第11話
七月六日。季節は移ろい七月になった。いつの間にか梅雨は明け、真っ白な入道雲が遠くに見える青い山から流れてくる。昼になればたった二週間の短い命の中で必死にメスにアピールするオスのセミがじりじりと鳴き、嫌でも夏の訪れを感じさせる。
連日猛暑日と言われ外に出るだけで気怠さが付き纏う中、私たちはいつもの帰り道を歩いていた。ただ今日は逆方向のはずの佐伯君も一緒だった。
なんでもアサガオの種をもらったので植木鉢をこの近くのホームセンターへ買いに行くのだという。
「それにしてもこんな時期にアサガオなんて、普通ならもう咲いているころじゃないかしら」
「それが今から植えてもちゃんと咲く種らしいですよ」
「へぇ、そんなものもあるのね、知らなかったわ」
花にはその花をイメージした日付、いわゆる誕生花というものがある。誕生花に正解というものは基本的になく、正式に決められたものはない。国や地域によって違うこともあるが、その花が旬を迎える時期にされることが多い。
アサガオで言うと、ちょうど今の時期に咲くため誕生花はこの時期になるのが一般的である。数ある誕生花の説の一つに、七月六日も含まれている。
そのため今から植えてちゃんと育つのだろうかとも思ったのだが、恐らくそういう品種もあるのだろう。
「そういえばアサガオっていろんな色が咲くけど、あれってなんで色変わるの?」
「私もあまり詳しくはないのだけれど、色素に含まれる成分が酸性かアルカリ性によって変わるそうよ。アルカリ性だと青、酸性だと赤色になるみたい」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、白色ってなんで咲くの?」
「白色のアサガオなんてあるんですか?」
「そう。あたしが小学生の時、育てたアサガオが白色だったんだよね。周りはみんな青とか紫とか綺麗な色をしてたんだけど、あたしだけ白色でね。まぁそれはそれで綺麗だったけどね」
「白色は色素を作る遺伝子が欠損することで咲くのよ。だから白色は少し珍しいみたいよ」
珍しい、という言葉に少しだけ反応を見せ夏葉が喜んでいると、佐伯君の目的地であるホームセンターへと着いた。
「暑い中わざわざついてきてもらってすみません」
「いいのよ、私たち家こっちの方だし、ついでだと思って」
自動ドアが開き中に入ると外の灼熱とした暑さとは対照に、冷房の効いた心地よい空間が広がっていた。全身にへばりついた気怠さを落とすように冷房を堪能していると、夏葉も同じように、いくらか大げさに手を広げ気持ちよさそうにしていた。
「はぁー、すずしー。外はもう暑くてやってらんないね」
「朝起きて学校に行くのも億劫になってきたわね。でもテストが終われば夏休みでしょう?そうしたら毎日暑い中登下校せずに済むわね」
「夏休みかぁ。遥花たちはそうかもしれないけど、あたし部活があるからなー」
運動部は大変だなとつくづく思う。この暑い中部活のためだけに学校に行くなんて到底できない。
「でも何より、夏休みの間遥花に会えないのが一番さみしいよぉ」
そうか、学校がないと夏葉と佐伯君には二学期まで会えないのか。それはなんだか、少し残念だ。
「……そうね」
「それじゃあ文化祭のためのお菓子に何を作るか、夏休みの間に決めちゃおうかしら。夏葉も佐伯君も、来てくれる?」
「もちろん! やった、夏休みも遥花のお菓子食べられる!」
即答だった。夏葉に関しては予想通りというか、なんとなく来てくれるだろうと思っていた。
そうだ、予定が合ったら夏葉をどこか遊びにでも誘おう。前に一緒に出掛けたいと言っていたし、夏休みだから少し遠出でもしてみようかしら。
不意に佐伯君と目が合った。なんだか目を合わせるのは久しぶりなような気がした。と思った瞬間、視線は外れていた。
「佐伯君も、手伝ってくれるかしら?」
できるだけ目をあわせるように心掛け、優しく問いかける。
「もちろんですよ。最近はお菓子作りも楽しくなってきたところですし」
優しく微笑む佐伯君に「ありがとう」と一言添えて私も微笑み返した。
しかし佐伯君は何か考え込むように表情を曇らせ、俯いてしまった。
買い物を済ませ再び猛暑の地獄へと繰り出す。外に出て間もないがすでに天国が恋しくなっていた。
佐伯君は買った植木鉢と少量の土を袋に入れ手からぶら下げている。信号を待っている間は三人とも暑さにうなだれていた。
赤から青に変わりピヨピヨと青を知らせる機械音が鳴る。私と佐伯君はそれを聞くと横断歩道に一歩足を踏み入れる。
佐伯君はまた何か考え事をしているのか、少し俯いて歩いていた。その奥から、明らかに交差点までに止まれないスピードでこちらに走ってくる一台の車が視界に入った。
佐伯君はその存在に気付いていないのだろう、歩みを止める気配はなかった。このままではぶつかってしまう。
その瞬間、考える間もなく私の体は動いていた。
「佐伯君!」
二、三歩先を歩く佐伯君の左腕をつかみ、手前に引き寄せる。勢い余って尻もちをついてしまった。それと同時に今まさに私たちが渡ろうとしていた横断歩道を、一台の車が駆け抜けていった。
「二人とも大丈夫⁉」
あっけにとられ動けなくなっていた私たちの下に、夏葉が眉を下げ寄ってきた。
幸い夏葉は特にケガなどはないようだった。
「あの車、思いっきり信号無視じゃん。遥花たちになんかあったらどうすんのさ」
今度は下げていた眉を吊り上げ眉間にしわを寄せ怒っていた。この子は本当に表情がよく動く。夏葉の顔を見たら少しだけ落ち着いた。
「ありがとう夏葉、私は大丈夫よ。佐伯君は大丈夫、ケガはない?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「佐伯君も、ボーっとしてないでちゃんと回り見なきゃダメでしょ!」
「はい、すみません…」
申し訳なさそうに眉を下げる佐伯君は、夏葉の𠮟責に少し縮こまっていた。
「もうそれくらいでいいじゃない。佐伯君も反省しているし、何より悪いのは信号無視をした車の方なんだから」
「…それもそうだね。ごめんね佐伯君、ちょっと言いすぎちゃった」
それから私はこのまま佐伯君を一人で帰すのは危ないと判断し、家の近くまで送り届けることにした。
帰り道、佐伯君はいつもよりも口数が少なかった。いつもは聞き上手で話しやすいのだが、今日は絶妙に居心地が悪かった。さっきのことを気にしているのかもしれない。
「今日のことはあまり気にしなくていいわよ。私は佐伯君が無事でよかったと思っているわ」
何とか励まそうと話しかけてはみるが、生返事で会話が続かない。どうしたものか。
「もう過ぎてしまったことはいくら考えても仕方ないわ。同じ失敗をしなければそれでいいのよ」
少しだけ佐伯君の表情が和らいだ気がした。
「そうだ、夏休み、どこかに遊びに行きましょうか。過去のことをいつまでも引きずってないで、何か楽しいことでも考えて気持ちを切り替えましょ」
「え、いいんですか?僕なんかより、中川先輩との方が…」
「いいに決まってるでしょ。私は佐伯君と遊びに行きたいの。それで納得はいくかしら?」
「じゃあ、納得しておきます」
気づけばいつも通りの佐伯君に戻っていた。勢いで夏休みに遊びに誘ってしまったが、どうすればいいのだろう。
友達と遊びに出かけるということがなかった私は、どこに行って何をするのか、全く想像もできなかった。
結局何も決まらないまま佐伯君の家の近くまで来てしまったみたいだった。
「もうここで大丈夫ですよ。今日は本当にありがとうございました」
「そう? 気をつけて帰るのよ。それじゃあまた明日」
「はい、先輩もお気をつけて。また明日」
踵を返し道を歩く佐伯君は、なんだか少しだけ足取りが軽いように見えたのは気のせいだろうか。
私も日が暮れすっかり暗くなってしまった道を戻り、帰ることにした。
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