第21話 鉄子は彼女の手を取った。
「……あたし、池に……落ちたんです。それは覚えてます。あ、いえ……落ちたというか……」
のぞみはそこまで言ってから、口を閉じた。ぐっと奥歯を噛む。
レティはそっとのぞみの手を取り、やさしく握った。思わずのぞみはレティを見た。
「私、たまたまその場におりました。それでノゾミさまをお助けしたのです。お披露目パーティーの会場の様子から、こちらの国ではノゾミさまが過ごしにくいのではないかと考えました」
「あ、助けて……くれたんですね……」
(あの時……池に映った制服姿の自分を見て……そこに行けば元の世界に帰れるかもとか、そんな言葉でごまかしてたケド……あたし……)
のぞみは自分が自殺しようとしたことを改めて自覚した。
(そうか。死のうとして……死ねなかったんだ……)
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と、のぞみは涙を流した。それはどんどん勢いを増していった。
(死ねなかったケド……別に死にたい訳じゃない。でも、あたし、本気で死のうと思ったんだよね。今は……死のうとして死ねなかったことで、割と、気持ちのどこかがスッキリしてるかも……)
涙は止まらない。それでも、のぞみは少しだけ気持ちが晴れていることに気が付いた。
レティは優しくのぞみの手を握ったまま、黙ってのぞみを見つめている。
「死に、たかったわけじゃ、ないんです……でも、死のうとして……それなのに、死ねなかった……」
「はい。私が助けてしまいました。申し訳ありません」
「……いいえ。助けてくださって、ありがとう、ございます……」
のぞみはほんの少しだけ力を込めて、レティの手を握り返した。
「生きたい……生きていたい。でも、ここにはいたくない。帰りたい……」
「ノゾミさま。おそらく、勇者として呼び出された方が元の世界へと帰ることは難しいと思います」
レティははっきりとそう言った。
(これは、誤魔化すべき部分ではないはず。できないことを、できると告げるべきではない)
レティには、こういう場合の正しい声かけなど分からない。ただ、のぞみに対して……優しいだけではいられない事情がレティにもあったのだ。
「帰れ、ない……」
「ええ、帰ることはできません。ですが……」
レティはぎゅっとのぞみの手を握る手に力を込める。
「……ここからノゾミさまを連れ出すことならば可能です」
「連れ、出す……?」
のぞみはレティの言葉をそのまま問い返した。
「はい。すでにこちらの王宮からは連れ出しております。ここは、私たちが借りている宿の中です。ノゾミさまがお望みならば……」
そこでレティは少しだけ考えた。
(私の……国と伝えて……どちらに連れ帰るべきか……連合王国? いいえ。それだとまた、おかしな争いに巻き込まれてしまう。今度は私だけでなく、ノゾミさままで巻き込んで……なら、カンク東王国の女王として連れ帰るべきというのも……これもまた、難しい。連合王国としての王命での派遣というところが……いえ。ノゾミさまは亡くなったということになるはず。それならば……)
「……私の国にて、静養なさるのはいかがでしょうか?」
(カンク東王国でノゾミさまを匿うことはできる)
レティはシンサ・カンク・センラ王国の王女ではなく、カンク東王国の女王として決断した。
のぞみは涙のあとを頬に残したまま、レティを見つめていた。
(ノゾミさまはこんなに辛い思いをしてまで……ですが、あえて問うべきことでしょうね)
「……それとも、こちらの王宮に戻られますか?」
レティがそう問いかけると、のぞみは一度、目を見開いて、それから首を横に振った。
(拒絶の意……それなら、私の国へ行くことの同意と理解していい。先の問いの答えはなくとも、そういう解釈は成り立つ)
問いをふたつ投げかけることで、その片方を断らせる。そういう、話術だった。レティはのぞみがカンク東王国へ行くことに同意したとみなしたのだ。
レティは侍女に目をやる。ひとりは部屋の外へと動き出し、もうひとりはお盆を持って近づいてくる。
レティはのぞみの手を離した。のぞみは温かさを失った手を一瞬だけ見つめた。
お盆の上にあった金色のもの……カツラをレティは手に取って、のぞみへと差し出した。
「これはカツラでございます、ノゾミさま」
「……カツラ?」
「ええ。そうです。ノゾミさまの黒髪は目立ちます。勇者の国の髪色とされていますから」
のぞみはすぐにアカツキとナハを思い浮かべた。
(……そうなんだ。そういえばあのふたりも日本人で、黒髪だった……。あたしが金髪とかに染めてたらこんなことに巻き込まれなかった……? まさか、ね……そもそも、そういうオシャレにはほとんど興味がなかったし……)
「ノゾミさまにはこれをつけて頂くことで、勇者であることを隠して、ここから移動したいのです」
「勇者を……隠す……?」
「はい。実は……すでにノゾミさまは……お亡くなりになったことに、されておりますので」
「え……?」
(ウソ……そんなことって、あるの……?)
「あまり言いたくはないのですが……ケイコ教国は……ノゾミさまの存在を……」
(あ……うん。そうだよね。ずっとあたしの悪口ばっかりだったもん……)
「私の国でなら、ノゾミさまをお守りできると思うのです。いえ、私に……ノゾミさまを守らせて頂きたいのです」
これはレティの本音だった。
(このように幼い少女をひどい目に遭わせる国においておく訳にはいかない……)
のぞみの見た目はレティよりも年下にしか見えなかった。本当はレティの方が年下である。
「そして、すぐにでも出発した方がよろしいかと思います」
「すぐに?」
「ええ。ケイコ教国の中には、ノゾミさまが生きていることで困る方々もいらっしゃるようです。早く、この国を離れた方がよろしいでしょう」
レティの真剣なまなざしに、のぞみはびくりと身を小さくしてしまう。
(……ウソ、ではないよね。実際、死んでしまったことになってるんなら……生きてたらいろいろとマズいんだろうし……)
のぞみには、レティが嘘をついているかもしれない、という思考はなかった。
そういう深読みをするような生活経験がないからである。もっとも、レティはのぞみに対して誠実であろうとしていたので、嘘はついていない。
「よろしいでしょうか? ノゾミさま?」
「……はい」
のぞみは涙をぬぐって、まっすぐにレティを見た。
「あたしを連れて行ってほしいです」
これがのぞみの運命を大きく分けたのだった。
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