第14話 プレスコット伯爵と夫人の領地開発計画

 ライルズベリーの地は潮の香りがした。海岸沿いに広がる土地は細く長い。その上、土地が塩気を帯びているらしく、作物もほとんど育たないという。


 灰色の曇り空を切り裂くように白い海鳥が翼を広げ、海面を滑るように通り過ぎていく。小高い丘に登ったところでジェラルディンは愛馬のアンドリュースから下りて、海を眺める。


 濁った海には白い飛沫が絶え間なく上がっている。海岸線には白い砂地が広がり、遠くにはあばら小屋の寄せ集めのような漁師町が見えた。そのすぐ近くで地元の民らしき子供が歩きながら時折しゃがみ込んで砂地を掻いている。


「あれは貝を掘っているのですよ」

 馬から下りたテオが指で貝の大きさを作りながら説明してくれた。


「この辺りでは火に炙るとか、煮込んで出汁を取るのです。生で食べると腹を壊しますのでオススメはしません」

「詳しいのですね」

「商売にならないか調べたこともあります。傷みやすいので諦めましたが」


 存外に商魂たくましい。

 テオは地図を広げながら顔を上げ下げしている。地図と実際の地形との違いを確かめているようだ。


「しかし、開発といってもこのような土地をどのように?」


 海に出る途中で通ってきた土地を思い返してみても、荒野と呼んでもいいくらい痩せている。麦が育つようには思えない。調べたところによると、元々はとある伯爵家の領地だったのだが、数十年前に隣国との内通が発覚したために没収となった。


 その後何人かの貴族が拝領したが、放置する、領民に苛税を強いたために剥奪、などいずれも経営が上手く行かなかったようだ。呪われた土地などと揶揄やゆする者もいるという。領地の欲しい貴族は山ほどいるが、曰く付きの土地を欲しがる者はおらず、今は王家の代官が管理している。


 そんな土地をどのように発展させるのか。ジェラルディンには成功する光景が全く見えない。漁業にしても細々とやっているところを見ると、魚もあまり捕れないようだ。塩は王国の南側で大規模に生産しており、近年では不景気のためかむしろ余っているくらいだという。


 テオはにっこりと笑った。


「ここにね、港を作ろうと思うんですよ」

「ああ、漁港ですか」


 遠洋まで船を出せば魚も取れるはずだ。この土地も少しは豊かになるだろう。


「いえ、貿易港のつもりです」

「ははっ!」


 ジェラルディンは吹き出してしまった。確かに貿易なら成功すれば大儲けだろう。成功すれば、の話であるが。


「こんな田舎の海岸に作ったところで、船など来るわけが」

「来ますよ」

 テオはきっぱりと言って、海岸線を指さした。


「今、東の大陸から交易を求めてたくさんの船がこちらの大陸に渡ってきています。この大陸の東側には切り立った崖が続いています。港を作れるのはこの付近だけです。ここに港を作れば南の大陸からアーリンガム帝国への中継地点にもなります。今の航路は西側から大回りのルートになりますが、ここに港があれば補給だけではなく、航海の短縮にもなります」


 アーリンガム帝国は大陸の北側にある大国である。広大な版図を誇り、人口も富も大陸一である。三方を険しい山や他国に囲まれているため、港は北側に集中している。ドリスコル王国とは直接面していないため、影響は少ない。


 百年ほど前には同盟を結んだこともあったが、友好国への侵略という形で一方的に破棄されて現在に至る。


 理路整然と根拠を並べられてジェラルディンは口をつぐんだ。思いつきではなく、それなりの勝算を見込んでの話のようだ。


「船が来るだけでは……」

「『人が動けば金勘定』です。人が来るという事は、当然水や食料が必要になります」


 港の使用料だけではない。水夫相手の商売人も来るだろう。食糧、酒、土産物、春をひさぐ者たち。雇用が生まれ、人が人を呼び、莫大な金が港に落ちる。


「それと同時に王都への道も広げるつもりです」

「何のために?」

「当然、交易のためです。ご存じでしょう。今の道は狭すぎます」


 貿易港と同時にドリスコル王国への玄関口にもするという。諸外国の訪問、あるいは使節の派遣。そのためにも整備は欠かせない。


「しかし」

 と、ジェラルディンは焦りながら今の話に穴がないか頭を働かせる。素晴らしい話だと思う反面、納得してしまうのも危険な気がした。詐欺師、と自ら呼ばわった言葉が脳裏をよぎる。


「今からここを開発するとなれば一から始めなくてはなりません。海岸ならば南側にもありますが」

「王国の南海岸付近は岩礁が多い上に海流も荒れていて、港には向きません」


「もっと金のかからない方法はございませんか? 荒れ地でも育つ作物を探すとか」

「もちろん農地開発も同時にやっていきます。すでにいくつかの作物を見つけ、試験的に栽培し始めたところです。ただそれでは今までと同じです。僕はこの土地を中心にして、ドリスコル王国全体が豊かになるような開発を目指しているのです」


「……それが港ですか」

「小手先の知恵でできることなどたかが知れています。陛下が求められているのは、百年二百年と続く強靱きょうじんな収益体制です」


「ですが」

 港を作る意義は理解した。いや、させられかけていた。凡庸ぼんような風体の、全く戦えない男に気圧されていた。


「港を作る金など、この国のどこにあるというのですか?」

「そこなんですよねえ」

 不意にテオが困ったように笑った。


「国庫を調べましたが、はっきり言って金が全くありません。計画はありますし、成功する公算も高いのですが、肝心の金がなくては絵に描いた餅空のパイというわけでして」


 ジェラルディンは力が抜けてしまった。あれだけ自信たっぷりに話しておきながら、絵空事とは。


「……ちなみに、いくらくらいなのですか」

「ええとですね」

 カバンから書類を取り出し、見比べる。


「材料費や人足への人件費や運賃、滞在費その他諸々に工期を考えないといけません。それに港だけではなく、期間中の領民や貴族への金銭的補助も含めますと……大陸金貨で十九万七千四百五十三枚。約二十万枚ですね」

 めまいがしそうだった。ハイド王国との戦費ですら七~八万枚だったというのに。


「ちなみに、昨年の王国予算が約三十二万枚でしたので、六割以上ですね」

「馬鹿馬鹿しい」


 国家予算の三分の二を使っての事業など非現実的過ぎる。やはり詐欺師だったか、と裏切られた気がした。


「まさか」

 ジェラルディンははっと顔を上げた。


「あの増税はこのためですか?」

「増税?」

「とぼけないで下さい。あなたが陛下の名前で出した、あの命令書ですよ」

「あれ、言ってませんでしたっけ?」

 テオが首を傾げる。


「あれならとっくに取り消しましたよ。国中に通達も済んでいます」

 ジェラルディンは目をみはった。


「この際ですから言っておきます。あれを作ったのは僕ではありません。前任のガターリッジ……今は男爵ですか。その方です」

「どういうことですか?」


「あの施策が実行されれば、国中の恨みを買います。怒りの矛先はガターリッジに向かうでしょう。それを避けるために、僕の名前を騙ったのです」


 結婚式の準備で忙しかった隙を狙ってサインを偽造し、テオの方策ということにして陛下に上申したのだという。


「プレスコット家とマクファーレン家への通達は最後にしているあたり、手が込んでいます。既成事実化を狙ったのでしょうけれど、あなたに教えていただいたお陰で、早く手が打てました」

「あ……」


 そういえば結婚時の直前にまくし立てたとき、テオはどこか途方に暮れたような顔をしていた。あれは、本当に知らなかったのだ。式の最中に上の空だったのは、対策を頭の中で練っていたのだろう。


「では、ガターリッジが降爵されたのは……」

「陛下まで欺いたのです。当然でしょう。祖先の功績がなければ爵位剥奪の上、死刑ですよ」

「申し訳ございません」

 ジェラルディンは膝を突き、深々と頭を下げる。


「ああ、頭を上げて下さい。僕は気にしていませんから」

「しかし」


「悪いのはガターリッジ男爵です。結果的にはお陰で早く手を打てたのですから」

 笑顔で手を差し出される。居たたまれなさを感じながらジェラルディンは手を取り、立ち上がる。


「びっくりしたのは確かですけどね。あの後、命令書を見て腰を抜かしそうになりましたよ。恐ろしい話です」

「全くですね」


 知らぬ間に名前を騙られ、恨みを買っていたなど、卑劣にも程がある。目の前にいればそっ首、切り落としてやるのに。


「あんな方策で本当に国が救えると信じ込んでいたのですから、正気とは思えませんね」

 夫の考えはまた別のようだ。


「いずれ改めて正式な改善策も作るつもりでしたが、こういうことになってしまったので、早急に全国へ通達するつもりです」

「それで増税は……」

「しません」


 テオは言い切った。


「この不景気に増税など、自分の生き血を吸うようなものですよ。今度の方策にしても民の生活をやすんずるためのものであって、開発費を捻出するためではありません」


「では、どのように港の開発費用をまかなうおつもりですか?」

「それを今考えています」

 そこで意味ありげにジェラルディンを見た。


「ちなみに、ドリスコル王国には隠し財宝とか秘密の金山などは……」

「ございません」


 ジェラルディンはきっぱりと言い切った。そんなものが残されていたとしても、とうの昔に使い果たしているだろう。金山とて国中の山は調査済みである。今更新しい鉱山が見つかるとは思えない。


 そんな荒唐無稽こうとうむけいな手段を持ち出す辺り、やはり詐欺師の素質はあるのだろう。これが我が夫か、と一瞬見直し掛けただけに暗澹あんたんとさせられる。


「『大賢者』様であればまたよいお考えもあるのでしょうけど……」

「無理ですね」

 テオが期待するなと言いたげに肩をすくめる。


「『条約』がありますから。たとえ本人がその気でも動けませんよ」


 『大賢者』ことカムデンはかつてこの大陸……いや、世界中にその名を轟かせた知者である。素性は不明だが、その知恵と知識は森羅万象、あらゆる事象に精通しているという。名声は高く、多くの者がカムデンの元を訪れ、教えを授かった。


 ある者は不治の病の特効薬を、ある者は寡兵で大軍を打ち破る術を、ある者は自然災害を食い止め方を、ある者は悪魔の召喚方法を。世界に多くの変革をもたらした。


 その知識と知恵を求めて各国の支配者がこぞってカムデンを招聘しょうへいしようとしたが、特定の国に仕官することはなかった。一国を与えられようと、いかな武力で脅されようと首を縦に振ることはなかった。


 そのうちカムデンを求めて大きな戦争まで起こった。戦乱を憂いたカムデンは、各国の王に呼びかけた。戦を止めなければ世界を滅ぼす、と。世界中の国々はカムデンと『条約』を結び、仕官など知恵と知識の独占を禁止した。カムデンもまたどの国にも肩入れしない旨を取り決めた。通称、『賢者条約』である。


 締結の後、カムデンはいずこかに姿を消した。伝説では砂漠の中に塔を建て、その中に閉じこもったという。


 今から百年も前の話である。ドリスコル王国も条約に参加しており、今も有効である。


 ジェラルティンも幼い頃に父からその活躍を話をたくさん聞かされていた。『大賢者』ならばドリスコル王国の窮状を救ってくれるかも知れないが、塔の所在どころか、そもそも生きているかどうかも怪しい。


「そろそろ行きましょうか。海岸沿いを見たら次は陸地の方も見て回りたいので」

 テオが馬に乗り込んだのを見て、続いてアンドリュースにまたがる。


 丘を下りる寸前、振り返る。海岸の漁師町ではまだ子供が貝を掘っていた。もし港ができればあの子らの生活は楽になるのだろうか。それとも漁もできず、生活の場を奪われてしまうのではないか。


 ほんのわずかに抱いた期待も後ろめたいことにように感じた。やはり、詐欺師の言葉など信じられない。


 幼子が貝を掘り当てたのを見届けてから鉛色の空の下、手綱を取って丘を駆け下りた。


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