012 予想外の徘徊者

 深夜2時になった瞬間、明らかに空気が変わった。


「風斗、見て!」


 麻衣がスマホのホーム画面を見せてくる。

 コクーンのアイコンが白から赤に変わっていた。

 血塗られたような赤い繭に。


「グォオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 再度の咆哮、そして――。


「来るぞ!」


 徘徊者だ。

 こちらに向かって突っ込んできている。

 暗くてよく見えないが、シルエットは人に似ていた。

 それでも一目で「こいつは人間ではない」と分かる。

 顔が異常に大きかったり、腕が四本あったり、翼が生えていたり。


「グォア!」


 最初の徘徊者が防壁にぶつかった。

 まるでパニック映画のゾンビのように、続々と他の徘徊者も押し寄せる。

 あっという間に防壁の向こうが徘徊者で埋まった。

 半透明の青い防壁を必死になって叩いている。


「やべぇ……」


 恐怖と衝撃で軽く思考停止に陥る。

 ただ、すぐに立ち直った。

 概ね事前の想定通りだったからだ。

 前情報がないとやばかった。


「防壁の耐久度はどうかな」


 左手でスマホを操作して調べる。

 13万5000あったHPが1000程度減っていた。

 時刻は2時01分35秒。


「敵が防壁の前に群がるまで約30秒、それから1分かけて防壁をフルボッコにした際のダメージは1000。先人のサイトが正しければ徘徊者は深夜2時から4時までの2時間、つまり120分で消えるわけだから――」


 脳内でサッと計算する。


「――この調子なら防壁が耐えてくれそうだな」


 麻衣が「おお」と歓声を上げる。

 その顔は安堵に満ちていた。


「気を抜くのはまだ早いぞ」


「そっか、この調子だと大丈夫ってだけで、まだどうなるか分からないもんね」


「まだ始まったばかりだしな。とはいえ、ダメージの勢いが今より激しくなるとは考えにくいな。既に後ろの奴等が何もできずに立ち尽くしているし」


 徘徊者の数は早くも計測不能の域に達している。

 しかし、その全てが防壁に攻撃できるわけではない。

 防壁前の徘徊者が邪魔で、大半は何もできずに群がるだけだ。


 防壁に攻撃できる徘徊者の数は10体。

 どれだけ徘徊者が増えても、その点が変わることはなかった。

 俗に言うボトルネックだ。


 敵が防壁を突破したいなら、単体の火力を高める必要がある。

 今のところその様子はなかった。


「鉄のフェンスとか立てて損した感じ」


「いやいや、そんなことないぞ。備えあれば憂いなしだ」


 余裕があるので、敵の火力を詳しく調べることにした。


 まずは攻撃速度から。

 一体の徘徊者に注目し、スマホのストップウォッチで計測。


「グォ! グォオ!」


 両腕を防壁に叩きつける徘徊者。

 その動きはとても遅く、タイマンなら余裕で避けられる。


「ちょうど3秒だな、振り上げた腕を叩きつけるのにかかる時間」


 これは他の徘徊者も変わらない。

 攻撃方法も同じで、緩慢な動きで防壁を殴るだけ。

 まるで機械だ。


「防壁に攻撃できる徘徊者の数は10体だから……」


 10体が3秒に1回攻撃するので、防壁は1分で200回の攻撃を受ける。

 それで約1000ダメージ。

 ここまで導き出したら、あとの計算は小学生にだってできる。


「こいつらの一撃は5ダメってところか」


 おそらく間違っていないだろう。

 実際、防壁のHPを見ると1の位は0と5以外に表示されていない。

 一撃が5ダメ以外なら他の数字も表示されるはずだ。


「20分経ったけど変化ないね」と麻衣。


 俺が徘徊者の火力を調べている間、彼女は防壁のHPを注視していた。


「防壁の残りHPは11万前後ってところか?」


「11万5000を切ったところ」


「楽勝だな」


 張り詰めていた緊張の糸が緩む。

 だからといってこの場を離れるわけにはいかない。

 最低限の警戒は必要だ。


「麻衣、しばらく防壁の状態を注視し続けてもらっていいか? 俺はグルチャの様子を確認したい」


「オッケー。それが済んだら代わってね」


 俺はその場に座り込み、壁にもたれてグループチャットを開いた。


=======================================

ヤスヒコ:徘徊者ちょろくて草 下でワラワラしてんのは怖いけど


みーたん:こっちも余裕ー! 拠点あると快適だよ皆!


TAKERU:拠点いいなー。あ、みーたんどこにいるの? アイコン可愛いね!


みーたん:ありがと(笑) どこかはみーも分かんなぁい


TAKERU:地図を開いて座標ってボタン押したら見れるよ


キッシー:分かるけど言いたくないだけだろ、察しろ。つか空気読め


TAKERU:ごめん

=======================================


 他所のチームも余裕そうだ。

 拠点勢と樹上勢の両方から「問題ない」という報告が続出している。


 中には徘徊者と戦っている奴等もいた。

 やばくなったら防壁内へ逃げ込むそうだ。


 そいつらの報告によると、徘徊者を倒すとポイントが貰えるらしい。

 単体の額は話にならないが、数が多いので儲かりそうとのこと。

 さらに【戦士】というスキルも習得できるそうだ。


 これらは先人のサイトには載っていなかった。

 というより、「徘徊者は倒してもポイントにならない」と書いていた。

 やはり鳴動高校生の時と俺達で仕様が異なっている。


「徘徊者って簡単に倒せるらしいぞ」


「そうなの?」


「バットで軽く殴ったら死んだとか、そういう報告が上がっている」


「おー」


 俺はグループチャットを閉じ、防壁の耐久度を確認。

 開始から40分が経ったものの、やはり何の変化もない。

 規則正しく毎分1000ダメージで推移している。


「代わろう。俺が監視しておくよ」


「ほいさ!」


 麻衣は待っていましたとばかりに動きだした。

 フェンスを斜めにずらし、できた隙間を通って防壁に近づく。


「おい、何をするつもりだ」


「決まってるっしょ! 記念撮影!」


 なんと門扉の手前で自撮りを始めた。

 徘徊者の群れをバックにシャッター音を連発させる。


「ネットに上げたらバズるのになー」


 流石はインフルエンサー。

 落ち着くなりバズることを考えているとは。


「危険だから戻ってこい」


「分かってるってば!」


 麻衣が軽い足取りで戻ってきた。


「ドラマだったら今ので死んでたぞ」


「でも現実だから死なないんだなぁ、これが!」


 全く悪びれる様子がない。


「そんな調子だといつか事故っても知らないぞ」


「自己責任、自己責任♪」


 俺は「やれやれ」とため息をついた。


 そんなこんなで1時間が経過。

 深夜3時00分になった。

 防壁の残りHPは約7万5000。


「変化なしか」


「もう大丈夫っしょ!」


「そんな感じがするな」


「これだけ暇だと寝ちゃいそうだし、何か話そうよ」


「賛成だ」


 俺達は左右の壁に座って向かい合う。


「風斗のこと教えてよ」


 スマホの画面を下に向けて地面に置く麻衣。

 今は彼女が防壁を監視する番だが……まぁいいか。


「何を教えればいい? 趣味とか?」


「趣味っていうか、休日に何しているとか」


「普通だよ。家でゲームしたり、暇つぶしに出かけたり」


「ファッションとか興味ある?」


「いや全然」


「じゃあ彼女は? 彼女いる?」


「いないよ、いたこともない」


「えー、いそうなのに」


 俺は「ふっ」と笑った。

 流石に分かり易すぎる嘘だ。


「好きな子とかいないの? いるならセッティングしてあげよっか?」


「気持ちはありがたいけど、好きな人も特にいないな」


 麻衣は「ふーん」と言い、そのまま黙る。

 俺の受け答えが酷すぎて飽きたのだろうか。


(こっちからも質問するべきだよなぁ)


 そんなことを考えていると、麻衣が再び口を開いた。


「だったら何で襲ってこなかったの?」


「え?」


「さっき。一緒のベッドで寝てたのに何もしなかったじゃん」


「いや、それは……」


 言葉に詰まる。

 襲おうとしたけど寝ていましたよね、とは言いづらかった。


「ま、麻衣は、そういうの、期待していたの?」


「期待というか、覚悟はしていたよ」


「覚悟……」


「風斗くらいの男子ってムラムラがすごいんでしょ? だから、まぁその、風斗ならいっかなぁとは思ったよ」


「なっ……!」


 やはり手を出すべきだった。

 だが、しかし。


「麻衣が寝ていなかったら、もしかしたら、俺も、何かしていた、かも!」


「寝ていなかったけど?」


「え、でも、寝息を……」


「寝たふりだよ」


「そんな……だって寝言もあんなに……」


「ビーフストロガノフのやつ? あれは寝たふりって分かるように言っていたんだけど、もしかして信じちゃったの?」


 麻衣が「ありえないでしょ」と笑う。


「マジかぁ」


 つまり俺は、完璧なる据え膳を逃してしまったわけだ。

 強く後悔した。深く絶望した。激しく自分を呪った。


「おっとっと、話し込んじゃった。確認確認っと」


 麻衣が軽い調子でスマホを見る。

 次の瞬間、「なにこれ……」と顔を真っ青にした。


「どうかしたのか?」


「やばいよ、防壁が壊れそう」


「なんだって!?」


 慌てて立ち上がり、スマホを確認する。

 まだ30分ほど残っているのに、防壁のHPは1万を切っていた。


「どうなってんだ!?」


 この30分に一体何があったというのか。

 俺達は拠点の外へ目を向ける。

 そして、原因を突き止めた。


 防壁に攻撃できる敵の数が増えていたのだ。

 人型徘徊者の足下に、いつの間にか小さい犬型徘徊者が追加されている。

 そいつらが防壁にタックルを連発していた。

 攻撃力は人型と同じだ。

 小さいので人型よりも多くの数が防壁を攻撃している。


「まずいぞ、このままだと防壁が……」


 その時、防壁のHPが0になった。

 半透明の青い壁が粉々に砕け散っていく。


「グォオオオオオオオオオオオオオオ!」

「グォオオオオオオオオオオオオオオ!」

「グォオオオオオオオオオオオオオオ!」

「グォオオオオオオオオオオオオオオ!」


 大量の徘徊者が拠点の中に雪崩れ込んできた。

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