第7話
六月三日、月曜日。テスト週間が終わると、気づいたら六月に入っていた。この時期になると今度は球技大会の練習期間に入る。
球技大会では男子がサッカーとバレー、女子はバスケとテニスの二種目に別れクラスごとで競い合う。クラスの絆を深めよう———のよくある謳い文句で毎年開催されているのだとか。
私は夏葉に誘われテニスを選択した。テニスはシングルとダブルスの二種目あり、私と夏葉はペアでダブルスに参加することになった。正直一人で参加することにならずホッとした。
私は運動が苦手だ。球技大会や体育祭などは嫌いな行事の一つだった。運動が苦手な私のような人間にとっては醜態を晒し、笑いものにされる行事でしかないからだ。人間だれしも、自分の恥ずかしい姿を晒して平気な人などいないだろう。夏葉のような陽気な人にとっては仲間との笑い話程度にしか過ぎないのだろうが———いや、これは単なる偏見か。
ただ、夏葉と一緒ならば、なぜだか安心して取り組めるような気がした。もちろん、夏葉と比べられて私の醜態がより際立つということもあるだろうが、なぜだろうか、何とかなる気がしていた。
球技大会の練習は主に体育の時間にすることになっている。体育は他クラスと合同で行うため、テニスコートが足りず交代で練習する。順番を待っている間、私と夏葉はコートの端に逸れて他の生徒がボールを打ち合う様子を眺めていた。
「夏葉はどうして私を誘ってくれたの?」
私でなくとも、夏葉には一緒に参加してくれる友達の一人や二人いるだろう。夏葉であればほかの運動のできる人と組めば容易に勝ち上がることも想像できる。それなのになぜ運動が苦手な私とペアを組むのか、誘ってもらった身で申し訳ないが、ずっと疑問に思っていた。
「どうしてって、遥花がよかったからだよ。遥花とテニスがしたかったの。理由なんてそれだけだよ」
「でも、私とじゃ勝つのも大変よ?」
「うーん、それは確かにそうかもだけど、なら私が遥花の分も頑張ればいいだけでしょ?他の人と組んで簡単に勝つより、私は遥花と勝ちたい。その方がよっぽど楽しいよっ」
屈託のない笑顔でそう言った夏葉は、まるで真夏の太陽に照らされた海のようにキラキラと眩しく、水平線の遥かその先まで続く広い心で私のことを受け入れてくれそうだと思った。
話しているうちに交代の時間がやってきた。私と夏葉はコートの対面に向き合い、ウォーミングアップを始める。
私が軽くボールを打ち上げる。ワンバウンドして、夏葉の前に降りてくる。私に合わせてくれているのか、夏葉はそれを軽く打ち返す。そんなラリーが何回か続くが、私の運動音痴は絶好調なようで、軽く打ち返されたボールも打ち損ねてしまった。空ぶったラケットの後ろを二回三回とだんだんと勢いを失いながら跳ね、後ろのフェンスに転がり着いた。
「ごめんなさい。すぐとってくるわ」
コートの端に生えていた雑草の上に転がっていたボールを拾い上げ視線を上にあげると、紫や白のアジサイが無数に咲いていた———
ウォーミングアップも終わり、実戦練習に入った。今度は私と夏葉、並んでコートに入る。
相手からのサーブが私の目の前に飛んでくる。私はそれになんとか喰らいつき、打ち返す。いや、ラケットに当てるのが精いっぱいだったが、運よく相手のコートに返った。
ふんわりと打ちあがったボールは、相手にとって最大のチャンスボールだった。そのチャンスを見逃すはずもなく、強烈なスマッシュが私たちのコート目掛けて打ち落とされる。
それに対し夏葉がすぐさま反応し、レシーブの体制に入る。先ほどと打って変わってかわいらしい顔に浮かぶ真剣な表情に、一瞬目を奪われそうになる。
難なく対処した夏葉の返球は相手の意表を突き、先ほどの私と同じようなふんわりとしたボールしか返すことができなかった。
すぐさま夏葉がボールの落下地点に入り、スマッシュの姿勢を取る。まっすぐ伸ばした左腕を照準にラケットをゆっくりと持ち上げ、足をバネのように使いラケットを素早く振り下ろす。少し短く切った金色の髪がふわりと浮かび上がると同時に、全身の力をボールに預け綺麗なスマッシュで打ち返す。
その様は現役のテニス部と言われても疑うものはいないほどきれいなフォームだった。
スパンという気持ちのいい音が鳴り響いた刹那、夏葉の打ったスマッシュは相手コートに突き刺さり外まで飛んで行った。
やったと小さくガッツポーズを作った夏葉の顔には、満面の笑みが浮かび上がっていた。
「すごいわね、夏葉」
「えへへ、どんなもんよ!」
キラキラした眩しい笑顔と共にピースサインを私に向けていた。
授業の終わりを告げるチャイムと共に、片づけを終えた私たちは更衣室に帰っていた。
「さっきのスマッシュ、すごかったわね。前にもテニスをやっていたの?」
「ううん、今回が初めてだよ。テニスってバレーと似てるところあって、同じような動きしてたらなんかうまくいったんだよねー」
確かにサーブの動きなどは似通っているところもあるが、それでもいきなりあそこまではできないだろう。夏葉の類まれなる運動の才能が垣間見えた気がした。
夏葉がテニスをしている様子を思い返していると、ふとコートの外に咲いていたアジサイのことを思い出した。
「そういえばコートの外にアジサイが咲いていたのだけれど、知っていた?」
「そういえば咲いてたね。なんかアジサイ見てるともうすぐ梅雨が来るんだなって感じする」
「そうね、球技大会、雨が降らなければいいのだけれど」
「あれ、遥花ならどっちでもいいっていうかと思った。運動苦手なのに、球技大会はなくならないでほしいんだ?」
自分でも気が付かなかった。どうしてそう思ったのだろう。球技大会なんてなくたって私には何の影響もない。むしろ恥をさらさずに済む。それなのに今はなくなってほしくないと思っている?
自分の気持ちがわからず思考に熱中していると、夏葉の声によって現実に引き戻された。
「遥花?」
「あ、ごめんなさい、何でもないわ」
そう?と言って夏葉の興味がそれる。
「そういえばアジサイの話に戻すんだけどさ、遥花はアジサイ、何色が好き?」
「アジサイの色?」
「そう、アジサイの色。紫とかピンクとか、いろいろあるじゃん」
「そうね…私は紫かしら。アジサイの色と聞いて初めに思い浮かぶのは紫だし」
「紫かぁ。あたしもアジサイと言ったら紫が思い浮かぶなぁ。でも好きな色は白かな。白ってなんかかわいくない?それに……」
そこまで言ったところで夏葉の言葉は聞こえなくなった。何かを噛みしめるように口を固く結び、黙り込んでしまった。
「夏葉…?」
「え?あ、なに?」
「急に黙りこんじゃって、どうしたの?」
「…ううん、何でもないよ。それより、何の話だったっけ。あ、アジサイか。アジサイって意外といろんなところに咲いてるよね———」
少し苦笑いを見せ何もなかったかのように夏葉は話を続けていた。
結局その後は何も変わらないいつも通りの日常に戻った。
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