水筒の合図

藤也いらいち

夜のお茶会

 みのりは水筒を持ち歩かない。

 それは学生の時から変わらない。

 けれど、家の食器棚には彼女の水筒が1つだけ置いてある。

 学生時代に私がわがままを言って贈ったものだ。

 保温性が高く、いつまでも温かい飲み物が飲めるというのがうりの水筒。みのりがそれを持って出かけたことは一度もない。けれど、使われたことがないわけではない。


 水曜の真夜中、あるいは土曜の昼間。時には金曜日の明け方。ひっそりとこの水筒は食器棚から姿を消す。

 

 私はそれに気が付くと、二人分のマグカップを持って彼女の部屋に行く。

 

 消えた水筒は招待の合図だ。

 

 部屋に入ると、自室に折り畳み式のテーブルとふかふかのクッション、そして甘いお菓子を用意してみのりが待っている。

 

「今回は早かったね」


 みのりがそう言って水筒を大事そうに掲げた。

 あの水筒の中には温かい紅茶がたっぷりと入っているのだ。


 不定期開催のお茶会が始まると、いつも互いに無言になる。

 用意されたお菓子を食べて、紅茶を飲む。お菓子が半分くらいなくなると、ぽつりぽつりと会話が始まるのだ。

 最近あった楽しかったこと、おいしかったランチ、ネットで見たかわいいコスメ。

 悲しかったこと。

 悔しかったこと。


 どちらかの目から涙がこぼれればそれが合図。


 愚痴も不安も、悔しさも悲しさも、なにもかも涙と一緒に流してしまう。

 

 水筒の中身が空になったころ、私たちは私たちのまま笑いあえる。

 

 これはそういうお茶会だ。


 私たちが、私たちのままで、二人で生きていくためのお茶会だ。

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水筒の合図 藤也いらいち @Touya-mame

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