大掃除 1

「日笠さん、こっち来て貰っても良いかしら」

「ええ、今行きますね」

緩んでいた軍手をはめ直し、呼ばれた方へ向かう。取っ払ったソファの下に溜まっていた埃が舞い上がって軽くむせた。

「随分と物寂しくなりましたね」

家具が運び出されがらんとした寝室を眺めながら、ヨモツがそう呟く。青白い肌と人の住む気配が無くなった部屋が嫌に似合っていて、少しだけ寒気がした。


今日の依頼主は、50半ばの女性だった。『母の家の片付けを手伝って欲しい』というのがメールに記載されていた旨だ。

依頼してきた理由を依頼主から聞くような真似はあまりしていないのだが、今回の依頼主はおしゃべりが好きなタイプだった。仕事の合間合間に今回の事情をはつらつと語りかけてくる。俺はそれとなく相づちを返していたが、相づちを返さなくても気にせず喋り続けただろうなという勢いだった。


なんでも、この家の主であるお袋さんは、半年程前に頭の病気をやってしまったのだという。命こそ取り留めた物の、それまで軽い物だった呆けが酷く進んでしまったとか。

依頼主の親父さんは6年前に亡くなっていて、お袋さんは家に一人で暮らしてたらしい。だが呆けが酷くなり、流石にこのまま一人にさせるのは流石に忍びないとなり、自分の住む家に移り住んでもらうことに。

そこで、空になるお袋さんの家の片付けを手伝って欲しいというのが今回の依頼の経緯らしかった。



「日笠さーん!こっちお願いします!」

依頼主の呼ぶ声がして、慌てて寝室を後にする。

いつの間にか、寝室の入り口にこじんまりと背縮めたような婆さんが立っていた。依頼主のお袋さんだ。


「こうして見ると寂しい気はするんだけどね。でもいいんだよ。悲しい思いなんざ引きずるもんじゃない。さっさと無くしちまった方がいいんだよ」

誰に語りかけてるというわけでも無いんだろう。木の幹から分かれた枝葉だけを切り取ったような、大筋の部分は言ってないようなその言葉は、独り言のようだった。

笑い皺の刻まれた目は寝室を穏やかに見ていて、俺は会釈だけを返し依頼主の声が聞こえたリビングに向かった。


「日笠さんごめんなさいね、重い物ばっか持たせちゃって」

「いえ、いいんですよ」

運んだテーブルを角にでもぶつけないように気を使いながら床に下ろす。玄関には後日旦那さんの車に積む家具やら段ボール箱やらが雑多に置かれていた。

「本当は旦那と来るはずだったんだけど急に仕事が入っちゃったみたいでねえ、ほんと間が悪いんだから」

段ボールを玄関に運んでいる奥さんが不満げに鼻を鳴らした。曖昧な苦笑を返す。

「こちらの方で運べたら良かったんですが、情けないことに車での輸送は出来なくて……」

「いいのよ!それにしても、その仕事で免許が無いの?」


無遠慮な視線が刺さる。免許があるに越したことは無い仕事なだけあって、奥さんの疑問は当然のものだった。

「まあそんなとこです。運転はどうも向かなくて……」

「まあ誰にでも向き不向きはあるわよね!さ、寝室の片付けの続きをお願いしますね!」

引きつったような下手くそな愛想笑いをわざと浮かべると、奥さんは何か察したのか多少強引に話を終わらせた。存在感のある足音は客間の方へと向かっていく。小物でもまとめるのだろう。


「事故の後遺症ですか?」

振り返ったとき、背後にはヨモツが立っていた。

「……!?なんだ、お前か。びっくりするから急に声掛けるなよ、声出るとこだったぞ」

跳ねる心臓を抑えながら、声を潜める。誰もいないのに誰かと喋っていたなどいう評判が流れたらさすがに死活問題だ。できるだけ声のボリュームを抑えながら奥さんに指示されたとおり寝室に戻る。ヨモツは軽く謝ってから後を付いて来た。


「車の話ですが……」

「お前が言ったとおりだよ」

「そうですか」

ヨモツはそれだけ言うとそれっきり黙ってしまった。それとなく様子を伺ってみるが、長い前髪の向こう側の目つきはなんというか、『無』に近いもので、なにを考えているのか見当もつかなかった。


気温自体はそれほど高くないのだが、それでも動き続けると汗が滲んでしまう。押し入れの物を引っ張り出して少し暑いなと感じていたとき、一息付きましょうと奥さんに声を掛けられた。


「お前はどうする?」

「日笠さんが休んでいる間にできるだけ片付けておきますよ」

ヨモツはそう言うとデカい図体を狭い押し入れに突っ込み初めてしまった。布団だの収納ケースだののデカいのは粗方出し終えているから急ぎではないのだが、こいつを休憩に連れて行ったところで家主からお茶が出てくる訳ではない。お言葉に甘えて、寝室を後にした。



「ごめんなさいね、リビングは椅子もテーブルも運び出しちゃってて」

「いえ、お構いなく」

通された場所は縁側だった。奥さんはこんな場所でと遠慮がちだったが、風が吹いていて熱の籠もってしまった体を休めるには丁度良い場所だ。縁側の縁に腰を掛ける。

 

縁側から望む庭は大して広いものでは無い。大人を横倒しにしたぐらいの花壇とブルーベリーの鉢が置いてある程度だが、手入れされていて小綺麗なものだった。

「この家はこれからどうするんですか?」

「しばらくはこのままですよ。お母さんは自分が死んだらさっさと土地ごと売った方が良いって言うんでそうしようかと思ってます」

「それは、なんというか、あっさりしてますね」

言った後、少し失礼だったかと心配したが、奥さんは朗らかに笑った。

「私もそれなりに家に愛着はあるからさすがにって言ったんですけどね」

奥さんは縁側から家の中を眺めた。ものの少なくなった家は、がらんとしていて何となく寂しさを感じさせる。

「そうやって空き家になって家が死んでしまうよりかは、美味しいご飯の足しにでもしたら良いんだって言われてしまって」


隣で縁側の縁に座っていた婆さんが、奥さんの言葉を聞いてコクコクと頷く。特別何か言うことは無く、ブルーベリーの花を細まった目で眺めていた。

「あれはお爺さんが植えたのよ」

脈絡も無く、婆さんはそう呟いた。

ブルーベリーの白い花を眺めてるのか、その木を植えた記憶の中の爺さんを眺めているのかは、あるいは両方か。

何を眺めているのかは分からなかったが、爺さんのことについて語るその声がどことなく楽しそうなことだけは確かだった。


「お母さんね、これでも昔は怖かったんです」

婆さんの姿を眺めながら、奥さんは冗談をいうように笑った。

ちょこんと正座し庭を穏やかな目つきで眺める老人からは、そういうイメージは沸かない。

「私もね、昔は何回も頭ぶたれました」

婆さんはまた何も言わないまま、コクコクと頷きお茶を啜った。






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