第40話 蛮族と詐欺師 下
ジェラルディンは面食らってしまった。結婚してからはや半年。理不尽な振る舞いもしてきたし、貴族の妻としてはあり得ぬ言動もしてきた。それでもテオは一言も声を荒らげなどしなかった。困ったような顔をするだけだ。
「何故、そこまでしてご自分の命を軽んじるのですか? あなたは命を粗末にしすぎる!」
「その件でしたら、前にも申しました」
人はいずれ死ぬ。死ぬからこそ、悔いのように生きる。いつ死んでも後悔がないように。それだけだ。
「だからといって、自分をないがしろにしていいはずがない!」
「もしかして、これのことですか?」
と、短くなった髪を指さす。
「髪などまた生えてきます」
いくら『銀翼姫』などと呼ばれ、賞賛されてもただの髪だ。惜しむものではない。
「アンドリュースは? あなたの可愛がっていた馬でしょう」
「私の誉れであり、誇りです」
生後間もない仔馬の頃から育ててきたのだ。アンドリュースは間違いなく、生涯の友である。死んで悲しいなど当たり前ではないか。けれど、小娘のように泣き喚くのが弔いになるとは思えない。
「……私は私自身を粗末に扱うつもりはありません。人には、いえ、生き物には命を賭けるときがあります」
獣とて我が子の窮地には牙を剥いて戦う。相手がどれだけ強大であろうと。
「私にも武運拙く命を落とす時が来るでしょう。アンドリュースは一昨日でした」
「……」
「なればこそ、あなたが死ねば、本当に無駄死になってしまいます」
ジェラルディンはテオの腕をつかみ、眼前に引き寄せる。
「泣き言を言うのは結構。私であれば、どれだけ文句を仰っていただいても構いません。なれど、足だけは前に進めて下さい。少しでもあなたにアンドリュースを悼む気持ちがおありでしたら一歩でも早く! 長く! 大きく!」
「……」
テオの目が大きく見開かれる。そこには憧憬とも諦めともつかぬ感情が入り交じっているように見えた。
ジェラルディンはテオから離れると深々と頭を下げる。
「無礼を申しました。申し訳ございません」
感情的になってしまった。アンドリュースを連れてきたのは己である。テオに罪はない。だというのに、テオに名指しされた途端、己の中で何かが弾けてしまった。これではまるで八つ当たりではないか。
恫喝をしてしまったようで気分が良くない。もしや今度こそ、愛想が尽きたのかもしれない。王国に戻ったら離縁でもされるかもな、と自嘲する。それならそれで構わない。元々白い結婚である。己が完璧な妻でないのは百も承知だ。ただ、全てはドリスコル王国に戻ってからの話だ。
テオからの返事はなかった。もう一度声を掛けようとしたところでようやく口を開いた。
「……あなたは、武神か何かなのですか?」
「ご冗談を」
もし武神であれば『竜騎士』に苦戦などするものか。
「あなたこそ何者なのですか?」
言ってからしまった、とジェラルディンは心の中で頭を抱える。
会話の流れからか、腹の底に封じていた疑念が漏れ出てしまったようだ。本当にあなたは、プレスコット家の人間なのか、と。己の迂闊さに舌打ちしながらも一度発した言葉は取り消せない。
案の定、テオは困ったように首をひねる。
「……あなたもご存じのはずですが」
「私はテオ様の口から聞きたいのです」
話してくれるならどんな事実であろうと、受け入れよう。虚言を弄するつもりならそれでもいい。この際だ。気持ちを整理する意味でも一度区切りを付けたかった。
テオはしばし沈黙した後ジェラルディンの前にひざまずいた。
「僕が何を言っても信用できないかもしれません。ですが、これだけは神に……いえ、あなたに誓います。僕が今、ここにいるのはあなたのためです。あなたのために、僕はここにいます」
予想外の反応にジェラルディンはとまどった。まさか、今になってテオから気恥ずかしい言葉を聞かされるとは。それとも、これも詐欺師の才覚がなせる技なのだろうか。己が聞きたいのは、そんな話ではない、と言おうとしたのだが、テオの真剣な瞳に見つめられて言葉が出てこない。
「……そうですか」
どうすればいいか妙案も思い浮かばず、結局、ろくな受け答えも出来なかった。
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