第8話 幼馴染みと揺れ動く心

 結婚式は十日後まで迫っていた。


 ジェラルディンは愛馬のアンドリュースに乗り、領内の平原を走らせていた。


 いくら静めようとしても気持ちは波立ち、ともすれば荒れてしまいそうになる。馬に乗ればいくらかでも気分は晴れる。


 アンドリュースならば行きたい場所に速度で走ってくれる。人馬一体とまではいかないが、頼りになる相棒だ。厩番うまやばんの手を借りず、仔馬の頃から育ててきた。三年前の戦でも軍馬としてジェラルディンとともに戦場を駆け抜けた。


 輿入れの準備は山ほどあるが、館にいても気が塞ぐだけだ。体を動かしていないと、湧き上がる感情は抑えられそうになかった。

 

 手合わせの後、テオはケガの治療を済ませ、自身の屋敷に帰って行った。既に王都に与えられた屋敷に住んでおり、宮中伯として政務を務めているという。無論、婚姻の準備も進めている。


「お前は一体何を考えている! このうつけ者が!」


 父のブランドンからは烈火の如き叱責を受けた。当然だろう。伯爵家の当主にして婚約者を詐欺師呼ばわりしたのだ。手討ちにされても文句は言えない。事実、一時は家伝の剣まで抜こうとした。家臣総出で取り押さえられて事なきを得たが、ジェラルディンとしてはいっそ首を切り落として欲しいくらいだった。


 詐欺師と言われ、テオは衝撃を受けていたようだった。臓物でもえぐられたような顔を見て、ジェラルディンですら罪悪感を覚えた程だ。やはり言うべきではなかった、と今更ながらに後悔がこみ上げる。


 無論、テオが本当に詐欺を働いていた、という意味ではない。リアが耳にしたのもしょせんはウワサだ。ジェラルディンが見た反応もあくまで心証であって、罪を問える類の証拠ではない。


 それに、ブランドンも下調べはしたと言っていた。本物の詐欺師であれば、プレスコットの血を引いていたとしても伯爵家を継がせようとはしなかっただろう。見識もあるようだし、商売自体は誠実に行っていたかもしれない。


 詐欺師と言ったのは、その性根である。


 剣は正直だ。いくら技巧を極めようと、戦い方に性根が表れる。先日の盗賊も、荒みきった感情が如実に表れていた。テオもまた然りである。


 嘘を付き、あざむき、信じ込ませ、人を騙す。穏やかな見た目の裏に隠れた、悪辣な性格が打ち合った剣に出ていた。


 ある意味、商人に向いているのだろう。誠実なだけで金儲けが出来るとはジェラルディンも思っていない。まして貴族社会となれば虚々実々、立場や駆け引きや人脈がものを言う世界だ。これから宮中伯として王宮に仕えるのだから、そのような性格の方がうまく立ち回れるはずだ。


 そういう人間がいること自体は否定しない。ただ、己の夫にしたいかどうかは話が別だ。ましてや、金を騙し取るような卑劣漢など。


 ジェラルディンはそのような貴族社会のしがらみや付き合いとは、ほとんど関わらずに過ごしてきた。病弱な兄に代わりマクファーレン家を支えるため、体を鍛え、礼儀作法を学び、勉学にも励んできた。強くあれ、誇り高くあれ。なめられまいと、気を張ってきた。


 貞淑で従順で、良き妻良き母となれ。ふざけた世間の常識を足蹴にし、女というだけで軽く見られる風潮を嫌い、侮られ、さげすまれまいとして、卑怯未練を嫌う家風を、ある意味父である当主のブランドンよりも体現してきた


 その十九年の歳月が、虚言を弄し錯誤を利用して不当に利を得ようとする男を……その性根に嫌悪感を抱かせた。そのような男を夫として迎えねばならない。勝負で叩きのめそうと。詐欺師の如き性分であろうと。


 運命は決まっている。藻掻き足掻くことも、抵抗も許されない。がんじがらめの無力感、我が身の不甲斐なさが、ジェラルディンを苛立たせていた。


 気がつけば、森の手前である。ここから丘を越えれば先日のハリス村に着く。考えにとらわれていたせいか、思いの外遠くに来てしまったようだ。


 春先ともあってまだ肌寒い。山から吹き下ろす風が汗に濡れた体から温もりを奪っていく。くしゃみをして体が冷えると気持ちも幾分静まってきた。


 詐欺師だろうとペテン師だろうと、結婚は避けられない。気性がねじ曲がっているというのなら立派な貴族となるように鍛え直す。どうにもならない愚物ならば引導を渡してやるまでだ。婚姻するのは決定事項だ。ならばうじうじと悩まず、いかに夫を支え育てるかを考えた方が前向きというものだろう。


 気持ちを切り替え、館へ戻ろうとした時、森の中から白い馬に乗った騎士が現れた。矢筒を背負い、馬の後ろには山鳥が三羽、くくりつけてある。狩猟の帰りなのだろう。


「これはこれは。ジェラルディン様」


 馬から下りて近付いてきたのは、見知った顔だった。長く伸ばした黒髪を後ろで束ね、細面ではあるが骨太で、切れ長の黒い目に精悍な顔立ちをしている。黒い狼のような気高さと逞しさを感じさせる。アーチボルト・ファレル男爵である。


 ハリス村の二つ隣にある小さな村の領主で、ジェラルディンも子供の頃から何度も会っている。


「お久しぶりです、ファレル卿。このような場所でお目にかかり、光栄に存じます」


 ジェラルディンもアンドリュースから下りて貴族の礼をする。


「他人行儀ですよ。どうか昔のようにアーチーとお呼び下さい」

「いえ」


 幼い頃ならいざ知らず、彼は父の跡を継ぎ、男爵となっている。いかに伯爵家の娘とはいえ気安い口を利くつもりはない。何より、自分はもうすぐ嫁ぐ身なのだ。いらぬ誤解を受けたくなかった。


「ファレル卿は狩りですか?」

「賊の討伐です」


 ハリス村だけではなく、盗賊はそこかしこに出没していた。そのねぐらを村の者が偶然見つけたというので、家来や村の若者ともども襲撃を掛けた。大半を討ち取り、生き残り三名を捕縛したという。


「こいつはまあ、ついでです。晩餐の足しにでもなれば村の者も喜ぶかと」


 いたずらっぽく笑う。つられてジェラルディンも相好を崩した。数日ぶりに笑った。

 ファレル家は武人の家柄である。騎士として長年王家に仕え、幾たびの戦を切り抜けてきた。先々代つまりアーチボルトの祖父の頃に男爵位とわずかばかりの領地を授与された。アーチボルト自身も武勇に優れ、三年前の戦にも従軍した。その際には敵の騎士を三名討ち取っている。


 例の手合わせも何度かしている。ジェラルディンがかろうじて勝ったものの、勇気と決断力に優れ、堂々とした戦いっぷりだった。記憶ではまだ独り身のはずだが、その気になれば縁談もまとまるだろう。我が夫となる方もこのような方であればよかったのに、と心の中でひそかに愚痴をこぼす。


「ところで、ジェラルディン嬢はご結婚されるとおうかがいしましたが」

 沸き立った気持ちに水を差したのはアーチボルト当人だった。


「相手は、その、平民の成り上がり者だとか」

「プレスコット伯爵家の当主です」

 間髪入れずにたしなめる。


「発言にはお気を付け下さい」


 育ちはともかく、今はテオがプレスコット伯爵家当主なのだ。平民だの成り上がりだのは、いわれのない侮辱である。テオへの嫌悪感はともかく、道理を曲げるのはいただけない。アーチボルトも失言を悟ったらしく、すぐに謝罪した。


「嫁げば、しばらくは王都で暮らすことになります。このような遠乗りも最後になりましょう」


 口にしてからもの悲しさが込み上げてきた。結婚すれば、今までのようにはいかないだろう。賊の討伐に乗り込むような無謀も、アンドリュースとのきままな遠乗りも、友人との他愛もない会話も、何もかもが木漏れ日の降り注ぐ小道のように、まばゆく輝いて見えた娘の時代は終わるのだ。


「申し訳ございませんが、私はこれで」


 今から戻らないと館に帰る頃には日が暮れてしまう。何より、目頭が熱くなりそうなのを見られたくはなかった。


「お待ちください」

 アンドリュースに飛び乗ろうとしたところで手を取られる。


「本当に結婚されるのですか?」

「無論です」

「意外ですね」

 アーチボルトの声音には落胆の響きがあった。


「あなたならば、意に沿わぬ結婚などはねつけるとばかり思っていました」

「王命ですので」


 いかに奔放に育とうと、ジェラルディンはプレスコット家の娘であり、ドリスコル王家の家臣なのだ。何より家族を、領民を、土地を愛していた。反旗を翻すには、失うものが多すぎる。


「それに、意に沿わぬといつ申し上げましたか?」

「顔を見ればわかります」

 戦斧のような断言に目を逸らしてしまう。


「結婚するなとは申しません。どこか別の貴族に嫁ぐというのなら俺は喜んで祝福するつもりでした。ですが、あの男はいけません。あれは、あなたを不幸にする男です」

「テオ様をご存じなのですか?」


 領地にほぼこもりきりのアーチボルトと、つい最近貴族となり王都に住んでいるテオとでは接点が見当たらない。


「王国の貴族であの男を知らぬ者などおりません」

 そう言いながら端正な顔を侮蔑にしかめる。


がやろうとしていることは、王国の破壊です」


 アーチボルトが懐から出したのは、封の開いた手紙だった。王家の紋章入りだ。宛先はアーチボルトだ。許可を得たので、ジェラルディンは手紙を広げた。


「これは……」


 国王陛下からの命令書だった。一言で言えば王国内の貴族に対する増税である。公爵家から騎士爵に至るまで例外はなく、王家への納付金を課す。爵位が上がるほど納付額は高くなる。


 また平民にもこれまでの土地や収入だけでなく、新たに課税が課されていた。農民には鍬や熊手といった農具にかかる農具税、井戸や水源の利用税、商人にも販売する物品全てに三割近い税が掛けられる。王国民だけでなく、外国から来た者も全て支払わなくてはならない。


 無茶苦茶だ、とジェラルディンはうめいた。ただでさえ農民も商人も職人も貧困にあえいでいるというのに。この上、課税などしたらそれこそ生活が成り立たなくなる。


 税が払えず子供を売る親、村を捨てて流民になったり盗賊に成り下がる者も出て来るだろう。貴族とて、豊かな生活をしているのはごく一部だ。大半は食うに困らないというだけで、借金で首が回らず、武器や鎧兜を売り飛ばし、娘を悪辣な商人の嫁や妾にしている。この施策が通れば、待っているのは地獄だ。


「すでに国中の貴族に同じような通達が届いているそうです」


 確かに大変な事態だ。アーチボルトが反発するのもわかる。だが、それとテオがどう関係するというのか。


「ここを見てください」


 彼が指さしたのは、命令書の名前である。一番上は当然、国王エルドレッド二世だ。その下に大臣であるヘーゼルダイン侯爵、その下には数名の名前に続けてテオ・プレスコット宮中伯の名前が書いてあった。


「今回の王命を裏で指示したのはテオ・プレスコットです。奴は王国を金の力で乗っ取ろうとしているのです」

「まさか」


 あの方はそんな悪人ではありません、と言いかけて言葉を詰まらせる。あなたは詐欺師です。自身の言い放った言葉が脳裏に甦った。


 ためらっているとアーチボルトはさらに強く手を握った。


「俺と結婚していただけませんか」


 突然のプロポーズにジェラルディンは頭が真っ白になった。アーチボルトは続ける。


「必ずあなたを幸せにしてみせます。どうか俺の妻になってください」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る