157 夜這い

「え、風斗、今なんて言ったの?」


 驚く麻衣に対し、俺は改めて言った。


「夜這いをしに来たんだ」


「嘘でしょ」


「本当さ」


 麻衣の隣に腰を下ろす。

 普段なら座ってもいいか尋ねるが、今回はあえて何も言わない。

 麻衣も気にしていない様子だった。


「きゅ、急だねぇ……これまた」


「日本が大災害に見舞われているタイミングでどうかとは思ったが、今を逃すともう機会がないかもしれないからな」


「たしかにね」


 俯きながら呟く麻衣。

 その顔は微かに赤くなっていた。


「だから最後くらい男らしく夜這いしようと思ったんだ」


 この島に来た日のことを思い出す。

 一緒のベッドで寝たが、俺は何もできずにいた。

 徘徊者戦にあとに再び「夜這いしたければどうぞ」と言われた時もだ。


 その後も、麻衣はしばしば誘惑してきた。

 キャンプの時にも「夜這いしたかったらしていいよ」と言ってきたほどだ。

 冗談半分ではありつつも期待していることは俺にも分かっていた。


 告白だってされた。

 日本に戻ったら付き合おう、と。


 なのに俺は、今日まで手を出すことができなかった。

 そうしたいと思っても、勇気がなくて踏み出せなかったのだ。


『本当にそれでいいのか?』


 麻衣が帰還すると言い出した時に思った。

 今日の昼、草原で話した時にも改めて思った。


 答えはNOだ。

 何もしないで別れるのは良くない。

 このままだと絶対に後悔する。


 だから、失敗を恐れずに行動してみた。


「分かった、いいよ」


 それが麻衣の返事だった。

 先ほどよりも顔を赤くして、緊張の面持ちで。


 俺はそれ以上に緊張している。


「あ、夜這いと言ったが、実際には少し違っていて、こうして……んぐっ」


 言い訳ぽく話す俺の唇に、麻衣が人差し指を当てた。


「そんなことを言っていると男らしさがなくなっちゃうよ。風斗の言いたいことは分かっているから気にしないで進めて」


「そ、そうだな……」


 俺は麻衣の肩を抱き寄せた。

 麻衣は目を瞑り、俺の肩に頭を預ける。

 距離が近づいたせいか、すごくいい香りがした。


「麻衣……」


「風斗……」


 これまでの記憶が蘇る。


 骸骨を倒して拠点を獲得したこと――。

 今では話にならないザコを相手に、二人で必死に作戦を練った。


 初めての徘徊者戦で死にかけたこと――。

 万能薬を飲ませるための口移しとはいえ、あれが初めてのキスになった。


 他にも、この約1ヶ月半の間に、色々な思い出を作ってきた。


(男らしく、男らしく……!)


 俺は何も言わずに麻衣の顎を摘まんだ。

 クイッと上げて顔をこちらに向けさせる。


 目が合うと、麻衣は瞼を閉じた。

 完全に受け入れている。


 俺は彼女の頬を撫でた。

 手の甲で、そっと、優しく。


 それから、静かに唇を重ねる。


「んっ」


 麻衣の両腕が俺の首に回った。

 離すまいと押さえている。


「麻衣……」


「風斗……」


 互いの名前を呼び合い、何度も唇を重ねる。

 最初は優しかったキスが、次第に激しさを増していく。

 高揚感と幸福感が全身を支配する。


「ベッドに行こう」


 俺が提案すると、麻衣は黙って従った。

 二人で立ち上がってベッドに移動する。


 そして――。


 ◇


 日が変わって8月26日。

 ついにやってきた平和の三日目。


 麻衣と同じベッドで朝を迎えた。

 彼女は俺より先に起きていて、隣でスマホを触っていた。


「ようやく起きたか、寝坊助め!」


 スマホを置いて俺の胸を撫でてくる麻衣。


「そんなに寝ていたのか? 俺」


「いんや? むしろ普段より早起きかも。まだ6時だし」


「じゃあ寝坊助ではないだろー」


 麻衣は「あはは」と笑い、俺の腕に抱きついてきた。

 まるで恋人のように体を密着させてくる。

 そんな彼女を俺も受け入れていた。


「雰囲気をぶち壊して悪いが、日本の様子はどうだ?」


「相変わらずだね」


 麻衣の顔から笑みが消える。


「ダメか」


「うん。ネットには情報が出ていないや」


 自分の目でも確かめたい。

 そう思った俺は、ベッドから出て壁に掛かっているガウンを着た。

 昨日買った物で、適温維持機能が付いているため快適だ。


 ソファに座ってテレビをつける。

 大災害以降、いつテレビをつけても被害状況を報じていた。

 SNSよりも正確で速い。


『おそらく今日もストップ安は免れないでしょうねぇ』


『いったいどこまで下落するのでしょうか』


『下手すりゃ経営破綻ということあり得ますよ』


 テレビニュースでは手島重工に関する話がされていた。

 時価総額世界1位まで上り詰めた株価が暴落しているという。

 災害のあった日から今日に至るまで連日のストップ安だ。


 もちろん理由は先日の大災害だ。

 TYPプロジェクトの失敗が原因だと誰もが思っている。

 手島重工は否定しているが誰も信じていない。

 なかには損害賠償請求をしている者まで現れていた。


 TYPプロジェクトの第三弾もいつ始まるか不明だ。

 手島重工は災害との因果関係を否定しているため、当然ながら「次は成功させたい」などと言っているが、そもそも次を実行できる目途が立っていなかった。


(困ったもんだ。TYPプロジェクトが中止されたら、ピンク髪の剣士にもらった謎スマホが無価値になりかねないぞ)


 謎スマホはTYPプロジェクトを成功させる鍵だ。

 俺には理解不能だが、きっとすごい効果を秘めているに違いない。


「どう? 家族の安否は分かった?」


 麻衣に尋ねられてハッとする。

 考え事に夢中でネットの確認を怠っていた。


「今から調べるよ」


「え、まだ調べていなかったの!? 政府のサイトにアクセスして名前で検索するだけなのに」


「ボケッとテレビを観ていた」


「さては何か考え事をしていたなぁ」


 さすがは麻衣だ。

 俺の顔を見るまでもなく当ててくる。


「まぁちょっとな」


 そう答えると、俺はスマホで両親の安否を調べた。

 麻衣も言っていたが、国の用意したサイトで名前を検索するだけだ。

 名前はひらがなで入力し、ヒットすると生死の情報が表示される。

 同名の人間が多数いるため、識別用に生年月日も表示される仕組みだ。


「ダメだな、載っていない」


 両親の情報はヒットしなかった。

 つまり、生きているか死んでいるかすら分からない。


 こうしたケースは多かった。

 ヒットしないからといって絶望する必要はない。


 今回の大災害による被災者の数は約5000万人。

 大半が関東の人間だが、一部、関東付近の住民も含まれていた。


 死者の数は現時点で約150万人。

 約33人に1人の割合と高いが、大半は生きていることになる。

 史上類を見ない規模の被害なのは間違いない。


「やっぱり私が戻って捜すしかなさそうだね」


 麻衣が隣に座る。

 ガウンではなく制服を着ていた。


「残念だがそういうことになるな……」


 麻衣の離脱が確定した。

 それを前提にしていたとはいえ、少なからず悲しかった。

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