第31話 詐欺師伯爵と『賢者条約』
再び謁見の間が静まりかえる。気配が変わった。百年前の別の条約を持ち出されて、戸惑っているようにも、呆れ果てているようにも見えた。
「解せんな」
そこで口を開いたのは、ブラムウェル一世だった。肘掛けにもたれかかるような姿勢はそのままだが、怪訝そうに眉をひそめている。
「貴国に賠償金を支払わぬ事が何故、『賢者条約』に違反することになるのか」
百年前、『大賢者』カムデンの知恵と知識の独占を防ぐため、各国が条約を結んだ。それが『賢者条約』だ。
「『賢者条約』と、貴国と我が国が結んだ『同盟』は無関係ではありません。密接に繋がっているのです」
サルビオ王国にはカムデンが『賢者条約』締結前に残した知識があった。『賢者条約』では、締結以前に残した技術や知識については所有者および所有国のものと定められている。当然略奪などもってのほかだ。
「これをご覧下さい」
テオが一枚の紙を掲げる。
「『大賢者』カムデンが条約締結までに与えた知識や技術の覚え書きです」
ジェラルディンがちらりと見れば、『空を飛ぶ方法』『魔眼』『錬金』『砂漠の緑化』『不老不死』と信じがたい内容ばかりだ。
「当時のサルビオ王国国王へカムデンが授けた知識は『竜鉄鋼』……貴国の主幹産業であり重要な軍事技術の一つですね」
謁見の間がにわかにざわついた。一般の兵には知られていなかったのだろう。ジェラルディンとて初耳である。
「つまり、百年前に貴国がサルビオ王国へ侵攻した本当の理由は、カムデンの知識を求めてのこと。これは明らかな『賢者条約』違反となります」
「『賢者条約』には、譲渡についても定められている。併合の際、サルビオ王国の土地・権利は全て帝国の所有となっている。『竜鉄鋼』を我々が使用したとしても何の問題もない」
反論したのは先程の文官だ。
「いいえ、カムデンが授けたのは当時の
そこで文官が忌々しそうに顔をしかめた。話の矛先が読めたのだろう。ジェラルディンにも見当がついた。
「当時のサルビオ国王には娘が一人いました。彼女は当時、使者として他国へ訪問中でした。国を失った彼女はそのままその国に移住することになり、その後亡命先の王太子と婚姻し、後に王妃となりました。もうおわかりでしょう。その国こそ、
つまり、『賢者条約』に照らし合わせれば、『竜鉄鋼』を扱う権利はドリスコル王家にこそある。アーリンガム帝国はそれを百年間も不正使用し続けている。
「話を戻しますが」
テオは平然と話を続ける。
「ウォーレス二世への書状には『竜鉄鋼』の権利についても書いてありました。買い取りたいのでそれについてサルビオ王国王女と交渉したいと。つまり、百年前から権利がサルビオ王家にあることは承知されていたのです」
「仮にそうだとしてもだ」
文官は動じなかった。
「百年間、我々がただカムデンの知恵を樹液にたかる虫のようになめまわしていたと思っているのか? 技術を工夫し、改良し、発展させてきたのは間違いなくアーリンガム帝国だ。それを今更しゃしゃり出てきて、金をよこせなどと図々しいにも程がある。恥を知れ!」
「なれば百年もの間、我が物顔で不正に利用してきたのが恥ではないと」
「不正ではない。当然の権利だ」
「不正かどうかは、『賢者条約』加盟国とカムデンが決めることです」
二国間の条約と違い、世界中を相手取った条約である。いかなアーリンガム帝国といえど、世界中の国々を相手にすれば滅亡は必至だ。五指に入る大国ではあるが、世界一ではない。
「バカバカしい」
文官は一笑に付した。
「我が国と戦争をする国がどこにある。わざわざ、貴国の権利のために世界中の国々が動いてくれるとでも? おめでたい使者殿だ」
「動きますよ」
テオはあっさりと言った。
「カムデンが声をかければ、すぐにでも」
「百年も前に消息を絶った老人だぞ? 生きているかどうかも怪しい」
「この覚え書きには『不老不死』もあります。知識として持っているのなら、己に使わぬ道理がありますでしょうか?」
「伝説だ。夢物語になど付き合いきれぬ」
文官がうんざり、とばかりに手を上げる。謁見の間の両端に控えていた騎士たちが身構える。ここまでか、とジェラルディンが覚悟を決める。
「ご存じでしょうが『賢者条約』によれば」
己の命が風前の灯火にもかかわらず、テオは動じた風もなく続ける。
「違反した国に対しては制裁措置としてカムデンから対抗国に知識もしくは技術が与えられます。たとえば『『竜鉄鋼』を無効化するような武器』、あるいは『アーリンガム帝国の経済封鎖』、もっと直接的に『帝国を一瞬で滅ぼすような巨大兵器』という手も……」
「無礼者!」
文官の顔色が変わった。
「陛下、こやつらを今すぐ……」
「まあ、待て」
皇帝はやんわりとたしなめた。
「テオ・プレスコット、と申したな」
身を乗り出し、興味深そうに尋ねる。
「要するに、そちは『竜鉄鋼』の権利を帝国に売りに来たのだな」
「然様にございます」
権利だけ持っていても意味はない。今から一から開発するとなれば、膨大な時間と予算が必要になる。どちらも今のドリスコル王国にはないものだ。
「いくらだ?」
「陛下!」
文官が取りすがるように制止の声を上げる。
ブラムウェルは煩わしそうに手を振る。
「袋だたきにされるのはかなわん。火種は小さいうちに潰しておくものだ」
もし、ドリスコル王国が『竜鉄鋼』の権利を他国に売り飛ばせば、アーリンガム帝国の不正使用が諸国に知れ渡る。当然、今後の国交にも影響が出るだろう。下手をすれば、『賢者条約』を盾に不利な外交を強いられる。外交もまた戦である。大義名分を失った戦いは、長引くほど不利になる。血は流れずとも、金と時間は情け容赦なく失われていく。
「巨大な獅子で在り続けるか、肥え太った豚に成り下がるかの境目やも知れぬ」
アーリンガム帝国が広大な領土を維持出来るのはその経済力と軍事力にある。裏を返せば、経済力と軍事力を失えば領土は維持出来ず、分裂する。ブラムウェルは力の象徴である『竜鉄鋼』に泥を塗りたくないのだろう。
「しかし、ここで潰しておけば」
「そんな浅慮な男に見えるのか、あれが」
愚か者、と言いたげにあごでテオを指し示す。
ブラムウェルの懸念はジェラルディンにもよくわかる。使者として戻らなければ、諸国に手紙をばらまく。その程度の策はテオならば仕込んでいるだろう。
「聡明なご判断、痛み入ります」
テオが片膝を突き、恭しく礼をする。
「賠償金に『竜鉄鋼』の権利と合わせて金貨二十万枚。なるべくお急ぎ下さいますようお願い申し上げます。また、
時間稼ぎは許さない、というテオの牽制である。
「よかろう」
ブラムウェルはうなずくとまた肘掛けに頬杖をついた。
「すぐに用意させる。しばし待て」
「承知いたしました」
テオはまた一礼すると顔を上げ、にこりと笑った。
「受け取りは必要でしょうか?」
「無論だ」
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