生きてますか 1

意識が夢から浮上し、しばしの間虚空を見つめる。窓の外から新聞配達のバイクが走り去っていく音が聞こえてきて、まだ起きるには少し早い時間なんだと悟った。

このまま二度寝でもしようとしたがどうも目が冴えてしまっている。屋根の上でカッコウが威勢良く鳴きやがったからだ。

朝からまあ元気のいいもんで、信号機の音みたいな鳴き声は不快では無いのだが睡眠の導入音には不向きだった。


緩慢な動作で起き上がり、リビング兼客間に向かう。この家は仕事場兼自宅になっていて、パソコンだの書類だのの仕事に使う物は客間にまとめて置いていた。

急ぎの依頼が入ってたら朝一で対応できるようにとPCのメールフォルダを開いてみる。どうやら今日の依頼は0件。

依頼が無いということは今日は休日になったわけだが、特段やりたいことがあるわけでは無かった。少し早いが朝飯でも食べて二度寝でもしようと、そう思い冷蔵庫を開けて中身を物色している、その時だった。


壁の向こうからのっそりとすり抜けて、人間が現れた。


「よいしょっと、失礼しますね」

「……あ?」

幻覚だろうか、それとも俺はまだ夢の中にいるんだろうか。目の前に今しがた現れた男は、確かに壁をすり抜けてやってきた。

日笠寂也ひがさせきやさん32歳、お間違いないですか?」

「なんで、俺の名前を」

わけが分からない。混乱した脳が懸命にはじき出した単語は『不法侵入』と『強盗』だが、相手は俺を襲うどころか恭しく頭を下げた。

スーツ姿をした上背のあるそいつは、長い前髪越しに状況を飲み込めていない俺を一瞥する。

男の肌は日に焼けたことが無いかと思うほど血色感が無く、色白というよりかは不健康さを感じさせるような青白さだ。


「ご愁傷様です。その様子ですと現状把握は出来ていなさそうですね。まずは落ち着いて、ご自分の胸に手を当ててみて下さい」

「い、いや、お前誰だよ」

狼狽える俺に反して、相手は感情が読み取れない"無"な表情でじっとこっちを伺っていた。

俺が今まで見てきたどの人物よりも生きる覇気みたいなもんが見当たらなくて、幽霊がいたらこんな感じなんだろうかと思った。


「自己紹介したいところなんですが、いきなり名乗っても信じて貰えないことが多いんですよ。貴方がご自分の状態を把握してからだと分かりやすくなるので、心臓の上の位置に手を当ててみて下さい」

淡々とそう告げてくる男は20半ばかそこらの年齢見える。見た目とそぐわないと思うほどの冷静なその口調に、信じられないことにパニックになりかけていた気分は相手につられるように落ち着いてしまっていた。


けれども、事態を飲み込めていない心臓は相変わらず早鐘を打ち続けている。そんなこと手を胸に当てなくても分かる事実なのだが、この男が伝えたいことは別のことなのかも知れない。一応言われたとおりやってみる。細かに脈を打つ感覚が服の上から手の平に伝わってきた。

「……ドクドクいってんな」

「なるほど。では首元の脈の部分に触れてみて下さい」

「……脈打ってるな」

「……すみませんがもう一度深呼吸してから確認してみて下さい。稀に錯覚してしまう方がいるんですよ、これまで通り動いているはずだ、って。動いてないかも知れないということを念頭に置いて、もう一度お願いします」

「ええ……?」


ありのままのことを伝えただけなのに、なぜかリテイクを出されてしまう。心臓が動いてるのも脈が打ってるのも当たり前なのに、だ。

動いてないかも、ってそれは死人じゃないか。けれど、今は言うとおりに動かないと話が進まなそうだ。


もう1度胸に手を当て、今度はしばらく時間を置いてみる。心臓は相変わらずいつもより速いペースで拍動していた。

「あの、やっぱり、変わり無いんだが……」

「……すみません、私が確認してみても?」

「ああ」

男ははめていた黒い手袋を外すと、首元に触れてくる。動脈の部分に触れてきた手が随分と冷たく感じた。


首元に触れてきて間もなく、そいつの表情はさっと変わった。元々白めの肌が更に血色を失い、感情のこもってなかった目は見開かれ動揺しているのだと分かった。

「生きてる……?」

男は開きかけの冷蔵庫や俺の表情を凝視した後にそう呟くと、その場にしゃがみ込んだ。持ってきていたカバンからクリアファイルを取り出し、なにやら書類を確認し始める。

「……しまった、死亡済みじゃ無い……生者の書類だ……」

手を口元に当てしばらくの間床見つめながらブツブツと呟いていた男は、少しだけ息を吐くと顔を上げる。顔には諦観の色が浮かんでいて、目は一応こちらに視線を向けてはいるがどこか遠くを見ているようにも感じられた。


「すみません、本来私達が現れるのは死んだ人間の前のみなんですけど、私の確認不足だったみたいで、その、お気になさらず」

「は……?いや、気になるだろ」

「ははっ、まぁ、そうですよね……」

自嘲気味に笑う男の足下に、影は無い。ぞくりとした悪寒が背筋を走った。

「……もしかしてだが、お前スピリチュアル的なやつか……?」

「自らをスピリチュアルと名乗るものがいると思います……?もしそんな人がいるなら距離を取った方がいいですよ」

今お前から距離を取りたいんだが、と言いかけて言葉を飲み込んだ。今は下らない応答をしている場合では無い。


「他にどう言い表していいか分からなかったんだよ。その、なんだ、……結局誰だお前」

男は深いため息を吐くと、襟元を整えてから口を開いた。

「申し遅れましたが、あの世から参りました死神です。名をヨモツといいます」

「死神?」

「はい、書類の確認不足をやらかしてしまうような未熟者なんですけどね、一応死神です。死後貴方の魂を回収するのは私なので、以後お見知りおきを」


今更なのは分かっていたが、頬をつねってみる。痛い、どうやら夢ではないらしかった。

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