第5話 ジェラルディンと婚約者との顔合わせ
館の前に停まった馬車は思いの外、簡素な作りだった。貧相、と言い換えてもいい。窓際から遠目に見ていても引いている馬も年老いていて、脚も細いし目の色も肌艶も悪い。伯爵家の嫡男というより家畜を運ぶ荷馬車だ。馬車に回す金はないのだろうか。
「お嬢様、そろそろ」
侍女のリアに呼ばれて、ジェラルディンは門の前に移動する。今より将来の夫を出迎えなくてはならない。薄緑色のロングドレスに、エメラルドの付いた金のネックレス、髪は前髪をかき上げ、後ろで纏めている。
その上からかぶった丸帽子は最近の流行から二周ほど遅れているそうだが、これも母の形見だし、貴族の流行を知っているとは思えないので問題はない。外見だけなら伯爵家の令嬢として支障はない、はずだ。
隣に並ぶ父のブランドンに袖を引っ張られて笑顔を取りつくろう。
一体どんな男なのだろう。柄にもなく胸の鼓動を早めながら笑顔を保つ。馬車の扉が開いた。
第一印象は、凡庸だった。短く刈り込んだ焦茶色の髪に、濃褐色の豆のような目。鼻は低く、口も小さい。顔の高低が少ないせいか、平たく見える。
輪郭も鶏卵のように丸っこい。どうやら母親似のようだ。少なくともプレスコット家の血を感じさせる顔立ちではない。
青い外套の下に白いシャツ、紺色のズボンに黒のブーツと格好は貴族のそれだが、着慣れているようには見えなかった。緊張しているのか、顔が赤くなっている。父は一体この青年のどこにプレスコット伯爵家の血を見出したのだろうか。
「はじめまして。テオ・プレスコットと申します」
子供のような声だ。とうに声変わりは終わっているはずだが、声質が高いのだろう。穏やかな物腰は、悪くはないが柔弱とも考えられる。
目の前に立つと、目線がさほど変わりない。ジェラルディンよりかろうじて高い程度だ。これはテオの背が低いというよりジェラルディンが長身なだけだが。
「はじめまして、プレスコット卿。マクファーレン伯爵家が当主ブランドンの娘、ジェラルディンと申します」
「テオと呼んで下さい。まだ爵位を受け継いだばかりですので」
控えめに微笑んだ。父の話では、すでに王宮で国王陛下とも対面し、プレスコット家伯爵家の相続を許されている。商人から伯爵家当主という、急な立身出世に思い上がった様子はない。猫を被っている可能性はあるが、初対面でそれを出すほど愚かではなさそうだ。
「では、テオ様と。よろしくお願い致します」
まだ判断するのは早い。自身の人生を預けるに足る男か、見極めたい。
「ええと、どうぞ」
テオがうやうやしく右手を差し出す。白い手袋に包まれたその手を取った。ジェラルディンは顔をしかめた。
「何か?」
「いえ」
何か粗相をしたのかと、テオがおどろいた様子で聞いてきたが、ジェラルディンは笑顔でごまかしながら首を横に振った。想定はしていたが、甘い期待は早くも裏切られたようだ。
テオは正真正銘、剣術の……否、戦いの素人だ。観察した限り、構え方や目の運びだけでなく筋肉の付き方、一挙手一投足が武人とはほど遠かった。
手袋越しに手を握った時の感触で、見当は付いていた。遍歴商人というから護身のために武器ぐらいは扱っていたかもしれないが、おそらく荷物どころか己の身一つ守れまい。がっかりはさせられたが、すぐに気を取り直す。
プレスコット家の当主として武術は重要だが、己が補うこともできる。事実、
頭は悪くなさそうなので、そちらで補ってくれたらそれでいい。
「ではワシはテオ殿を部屋まで案内する故、お前は茶の用意をいたせ」
父の命令で厨房に向かい、茶の用意を命じたところで不意にリアが声を掛けてきた。黒髪で小柄な娘だ。まだ十五歳のはずだ。近隣の商家の娘で、マクファーレン家に行儀見習いに来ている。
「あの、その、
「手短にね」
茶がぬるくなっては客人に失礼だ。
「その、今日来られたプレスコット卿のことで、よからぬウワサを耳にしまして」
ジェラルディンは無言で振り返った。意図せず威圧してしまったらしく、リアは子ネズミのように縮こまってしまった。
「続けて」
「は、はい! その、プレスコット卿にお金を騙し取られた者がいると……」
ハイド王国との国境にトルルという小さな村がある。三年前の戦禍の巻き添えになり、大勢の村人は殺され、村は焼け野原になった。
それでも故郷を再興しようと、村長の声かけで生き残った村人たちはなけなしの財産を金に換えて、復興の資金を集めた。村長が代表して近隣の町に立ち寄ったその夜、酒場で若い男に声を掛けられた。
地味な顔立ちの男は、村長にいい儲け話がある、と持ちかけた。普段なら歯牙にも掛けないところだが、男の手練手管に言いくるめられ、有り金を全て巻き上げられた。翌朝、男の姿は町のどこにもなかった。
「その話なら私も知っているわ」
許されざる悪行である。卑劣な詐欺師など、ジェラルディンなら首を切り落としてやるところだ。トルル村の村人たちは故郷の復興を諦めて別の土地に移り住み、荒れ果てた畑を耕しているという。
「その話に続きがあるのです」
村長は村に戻れず、放浪の末にとある町で物乞いのようなマネをしていたところ、つい最近その時の若い男を見かけた。
男は、比べものにならないくらい豪奢な服装で馬車に乗り込むところだった。村長は追いかけようとしたが、路上生活で弱った脚はすぐに限界が訪れた。倒れ込みながら馬車を見れば、既に絶えたはずの名家の紋章が入っていた。
「それがテオ様だと?」
「は、はい……」
ジェラルディンはため息をついた。
「その話を誰から聞いたの?」
「その、隣村へ買い物に行ったときに、ウワサで……」
「あなたは、それが本当の話だと思うの?」
事件そのものは事実としても、それがテオ本人かどうかは定かではない。よく似た他人ということも考えられる。あの凡庸な顔立ちなら国中を探せば似た者が百人はいそうだ。
おそらくはテオへの嫉妬からくる流言飛語だろう。
ただの商人から一気に伯爵家の当主まで上り詰めたのだ。平民にとっては夢物語のような幸運だろう。やっかむ者も多いに違いない。
「い、いえ。ただ……」
「これは命令よ。二度と口外してはなりません」
つとめて言い聞かせるように言った。
「滅多なことを口にすれば、我が家の名誉にも関わります」
貴族は体面を重んじる。不確かな情報で貶めるなど以ての外である。
リアは消え入りそうな声で申し訳ございません、と頭を下げて厨房を後にした。
茶の用意が終わり、テオと父の待つ応接室へ向かう。廊下を歩きながら下らぬウワサに惑わされぬよう、後で家臣たちに通達しておこうと、心に決める。
テオを連れてきたのは父のブランドンだ。父の目に狂いはない。テオは間違いなく、プレスコット家の人間だ。詐欺師などではない。
本当に?
不意に誰かが耳元でささやいた気がした。足を止めて振り返ってみたが、ジェラルディン以外には誰の人影もなかった。
「バカバカしい」
己に言い聞かせるようにつぶやき、再び歩き出す。しこりのように膿んだ疑念は歩いていても咳払いをしても取れてはくれなかった。
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