第34話 鉄子は彼女を守ると言った。



 のぞみには自分に向けて放たれた矢がはっきりと見えていた。ただ見えているのではなく、それはとてもゆっくりと近づいてくるのだ。のぞみにとっては。


 そして、その矢が自分を抱きしめながら守ろうとしているレティに当たることものぞみには理解できていた。


(ああ、また……あのオーガの時と同じ? これって走馬灯みたいなアレだよね? ああ、やっぱりあたし、死ぬのかなぁ……。今はもう死にたくないって思ってたのになぁ……。レティさまが助けてくれて、あの国から連れ出してくれて……。馬車ではずっと、あたしの話をにこにこと聞いてくれて……今だって、王女さまで女王さまなのに、あたしなんかを守ろうとしてくれてる……。本当に……本当にありがとう……レティさま……)


 のぞみはレティをそっと抱きしめ返す。そして、そのまま、レティを軽く持ち上げて、90度、位置を動かす。


 自分よりも小さなのぞみに持ち上げられて驚いたのだろうか。レティの表情がとてもゆっくりと、驚きの表情へと変化していく。


 レティの最大の誤解……それは、のぞみを弱い者だと思っていたことだろう。のぞみ本人に自覚がないので、誤解してしまったのも無理はない。


(なんだかスローモーションすぎて、少し笑えるよね。大丈夫だよ、レティさま。このくらいなら……安心してほしい……)


 のぞみは横目で見ていた矢を、手を伸ばしてあっさりと掴んだ。

 のぞみにはゆっくりにしか見えていないのだ。まるで止まっているかのように。そんな矢をただ掴むだけ。のぞみにとってそれはとても簡単なことだった。


(あたしはダンジョンであんなにたくさん殺してきた……今さら、何人殺したってもう同じだよね? あたしの手なんて、とっくに……あの血で真っ赤に染まってるんだよね……)


 のぞみがダンジョンで殺してきたのはあくまでもモンスターである。ゴブリン、コボルト、オーク、オーガ、ミノタウロス……そう。モンスターのはずだった。


 だが、のぞみにとっては……この世界の人間は、モンスターとそれほど違わなかったのだ。

 ケイコ教国のほとんどの人間は、のぞみとの間でそういう関係しか築かなかったとも言える。彼らはレティとは違ったのだ。間違った、とも言えるのかもしれない。


 ごく一部の例外となる人たちを除いては……のぞみにとってはモンスターと同じ。


 掴んだ矢から手を放し、その矢を地面にぽとりと落として、のぞみはレティに向けて微笑んだ。


「……レティさまは、あたしが守るから」


 その言葉でレティは微笑むのぞみを見つめ返した。そして、気づく。その漆黒の瞳の中の闇が、吸い込まれるように深く、暗いものだということに……。


 レティがそれに気づいた瞬間、レティの目の前からのぞみが消え失せた。


 まさに消失。そこから本当にいなくなったとしか思えなかった。ただ、レティの銀色に輝く髪が、風を受けてふわりと揺れた。


「ぐわっ」

「いでぇっっ」

「なっ、ゆ、指があぁっ! オレの指があぁぁっ!」

「おぐっ」

「ぐっ、目、目がぁ、目がああぁぁっっ」

「ぐぶっ」

「どへぇあっ」

「ぐはっ」


「な、なんだ? いったい、何が、起き、て……?」


 毒に耐えている副官の騎士にも、何が起きたのかは理解ができなかった。


 ただ、レティを殺そうと近づく者たちが悲鳴を上げて、立ち止まり、または倒れ、もしくは膝をついていく。そこに、鋭く風だけが舞う。


 レティはもちろん、他の者にも……のぞみの動きは見えなかった。いや、見えていてもそれが人間の動きだとは認識できなかった。


 そのくらい、のぞみの動きは速かったのだ。


 ――勇者は、召喚された時のステータスを基本として、レベルアップする度にその初期値分だけステータスを増加させていく。


 のぞみのすばやさの初期値は14。そして、今のレベルは……83だった。


 こちらの世界の人間は早くに成長限界をむかえて、レベルが上がらなくなる。そして、ステータスの数値はランダムに2から12の間で上昇する。

 多くの者はレベル30が限界で、そのレベル30の者がありえないほどの幸運に恵まれ、常にすばやさを最大値の12で成長させたとしてもすばやさのステータスは360である。


 のぞみのすばやさのステータスは現在、1162だった。


 そして、のぞみがその手に握る、握りを赤いひもで飾った、刀身に赤いオーラをまとうナイフ。


 勇者装備としてのぞみに与えられた『閃光のナイフ』は、のぞみの能力を最高に活用できる効果を秘めていた。


 装備時に、すばやさ3倍のバフが発動するのだ。

 そう。赤とは速度が3倍になる色なのだ。勇者装備は、かつて召喚された生産系の勇者が作成したものだとケイコ教国では伝えられていた。


 つまり、『閃光のナイフ』を装備した状態の、現在ののぞみのすばやさのステータスは3486になるのだ。


 この世界ではほぼ『達人』と呼ばれる領域に近い者が、最大のすばやさのステータスだったとしても、のぞみのすばやさはそれの約10倍である――。


 ただの人間がのぞみの動きを目で追うことはほとんど不可能に近い。『達人』クラスでもほとんど追えない速さだ。


 のぞみが赤いオーラをまとうナイフから血を滴らせながら立つ姿を見せた時には、20人近い敵対者が全て行動不能に陥っていた。


「レティさまの敵は、これだけ?」


 のぞみは微笑みながら首をかしげた。それはまるで、「今日の晩ごはんはラーメンだけ?」と問いかけるかのようだった。


 そこにあったのは異常な光景だった。


 侍女用の暗い灰色の華美でないワンピースを身につけ、子どものような背の高さで、女性らしい体つきでもなく、まさに少女としか呼べない姿で。

 いつの間にか、金髪のカツラは落ちてしまったらしく、生まれ持った黒髪が太陽の光を浴びて輝いている。


 その手に握ったナイフからは鮮血がぽとり、ぽとりと滴をたらす。


 ある者は両眼を突かれて世界を見失い。

 またある者は指を切り落とされて剣を指ごと手放し。

 さらにはのどを切り裂かれ、口から血を吐き続ける者もいた。


 そう。


 この世界において勇者とは……ただひたすらに暴力なのだ。






 これが、後に『最速の殲滅勇者』と呼ばれたのぞみが、自分の意思で戦った初めての戦闘だった。






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