第5話
テスト期間に入ったこともあり、あれ以来佐伯君とはまだ顔を合わせていない。学年が違うのだから当然と言えば当然だ。
正直どんな顔をして話せばよいのかわからなく、安心している節もあった。だが今日はそうも言っていられない。以前から決めていた勉強会が放課後に迫っていた。
逃げ出したい気持ちもあったが、提案した本人が不在は不自然だ。
あの日あったことは夏葉には言っていない。何をどう話せばいいのか迷ったのもあったが、なぜか話すこと自体にためらいがあった。やましいことがあるわけではない。話すにしても適当にごまかせば話せる内容だ。
それでも私は隠すことを選んだ。それが佐伯君を守るためなのか、自分を守るためなのかは分からなかった。
いろいろ考えているうちに放課後になってしまった。予定では昇降口に集合ということになっている。チャイムと同時に夏葉が動き出す。
「遥花、今日は勉強会だったよね。早く行こっ」
夏葉に連れ出され教室を出る。これからするのは勉強だというのに、勉強嫌いなはずの夏葉はなぜこんなにも嬉しそうなのだろう。私には皆目見当もつかないまま気づくと昇降口まで来ていた。
そこにはまだ佐伯君の姿はなく、私は少しほっとしていた。
「佐伯君はまだみたいね。待ちましょうか」
平然を装ったつもりだったができていただろうか。そんな不安をよそに、夏葉は少し嬉しそうに話し始めた。
「今日ね、実はちょっと楽しみだったんだ」
「あら、どうして?」
「だって今まで学校以外で遥花と一緒に過ごすことってなかったでしょ? だから勉強会だったとしても、こうやって放課後にどこか行くの楽しみだったの」
なるほど、夏葉が嬉しそうにしていたのはそういうことだったのか。確かに今まで放課後や休みの日に夏葉とどこかに出かけることはなかった気がする。
今度の休みにでも遥花を誘ってどこか遊びに行くことにしよう。そんなことを考えていると、眼鏡をかけた少年が近づいてきた。
「すみません、お待たせしました」
いつもと何ら変わらない様子の佐伯君が気持ち申し訳なさそうに寄ってきた。
「大丈夫だよー。あたしらも今来たとこだから」
ね、と言って夏葉がこちらを見る。私はそれに頷き前を向く。
佐伯君は一度もこちらに目を向けることはなかった。
もしかしたら私が変に意識しすぎているだけなのかもしれない。そう考えると少しだけ落ち着くことができた。
「それじゃあ行きましょうか」
図書館に着くまではいつも通り何気ない会話をした。夏葉が中心となって私と佐伯君がそれに相槌を打つ。時折私から話題を振ることもあった。
佐伯君はおそらく聞き上手なのだろう。夏葉はいつも以上に話に乗っているし、私もどことなく話しやすいと感じている。
その代わり自分のことは全く話さないので知らないことだらけだ。とはいえ自分で話さないことを問い詰めるのも気が引けるため、これまで聞けずにいた。
「そういえば、好きな季節とかってある? 今日友達と話しててさぁ、——」
と、夏葉が私たちに問いかけてきた。
「夏葉はどうなの、好きな季節」
「あたしは春かな。お日様あったかくて気持ちいいし、お花は綺麗でいいにおいするし。暑くもなく寒くもなく過ごしやすいし」
少し意外だった。勝手な偏見だが夏が好きなものとばかり思っていた。夏と言えばというようなイベントなどもたくさんあり、夏葉のような活発な子はそういうものを好むと思っていた。
「佐伯君は、いつが好き?」
「僕も春ですかね。暖かいですし、新しい環境に身を置いていろんなことに挑戦できるのもいいですよね」
初めて会った時と同じような優しい顔を浮かべ、そう答える。何とも佐伯君らしい答えだと思った。
「それで、遥花は?」
私はどの季節が好きなのだろう。今まで考えたこともなかった。
ただ、明確に春は好きではないと感じていた。確かに温暖な気候で過ごしやすいのだが、環境の変化についていけないことがあったり、出会いと別れを繰り返すのが私にとっては少し苦痛だった。
答えに悩み考え込んでいると、夏葉が顔を覗き込んできた。
「遥花は好きな季節とかないの?」
そう聞かれ答えに焦った結果、一つの答えにたどり着いた。
「私は、秋かしら。一番落ち着いた季節だし、少し涼しくて過ごしやすいじゃない。春もいいけれど、選ぶなら秋ね」
消去法で考えた結果、秋になった。口にしたことは咄嗟に出た方便だったが、間違いでもなかった。夏は暑く冬は寒い。その点秋ならば涼しいくらいでちょうどいい。
消去法で出した答えだったが、実際一番好きなのは秋なのかもしれない。
「秋かぁ。確かにご飯は美味しいし、スポーツの秋とも言うしね。そうやって考えると秋も確かにいいなぁ」
うんうんと一人で納得する夏葉に若干呆れながらも、そこが夏葉らしいなと微笑を浮かべた。
少し歩くと目的の図書館に着いた。中は比較的混んでいて、三人で座れる席もわずかしかなかった。できれば横並びに座りたかったのだが、あいにく向かい合って座れる席は空いてなかったので適当に三つ開いている席を陣取った。
横並びに私が真ん中に座れば二人に教えやすく都合がいいと思った名だが空いていないものは仕方がない。一番手がかかるであろう夏葉の隣に座り、佐伯君には向かいに座ってもらった。
夏葉は案の定かなり苦戦していた。ことあるごとにここがわからないと私に頼ってくる。
多少自分の勉強が進まないのは覚悟していたが、まさかここまでとは。今までどうしていたのか疑問に思えるくらいだ。
しかしいくら自分の勉強が進まないとはいえ、夏葉に教えることで私の復習にもなっているのは勉強会を開いた甲斐があったというものだ。今回のテストは高得点が期待できそうだ。と、まだ始まってもいないそれに謎の自信が湧いてきた。
いや、謎ではないな。明確に、範囲の復習を念入りにしている、という根拠がある。
ここまでみっちり教えておけばよっぽど夏葉も大丈夫だろう。
その一方で佐伯君はなぜか私ではなく夏葉に質問をしていた。しかしその内容はあまりにも簡単で、夏葉でもわかるようなものだった。いや、夏葉は一年前に履修しているのだからわかってもらわなければ困るのだが。
質問はいくつかあったが、どれも私ではなく夏葉に聞いていた。夏葉の相手に手を追われている私に気を遣ってなのか、その後も私に頼ることはなく黙々と勉強に取り組んでいた。
勉強に勤しむ佐伯君の姿は、まるで物語の中に出てくる完璧超人のようで、背筋は伸び、顎を引き、目の高さは机から手のひら二つ分の距離にある。まさにお手本ともいえる美しい姿勢だった。
目元まで伸びた前髪が垂れ、目は見えなかった。それを時折鬱陶しそうにかき分ける。
それでもその美しい姿勢が崩れることは一度もなかった。
よっぽど集中しているのか、私の視線には全く気付く様子もなく、ひたすらに参考書と睨みあっていた。
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