第12話

 七月二十五日。テストも無事に終わり教室の空気が浮足立っている中、残すところ終業式を終えるのみとなっていた。

 暑い中体育館に集められ、毎年同じような内容の話を長々と聞かされお尻が痛くなってきたところでようやく解放された。

「それじゃあここにまた全員で集まれるように、無事故で交通安全には気を付けてくださいね。よい夏休みを」

 担任の締めくくりの言葉を聞き終え、待ちに待った夏休みがスタートした。

「やっと夏休みだー。しばらく遥花と会えないのがさみしいよぉ」

 そう言って夏葉がべったりとくっついてくる。

「暑苦しいから離れてちょうだい。それに、部活でときどき会えるでしょう」

 えー、と言いながらも夏葉も暑かったのかすぐに離れた。ふと気づくと、夏葉の足元には部活用と思われるカバンが置かれていた。

「今日は部活?」

「そうだよぉ。暑いのに早く帰りたーい」

「運動部も大変ね。それじゃあ私は帰るわね」

「うん。またねー」

 机で溶けながら手を振っていたので、私も手を振りながら教室を後にする。

 昇降口に着くと佐伯君が一人で歩いているのを見かけたので声をかけた。

「桃城先輩。今帰りですか?」

「えぇ、佐伯君も?」

「はい」

 示し合わせるでもなく私たちは並んで歩き始めた。夏休みのことについて、話しておきたいことがあってからちょうどよかった。

「そういえば二十八日から、名駅でスイーツフェアがあるみたいなの。よかったら一緒に行かない?」

「スイーツですか、いいですね。行きましょう。この間遊びに誘っていただいた時から、すごく楽しみだったんですよね」

「あら、そうなの。そんなに楽しみだったの?」

「はい。好きな人に誘われたらそれはもう……」

 聞き間違いだろうか、私は耳を疑った。

「え、今なんて…」

 しかし、そう聞き返すと佐伯君はハッとした様子で立ち止まり、顔を紅潮させていた。

 その様子を見てどうやら聞き間違いではなかったようだと気づき、私も耳が熱くなる。

 まるで私たちだけ時が止まったかのように、思考は停止し動けなくなっていた。いや、もしかしたら本当に時が止まっていたのかもしれない。そう思えるほどに私たちは静まり返っていた。

 その沈黙を破ったのは佐伯君の方だった。

「えっと、今のはその、違くて…あ、いや違くはないんですけど…なんというかつい口を滑らせてしまったと言いますか…」

 聞き取るのに少し手こずってしまうほどの早口で喋り、手をあたふたさせていた。挙動不審になってしまうほどには動揺しているようだった。そんなに動揺されるとこっちまでどうにかなってしまいそうだった。

「とりあえず、今日は失礼します…!」

 そう言い残して佐伯君は逃げ帰ってしまった。

 私は状況がうまく呑み込めず、しばらく呆けたまま動けなかった。なんとか家にたどり着くも、思考がうまくまとまらない。

 佐伯君が私を好き…?確かにそう言った。そのあと違くはないとも言っていた。ならば間違いではないのだろうか。

 思い返せばそうだとしても不思議ではないと思える言動を、これまでいくつかしていたような気もする。でもなぜ?いつから?考えれば考えるほど疑問が湧いて出ていつまでも完結しない。

 今はまず目の前の問題にだけ集中しよう。

 佐伯君は私のことを好きな人と言った。ならば私はそれに対する答えを返すべきではないだろうか。

 しかし私は恋というものが未だわからない。好きという気持ちがどういった感情なのか、私はそれを持っているのかわからない。

 佐伯君のことはよき後輩だと思っている。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。でも、最近は少しだけ意識するようになったとも思う。佐伯君の表情や言動に違いがあるとすぐ気づくようになった。でもそれは三ヶ月一緒にいれば自然と分かるようなものなのかもしれない。

 正直佐伯君に言われたことは嬉しかった。だが人から好意を向けられて嬉しくないと思う方が少ないのではないだろうか。

 もしこれらの感情などが世間一般的に好きというものならば、私はそれを伝えるべきなのだろう。でも私にはそれがわからない。

 自分の感情もわからずに断る、受け入れるなどするのは不誠実だと思う。ならばいっそこの感情を素直にぶつけてみるのはどうだろうか。私にはわからなくても佐伯君なら答えを持っているかもしれない。もしかしたらそれらを受け入れたうえで互いの気持ちのすり合わせをしてくれるかもしれない。

 他人任せではあるがこれが最善かもしれない。

 私はベッドに放り投げていたスマホを手に取り、佐伯君にLINEを送ろうと画面を開く。

 しかしこんなメッセージ一つでいいのだろうか。うっかり言ってしまったとは言え、曲がりなりにも彼は直接言ってしまった自分の気持ちを肯定した。私も直接伝えるのが誠実なやり方ではないのだろうか。

 そう思った私は一通のメッセージを佐伯君に送った。

『二十八日、十一時に金時計でもいいかしら?』

 あくまでいつも通りに。前から決めていた約束の日程を確認するだけ。

 既読はすぐについた。

『大丈夫ですよ』

 かわいいOKサインのスタンプと共に返信が来る。

 それを確認すると画面を閉じ、またベッドに放り投げた。今は暗くなった画面に自分の顔が映るのを見たくはなかった。


 約束の日の前日、私は佐伯君にLINEを送っていた。スイーツフェスについて調べていたら、思ったよりも混雑しそうだったので時間を少し早めることにした。

『明日なんだけれど、十時半に集合でもいいかしら?思ったよりも混みそうだったから』

 今度も既読が早かった。

『大丈夫ですよ』

 また同じような返事でスタンプと共に帰ってきた。

『明日、楽しみにしているわ』

 なんだか少し恥ずかしい気持ちになった。なんて返してくれるのだろう。そんな期待を胸に返事を待っていたが返ってくることはなかった。

 もしかしたら途中で寝てしまったのだろうか。そう思い何も気にすることなく私は布団に入った。そういえば明日は雨が降るらしいが大丈夫だろうか。晴れることを願いながら眠りについた。

 翌朝、目をこすりながら下に降りると、母がすでに支度を終え家を出るところだった。

「あらおはよう。パン焼いてあるから、ちゃんと食べなさいよ。それじゃあ行ってきます」

 ガチャリと玄関の扉を閉める音が聞こえ、家が静かになった。幸いまだ雨は降っていないようだ。このまま夜まで降らなければいいのだが。

 私は椅子に座りテレビをつけると、ちょうど朝のニュースがやっていた。

『おはようございます。七月二十八日、朝のニュースのお時間です。昨夜、連日お伝えしている通り魔事件が新たに発生しました。被害にあったのは佐伯彰人さん、十六歳。○○町の橋の上で血を流し倒れているところを———』

「え…」

 手に持っていたパンが音を立てて机の上に落ちる。私は思わず立ち上がりテレビの前まで力なく歩く。

 佐伯君が通り魔に巻き込まれた…? そんなの何かの間違いだ。きっと似た名前のだれかと見間違えたんだろう。そう思いテレビを凝視するも、それは間違いなく私の知っている佐伯君だった。

 そうだ、私は昨日彼とLINEしていたじゃないか。きっとこのニュースは間違いでスマホを見れば返信が———

 LINEを開くとメッセージは未読のままだった。

 いろいろなものを確認すればするほど、ニュースの内容が現実味を帯びていく。

 全身の血の気が引いていくのを感じる。

 それと同時に目の前が真っ暗になっていく。

 アナウンサーの淡々とした口調で読み上げられるニュースだけが部屋に響く。

 佐伯君はもういない。じゃあ私は今日どうすればよいのだろう。このまま家で過ごせばよいのだろうか。

 じっとしているとどうにかなってしまいそうで、でも何かをしようにも全身に力が入らない。テレビの前から動くことすらできない。この現実が全部夢だったらいいのに。

 私は絶望していた。いや、絶望なんかよりももっと、言葉では言い表せられないほどの負の感情に支配されていた。

 まだ佐伯君とやり残したこと、佐伯君に言わなきゃいけないことはたくさんあったはずなのに、もうそれをすることはないというのか。

 後悔で胸がはちきれそうだった。

 それでも私は、涙の一滴も流すことはなかった。

 人は突然の訃報に悲しむ暇もないらしい。

 外はいつの間にか雨が降り始め、窓に激しく打ち付けていた。

 脳が情報と感情の整理がつけられないのか、私はいつの間にかその場で気を失うように眠っていた。


 気が付くと背中には温かい日差しが当たっていた。外は雨が降っていたはずだが、もう止んだのだろうか。

 目を開けると私は、なぜか制服を着て調理室で座っていた。

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