第2話 マリエラ、国から逃げる

 その後のことをマリエラはあまり覚えていない。

 大人たちは同情的だった。マリエラのキースに対する態度はほめられたものではなかったにしても、ホムンクルスの砕けた宝石、青いカケラを泣きながら集めていたマリエラのことを、責めた人は1人もいなかった。


 いつもはマリエラに厳しい師匠もこの時ばかりは甘く、ゆっくり休むよう勧めた。

 その言葉にしたがって、マリエラは2日、自宅である魔塔の自室で引きこもっていた。


 3日目の朝、師匠が部屋をたずねてきた。



「まだ、つらいか」


「当たり前です」



 初めてのホムンクルス、アイとの思い出はかけがえがない。精製に成功した時の喜びだったり、一緒に技の練習をした日々のことが思い出されて、また悲しくなった。

 しかし、泣きすぎたからか、もう流れるものはなかった。



「皇子殿下が、ルルベルナ帝国に戻る前に、お前に直接礼を言いたいと言ってる、どうする?」



 師匠が言ったが、マリエラは答えられなかった。

 アンセム皇子に会わなければならないことは分かっているが、会ったらまたあの瞬間のことを思い出してしまう。



「殿下にお礼をいってもらうようなことはしてません」


「お前の処置のおかげで、後遺症もなく済んだ。お礼を言わないと気が済まないとおっしゃってね。じつはあのドアの向こうにきている」


「あのドアの向こう…って、もしかして今ですか!?」



 驚いたマリエラは大きな声を出した。


 まさか皇子本人が来ているとは思っていなかった。

 マリエラの大きな声が聞こえたようで、ドアがゆっくりと開く。



「すまない、どうしても気が済まなくて、来てしまった」



 アンセム皇子は申し訳なさそうに立っていた。護衛に1人後ろについてきているが、ホムンクルスを壊したキースはいない。

 マリエラは今ここにキースがいたら、自分でもどうなるかわからなかったため、ほっとした。



「いえ、いいですけど、体は大丈夫ですか? けっこうな猛毒だったと思いますけど」


「あの後、帝国からきていた治癒魔術師がきて、すぐよくなったんだ。褒めてたよ、最初の処置がよかったって、おかげでこうやって元気にしている」


「それはよかった」



 マリエラの気持ちは複雑だったが、アイが関わった最後の仕事だったし。褒められるのは悪い気がしなかった。



「改めて礼を言う。助かった、ありがとう」


「いえ」


「それで、僕になにかできないかと思って用意したんだ。大したものじゃないけど」



 アンセムはそう言って、懐から袋を取り出した。


 マリエラは差し出された袋を受け取る。小さいけれど、重みがあった。



「開けてもいいですか?」


「もちろん」



 マリエラが袋から中のものを手の上に出す。中には大ぶりの金のメダルが入っていた。


 マリエラにはそれが何かわからなかったが、師匠はわかったようで、これは、と驚いた声をだした。



「こんな貴重なものをマリエラに渡していいのですか?」



 アンセムは首を振った。



「そもそも私が王国に来なければ、あんなひどいことは起きなかったはずだ。そう考えると、これでも対価は釣り合わない」



 アンセムは話しながら、マリエラの手の上のメダルに指先で触れた。



「このメダルは、帝国の客人として最高級の身分証明だ。通行手形にもなるから、このメダルを見せれば、検問を通らずにいつでも帝国に来ることができるし、帝都にきてこれを出せば、すぐに僕に取りつげる」



 マリエラはメダルをまじまじと見た。硬貨より大きく、片面にアンセムの横顔が彫られている。裏を返すと、花の意匠と帝国語で何かが書かれていた。



「ありがとうございます」


「いつでも帝国に来てほしい、その時その時で、恩人に僕ができる精一杯のお礼をさせてもらうよ」



 マリエラはうなずいた。

 本当は嬉しいですとか、光栄ですと言うべきだとはわかっていたが、このメダルはアイが壊された思い出とつながっていて、素直に喜べなかった。


 翌日、アンセム皇子は帰国した。



 皇子がくれたこのメダルはとても役にたつものだった。そうマリエラは回想する。


 ルルベルナ帝国はミストリア王国の周りを覆うように広がっている。ミストリア王国から、国外のどこに行くにもルルベルナ帝国を通ることになるので、無審査で帝国を通れる身分は、役に立った。



 このメダルを含めて、一連の事件は、マリエラにとって大きな転機になった。



 事件があって5年後、17歳の時、マリエラはアイの修復に成功した。

 前例がないことだったが、アンセムにもらったメダルを活用して外国をまわり、古代遺跡の文献をひっくり返して、魔石を金属でつなぎ合わせ、以前と同じように活動できるところまで復活させた。



『マスター、ありがとうございます!』


『よかった、本当によかった』


『マスターったら、泣いたりして、そんなにアイに会いたかったですか?』


『そんなわけないでしょ、私の天才っぷりに、自分でも驚いてたら涙がでちゃったの』



 アイの性能はマリエラが修復の際に試行錯誤していたこともあり、以前よりも上がっていた。流ちょうに、人と同じように話すことができるようになっている。


 そして、さらに2年後、19歳のマリエラは錬金術師として大発見をする。ホムンクルスを修復する過程で見つけた文献を見ながら、片手間で試していた実験が、思わぬ効果を上げた。



「マリエラ、これはすごいぞ」


「師匠、私がすごいのは元からですよ」


「知っていたが、これが天才というものか。ううむ」



 師匠が唸って黙るくらいの代物だった。簡単に言えば、外傷も病気も治す、万能薬である。もともと錬金術師の目標は金の精製やその触媒となる賢者の石の作成であり、不老不死薬の開発でもある。マリエラ自身はアイがいるので、解毒や癒しには困らなかったが、皆がみんな、治療を適切に受けられるわけではない。

 そのため、マリエラの万能薬は魔法が使えない一般市民の治療を想定したのだ。


 薬は瞬く間に世界中に広がり、おおくの人を癒した。薬自体は魔塔全体で精製して、流通には商家の手を借りていたし、最初の研究自体、過去の文献がもとになっているので、マリエラは自分の功績だけだとは思ったことがなかった。そのため、報酬らしい報酬をもらっていなかったのだが、周りの反応はマリエラが思っていたものとは違った。



「マリエラ様は利益も取らずに、このような素晴らしい人々のためになる発明をされる、まさに聖女です」


「聖女、これほどこの呼び名がふさわしい人がいたでしょうか」


「ぜひ、その高尚な研究に出資という形で支援をさせていただきたい」



 マリエラにはたくさんの信望者ができた。とてもたくさんの。

 マリエラが外出したと聞けば、新聞に載り、マリエラが買ったといううわさが立てば、それだけで品切れになる。

 万能薬の発見から、すでに3年が経ち、マリエラは22歳になっていたが、聖女としての名声は衰えず、むしろより有名になっている。



『そんな国は窮屈だからって、頻繁に国外逃亡する人、マスター以外にいないでしょうね』



 アイがあきれた声をだした。



『違うわよ。逃亡じゃないわ。新しい挑戦といってちょうだい。わたしには研究という崇高な目標があるんですから』


『それで、お目当ては見つかったんですか?』


『ううん、今回は長くなりそう。ちょっと手がかりが少なすぎてね』



 今、マリエラが目標にしているのが、過去の大錬金術師メームが残した伝説の魔道具だった。


 マリエラは、カバンから本を取り出した。



『メームの日記には直接の記述がないから、日記にある場所を探していくしかないんだけど、この人いろんなところ行きすぎなのよ、あーめんどくさ!』



 マリエラは言いながら、手に持った本、メームの日記のページをめくる。



『マスター、怒っても見つかりませんよ』


『わかってるってば、この辺のはずなんだけど』



 話しながら、マリエラは顔を上げる。


 目の前には広大な砂漠が広がっていた。

 日光がじりじりと照りつけている。



『砂しか見えない!』


『マスター、空も見えますよ』


『遺跡! 私が探してるのは、砂でも空でもなくて!』


『マスター、見えました』


『なに? 太陽とか言ったら怒るよ』


『もう怒ってるじゃないですか。人です、ほら。あっち』



 アイが指さす方向を見ると、マリエラにも人影が見える。テントで休んでいる3人組のようだ。


 マリエラはアイの魔法で暑さの影響は抑えられているが、普通の人は日が暮れて涼しくなってから移動する



『街道から外れたこんなところにいるなんて、何か知っているかもしれません』


『そうね、声をかけましょう』



 マリエラは、アイをイヤリングの形に戻す。ホムンクルスは珍しいため、目立つのだ。

 青と金のイヤリングに戻ったことを確認して、マリエラは3人組にかけよった。



「すみません、話を聞かせて」



 声を聞いた一番手前にいる男性がマリエラを振り返った。



「こんなところに人がいるとはね」



 男はマリエラと同じか少し上の年齢に見えた。黒い髪で緑の目をしている。

 とてもきれいな顔立ちだなとマリエラは思った。そして、なぜか少し懐かしい気もする。



「なんだなんだ」



 男の後ろから、2人の男たちが起き上がり、面白そうにマリエラを見ていた。



「ねえ、この辺りで遺跡を探しているの。何か知らない?」



 マリエラが言うと、男たちは顔を見合わせた。

 一番奥にいた身体の大きな男がいう。



「知ってたとして、あんたに教える義理はない」



 マリエラはその言い草にイラっとした。そのままアイの魔法でもお見舞いしてやろうかと思ったが、マリエラが行動に移す前に手前の男が振り返って発言をいさめた。



「そんないいかたはないだろう」



 そして、マリエラに向き直った。



「仲間が乱暴な言い方をして申し訳ない。ただあなたに教えられることは何もないんだ」



 謝られてしまった。マリエラはなら仕方がないと納得する。



『珍しいですね、マスターが喧嘩を売られて買わないなんて』


『そんなことないわ、私ったらいつだってやさしいじゃない』



 マリエラは言いながら自分で苛立ちがすっと消えたことを不思議に思った。

 アイのいう通り、普段なら、なだめられても何をされても怒りが収まらないことが多かったが、今回は自然に収まっている。

 しかし、そんなこともあるだろうと、あまり気にならなかった。


 聞いても何も情報を教えてもらえないなら仕方がない。

 マリエラが立ち去ろうとしたところ、男たちのうち、誰かのお腹がぐうと鳴った。


 さっきマリエラにすごんだ大男が、豪快に笑いながら言う。



「それにしても腹が減るな。イーダン、今日の飯はもうないんだっけ」



 イーダンとよばれた真ん中にいた線の細い男が、いやそうに答える。



「朝と夜だけと言っているじゃないですか。砂漠では食料は希少なんです」


「それにしたって程度があるだろ。腹が減りすぎて眠れやしない」


「我慢してください」



 痩せた男、イーダンはがんとして聞き入れない様子だった。



「あのさ、もし良かったら、食べる?」



 マリエラは余計なことかと思ったが、カバンの中から、おおきなパンの塊を取り出した。



「いいのか!?」


「ダメにきまっています、ってもう食べてる…」



 イーダンが止めた時には、マリエラが取り出したパンをすでに大男は食べ始めていた。



「うまいうまい」


「毒でも入っていたらどうするんです」


「入れてるわけないじゃない、毒だって安くはないんだから。あとは、ハムとチーズと果物で、3人ならこれくらいあれば足りるかな」



 マリエラが次々にカバンから出していく。



「ちっちゃいカバンによく入ったな、その量」


「まだあるわよ。このカバン、家の倉庫と繋がってるの。足りなくなったらお手伝いの人が足しておいてくれるから便利よね」



 マリエラは腰につけた小さなカバンをたたいて見せた。



「へえ、便利な鞄があったもんだな」


「そう。だから遠慮しないで、他の人もさ、食べてよ」



 最初は警戒していた大男以外の2人だったが、大男が気にせず食べ、毒もない様子だと分かると、少しずつ手をつけ始めた。


 マリエラもお腹が空いていたので、一緒に梨を食べることにする。服で拭いてかじると、新鮮な果汁がでてきて、乾いていた喉に沁みるようだった。



「そういえば、名乗ってなかったわね。私はマリエラっていうの。王国から遺跡調査にきてる錬金術師よ。あなたたちは?」



 3人の男たちのうち2人は、最初に応対してくれた男の方を頼るように見ていた。

 最初に対応した男は、マリエラに向かって言う。



「僕たちは帝国を旅している。僕はアンセム、一応リーダーになるのかな。僕のわがままで旅をしているから」



 アンセム、どこかで聞いたことがある名前だなとマリエラは思った。アンセムが仲間を紹介する。



「僕らの食料や旅程の管理をしているイーダン」



 細身の男が会釈する。次にさし示したのが今も食べている大男だ。



「あっちがランド。力持ちで、荷物を運んでくれてる。あと1人いるが、今は先に行ってもらってるところだ」


「何でこんな砂漠に来たの? 観光するにしても、もっといいところがあるでしょう」


「僕たちの目的地は砂漠の先にある、隠れ里さ。迂回するより突っ切ったほうが早く着くから、それでここを通ってる」



 先程、アンセムが「教えられることはない」と言ったのは、言葉のとおりだったようだ。彼らは旅をしているだけで、住んでもいない。



「その隠れ里って?」


「もう1人いる仲間の故郷だ。この近くに来たからせっかくだから寄りたいということで、彼だけ先に向かっている。彼ならもしかしたら、この辺りに詳しいから、君の探している遺跡についても知っているかもしれないな」


「なら、その人に会いたいわ。合流するまで一緒に行動しましょ」



 マリエラはこの砂漠にさえつけば、日記の記述をたどって遺跡が見つかると考えていたが、実際来てみると、おもっていたより広大で、果てがなかった。


 詳しい人がいるのなら、その人に聞きたい。そしてなるべく早くこの何もない砂漠から解放されたいと思っていた。



「ダメです」



 そう言ったのはイーダンだった。



「なんでよ。私は便利よ。食べ物だって持ってるし、強いから、野盗が来ても役にたつわ」


「ああそうですか、しかし我々は今まで問題なくやってこれたんです。あなたがいなくてもね」



 イーダンは細い目をさらに細めた。



「突然現れた怪しい仲間をわざわざ増やす必要はないんです」



 そこまで行ったところで、テントの奥でもくもくと食べていたランドが、口にパンくずをつけたまま手をあげた。



「イーダンはそういうが、俺はいいと思うぜ。飯が増えるのはいいことだし、錬金術師は仲間にいないから、助け合えるんじゃないか? もともと1人で旅してたなら、足手纏いにもならない」


「ランド!」


「いいじゃんか。一つの意見ってことで」


「だから食べるなと言ったのに。食べ物につられて」



 イーダンは文字通り頭を抱えた。



「私たちが必要としている時に、必要としてるものを持ってやってきたなんて、そんな都合のいいことありますか? アンセム、あなたも私と同じ意見ですよね」



 話を投げかけられたアンセムは少し悩むように、顎に手をあてて、マリエラを見た。

 じっと見ているので、負けまいとマリエラもじっとアンセムをみた。試されている気がしたのだ。


 見つめ合いは長く続かなかった。

 目を離したのは、アンセムが先で、そのまま、イーダンのほうを向く。



「一緒に行って、いいんじゃないか」


「なんですって!?」



 イーダンは叫びながら、膝から崩れ落ちた。

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