第五章 詐欺師伯爵と大帝国
第28話 詐欺師伯爵と帝国への旅路
ジェラルディンとテオの旅は順調に進んだ。バダンテール王国に入り、そこから更に北にあるレジス王国の港から船に乗り換える。
テオの予定ではそこで馬を売り、小型船を手配する予定だったそうだが、愛馬のアンドリュースや鎧や武装を乗せるため、商船に同乗させてもらうことになった。それなりの料金も取られたが、その甲斐もあって、船室は上等のものを用意してもらえた。
テオとの関係については色々考えたが素直に夫婦と説明しておいた。下手に取りつくろうよりそちらの方がいいだろう、というテオの進言もあった。なので無論、二人部屋である。
陸地沿いのルートを進めば、三日でアーリンガム帝国だ。
途中、柄の悪い船員やほかの客がジェラルディンに卑猥な言葉を投げかけたり言い寄ってきたが、関節を極めたり外したりすると簡単におとなしくなった。
ただテオが船酔いで海に小間物をまき散らし、一日中ベッドの上で動けなくなった。船酔いに効くという生姜湯を飲ませたりもしたが、あまり効果はないようだ。ずっと船室で青い顔をしている。護衛のためにつかず離れずいるのだが、食事の横で桶に顔を突っ込み、蛙のような音を出しながら小間物をぶちまけるのには閉口した。いっそ息の根を止めてやろうかという気持ちをぐっとこらえて背を撫でてやる。
出すものを出し切って落ち着いたようなので、飲み物を取りに甲板に出る。南国のような日差しの下、市場のような賑わいである。
移動中でも日銭を稼ぐべく、商人が敷物を敷いて飾り細工や食器を広げている。商魂たくましいのは商人だけではなく、踊り子らしき女が、音楽に合わせて踊っている。
つばの広い帽子を被り、マントを羽織り、伊達男のように気取った仕草で優雅に踊る。音楽が変わった。踊り子は帽子とマントを投げ捨てると、帽子の下から赤い髪が現れた。今度は赤い鬘を被った。背中まで届く髪を振り乱し、情熱的に全身を躍動させている。気取った動きとは正反対の、生命の活力に満ちた踊りに喝采が上がる。
出し物が終わり、ジェラルディンは踊り子に話しかけた。
「聞きたいことがある」
三日目の夜、ジェラルディンはベッドの上で目を覚ました。時折波にゆられ、さざ波の音が聞こえてくる。
明日の朝には帝国の港に着く予定だ。
物音がして反射的に身構えると、テオが寝返りを打っていた。その拍子に上掛けがベッドからずり落ちる。船旅の間中、テオはほとんど船酔いに悩まされていた。
ジェラルディンは静かに手を伸ばすと、起こさぬよう慎重に乱れた上掛けをかけ直す。寝顔を見れば、悪夢にうなされているようだ。寝言から察するに、夢の中でも船酔いに苦しめられているらしい。ジェラルディンは微笑する。
新婚初夜に感じたような嫌悪感は薄れていた。
彼は彼なりにドリスコル王国を救おうとしている。真面目だし、女癖についても今のところ悪い噂を聞かない。淡泊なのか忍耐強いのかはわからないが、身持ちの堅さは好感が持てる。財政にも明るいようだし、能力もあるのだろう。少なくとも無能でも悪人でもない。
ただジェラルディンの望む夫の姿……理想とは異なるだけだ。
もしかしたら、あと数年もすれば普通の夫婦のように過ごしているのかも知れない。伯爵家の妻としてテオを支え、子を産み、母として育てる。新婚の頃はこんなことがあった、と笑い話に変わっている。そんな未来もあり得るのかも知れない。
結婚前は泣いて嫌がっていても時が経てばそれなりに平穏な生活を送ることも現実には起こりうるのだ。友人のモリーのように。
だとしても、ジェラルディンは今の気持ちを捨てたくはなかった。
人の気持ちは移ろいやすいものだ。嗜好などその典型だろう。幼い頃は苦くて食えなかったニンジンも今では生でも食える。時間が経てば慣れたり克服する事もあれば好み自体が変わることもある。
昔は嫌いだったものに魅力を見出し、夢中になったものに興味を無くす。それは鈍磨であり怠惰であり、順応であり進歩でもある。
いつか変わりゆくものだとしても、だからこそジェラルディンは今の気持ちを捨てたくはなかった。正論だとしても訳知り顔で『早く大人になれ』と急かされるのは腹正しい。
誤った考えに固執しているとしても、間違っていたとしても。いつか自分の不明を思い知らされ、打ちのめされる時が来たとしても、それを含めてジェラルディンという人間だった。思い通りに生きられないのは百も承知している。だが、思いそのものを誰かに歪められたり変えられたくはなかった。
そこまで考えて、ジェラルディンは己を戒める。もうすぐ敵陣なのだ。命懸けの戦いになるだろう。感傷にふけっている余裕などない。
早く寝て体力を温存すべきだ。気がつけばテオの寝息も穏やかなものに変わっている。ジェラルディンは苦笑しながら目を閉じた。
翌朝、何羽もの海鳥が飛び交う中、船はアーリンガム帝国の港町であるイーベックに着いた。
大きな板が陸地との間に掛けられ、古びた桟橋から上陸する。
港を見回しながらジェラルディンは感嘆の声を上げる。石で固められた港には何十艘もの船が入出港していた。
白い帆が洗濯物のように海の上に広げられている。停泊した船には日焼けした男たちが、たくさんの荷物を積み卸ししている。一段高くなった陸地に沿うようにして倉庫や商館が立ち並んでいる。
何より圧倒されたのは音だった。人の声、足音、荷物を降ろす音、船の水音、それらがジェラルディンを取り囲み、楽曲のように打ち鳴らしている。
建物の規模、人の数、町の大きさ、何もかもがドリスコル王国とは違いすぎていた。しかもここは港町の一つに過ぎない。
ジェラルディンはアーリンガム帝国に来るのは初めてだった。国力の差は承知していたが、実際に目で見るとやはり迫力が違う。戦をしても敗北は明らかだった。こんな大国の皇帝からどうやって金をせしめるというのか。
「ここから帝都のゴルドダインまで馬で二日、というところですね」
船員に確認してからテオが南の方を指さす。船酔いはもう治ったようだ。
「では行きましょう」
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