第四話 想いとおもい

「……」


「今、何年?」


 取り乱して戦慄く寸前の琴音に微笑んで、現状をゆっくりと手振りとともに説明した。


「そう……なんだ。そうだったんだ」


「うん。だから多分、今年を何度も繰り返すんだと思う」


「……」


 間。


「いつまで?」


 落ち着きを取り戻して放った第一声は、まるで俺に問い掛けるかのような疑問だった。


「さぁ」


「そう」


「ねぇ、颯飛」


「ん……? なに?」


「覚えてる?私と初めて会ったときの事」


「あぁ、勿論。ちゃんと覚えているよ」


「まだ六つぐらいの頃に、お父さんたちの仕事関係で、私が颯飛のお家にお邪魔してね」


「琴音はずーっと人の背中に隠れてたから、中々、直接話せなくってさ。あの頃はてっきり、俺のこと苦手なのかと思っちゃったよ」


 琴音は、記憶を消失したのかと思わせるほどに、話題をガラリと一転させる。


「そんなことないよ!」


「知ってるよ。でも、父さんたちが離れると、庭先の花畑を見ている俺の横に座って、話しかけたそうにじっと見つめてたっけな」


「そうだっけ?」


「そうだよ。全然切り出してこないもんだから、こっちから話し始めてさ、聞いているのか、いないのか、分からないまま、俺だけが独り言のように花だったり、雲だったりを、寂しく話しててさ」


「うーん。それは覚えてるんだけどなぁ」


「でも、絵本の話を始めた途端、急に目を輝かせて、饒舌に物語を良さを語り出してさ、びっくりしたっけなぁ、あのとき」


「えぇ。だって面白いからさ、あのお話!」


「それから、段々と会う機会が増えてって、今じゃこうして、二人で一緒に……」


 何故だか、俺の指先は酷く震えていて、漠然とした恐怖が頻りに襲っていた。


「大丈夫?」


「あぁ、ごめん。何でもないよ」


 か細い指先が絡み合っていくに連れて、段々と昔の記憶が蘇っていく。


 昔、どっちの手が大きいかなんて、くだらない事で喧嘩して、掌を重ね合わせた時。


 僅かに俺の方が琴音よりも大きくて、悔しそうに頬を仄かに赤く染めていた。


 なのに、今じゃ、太さも、大きさも、暖かさも、何もかもを、圧倒的に凌駕している。


「ねぇ、ねえ!」


「え?」


「そろそろ時間じゃない?」


「あっ、そっか。ごめん、まだ全然話せてないのに」


「いいの。来てくれるだけで嬉しいから」


「じゃあ、また今度」


「うん。気を付けてね、颯飛」


「……これから先、どうする?」


「私には分からない」


 その一言に言葉を返せなかった。


 励ましも対処法も、その段々と暗く、深く沈んでいく瞳には、もう俺は映っていない。


 また、窓の外を眺めている。


 曇天でも晴天でもない。そんな無数の雲が揺蕩う大空を、ただ茫然と見上げていた。


 次の日には、きっと物語を語ろう。


 まだ終わっていない、少年の行く末を。


 けれど、何度も、何度も……。


「花畑で花冠作った話、覚えてる?」


「え?あぁ、覚えてるよ」


 琴音は過去語りばかりを続け様に語っていた。


 昔は、開口一番に物語の冒頭を訊ねていたのにも関わらず、最近は、時間を繰り返してからは、こんなことばかりを繰り返している。


 いや、他のことの話題にも触れたいのだろう。そう自らを欺くように言い聞かせて、杞憂を喉の奥にそっと飲み込んだ。


「私は花冠が作りたいって、ワクワクしながらやってたのに中々、上手に出来なくってさ。泣き出しそうになってたら、颯飛が優しく作り方を教えてくれて、立派な花冠を作れたのでも最近は思ったけど、本当はもっと男の子っぽい遊びがしたかったんじゃないのかなって」


「そんなことないよ。俺は何でも得意だし、大体のことは好きでやってるからね」


「本当に優しいね、颯飛は……」


「別にそんなんじゃないよ」


 何の脈絡もなく唐突に語り出し、まるで、過去に何かがあるかのように、延々と続く。


「昔さ、本当に雷が怖くって……」


 なのに、その肝心な部分に黒い靄が掛かっていて、ハッキリとは見えない。


 記憶の狭間で眠る古びた思い出の中で、一際大切にしていたものだったような、でも俺は、俺自身は大して身に覚えがないような。

 

 何だろうか。


 逡巡し、腕を組んで、瞼の裏の暗闇と睨み合っていると、キンと冷えた指先が頬に触れる。


「もう! 話聞いてる?」


「あぁ、ごめんごめん」


 琴音のお怒りの一言に目を開き、朦朧としていた一つの思念が忽然と頭に浮かぶ。


「……。もう時期、夏だね」


「……そうだね」


「先生に外出の許可を取れば、少しは遊べるんじゃないかな」


 琴音は静かに目を見開き、一拍を置いて、涙ぐんだ瞳に影を帯びて、笑みを零した。


「そう……だね」


 もう、古びたアルバムを何度も読み返す必要はない。


「ねぇ、その時計、少しの間だけ貸してくれない?」


「……」


 一瞬の戸惑いはありながらも、渋々頷く。


「いいよ」


 懐中時計を差し出して、琴音はこちらに顔を向けることなく受け取った。


「ありがとう。じゃぁ、またね」


 窓に反射していた顔つきから何故か目を逸らし、僅かな不安を覚えつつも、その場を後にした。


 それが正しいのだと信じて。

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