第30話 詐欺師伯爵と薄氷上の交渉

 これは死んだなあ、とジェラルディンは己の運命を見限った・・・・。今すぐテオの首を刎ねたところで、発した言葉は取り消せない。


 何も考えず、テオを信じた己の愚かさを呪いたくなったが、元より死は覚悟の上だ。運がなかったと諦めるしかない。死ぬとなれば、あとは死に様の問題だ。あがきまくってむごたらしく死ぬか、従容としてキレイに死ぬか。少なくとも、二つに一つは選べるわけか。


 そう考えると、ジェラルディンの腹の底から湧き上がるのは歓喜と愉悦だった。天下に名だたる竜騎士を相手に切り死にか。まあ、悪くない。何人殺せるか、と考えたとき、壮年の騎士と目が合った。


 鎧に身を包んではいるが、首や腕の太さは筋肉で膨れ上がっている。千人の戦いを以て鍛とし、万人との戦を以て錬となす。父と同等かそれ以上の武人である。間違いない。『竜騎士』だ。


 ジェラルディンの殺意に気づいたのか、鷹のような眼を向けている。一挙手一投足に目を光らせ、皇帝に殺意あらば、即座に切り捨てるつもりだろう。


 ほかにもジェラルディンに殺意を向けている騎士はいくらもいる。ここは、殺意の檻の中だ。ただ、その中でもあの男はとびきりだ。おそらく忠義者なのだろう。交渉決裂となれば、容赦なく斬りかかってくるはずだ。最後の相手としては悪くなさそうだ。


 ジェラルディンが己の最後について思案している間にも、テオは朗々と続ける。


「そもそも我がドリスコル王国と貴国とが同盟を結んだ際、条約には当時我が国と友好国であったサルビオ王国と戦争をする前には我が国へ連絡を入れるよう記載してある。ところが、貴国は条約を違え、何の連絡もなしにサルビオ王国へと侵攻を開始し、その領土を我が物とした。条約には約定を違えた場合は賠償金として金貨十万枚を支払うものと明記してある。その支払いと受け取りのために参りました」


 気でも狂ったのかと思いたくなるような主張である。ジェラルディンですら我が夫の正気を疑いたくなった。


 確かに百年前、アーリンガム帝国は条約を一方的に破った。その結果、サルビオ王国は滅亡した。当然、賠償金も未払いのままだ。だからといって今更「払え」と言われて素直に従うかどうかなど、赤子とてわかりそうなものだ。


 条約といっても所詮は国同士の力関係で成り立っている。当時ですら国力には大きな隔たりがあった。今は更に差が開いている。違反があったとしても、従うかどうかは結局のところ武力や財力といった力がものを言う。アーリンガム帝国がいかに悪辣であろうとドリスコル王国には不義を正すだけの力はない。


 怒り出すかと思ったが、ブラムウェルは腰掛けたまま家臣たちに手招きする。家臣団の中から文官らしき男が駆け寄った。緑のローブは法服貴族の証である。髪の毛は薄くなっているが、淡い金髪とはしばみの色の瞳、彫りの深い顔立ちは色男と呼んで差し支えない。若い頃にはさぞ浮名を流したのだろう。


 皇帝と同年代のようだ。皇帝の側に跪くと、小声で話しかける。テオの話が事実かどうか確認しているようだ。


「なるほど、百年ほど前にそのような行き違い・・・・があったのは事実のようだ」

 返事をしたのは駆け寄った文官である。どうやら彼が交渉役のようだ。


 条文についてはドリスコル王国にも控えがある以上、ごまかしは利かない。


「だが、貴国の歴史と我が国の歴史では少々違うようだな。我が国では条約に則り、使者を派遣したが、そちらに到着する前に不慮の事故で亡くなり、そのために報告が遅れたとなっている」

「存じ上げております」

 テオは深々とうなずいた。


「そのように重要な使者の名前も身分も歴史書に記載されていないことも」


 重要な使者となれば、そこらの使い走りとは違う。それなりの身分も必要になるし当然、家臣団の記録にも残っているはずなのに、何もない。最初から存在していなかったのだろう、とテオは暗に主張しているのだ。


「我が国の歴史が間違っていると?」


「いえ、陛下のおっしゃったように行き違いはあること。そもそも各国によって歴史が異なるなど当然の話です」


 テオによればアーリンガム史では、まったく別の出来事になっている。サルビオ王国の兵士が領土を越えて攻め入り、住民を虐殺し、家畜や食料を奪い取ったためにやむなく反撃したことになっている。ドリスコル王国から見れば侵略でも、アーリンガムから見れば防衛戦・・・である。


「ですが使者について不明だったのはつい先月までの話。市井の歴史学者が記録を発見したそうではありませんか。雪山で雪崩に巻き込まれて亡くなったと。ウォーレス二世への書状も持っていたと」


 ウォーレス二世とは当時のドリスコル王国国王である。

 そんなことまで調べていたのか、とジェラルディンは感嘆する。もしかして、それを聞きつけて今回の無謀な策を思いついたのだろうか。


「ならば我が国に賠償金など支払う義務はあるまい」

 使者を派遣したのだから条約違反ではない、と文官は言いたいのだろう。


「それは違います」

 テオは嘆くように首を左右に振ってみせる。


「むしろ、我々は貴国のために申し上げているのです。違約金が払われない場合、貴国の立場は悪くなるでしょう」

「どういうことかな?」


「どうやらお気づきになっていらっしゃらないご様子。ならば、はっきりと申し上げましょう。貴国は『賢者条約・・・・』に違反しておられる」

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