第16話 病んだ鉄子。



(『土魔法』でレベルが上がったと、ノゾミくんは言ったのか? まさか? そりゃ全く経験値が入らない訳ではないが、モンスターを倒すことで得られる経験値と比べたら微々たるもののはず。それなのにレベル30になった状態から『土魔法』を使ったくらいで……? いや、確かに、『土魔法』で城壁の修復をしているという話は聞いていたが……)


「アカ、さん、の、うそつき……」


「え……?」


「ころさ、なくても、よかった、のに……」


「何を……」


 濁り切ったのぞみの瞳が、ゆらりとうつろいゆくように、アカツキを捉えては、消し去っていく。見つめられているのか、いないのか、不思議な感覚がアカツキを襲う。


(ノゾミくんは、いったい、何を……)


「あたし、ころしたく、なかった……」


「ノゾミくん……?」


「ころしたく、なんか、なかった、のに……」


 のぞみの濁り切った瞳から、涙がふくらむようにしてぽろぽろとあふれ出す。


「ノ、ノゾミ、くん……」


 幼い少女の涙にアカツキの心は大きく揺れた。


「つち、まほうで、れべる、あがるなら、ころさなくても、よかった。あのごぶりん、ころさなくても、よかった。あたし、てが、ずっとちで……ちでまっかで、あらっても、あらっても、ちが、おちなくて、あの、ごぶりんが、ずっと、あたしの、てに……」


「ノ……」


 のぞみの濁り切った瞳から流れ出す涙が止まらないのを見たアカツキは、言葉を続けられなかった。


「こんなとこ、きたく、なかった……ころし、たく、なかった……もう、いや、だよ……」


(……お、おれは、こんな小さな女の子に……何をさせてきた? こんな女の子に、こんなにも傷つきやすい女の子に、おれは、何をさせてしまったんだ……?)


 アカツキは激しく動揺した。


「いや……いやだ……れべる、なんて、あがらなくて、いい……」


「……」


 アカツキは言葉を返せない。


 涙が止まらなくなったのぞみを侍女のシーノが抱きしめながら、アカツキを見つめた。


「……勇者アカツキさま。ご無礼かとは思いますが、勇者ノゾミさまのお心を乱すようなお話は、もうこれ以上、必要ないかと。どうか、お引き取りくださいますよう」


「……あ、ああ。わ、わかった」


 アカツキは侍女の言葉に従った。そして、動揺したまま、のぞみの部屋を後にする。


(おれは……おれは、間違っていたのか? ノゾミくんのためにレベル上げをするというのは、本当は間違いだったというのか……?)


 もちろん、答えなど出ない。

 それでも、アカツキは自問自答を繰り返す。


(おれが……おれがノゾミくんを壊してしまったのか……)


 アカツキにはアカツキの正しさがあった。

 それがのぞみにとっての正解だったかどうかは分からない。そんなことは誰にも分かりはしない。


 ただ、この日。

 のぞみはアカツキと決別した。

 それが残された事実であり、それこそが問題であった。


 アカツキが間違ったとしたら……。


 それはのぞみの意思に反してレベル上げをしたということではなく。


 そうとは知らずに最強のバケモノを生み出してしまったこと、だろうか。


 アカツキは少なくとも、『土魔法』でレベルが上がったという、のぞみの話を検証するべきだったのだ。

 そうすれば、それが『土魔法』ではなく、通常ではあり得ないほどの膨大なMPを消費する固有スキル『鉄道』によってのぞみが得られる経験値がかなり大きなものであることに気付くことができただろうに。


 ヒントはあった。

 のぞみがベッドの上でつけ外しをしていたプラレールの数が増えていること。

 レベルアップが休みの日に『鉄道』スキルを使った後で起きていたこと。


 だが、そこに目を向けられることはなかった。幼い少女を追い込んでしまったことへの自己嫌悪でアカツキは冷静ではなかった。


 結果として、のぞみの勇者としての価値は、実際よりも大幅に低いものであると、ケイコ教国は認識することになったのだ。


 中でも、毒の勇者という悪評が大きく足を引っ張っていた。


 それは、この世界では『土魔法』が軽んじられており、のぞみの『土魔法』の師匠となった魔法使いの言葉が軽んじられていたことも関係していた。

 彼が「勇者ノゾミさまは天才的な『土魔法』の使い手ですじゃ」と言っても、聞き流されていたのだ。


 そして、この夜。

 さらなる事件がのぞみを襲う。






 アカツキが去り、夜を迎える前に、のぞみは侍女たちによって湯浴みを済ませた。


 天蓋付きの豪華なベッドの上で、再びのぞみはプラレ〇ルを弄ぶ。


 子どもの頃から慣れ親しんだおもちゃであるプ〇レール。

 たとえ、それがレールだけで、しかも直線だけで、車両を動かして遊ぶことができなくとも。

 のぞみにとっては元の世界とのつながりを強く感じる、かけがえのないものだったのだ。


 プラ〇ールはのぞみにとって精神安定剤のようなものだった。


 そして、そんなのぞみをそっと抱きしめながら、のぞみの黒髪をやさしくなでる侍女の巫女シーノ。


 今、のぞみの部屋にはのぞみとシーノだけだった。


 シーノになでられながら、ウトウトとし始めるのぞみ。


「……勇者ノゾミさま。勇者ノゾミさまは、本当に、お可愛らしい。ああ、勇者ノゾミさま」


 シーノは感極まったように、のぞみをなでる。


 その心地よさに目を閉じかけたのぞみは、唇に何かが触れて、ほんの少しだけ目を開いた。


 目の前にはシーノの顔があった。


 のぞみの唇には、シーノの唇が重ねられ、そっと、のぞみの口の中へ、シーノの舌が差し込まれた。


(……っ? な、なに?)


 のぞみは混乱した。


 シーノはのぞみの下唇を優しく噛むと、あご、首筋と、移動しながら口付けしていく。それと同時に、のぞみの寝間着をはだけさせていく。


 まだふくらみかけという小さなのぞみの乳房があらわにされていた。


 そして、その乳房の先端に、シーノの唇が触れ、吸い付く。


「……っ! いやあっっ!」


 のぞみは反射的にシーノを両手で突き飛ばした。


 ちからの数値はそれほどではないとはいえ、レベル30を超えたのぞみのステータスは伊達ではなかった。


 シーノはベッドから突き飛ばされ、バシンと壁に背中を打ち付け、床へずるりと滑り落ちた。


「くはっ……いっ……ゆう、しゃ、ノ、ノゾミさ、ま……ど、うして? わたくし、を、受け入れて、くださったの、では……」


(なにこれ、なにこれ? どうなってるの……)


 のぞみはひたすら混乱した。


「勇者ノゾミさまっ!」

「どうかなさいましたか!」


 部屋の外から、物音を聞きつけた他の侍女たちがやってくる。


 ベッドで寝間着をはだけた状態ののぞみと、床にうずくまる侍女の巫女シーノを見て、二人の侍女はこの部屋で何が起こったのかを察した。


 翌日、のぞみは『土魔法』の訓練や作業には行かなかった。


 のぞみは部屋に引き籠り、この日からお披露目の日まで、部屋から出ることはなかった。





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