第11話 銀翼姫とホークヤード家の茶会

 ホークヤード家の屋敷は王都の中心部、王宮の東門のすぐ側にある。いざという時には王城の砦として敵と戦うためだ。


 事実、堀は深く掘られ、石造りの塀は大人の背丈の三倍はある上に、上部には矢を射かけるための穴が開いている。門は二重になっており、一枚目が破られても次の門で敵を食い止められる仕組みになっている。屋敷にも戦に備えた仕掛けが多々施されており、武門の誉れ高きホークヤード家に相応しい屋敷だった。


 その庭先で行われているのは、武門どころか道化芝居ですらない。茶番そのものだった。


 やはり来るべきではなかった、とジェラルディンは顔をしかめながらテーブルの料理を見つめた。切り分けられた鴨の丸焼きにこんがり焼けたサーモンパイ、サラダは季節の野菜がふんだんに盛られている。


 いずれの料理にも海を渡ってきた香辛料がふんだんに掛けられている。もちろんパンは白く柔らかい。よい麦を使っているのだろう。ワインは有名な醸造家の作った二十年物である。この料理だけで、庶民の一月分に相当するのではないだろうか。


 少なくともプレスコット家どころか、実家のマクファーレン家でもめったに食べられる料理ではない。見た目には、痛いほど空腹を刺激してくる。


 だというのに、目の前の女どもから漂ってくる化粧の臭いが全部台無しにしていた。バラにジャスミン、ライラック、ボロニア、ラベンダー、キンモクセイ、ハッカ、ルクリア等々。花の香りを模した香水も集まればいいというものではなく、濃縮され、反発し合って、鼻がひん曲がりそうだ。


 肩の空いた蒼色のロングドレスに、エメラルドの付いた金のネックレスという出で立ちは、やはり母のお下がりだ。銀色の髪も編み込み、後頭部で纏めている。テオとの顔合わせの時と違うのは、袖や裾を絞り、飾りを少なくしている。ドリスコル王国に伝わる、貴族の妻としてたしなみである。


 広い庭のあちこちに並んでいる丸いテーブルには、貴族の夫人や娘がけたたましく噂話に花を咲かせていた。ただし、ジェラルディンのテーブルには誰も近付こうとはしなかった。遠巻きにしながら時折意味ありげな視線と笑みを向けてくる。噂の種はジェラルディンのようだ。ろくな噂でないことは容易に想像が付く。


 庭の隅では呼び寄せた楽団がバイオリンやピアノを演奏している。芸術に疎いジェラルディンでも見事と思うものだったが、華やかで優雅な音楽を耳障りな嬌声や、けたたましい笑い声がかき消していく。


「あら、どうかいたしまして。ジェラルディン様」


 軽やかな口調で紫色のドレスを着た貴婦人が話しかけてきた。茶会の主催者である、ミラベル・ホークヤード侯爵夫人である。


 ゆるやかに波打った黒い髪にぱっちりとした菫色の瞳、体も肉付きはいいが太目ではない。さぞ若い頃は男にもてたのだろう。若作りをしているが、ジェラルディンより十歳以上も年上である。


 近付くと、バラとラベンダーとキンモクセイの臭いがした。どうやら他人の香水と混ざってしまったようだ。ホークヤード侯爵は王宮に出仕しており、不在である。


「どうぞ。ご遠慮なくお召し上がり下さいな。特にその鴨はノナロ湖で狩ったものですわ」


 王都の南にある小さな湖で、そこに住む鴨は肉も柔らかく、絶品である。


「だったら今すぐ離れていただけませんか? あなたの毒々しい臭いのせいで食欲が湧きませんので」


 そう言えたらどれだけ痛快だろうか。無論、口に出さないだけの程度の理性はある。言っていいことと悪いことの区別は付いているつもりだ。


 だというのに、ミラベルの額には癇癖の筋が浮き上がっている。どうやら声に出していたらしい。まあいいか、とジェラルディンは気にせず口にした鴨肉は確かに美味かった。さすがに毒は盛っていないようだ。


 教会の壁よりも白く塗りたくられた女の顔を見ながらでなければ、もっと幸福を味わえただろう。周りを見渡せば、出席者はいずれも女ばかりだ。


 いずれもホークヤード家の親類か寄子である。孤立無援か。そうでなければ、と鴨の肉を噛みしめる。血の味がした。


「ところで、ジェラルディン様」

 一通り食事も終えたところでミラベルが話しかけてきた。


 向かいの席に腰掛けると、肘を突きながらにっこりと微笑みかけてくる。


「プレスコット卿ってどんな方かしら。色々と噂ばかりは聞こえてくるのですけれど、どれも信憑性に欠けるというか」


 ジェラルディンの目が自然と細くなる。やはり狙いは我が夫のようだ。愛人の子で平民育ち。生粋の貴族である彼らからすれば、虫食いよりも穴だらけの経歴だろう。


「噂がどのようなものかは存じませんが」


 ジェラルディンは父から聞いたいきさつを全て話した。隠す程度の話でもない。ドリスコル王国の歴代国王の中には、庶子の方もいらっしゃる。馬鹿にするならしてみるがいい。


「あら、おかしいわね。ワタクシの聞いたものとはすこーし違うようねえ」

 ミラベルは話を聞き終えた後、大げさに首をかしげてみせた。


「そもそも、そのお話。本当なのかしら?」

「どういう意味ですか」


 挑発とはわかっていたが尋ねずにはいられなかった。適当にいなせるほど器用な質ではないし、目の前にいる女の悪意を明確に感じ取ったからだ。下手に言い逃れや誤魔化そうとしても食いついてくるだろう。ならば受けて立つまでだ。


「マクファーレン伯爵が偶然買った棚に、偶然プレスコット伯爵が愛人にしたためた恋文が入っていた。いささか出来すぎではないかしら」


「とある教会が地震で崩れた時、たまたまその日全員が礼拝に遅刻したために難を逃れたという故事もあります」

「だとしても、変なのよね」

 ミラベルは追及の手を緩めなかった。


「仮にその話が事実だとしてもよ。やり取りがあったのなら、棚に入っていたのは愛人からの・・・・・恋文ではないかしら?」


 その手で来たか、とジェラルディンは茶会に招かれた理由を悟った。ミラベルは……いや、ホークヤード家はテオの出自を疑っているのだ。


 彼らは相続と称してプレスコット家の領地や財産などの遺産を我が物とした。であるが故に、テオから遺産の返還を求められるのを何より恐れている。当然拒絶するはずだから裁判になるだろう。


 ジェラルディンは法律に詳しくはないが、判決次第では一部ないしは全ての遺産を放棄しなくてはならない。だからこそテオが本物の伯爵令息であっては困るのだ。

 この集まりは茶会ではない。テオに偽者の汚名を着せるための前哨戦ぜんしょうせんであり、ジェラルディンへの異端審問いたんしんもんだ。

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