第29話 詐欺師伯爵と皇帝との謁見
アンドリュースにまたがり、銀色の髪をたなびかせ、馬上の人となったジェラルディンに、周囲の視線が集まる。馬に乗っているのはほかにもいるのに、老若男女身分を問わず、誰もが何事かと好奇心とおびえの混ざったような目を向けてくる。この国では女が馬に乗るのが珍しいのだろうか。
「どうにも落ち着きませんね」
「当然ですよ」
隣に並びながらテオが呆れたと言いたげにため息をついた。
「戦争でもないのに完全武装している騎士なんて、そうはいません」
「戦ですよ」
ジェラルディンこそテオの呑気な認識が信じられなかった。
「これはテオ様と皇帝との一騎打ちなのでしょう」
「武力ということなら話にもなりませんよ。数も装備も違いすぎます。仮に交渉が決裂してもあなたの出番はありませんよ」
「それでも盾くらいにはなりましょう」
テオは何か言いたそうにしていたが、ぎゅっと唇を結び、柔和な顔を曇らせた。
ここは敵陣のど真ん中だ。何が起こるかわからない。少なくとも目的地に着くまでは警戒は続けるべきだろう。紋章は外しているし、アーリンガム帝国でも放浪騎士はごまんといるはずだ。盗賊の輩に出くわしたら、全力で排除する所存である。
ジェラルディンの意気込みに反して道中、獣も無頼の類も全く見かけなかった。テオによると、定期的に騎士団が主要街道を警邏し、治安維持に努めているのだという。その上、大きな街道は石で舗装されている。ドリスコル王国とは領地だけでも五倍はあるというのに。豊かさは土地の広さだけではない。
街道沿いには麦畑が続いている。収穫にはまだ早いが、丸々と孕んだ穂を見れば豊作が期待出来そうだ。治安が良ければ農民も安心して畑仕事に精を出せる。膨大な領地を支えているのは経済である。東大陸との貿易に大規模な農地、鉱山では良質な鉄が取れる。それらが帝国の軍事力を支えているのだ。
そして軍事力を背景に諸国へ圧力を掛け、属国化あるいは侵略する。領地を接していればドリスコル王国も危うかっただろう。
他国からすれば悪魔のような帝国だろうが、民はどことなくのんびりしているようにも見える。彼らからすれば、治安が良いのが当たり前なのだろう。
時折すれ違う旅商人や近隣の農民には奇異な目で見られる。ジェラルディンの重装備が剣呑な戦支度ではなく、不要な武器や防具を身に纏う臆病者と嗤っているようにも感じた。
そう考えた時、あれこれ悩むのが阿呆らしくなってしまった。テオには勝算があるのだ。ここまで来た以上、出来の悪い頭で考えてもムダだろう。テオに命を預けると決めたのだ。その時が来たら潔く死ねばいい。
街道を南下すること二日、帝都であるゴルドダインが見えてきた。
「とうとう着きましたね」
まるで観光気分のような感想を聞き流しながらジェラルディンは自然と歯を食いしばる。皇帝の住むゴルドダイン城は雲まで届くかのような塔がいくつも伸びており、天までその権勢を誇るかのようだ。
巨人の盾がごとき帝都の外壁は三重になっており、内側に進むにつれて建物も住人も清潔で華美になっていく。城までの一本道はなだらかな坂になっており、道沿いの建物も出陣前の騎士団のように整然と並んでいる。
怪しまれないように正面を向きながら目線だけを動かしているが、ドリスコル王国との差を思い知らされるだけだ。城門も分厚く、巨大で、壊す前に押しつぶされる。何もかも物量が違いすぎるのだ。
勝機があるとすれば暗殺くらいだろうが、この警備では至難の業だろう。少なくとも生きて帰るのは諦めた方が良さそうだ。
案内されるまま、七つの門を潜り、数千の騎士と数万の兵士の見送られながらとうとう謁見の間に来た。
小さな砦ならすっぽりと入りそうな高く白い天井には歴代の皇帝が宗教画のように描かれている。その周囲には、剣を持った天使の彫刻が飾られている。
両側の壁は壁画になっており、武装や背景から察するに、帝国の主要な戦争を描いているようだ。緋色の絨毯はクレスダ織だろう。伯爵家に流れてきたような安物ではない。踏み詰めているだけでも作りの違いはよくわかる。
そして、それらを全て掌握し、我が物としているのが皇帝・ブラムウェル一世だ。
「そなたらが、ドリスコル王国の使者か」
三十段もの上にある玉座から気怠そうな声が聞こえた。許しを得て顔を上げると、手すりに頬杖を突き、つまらなそうにジェラルディンたちを見下ろしている。角の生えた巨大な冠を傾け、金糸で不死鳥の描かれたマントを引きずるようにして現れたそれは、三十歳を過ぎたばかりのはずだが、優男である。
彫りの深い顔立ちをしているが、細面で眉も細く、白く塗りたくった化粧や口に刺した紅など、まるで役者か芸人である。
だが、この男は祖先からの地位と財産を受け継いだだけの無能ではない。元は先帝の五男、しかも側室の子である。普通なら地方貴族に婿入りするか、臣籍に下り一代公爵となるはずだ。それを帝国内の貴族を味方に付け、兄や弟を皆殺しにし、弱冠二十歳でアーリンガム帝国皇帝の座を自らの手で奪い取った。
その後も近隣国に戦争を仕掛け、二つの国を侵略している。間違いなく大陸……いや、世界中でも五本の指に入る権力者だろう。見た目通りと侮ればその瞬間に殺される。
「余に直接話がしたいとのことだが、何用かな。援軍か? それとも併合が望みか」
無礼極まりない発言だが、ジェラルディンは剣に手をかけるどころかとがめ立てすら出来なかった。皇帝直属の騎士たちが一挙手一投足に目を光らせている。
大陸の古語で、武勇に優れた騎士を『竜騎士』と呼ぶ。一人で伝説の竜と渡り合えるほどの騎士、という意味だが、謁見の間にいるのはその『竜騎士』ばかりだ。百人を超えているだろう。帝都内ならば千人は超えているはずだ。一対一でも勝てるかどうか怪しい相手が、千人もいるのだ。
これでは皇帝を人質にして逃げる手も使えない。階段を半分も登り切る前にジェラルディンは死ぬ。テオも死ぬ。守るどころか、命と引き換えにしてでも逃がすことすら不可能だ。せいぜい数瞬、寿命を延ばすだけだ。
そして帝国はドリスコル王国へと報復するだろう。陸地こそ距離を隔てているが、海から攻められればそれまでだ。アーリンガム帝国は海軍も強力だ。
返答を間違えれば夫婦の命だけではなく、ドリスコル王国が滅亡する。
一体どんな策があるのかと、すがるようにテオを横目で見ると、にっこりと笑いながら立ち上がった。
「恐れながらブラムウェル一世陛下、本日はお願いの儀があり馳せ参じました」
テオは古びた巻物を取り出すと、はるか上のブラムウェルに見せつけるように開いた。
「百四年前に貴国が条約を違えた件について、
謁見の間が静寂に包まれた。ジェラルディンはめまいを覚えた。真っ暗になった視界の中、ドリスコル王国崩壊の音が聞こえた気がした。
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