生きてますか 2
とりあえずでテーブルに出したお茶を、ヨモツと名乗った男は来客用のソファに腰掛けながら口を付ける。喉仏が上下した後にふぅ、と息を吐いている所を見ていると、目の前の男が死神だという実感があまり湧かなかった。
見た目はどうみてもまんま人間だ。肩に付かないほどの長さの髪を一つ結びにしており、何の変哲も無い黒髪。一つ言うとするなら、もみあげから伸びている髪の部分だけが白くなっていて風変わりだなとは感じる。しかし、今時都会に行けばもっとド派手な髪色の若者もいるので強烈な違和感というほどでも無かった。
視線をヨモツの足元に向ける。透けていたりはしないが、やはり影は無かった。
「そんなに死神が珍しいですか?」
「そりゃまあ、そうだろ。今まで見たことも聞いたこともない」
「でも、変ですね。先程私が貴方の目の前に現れたとき、普通の人間には見えないようになっていたはずですよ。幽霊とか、今まで見たことないんですか?」
ヨモツが不思議そうに顔を傾けこちらを伺ってくる。活力の活の雰囲気さえ感じられない切れ長の目が、じっとこっちを見ていた。その左目の下に黒子があって、それがどうも知った人間を思い出してしまった。
「ああ、そうだな。誰にも化けて出てこられた覚えがねえよ。それに、生まれてこの方変なもんなんて見たことがない。今朝まではな」
「……うーん、じゃあなんで私のことが見えたんですかね」
ヨモツは少し考える素振りをしたあと、またお茶に口を付け飲み下した。
「ああ、例えば死を間近に感じたことはありますか?」
「死?」
「ええ、死ぬかも、って思ったことです」
途端に脳裏にフラッシュバックしたのは、轟音の後の衝撃。隣で額からだらっとした血を垂れ流しながら断続的にうめく男の声。
「……すみません、余計なことを聞きましたね」
「あ……?」
ヨモツは申し訳なさそうに目を伏せている。じっとりと、気持ち悪い嫌な感覚が背中を伝っていて、息が苦しい。
「汗、凄いですよ」
「……いや、大丈夫だ。気になるから話を続けてくれ」
「分かりました。無理はしないようにしてくださいね」
「ああ……、吸いながらでも大丈夫か?」
「ええ、どうぞ。副流煙で害される健康なんて持ち合わせてないので気にしないで下さい」
お構いなく、と言ったヨモツに遠慮の気配は感じられない。どうでもいいという感じだった。
咥えた煙草に火を付け肺に煙を入れる。嫌な夢を見た直後みたいな気分も少しは楽になった。
ヨモツが2本指を立てる。
「死神が見えるパターンは2つあります。1つは霊感がある場合、もう1つは死を間近に感じたことがある場合です」
「ああー…、なるほどな……。確かに俺は3年前車で事故に遭った。おかげさまで右手の指の親指から3本、自由があんまり効かないんだ」
「そうでしたか。それ程の事故なら私のことが見えたのもおかしい話ではないですね」
ヨモツは俺に気を使ってか、それ以上何かを聞いてくることは無い。再度湯飲みに口を付けた後、湯飲みをテーブルに置く。湯飲みの中には、お湯に溶けきらなかったお茶の粉だけが残っていた。
「ごちそうさまでした。私はこれで失礼します」
ヨモツはそう言ってソファから立ち上がる。
「あの世に戻るのか?」
「いえ。貴方が死ぬまではここら辺をうろついてます」
「は!?」
あまりにも素知らぬ顔で、ヨモツはそう言った。思わず素っ頓狂な声が漏れ出る。
「なんて?」
「貴方が死ぬまでここら辺をうろついてます」
一言一句違わず言葉が繰り返される。俺は耳を疑った。
「うろつくって、適当に居を構えてってことだよな」
「いえ、私の戸籍はこの世にないです。文字通りこの辺をうろうろ、ですよ」
ヨモツの声のトーンは変わらないが、言っている内容は明らかにおかしい。
こいつはいつまで続くか分からない根無し草の生活をこれから送っていきますと言っているのだ。
「なんであの世に行かないんだよ」
「物騒な物言いですね」
「これしか言い表しようがないだろ」
「まあそうなんですけど……、言うなれば規則ですよ。気になるようでしたら少し話しましょうか?」
「……頼む」
ヨモツはソファに座り直した。窓から差し込む光で細かな埃が舞って見える。ただの小汚い日常の風景なのに、目の前にいるのがあの世のもんだと思うとオーブかなんかに見えた。
「私達死神は死んだ人間の前に行きます。死んでいるという事実を伝えるためです。それから数日後、葬儀のときに亡者の魂を回収、分かりやすく言うと『お迎え』を行ないます。これが私達の仕事です」
ここまでは分かりましたか、と言われ頷く。あの世のことをこんなに話しても良いのかと思いはしたが、恐らくここで得た知識を周りに言いふらしたところで誰も信じやしないだろう。
「対象者の死亡日と葬儀までは数日空きがありますが、この数日間私達は亡者の周辺をうろつきます。魂がどこかに行かないようにです」
そこまで言うと、ヨモツはため息を吐いた。
「昔のことらしいんですがね、この数日の間亡者を見張らずにこっそりあの世に戻ってサボったり、酷い者だと彼女とよろしくヤってたりした案件が頻繁にあったみたいなんです」
「は?……生きてない奴も人間と大して変わんねえな」
どうやらあの世にも不祥事というものはあるらしい。内心少し呆れていたのが伝わったのか、ヨモツは気まずそうに変な笑みを浮かべた。
「で、当然のことながらその間に亡者の魂がどこかに行ってたという事案が多発しました。それはマズいということで、死神はこの世に来たらお迎えを行なうまではあの世に戻れないようにされているわけです」
「なるほどな……でもよ、さすがに数十年さまようのはキツいんじゃないか?例外的に戻れたりとかは」
ヨモツの目が遠い所を向く。数秒だけ黙った後、渋々と行った様子で口を開いた。
「それに関しては……まあ、ペナルティみたいなもんです……」
「ペナルティ」
「ええ、ミスでまだ生きてる人間の前に現れるっていうのはかなり大恥な失敗なんで、この世でしばらく反省してろ的な奴です」
「あの世ってもしかして世知辛いのか……?」
「寿命と死が無い分、大分遠慮は無いですね」
そういってヨモツはまた深くため息を吐いた。さっき生きた人間の前に現れるのは大恥レベルの失敗だと言っていたので、そのことが大分ショックなのかも知れない。
煙草の先から昇った煙がヨモツの周りを漂う。色素の薄い肌の周りに細い一筋の煙が近づきやがて形を崩していくのを見ていると、線香の煙が頭を過ぎった。
ヨモツはソファから立ち上がる。
「それではまた。あ、私のことはあまり言いふらさないで下さいね」
「なあ、待てよ」
扉に向かってではなく、壁に向かって行き部屋から出て行こうとしていた所に声を掛け引き留める。
仕事で失敗したときの様子が、なんとなく昔いた会社の後輩に似ていた。
「ここに居候していかないか?」
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