぐらいでなければ対応は難しいだろう。いや。ナハやアカツキでさえも……。


 そういう意味では、のぞみは最強の懐刀と言えた。


 だが、のぞみのチートは暗殺者では終わらない。


 防壁に上がったのぞみは、戦況を見下ろした。


 ――のぞみのステータスの初期値。すばやさがもはや人外となっているのだが、そのすばやさよりも高い数値になっていたのが、かしこさ、だった。


 のぞみのかしこさの初期値は20。


 レベル83の今は、1660である。もちろん、こちらの世界で考えると、ありえないようなかしこさの数値だった――。


(人が多い。ざっくりとだけど、同じ兵装なのはこっちの味方だよね? 全体的に数が少ないし。敵はどことなく統一感がない……のは、自分たちの正体や所属を隠したいから? まあ、犯人が誰かは関係ないかな。レティさまを守るだけだし……)


 当然だが、数も暴力である。レティを守るための一団は数に劣り、大きく押されていた。


(密集隊形で対応してるケド……限界は近いし、囲まれちゃいそう。確か、包囲されたらダメだったんじゃないかな? 世界史で先生がそんなこと言ってた気がする。ハンニバルだったっけ? まあ、それはどうでもいいか……とにかく、あっちからの圧力をまずは弱めないと……一気にケリをつけようとするのは味方にも被害が大きいし……)


 のぞみは何もない目の前に右腕を伸ばし、その手を広げた。


 敵兵と思われる集団の上、10メートルくらいに、拳大の石が無数にあらわれ、そのまま落ちていく。


 その石を頭や、身体のどこかで受けて、何人もが体勢を崩す。


(ダメージが小さい……バランスは崩してるから、敵全体の圧力は少しくらい弱まってるケド、これだと全然足りないよね……あ、そうか! m/s2だっけ? 重力加速度! 物理で覚えたやつ!)


 のぞみは拳大の石を、さらに10メートル高く、さらに高く、と高い位置に発生させていった。


 その高さが50メートル以上になると、敵兵たちには体勢を崩すだけでなく、完全に動かなくなる者も出てきたのだ。高さが100メートルくらいからは、動かなくなる敵兵の方が多くなっていった。


 そう。


 のぞみの常識外の『土魔法』は、防御だけでなく、攻撃にも応用はできるのだ。それも、かなり広範囲で。


(敵と味方がもっと離れたらいいんだケド……)


 のぞみは味方を傷つけないように、味方の兵士たちから離れた敵兵に石が落ちていくように調整していた。






 指揮官の騎士であるカーマイン卿は、ここが死地だと感じていた。

 自分たちの戴く女王であるレティを守れるのであれば、命は惜しくない。だが、数で押されている現状、レティを守り通せる可能性は低かった。


 せめてもの時間稼ぎで、密集隊形をとり、敵の突撃を受け止める。


(もっと大きな防壁を勇者ノゾミさまに造ってもらって、籠城戦にするべきだった……)


 カーマイン卿はそう心では嘆いていたが、それを口にも、顔にも出さなかった。


(まさか、敵がこの人数を用意するとは……これまでの嫌がらせのような少人数での夜襲すら、こちらを勘違いさせる罠だったかのようだ)


 敵はそう多くないと考えていた。油断としか言えないだろう。その自分の判断ミスで、大切な女王を危険に晒したのだ。ここで死を怖れるつもりはなかった。


 数度の突撃を受け止めるが、あちらは誰かが倒れてもその後ろから次の兵士があらわれるだけだ。その圧力はとてつもなく重い。野戦での人数差が3倍というのはまず勝てない差だと言えた。


(レーベンス卿が陛下を逃がしてくれると信じるしかない……)


 ただ、女王を守るひとりの騎士としての誇りでもって、カーマイン卿は騎士たち、兵士たちを鼓舞していた。


「我らが女王陛下を守れ! よいか! 陛下がご覧になっておるのだ! 総員、奮戦せよ! どこの軍とも分からぬ野盗まがいに道を譲るなよっ!」


 その叫びに、騎士たち、兵士たちも、おう、と力強く応じる。


(カンク東王国の者たちはともかく……あとのふたつからの兵士たちがいつ崩れるか……時間の問題かもしれん……)


 そのあたりは連合王国の弱さだった。

 カンク東王国の女王であるレティへの忠誠と、シンサ・カンク・センラ連合王国の王女であるレティへの忠誠には差があるのだ。


 しかし、突然、変化が起きた。

 敵軍の突撃による圧力がわずかに弱まり、それが次第に、少しずつだが弱まっていく。


 ふと顔を上げたカーマイン卿は、後方の敵兵たちへ何かが落ちてぶつかるのを見た。


(なんだあれは……石? 石なのか? っ!? まさか!)


 カーマイン卿は鈍い指揮官ではなかった。

 これまで、あの常識外の、のぞみの防壁造りをその目で見てきたことも大きい。一瞬で何が起きているのかは理解できた。


(後方……石? 勇者ノゾミさまは防壁を造れるではないか? いや。味方の被害を考えて……)


 カーマイン卿はそこで叫んだ。思考よりもそれがそのまま行動となったのだ。そして、それは正解だった。


「全軍傾聴! 一斉突撃! 一度ヤツらを跳ね返すぞ! 遅れるな! その後は全力で後退せよ! 女王陛下に我らの雄姿を見せるのだっ! 突撃いぃぃっっ!!」


 その指揮が全てだった。






 のぞみは見た。


 同じ兵装の味方の一団が前進して敵軍と大きく衝突し、そこから一気に後退したのだ。逃げ出したようにも見えるけれども、全体の士気は高く、行動は統一されていた。


(……このタイミングって、まさか、あたしのために? うん。間違いない。今なら、みんなを巻き込まないでイケるよね。高さは……いらない。できるだけ大きく、できるだけ速く、できるだけたくさん、あそこに落とすだけ……このお城の壁みたいなやつを……)


 のぞみは拳大の石ではなく、防壁のような石造りの壁を横にして、敵兵の5メートルほど上に発生させた。

 縦3メートル、横20メートル、厚さ1.5メートルで、それも複数だ。横倒しで広く、面を抑え込むように。


 敵兵たちは突然、影に包まれるようにして、視界が暗くなったことに驚いた。そして、そのまま、何が起きたのか、理解することもなく押しつぶされていった。


 その瞬間。


 敵と味方の兵数は、大きく逆転したのだった。





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