第七章 蛮族姫と詐欺師伯爵の逃避行
第39話 蛮族と詐欺師 上
アンドリュースを失ってはや二日。谷を抜けると木々が賑わいを取り戻し、気がつけば森の中を歩いていた。追っ手の気配はなかった。落ち葉だらけの土は柔らかい。人の滅多に通らない証拠だ。待ち伏せの可能性は低いか、とジェラルディンは周囲の木々を見つめながら心の中でつぶやく。
道は平坦だが、藪と茂みで足を取られて歩きづらい。おそらく地元の猟師も滅多に通らぬ獣道だ。並んで歩くことすらできない狭い道を無言で歩く。むせかえるような草いきれに吐きそうになりながらも息を整え、汗を手の甲で拭いながら進む。
馬の身でありながら命を賭して戦い、散ったのだ。泣き言など言えるはずがなかった。
さして進んだ感覚もないのに、疲労感だけは友の亡骸のようの重くのし掛かった。アンドリュースを失い、移動手段だけでなく、気力も奪われている。土地の農民に金を払って馬を手に入れるという手も考えたが、足がつく恐れがあった。
己の足で歩くしかない。
テオもまた汗みずくになりながら、ぴったりジェラルディンの後ろにくっついている。それはいいのだが、視線が切りそろえた後ろ髪に集中しているのを感じる。どうやら髪を切ったことを気に病んでいるらしい。
もちろんテオの責任ではない。切ると選択したのは、ジェラルディン本人である。そう説明したのだが、テオの表情は曇ったままだ。泣き言も増えた。
「いや、もうダメです。もう足が限界です。ここらで一休みしましょう」
返事をするより早く。道端に座り込む。
それが本心でないのは、もうジェラルディンにも分かっていたので素直に従った。ムリをして途中で力尽きてはアンドリュースに申し訳ない。革袋に詰めた水に口を付ける。我が身が砂地のように水を吸収していく。
「……追ってくる様子はなさそうですね」
一息ついてから元来た道を見つめる。道中、何度も振り返って気配を探っているが、やはり追っ手の気配はない。
「さすがに国境を頻繁に越えるのはリスクが高いですからね。一回目に無茶な方法を採ったとしたらウィルモット王国も国境の警備を強化しているはずです。もう追っ手は来ないと僕は見ています」
テオが理路整然と理由を並べる。
「では、もう国まで無事だと?」
「あくまで追っ手は、です」
テオは首を横に振った。
「正規の兵は出せませんし、暗殺部隊は失敗しました。待ち構えるとしたらドリスコル王国の国境付近。そこで待ち構える、というところでしょう」
「先回りされると?」
「僕たちのルートを先読みすれば、どこに現れるか、ある程度は絞れます」
帝国には船もあれば足の速い馬もいる。少数の兵を分散して送り込めばまず気づかれないだろう。
「見つかれば、今の僕たちに抵抗する術はありません」
ジェラルディンとて取り囲まれれば、勝つのは難しい。鎧は捨ててきたし武器は『竜騎士』セオドアから奪い取った剣一本だけだ。テオはそもそも戦力外である。
「ルートを変えますか?」
「今からではかえって遠回りになるだけでしょう。何とか囲まれる前に国に戻るしかありません」
帝国とて全てのルートに満遍なく人を配置できるはずがない。どうしても薄くなる場所は出てくるはずだ。先回りされる前に突っ切る。それしかない。
「森を抜ければ、街道に出るはずです。そうなれば一安心というところでしょう」
他国の領内で派手な追跡は人目に付く。大勢の人間に追い立てられる心配はなさそうだが、油断は出来ない。暗殺という手もある。毒を盛るのなら一人でも出来る。
「夜にはどこかの街に入れるはずです。今日は宿にしましょう」
承知しました、とジェラルディンはうなずいた。野宿続きで体力も疲弊している。ドリスコル王国まで先は長い。できるだけ体力を回復しておいた方がいい。無事に帰ることが、アンドリュースへの弔いだ。
「そろそろ行きましょうか」
と、テオが立ち上がりかけたところで膝をつく。
「足を滑らせたみたいで。すみません」
おどけて笑うが、転び方を見れば疲労が溜まっているのは明らかである。元は旅の商人といっても、殺意を持った兵に追われているのだ。気力も体力も消耗しているに違いない。
むしろよくぞここまで耐え抜いたと感心するくらいだ。
ジェラルディンは手を差し伸べると、テオの体を引っ張り、肩を貸す。密着してから一昨日から風呂に入っていないことに気づいた。一昨日、通りかかった沢で水浴びをした程度だ。さぞ臭うだろうが、我慢していただくしかない。
「ムリはいけません。テオ様には是が非でも無事に国に戻っていただかねば」
金だけ持って帰っても意味がない。欲深い連中に吸い取られるだけだ。必要なところへ必要な額を配分する。それが出来るのは、テオだけだろう。
「いや、ですが……」
「私のことでしたらお気になさらず。戦いの中で死ねるのなら本望です」
テオの表情が凍り付いた。急に離れると前を大股で歩き出した。
「いかがなさいましたか?」
常ならぬ態度に訝しむ。どうやらテオは怒っているらしい。何か粗相をしてしまったのだろうか。それとも、やはり体臭が気に障ったのだろうか。
「あまり離れませぬように。万が一、刺客が来たら守れませぬ」
テオが足を止めて振り返った。表情が硬い。
「テオ様?」
「いい加減にして下さい!」
悲鳴のような怒鳴り声が森の中に響いた。
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