第12話 クリザンテムと幽霊船
突如船内で戦いが始まったと思うと、次には船内で同士討ちが始まり、そしてその果てに船長ことクリザンテムという名の不死族は正気を失ってしまった。
困惑するレンら騎士団と、触手に捕まった状態のままで振り回されるシュロを他所に、その場に更に誰かが扉を通って現れた。不安に駆られた一同はそのヒトの姿を見ようと扉の方へと目を向けた。
そこにいたのは、シュロが船に乗り込んだ目的であり、騎士団二人が人命救助としてきた対象だった。
「アサ!?…あっちょっと三半規管がマズい。」
「お前、好い加減触手から抜け出してこい。それくらい出来るだろ。」
「吸盤が張りついて…あと気持ち悪い。」
そんな気の抜ける会話を始めた二人だったが、何故か扉から姿を見せた人間の少女、アサガオはそのまま歩いてシュロ達の方ではなく、何故かクリザンテムの方へと近寄った。
ベンジャミンは駆け寄ってアサガオをクリザンテムは引きはがそうとしたが、レンがベンジャミンの方を引きとめた。何故だと目で訴えかけるベンジャミンに対し、レンはアサガオから目を離さずに見ていた。
アサガオは誰に止まられる事無く、そのままクリザンテムへと近寄り、そしてクリザンテムの目の前でしゃがみ込んだ。クリザンテムは変わらず何かを呟き、目の前にヒトが居る事にすら気づいていない様子だった。
「…なんで、何もない…何も。…ちがう、俺は…そんなつもりじゃ…何も。」
目の焦点が合わず、弱弱しい声で呟き続けるクリザンテムを見て、しゃがみ込んだアサガオは明るい表情から悲しげな表情へと変わり、自身の小さな手をクリザンテムへと伸ばすとその手をクリザンテムの頭に乗せ、一生懸命に撫でた。
それは親が幼子をあやす時の様な、優しく安心させたい気持ちを手から伝える、精一杯のヒトの手段だった。
その手の感触が伝わったのか、クリザンテムは呟く事を止めて目の前でしゃがみ込むアサガオを漸く視界に入れた。
「…お前、なんだ?…もしかしてお前、俺の事。」
何かを言い掛けて、そこで言葉を切ってしまった。それが言い淀んでいるのではなく、目から零れる涙のせいだと周囲は察した。
そしてクリザンテムはゆっくりとアサガオの顔に触れて、次に肩に触れ、そして自分の方へと抱き寄せて力を込めた。それは体を傷つけないように、だけど離さないように力を込めていた。
シュロにも、レンにもベンジャミンにも事情は知らない。知る由など無かった。クリザンテムなる男が何者で、一体何を負思って幽霊船を動かし、ヒトを集めていたのか。
知りはしないが、それでも何かを思って戦い、そして今アサガオを抱きしめている事だけは確かだった。
空間にしんみりとした雰囲気が漂う中、動きを見せたものがいた。クリザンテムの直ぐ傍でずっと見守っていた日傘を差す不死族のアイリスだった。アイリスはクリザンテムの方へと歩み寄ると、そっとクリザンテムの肩に自身のの手を乗せて、支える様にしていた。
アイリスが動いた事に警戒心を強めたレンとベンジャミンだったが、アイリスが二人に話し掛けた。
「大丈夫よ。何もしない。彼が何もしないから、私もしない。」
アイリスの声には、確かに先程自分らと戦った時よりも覇気が感じられず、出まかせでも嘘でも無い事をレンは察した。
「さて、敵意が無いと言うなら質問に答えてもらいましょうか。あなた達の目的はなんですか?」
「目的…なんでしょうね?私は彼のやる事を見守るだけだったから、私自身誰かに危害を加える気は無いのよ。」
どこかぼんやりとした、はっきりとしない物言いに納得できずにいたが、レンは質問を続けた。
「この船に入り込んだと思われる調査員、彼らを見つけ出し、こちらに返してほしいのですが。」
「あぁ良いわよ。もう必要なくなったようですし、どうぞお連れになってください。…もう誰かさん達が先に連れて帰ってもらってるでしょうけど。」
言っている意味がいまいち理解出来ないが、当初の目的は達成との事で、安堵をしたがまだ完全には安心出来なかった。そもそも相手は目的があって調査員らを連れ去ったはずなのに、あまりにも簡単に返してしまい、二人は戸惑った。
「つーか、あんたあの船長だっけか?そいつとどういう関係なんだよ。」
「どういう…さぁ?どうなんでしょうね。私は彼を気に入って着いてきたけど、彼の方は何も知らないんじゃないかしら。」
二人はアイリスの言っている事が益々分からなくなってきた。そんな困惑状態の二人の背後から声が掛かった。
「アンタ、もしかして船長とやらに認知されてないんじゃないか?」
それは触手から抜け出たばかりのシュロだった。戦いが終わり落ち着いたためか、マーベルがシュロの存在を思い出し、漸く今になって触手から解放してくれたようだ。マーベルの方はと言うと、件のアサガオの姿を見ては辺りとうろついていて落ち着かない様子だった。
「認知されて無いって、どういう意味だ?」
声には出さなかったが、レンも同じことを思っていた。そんなレンとベンジャミンの疑問にアイリス本人が答えた。
「えぇ。彼、私の事が分からないの。見えてもいないし、声も聞こえないの。」
アイリスの答えに二人は驚いた。
「だろうな。船長が入って来た時、そこの騎士団とオレの事は見ていたけど、ソイツの方には目が行っていなかった。ただ単純にその女が一方的に船長を知っているだけで、船長の方が女を知らないってなら、オレらと同様に侵入者として目を配っていた筈だ。
そして言葉は一応通じている筈なのに、女の言葉には一切反応を見せなかった。だからそういう事なんだと思った。」
シュロが思っていた事を全て出しきり、聞いていた二人も納得した。レンは船長の態度などを見ていて違和感を感じてはいたらしく、シュロの話を聞いて思い出した事があった。
「世の中には不死族、特に幽霊の姿を視認出来ない体質の奴がいるとは聞いた事がある。それが同じ不死族にも適応するとはな。」
「まぁ一種の精神的?な病気にも特定の人物を認識出来ない事はあるらしいしな。そうなると余程精神に負荷が掛かっているらしいがな。」
アイリスの言った事をそれぞれが解釈し、そして漸く女、アイリスの台詞が理解出来るようになった。
「…彼ね、不死族であるにも関わらず、生きているヒトと同じ様に心に重いものを背負って生きているの。あっ不死族に『生きてる』は変かしら。
とにかく、彼を見てどうしても放っておけなかったの。重いものを背負って苦しんでいるのに、海賊になるって夢を持っていて、その姿に私は惚れたんでしょうね。
だから彼の支えになりたくて声を掛けたのだけど、知っての通り全く私には見向きもしなかった。不思議よね。世の中では不死族は当たり前の存在なのに、彼にとっては当たり前では無いの。きっと不死族の存在を認めるか否かが、彼の心の負荷にも関わっているのでしょうね。」
そう語りながらもアイリスは船長ことクリザンテムの肩をまだ触り、支えていた。その感触さえもクリザンテムは気付きもしない。それでも構わずアイリスは船長を支え、見つめていた。
「彼、独りでいるのが怖いんですって。きっと過去に辛い別れを経験したのね。不死族だからか記憶も曖昧で、感覚で覚えているみたい。
だと言うのに、空いた穴を埋める様にして肉を欲するの。食べたらまた独りになってしまうのに。可笑しな話ね。」
言っているが、アイリスの表情は笑ってはいなかった。
そんなアイリスをアサガオは見上げてジッと見ていた。それに気付いたアイリスは今度はアサガオの頭を触り、ゆっくりと撫でた。
「ありがとう。彼が寂しがり屋なのに気付いて来てくれたのね。彼に食べさせようとして御免なさいね。もう帰って良いわよ。」
アイリスはゆっくりとアサガオを抱き上げてから床に下ろし解放した。アサガオは一度クリザンテムを見て、次にアイリスの方を見てから前を見てシュロの方へと駆け寄った。
「…んっおかえり。後、もう一人で部屋を抜け出してどっか行ったりするなよ。」
「それに関しては詰めの甘いお前が悪い。」
レンの一言でシュロとのケンカが始まり、ベンジャミンとアサガオはそんな二人の喧嘩を止めようとした。
「今回は本当に御免なさいね。もう彼は大丈夫だから、どうかこのまま船を降りてくださらないかしら。」
アイリスの言葉を聞き、騎士団二人は表情を引き締めた。
「そうはいかない。また今回の様な事が起きては困る。」
「この船は騎士団の預かりとします。あんたらも大人しく」
「それは無理ね。だって、ほら。」
アイリスが言った瞬間、船内の一室の中である筈が突如一同が居る空間に
「今回は本当に失礼したわ。でも、あなたを船に乗せて良かったわ、本当にありがとう。」
アイリスたちの姿は影となり、遂には影さえも薄くなり完全に姿を見えなくなった。そんな様子を一同はただ茫然と眺めるしか出来なかった。
アサガオだけは消えていくアイリスとクリザンテムに向かって手を大きく振った。
気付けば一同は幽霊船と最初に見た港に立っており、船も霧を消えていた。突如船に乗ったはずの一同が港に姿を現し、港で待機していた残りの騎士団たちは驚き、どよめきが響いた。
「えっレン隊員、ベンジャミン隊員!?何故いきなりこんなところに!?」
隊員の一人がレンとベンジャミンに話し掛けるが、二人はどう説明するか悩み、少しの間見合って黙っていた。
シュロは大きく溜息を吐きつつ、アサガオが無事である事を確認する為にしゃがみ込んだ。
「ったく。結局アイツら何しに来たんだ?こっちが知ってる体で話し進めるから意味分からん。」
愚痴を零しつつ、アサガオに傷がついていない事を確認し再び溜息を吐いた。
「お前も、勝手に船に乗り込んだりすんなよ。危ねぇヤツが乗ってるかもしんねぇしな。」
「…そうだねぇ。おれもそう思う。…仕事が増えるし。」
シュロとは違う、レンともベンジャミンの声とも違う、でも聞き覚えのある声の方へと振り返るとそこには白い男であるマーベルが立っていた。
「おまっ!一緒に消えたんじゃないんかい!」
「いや、だからおれはあいつらの仲間じゃないし。…後その子でしょ?アンタが言ってたの。」
言われて指を差されたアサガオは首を傾げてマーベルを見上げた。
「…あっどうもー。おれ、こういうモノなんだけど。」
マーベルが言うと自身の体から触手を何本も出し、周囲にいた騎士団は大きくどよめいた。アサガオはと言うと、触手を目にした瞬間目を輝かせ、マーベルに近寄り楽しげな声を上げた。
「…あっマジで喜んでる。…ふへへへ、こういうのも悪くないねぇ。」
「良いから触手をおさめろ!」
アサガオの表情を見てマーベルは喜びを感じ、感情の高ぶりで触手が暴れ回り、港は一気に修羅場と化した。
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