052 ラブシーン

 おそらく何も起こらないだろう。

 そうは分かっていても、徘徊者戦の時間は起きていた。


 美咲も一緒だ。

 犬のジョーイは不在のため完全に二人きり。

 拠点の出入口付近で、フェンス越しに外を眺めていた。


「何かあったら起こすから寝てくれてかまわないよ」


「それは私のセリフです。風斗君こそゆっくり休んで下さい」


「譲るつもりはないようだな……!」


「風斗君こそ……!」


「では一緒に過ごそう」


「はい!」


 美咲は笑顔で頷いた。


「美咲と二人きりというのは久しぶりだな」


「言われてみればそうですね」


 最近は必ず誰かしらがいた。

 人がいなくてもジョーイがいた。


「ジョーイは寝ているの?」


「はい、私の部屋でぐっすりと」


「それも珍しいよな。いつもは美咲の傍で寝るのに。よほど疲れていたのか」


「ですね」


 2時になる直前に自然と会話が終わった。

 スマホに表示された時刻をぼんやり眺める。

 1時59分50秒……51秒……52秒……。


 ――そして、2時00分。


「外は静かなままだな」


「コクーンのアイコンも変わりありません」


 徘徊者は現れない。

 現れそうな気配もなかった。


「俺は念の為にもう少し待ってから寝るよ。美咲は――」


「風斗君が寝るまでここにいます」


 先に寝ていろとは言わせない、ということか。

 俺は苦笑いで答えた。


「分かった。じゃ、勝手に過ごさせてもらうとしよう」


 まずはグループチャットの確認。

 同じように起きている連中がちらほらいた。

 徘徊者が不意打ちで出てもおかしくないのだから当然だ。

 とはいえ、そういった連中も半数が寝ようとしていた。


 次にネットを開いた。

 ニュースサイトやSNSで俺達の失踪について調べる。


 もはや完全に下火になっていた。

 誰も興味をもっておらず、トレンドランキングは余裕の圏外。

 今でもこの件に固執しているのは生徒の家族くらいなものだ。

 何人かの保護者や兄弟姉妹がSNSで呼びかけをしていた。


(鳴動高校の先人らはよく精神を保てたものだ)


 先人は何度かに分けて脱出していた。

 だが、最速組ですら島で1ヶ月ほど過ごしている。


 おそらく世間の反応は俺達と同じだったはず。

 最初の数日こそ盛り上がるが、すぐに忘れ去られていく。

 最後のほうは集団失踪事件があったことすら忘れられていただろう。


 隔絶された空間に閉じ込められて過ごす。

 これは本当にきつい。今のように快適だったとしてもだ。

 家族に会えないのは寂しいし、何をするにも不安がつきまとう。


『先生、俺は先生のことが……』


 美咲のスマホから男の声が聞こえてきた。

 通話にしては芝居がかった話し方をしている。


「すみません、イヤホンの接続が切れてしまいました」


 美咲が慌てて音を消す。

 耳に白いイヤホンを装着していた。


「今の音は?」


「ネットブリックスでドラマを観ていました」


「ドラマ?」


 美咲のスマホを覗き込む。

 制服姿の男子と教師らしき女が映っていた。

 背景から察するに校門の前で話しているようだ。


「麻衣さんにオススメされた学園モノの恋愛ドラマです」


「ほう。美咲はドラマを観るのか」


「普段はあまり。オススメされたので試しに観ています」


「面白いの?」


「まだ始まったばかりなのでなんとも……。一緒に観ますか? 若い子に人気があるみたいですよ」


 美咲は左耳に装着していたイヤホンを外し、俺に向ける。


「観るとしよう。一人でスマホをポチポチしていてもつまらないし、若い子に区分される者としてトレンドは押さえておかないとな」


 美咲からイヤホンを受け取って装着。


「最初に戻しますね」


「いや、そこからでいいよ。序盤なら多少進んでいても分かるだろう」


「そういうことでしたら」


 美咲は再生ボタンを押した。


『ダメよ、こんなところじゃ他の人の目があるわ』


『だったら場所を変えよう! 先生の気持ちを教えてくれ!』


 どうやら男子生徒が女教師に告白したようだ。

 女教師もまんざらではないように見える。


(序盤から告白とは……どういう物語なのだろう)


 そんなことを考えているとシーンが切り替わった。


 二人は保健室に移動したようだ。

 どういうわけか無人で保健教諭は見当たらない。

 それなのに鍵は開いていたが、ドラマ的には問題ないようだ。

 当たり前のように話が進んでいく。


『ここなら誰にも聞かれないだろ』


『そうね』


 俺は小さな声で「いや、まずいだろ」と呟く。

 いくつかあるベッドの間切りカーテンが閉まっている。

 まずはそれらを開けて誰もいないか確認するべきだ。

 と思ったが、この点もドラマ的には問題ないらしい。


『もう我慢できない!』


『私も!』


 二人は禁断のキスを始めた。

 熱い抱擁からの舌と舌を絡める濃厚なキス。

 カメラがズームして舌の交わりを鮮明に写している。


「……これ、普通のドラマなの?」


「そのはずです。少々過激なシーンがあるとは聞いていましたが……。地上波で放送されているので問題ないはずです、たぶん」


「たぶん……」


 その後も二人の行為はエスカレートしていく。

 男子生徒が間切りカーテンを強引に開ける。

 女教師をベッドに押し倒し――。


「おい、嘘だろ、これ、本当に地上波で放送されているのか!?」


「そう伺っていますが……自信がなくなってきました……」


 画面にはかなり過激なシーンが映っていた。

 とはいえ、たしかにR18に該当するほどのものではない。

 さしずめR15といったところ。

 地上波といっても深夜に放送されているのだろう。


「「…………」」


 硬直したままドラマを観る俺達。

 しばらく無言が続いた。


 かつてない気まずさだ。

 何か言わねばと思うが何も言えない。


「風斗君は……」


 美咲が沈黙を破った。


「こういうこと、したことありますか?」


「こういうことって言うと……」


「キスとか、そういうの、です」


「ないよ! ないない、な、ないよ! ない!」


 妙な緊張のせいで怒濤の否定をしてしまう。

 だが、美咲は笑わずに真顔で言った。


「私もありません」


「そ、そうなんだ」


「死ぬまでに一度はしてみたい……と思っています」


「美咲なら余裕だろ。日本に戻ったら相手なんざ秒で見つかるぞ」


「日本に戻れる日が来なければ相手は見つからない、ということですか」


「ぐっ……」


「いつか日本に戻れると信じていますが、それがいつになるかは分かりません。だから……」


 こちらを見る美咲。


「風斗君、あの、もし嫌でなければ……」


「え、それって……」


 美咲はコクリと頷き、目を瞑った。


「マ、マジで? 俺、俺なんかで、いいの?」


「はい」


 なんだこの展開は。

 そう思うと同時に、こうも思った。

 据え膳だ! チャンスだ! キスだ!


 かつて麻衣と同じベッドで寝た時のことを思い出す。

 あの時の俺は根性無しでチャンスを無駄にしてしまった。


(今回は違うぞ! 同じ轍は踏まない!)


 深呼吸してから言う。


「分かった。後悔させたらごめん」


「後悔はしません」


 俺は美咲の手からスマホを取った。

 動画の再生を止めて地面に置く。

 次に互いのイヤホンを外し、それも地面に。

 それから美咲の両肩を掴み――。


(立ったほうがいいのか? このまま座ってキスしてもいいのか?)


 唐突にそんなことが気になる。

 だが、ここで「どっちがいい?」などとは訊けない。

 なるようになれ、ということでそのまま唇を近づけていく。

 そして俺達は、互いに人生初となるキスをする――はずだった。


「ワンッ! ワンッ!」


 犬のジョーイがやってきて阻止された。

 美咲の目がカッと開く。

 俺は慌てて彼女から離れた。


「ジョーイ、どうかしたのですか?」


「ワウゥ」


 ジョーイは美咲の傍に伏せて目を瞑った。


「寂しかったのですね」


 美咲はジョーイの背中を優しく撫でた。


「ささ、寂しかったのなら仕方ないな!」


 ムードが壊れたのでおしまいだ。

 俺はおもむろに立ち上がった。


「徘徊者が湧く様子もないし戻って寝よう」


「そうですね。ジョーイ、お部屋に戻りますよ」


「ワンッ!」


 ジョーイは伏せたばかりの体を上げ、嬉しそうに洞窟の奥へ向かう。


「美咲、ジョーイが来る直前のことは……」


 美咲は「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。


「嫉妬させてしまうので、他の方々には内緒にしておいてくださいね」


「分かった。――って、え? 嫉妬?」


「はい」


 意味ありげに笑う美咲。


「それでは、お先に失礼します」


「あ、ああ、おやすみ」


 去りゆく美咲の背中を目で追う。

 しばらくの間、その場に放心状態で固まっていた。

 よく分からないが、とりあえずジョーイのことを恨んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る