第13話 ジェラルディンとテオとの視察の旅

 プレスコット家の屋敷に戻ると、まだ昼下がりだというのに珍しく夫のテオが帰っていた。ジェラルディンは今日の出来事を包み隠さず話した。


 どうせミランダとその一派がいらぬ噂を吹聴するだろう。いずれ耳にも入るのなら自分から話した方が誤解も少ない。


「まあ、怪我がなくて何よりでした」


 返ってきたのは、なんとも気の抜けた返事だった。自身の出自にも関わるというのに。今すぐホークヤード家に切り込めとまでは言わないが、もう少し怒るとか、何か反応はなかったのだろうか。あるいは首一つ取ってこなかったジェラルディンに呆れ果てた、でもいい。


 いささか苛つきながら次の言葉を待っていると、全く別の問いかけが来た。


「旅行に行きませんか?」

 ここで殴り飛ばさなかった己を褒めたいくらいだ。


「このご時世に、ですか」


 民が苦しんでいる時にのんきに旅行など何を考えているのだろう。プレスコット家の台所事情とて裕福ではないのだ。


 領地がない以上、そこからの税収は見込めず、商売や投機にも手を出していない。王国から支給されるわずかばかりの給金や、宮中伯としての手当だけだ。平民からすれば途方もない額だろうが、貴族の体面を保つには少なすぎる。


 今はまだジェラルディンが嫁いできた際の持参金があるが、それとて現状が続けばいずれ使い切ってしまう。


「今度、陛下よりライルズベリーの開発を任されまして。急ではありますが、明日からそちらの視察に行くことになりました」


 ライルズベリーとは王国の南東部にある、王家の直轄地である。実際に赴いた経験はないが、ほとんどが海岸沿いの地と聞いている。荒野や砂地が多く、作物の栽培に適しているとは言いがたい。


 不毛の地とは言え、直轄地開発などという大役をテオが任されたことにジェラルディンは驚きを隠せなかった。貴族となって王宮に出仕するようになってまだ一ヶ月だというのに。それともこれは左遷なのだろうか。


「そちらに引っ越すのですか?」

「いえ、まだ当分先の話です。少なくとも一年は」


 まだやることは山積みなので、とテオは遠慮がちに微笑む。


「計画を立てるにしても一度、現地を見ておいた方がいい、と思いまして。客もあまり来ない家ですし、そういう事情ならば、王都を離れた方がいいかと。留守はウォルターに任せれば大丈夫でしょう」


 ウォルターはやはりマクファーレン家から連れてきた使用人である。一度は高齢のために退いたが、ジェラルディンのために戻って来てくれた。今はプレスコット家の執事を務めている。人格も能力も信頼ができる。ウォルターがいれば問題はない。


「どうでしょうか?」


 要するにジェラルディンを誘うのは、ホークヤード侯爵家との対立を避けるためのようだ。このまま居続ければ、侯爵側を刺激して刃傷沙汰にんじょうざたにもなりかねない。ほとぼりが冷めるまで避難しよう、という提案なのだ。


 理屈はわかる。正義は我にあり、とジェラルディンは固く信じているが、正義だけで世の中が通らないことも承知している。


「それにほら、王都から往復で十日はかかりますからね。道中は物騒ですから。あなたが付いてきて下されば僕も安心です」


 そこは「僕があなたをお守りします」と言うべきところではないだろうか。それとも試合に負けた者が言っても説得力がないと諦めているのだろうか。


「承知しました」


 物足りなさを感じながらもジェラルディンはうなずいた。理由はともかくテオが陛下から領地開発を任されたのは事実のようだ。ならばこれは王命も同然であろう。命懸けで守るまでだ。護衛任務と思えばいい。侍女に言えば旅支度くらいどうとでもなる。


「ふふっ」


 笑いが込み上げてきた。戦って命を捨てる覚悟はあるが、この男の妻になる勇気は持てないでいる。ちぐはぐな自分がおかしかった。


「……」

 ふと、顔を上げればテオが立ち尽くしている。魂を抜かれたような表情だ。


「何か?」

「ああ、いえ。何でもありません」


 我に返ったらしく、妙に慌てふためきながら弁解する。熱いのか汗も掻いている。


「では、僕はこれで。準備もありますので。ああ、明日は朝食後に出立ですので。そうそう、僕の方から義父上に知らせておきますので、後のことは心配いりませんから」


 うわごとのように一方的に並べ立てると、テオは階段を上がっていった。


 釈然としなかったが、どうせ大した事でもないだろうと気持ちを切り替えて、ジェラルディンも旅支度をするべく自分の部屋へ向かった。


 王都から馬に乗ること五日、ジェラルディンはテオとともにライルズベリーにやって来た。旅の供は護衛の騎士四名である。


 全員、馬での移動だった。テオは馬車を使うつもりだったが、ジェラルディンが退けた。愛馬のアンドリュースならそこらの馬の倍は速く走れる。馬車は襲撃を受けた時に対応が遅れる。


「侍女はどうするのですか? 身の回りの世話は?」

「自分でできます」


 戦にも出ていたのだ。野営の準備も父に仕込まれている。女に必要な道具は背嚢に入れてある。護衛であればドレスも不要だ。今の格好も鎖帷子に鎧兜という、ハリス村の時のような戦支度である。テオはいつもの服装に革の外套をまとい、布のカバンを肩に提げている。


 意外だったのは、テオも乗馬に慣れていたことだ。馬車を提案するから経験がないかと思っていたが、手綱の引き方も体重のかけ方も様になっている。遍歴商人の経験も馬鹿にはできないな、とジェラルディンは少しだけ見直した。


 旅はおおむね順調だった。途中、二回ほど傭兵崩れの山賊に襲われたが、矢を射かけ、馬上から槍で薙ぎ払うと、どちらも野ネズミのように逃げていった。怪我人も出なかったのだから順風満帆と言えよう。




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