第12話 蛮族姫とホークヤード家の茶会

 このままでは有罪の決まった判決を待つばかりだ。あとは汚名を着せられたまま魔女のように焚刑になるだろう。


 テオが本当にプレスコット家の血を引いているのか、という疑念はまだ持っている。だがホークヤード家とその一族郎党が望んでいるのは、プレスコット家の壊滅である。簒奪した土地や財産を奪い返されないよう、二度と再興など目論む者が出ないよう、徹底的にやるはずだ。テオ一人を人身御供に差し出して済む問題ではない。


 再興したばかりの名家をむざむざと潰させては、父のブランドンに叱られる。何より、こんな小悪党どもに好き勝手されるのは、ジェラルディンの意地が許さない。


 反撃に出る。


「書きかけ、あるいは出す予定の手紙・・だったのではありませんか」


 先代のプレスコット伯爵が亡くなったのは災害による事故である。手紙の存在を知られることなく家具ごと売りに出されるのもあり得る話だし、父が買い求めたのはプレスコット家にゆかりのある品だと思ったからだ。可能性は低いだろうが、牛が馬を産むような自然の摂理に反する話でもない。


「では、あなたはその手紙とやらを見たのかしら?」

「見ておりません。あなた様と同じように」

「その手紙は今どこに?」

「父が捨てたと聞いております。プレスコット家の名誉にも関わる話なので」


 お互いに肝心の手紙を見ていない以上、内容を議論しても水掛け論になるだけだ。


「つまり」これで諦めるかとも思ったが、ミラベルは矛先を変えてきた。


「あなたのお父上……ブランドン・マクファーレン伯爵の言うことが偽りだったとしても誰も証明できない、ということになるわね」


 ジェラルディンは立ち上がった。その拍子に椅子がひっくり返る。


「父を佞臣ねいしんと仰いましたか?」


 冷ややかな声が出た。面と向かって言われた以上、聞き捨てにも笑って誤魔化すこともできない。娘の目から見ても、父の忠誠は本物である。現国王であるエルドレッド二世とは、幼い頃から学友として過ごし、今でも昵懇じっこんの間柄である。


 その父が偽者のプレスコット家当主を仕立て、国王陛下をたばかるなど絶対にあり得ない。父とマクファーレン家を公然と侮辱された以上、返答次第では命のやり取りも辞さない。


 ジェラルディンの殺意が本物と勘づいたか、周囲の夫人や娘が顔を青くしている。庭の隅に控えていた護衛の騎士たちが、少しずつ距離を詰めてくる。当然、帯剣している。こちらは素手である。


 だが、テーブルにはナイフも食事用のフォークもある。先日の熊手フォークのように胸に風穴を開けるのは難しいが、喉笛をかっ切る程度はできるだろう。


 頭の中でこれからの動きを想定する。


 皿の上にあるナイフで鴨肉のようにミラベル夫人の喉を突き刺す。悲鳴すら発せずに血しぶきを上げて倒れていくだろう。護衛の騎士も鎧兜も装備していないし、見たところ手練れと呼べそうな者もいない。


 体術で剣を奪い取り、切り伏せる。あとは馬小屋まで走って適当な馬をかっさらう。ここまでは上手く行くだろうが、問題はその後だ。夫人まで手に掛けては、ホークヤード家と全面戦争は避けられない。


 そのままマクファーレン家の領地に戻り、戦に備えて館に立て籠もる。あとは敵軍勢と討ち死にするまで戦う。いや、奪い取った馬が健脚とは限らない。領地へ戻る前に追いつかれる公算も考えるべきだ。アンドリュースで来れば良かったと悔やむが、無い物ねだりをしても不毛なだけだ。


 いっそこの腐臭ただよう婆様を人質にして、この屋敷に立て籠もるか。そのうちホークヤード侯爵も駆けつけるだろう。その目の前で罪状を並べ立てた上で、婆様の喉笛を切り裂く。それから「仇を討ちたくば剣を取るがいい」と斬りかかってやがて討ち死に。


 悪くない。


 少なくとも、望まぬ結婚に悶々と過ごすよりよほど気楽だ。ホークヤード侯爵個人にに恨みはないが、妻の不始末は被っていただく。テオには多大な迷惑を掛けるだろうが、性悪な妻を持ったが身の不運と諦めてもらおう。あとは父上が何とかしてくれるはずだ。


「まさか」


 頭の中でホークヤード侯爵の首を刎ねたところで、ふと我に返る。結構強めに殺意を向けたはずなのに、ミラベルは平然と紅茶を口に付ける。


「マクファーレン伯爵が佞臣ねいしんであれば、ドリスコル王国の家臣や民の全てが裏切り者でしょう。誤解を与えたのなら謝罪します」


 回りくどい言い回しだが、父の不忠を否定している。謝罪も受けたのでナイフを手から放し、給仕が起こした椅子に座り直した。


「ただ、伯爵は大変実直な方。戦上手ではありますが、宮廷での立ち回りには不慣れのようね」

「はい」

 父にもっと宮廷政治ができるのならマクファーレン家は今頃侯爵だ。

 

「でしたら、用意周到な策に引っかかることもあるのではなくて?」


 それが言いたかったのか、とジェラルディンはむしろ感心してしまった。ブランドン・マクファーレン伯爵が王家を裏切り、策謀を巡らすなど王国の者は誰も信じないだろう。


 けれど、善意から友人の遺児を取り立てようとするのはあり得る話だ。忠義者であることと、名乗り出た遺児がプレスコット家を騙る偽者を見抜けるかはまた別問題である。


 父も被害者であり、詐欺師はテオ・プレスコットただ一人。最初からそこを落としどころにするつもりだったのだろう。


「手紙の件はどうなりますか?」

「世の中には筆跡を真似る者もいるわね」

「偽の手紙が偶然、父の買い求めた棚に入っていたと?」

「古道具屋も仲間だったとしたら?」

 ミランダが不敵な笑みを浮かべた。


「順番が逆なのよ。買い求めた棚に手紙が入っていたのではなく、伯爵が買った棚に偽の手紙を入れたとしたら話は通るわね」


 詐欺師どもはプレスコット家から流れ着いた家具を使い、偽の跡取り擁立ようりつを企んだ。まず、それらしい貴族に棚を見せ、購入が決まったら隠し棚にあらかじめ仕込んでおいた手紙を入れておく。貴族が手紙に気づいた後は、遺児としてそれらしい若者を発見させる・・・・・。それがテオだ。


 テオはマクファーレン伯爵に取り入る。自分こそプレスコット家の生き残りだと信用させ、伯爵家再興に協力させる。


 豪胆かつ清廉潔白で知られるマクファーレン伯爵の推薦があれば、簡単だ。陛下にもお目通りし、見事どこぞの馬の骨とも知らぬ詐欺師が爵位を得る。なんと恐ろしい。


「今は、財政を預かっているそうだけれど、ご存じかしら? 前任のガターリッジ伯爵が男爵に降爵こうしゃくされたのもプレスコット卿の讒言ざんげんだという噂よ。このままでは王国全土が……」


 最後までこらえきれず、ジェラルディンは笑い出してしまった。人前で大声を出して笑うのははしたないとされているが、どうにも我慢ができなかった。ミランダだけではなく、ほかの子女らも間の抜けた顔をしている。気でも狂ったかと思われているかも知れないが、どうでもよかった。


「話になりませんね」


 得意げに語るミランダの話を黙って聞いていたのは反論出来ないからではない。あまりの穴だらけの推理に呆れ果てたからだ。


 そもそも父のブランドンが隠し棚に入っている偽手紙に気づくのがいつになるかが不明である。一年後かも知れない。十年後かも知れない。仮に見つけたとしても国内の窮状を考えれば、伯爵家を増やす余裕などないのだ。


 見て見ぬ振りをするかも知れない。それにテオはプレスコットの一族に似ていない。偽者を立てるのならもっと顔立ちの似た若者を探すのではないか。


 何よりブランドンは情に厚いし政治にも疎いが、迂闊うかつ者ではない。いくらテオが甘言を並べ立てても事実かどうか下調べはしている。調査を怠り、胡乱な者を推挙するなど、それこそ不忠の極みではないか。


「侯爵夫人こそ順番が逆ではないですか? 偽者という結論から事実をご都合のいい方に思い込まれていらっしゃる。ですから真偽の不確かな噂に惑わされるのです」


 よとみない反論に、ミランダの顔が悔しげにゆがむ。


「どうか夫人には下らぬ噂など気に留められず、ありもしない妄言もうげんを吹聴されませぬよう伏してお願い申し上げます。御身だけではなく、迂闊者の妻を持ったか、とホークヤード侯爵の名誉にも関わります故」


 念押ししてからジェラルディンは立ち上がった。これだけやり込めれば、当分は手出しもして来ないだろう。これ以上付き合う義理はない。先に失礼する旨を告げて立ち去ろうとした時、背後からミランダが「待ちなさい」と言った。


「まだ何か?」


 ジェラルディンは首だけで振り返った。無作法は承知の上だ。ミランダの顔には、やり込められた羞恥と悔しさが満ちていたが、敗北者のそれではなかった。


「テオ・プレスコット伯爵は、以前旅商人だったそうね」

「それが何か?」


「おかしいわね。北部やバダンテール王国と付き合いのある商人に聞いてみたけれど、テオなんて商人はいなかったと言っているわ」

「でしょうね」

 ジェラルディンはあっさりとうなずいた。


「夫は古着や織物を扱う小さな商人でしたので。夫人とお付き合いのある豪商とは雲泥の差。さぞ羽虫の如き扱いだったのでしょう」


 ホークヤード家に出入りしているのはカローリング商会という、王国でも有数の金貸しである。豊富な資金で他の商人に金を貸し付け、暴利をむさぼっている。


 阿漕なやり口で首をくくった商人もいる。飢饉の折には麦を買い占め、価格の高騰を招いた罪で処罰されかけた。その時にもホークヤード侯爵が手を回し、うやむやになっている。


 昔から持ちつ持たれつの関係が続いている。有り体に言えば癒着ゆちゃくである。


「夫に代わり申し上げます」

 ジェラルディンは向き直ると、背筋を伸ばし、毅然とした口調で言った。


「これ以上、犬畜生にも劣る品性下劣な外道どもが悪口雑言あっこうぞうごんを続けるようなら剣にかけての争いとなりましょう。その時は私が先陣を切ってこの屋敷に切り込む所存です。此度の茶会はちょうどよい下見になりました」


 意味ありげに辺りを見回すと、ひきつけのような短い悲鳴が聞こえた。


「それでは、今度こそお先に失礼致します。見送りは無用に願います。次は戦場でお会い致しましょう」


 淑女の礼をして優雅に背を向ける。屋敷の側にある広場に馬車を待たせてある。


「その不埒ふらち者を引っ捕らえなさい!」

 ミランダの金切り声に応じて、近くにいた騎士が二人駆け寄ってきた。


 ジェラルディンは両者の動きを確認すると、先に近付いてきた騎士の方に自分から体当たりのようにぶつかりながらその手首を掴み、体術で捻り上げる。


 騎士の体が沈んだ。片腕を極めながら背後に回ると、腰の短剣を引き抜く。残りの一人が近付いてきたのを見計らって関節を極めた騎士の背を押した。まともにぶつかり、二人がもつれ合うように倒れ込む。騎士二人が顔を上げた時にはジェラルディンはもう一人の短剣を奪い取り、両名の喉元に突きつけていた。


「見送りは無用と申しましたよ」


 言い捨てると、二本の短剣を手近な木に放り投げた。幹に深々と突き刺さる。青い顔をする貴族の妻女らを目で威圧しながらジェラルディンは馬車の方に向かった。


 今度は誰も追ってこなかった。

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