第4話 ジェラルディンと不可解な縁談 下


 プレスコット伯爵家はドリスコル王国でも有数の名家だった。数々の戦で功績を挙げ、王都メリルクリーフの東側に領地を構えていた。


 現当主だったバーナードも武勇に優れた人格者で知られていた。貞淑な妻に息子が二人と娘一人をもうけ、領地の運営も順風満帆だった。


 家格も釣り合いが取れているし、父のブランドンとも友人だった。嫁ぎ先として挙がってもおかしくはない。


 だが、現実にはそのような話は進まなかったし、ジェラルディンも不思議に思わなかった。理由は簡単。プレスコット伯爵家は、既に滅びた家だからだ。


 十年ほど前、ドリスコル王国全土を嵐が襲った。すさまじい風と雨が土地や作物を押し流し、塵芥のように吹き飛ばした。プレスコット伯爵家の領地は特に深刻だった。領地には南北に大きな川が流れ、大雨による堤防の決壊は時間の問題だった。


 そのような困難の中、ハーバードは陣頭指揮を執り、領民の避難と救助に努めた。妻や子供たちも館に残り、父を支えた。それがまずかった。


 夜半過ぎに、大雨に流された土砂が堤防を決壊させた。領民の多くは高地に逃れて助かったものの、土石混じりの濁流は領内を呑み込み、館を押し流した。


 数日後、館の残骸の下からプレスコット伯爵家全員の遺体が見つかった。ほかに直系の一族はおらず、プレスコット家は断絶した。その後、領地や財産は遠縁の親類が四つだか五つだかに分割して相続した、とジェラルディンは記憶している。


 もし生き残っていれば長男は二十四になっていただろう。次男でも二十一か二のはずだ。年回りも悪くない。父のハーバードに似た子だったというから人格も能力も期待出来る。悪くない縁談だ。生きていれば、だが。


「私に死人しびとへ嫁げと?」

「話は最後まで聞かぬか」

 渋い顔で娘の性急をたしなめる。


「生き残りがいたのだ。ハーバードが王都で女を囲っていてな。それに子がいたのだ。いわゆる、妾腹しょうふくだな」

「ははあ」


 生返事をしながらジェラルディンは嫌な気分になった。仲睦まじい、円満夫婦だと記憶していたが、そうではなかったらしい。


「年の頃は二十三になるはずだ。お前とも年回りは合うだろう」


 年回りだけは、と心の中で付け加える。むしろ年齢を聞いて不快感が込み上げてきた。正妻の子である長男と、妾腹の子との年齢差が何を意味するかわからぬほど初心ではない。


 生々しい男の性欲を見せつけられたようで、ツバを吐きたくなる。無論、息子本人に罪のある話ではないが。


「しかし、何故今頃?」

 妾腹とはいえ、子がいるのならプレスコット家は断絶しなかったはずだ。この国では男子であれば、庶子しょしにも相続が認められている。それが何故今になって現れたのか。


「ハーバードは、妾と子供のことは家族にも秘密にしていたようでな。ワシもつい先日知ったばかりだ」


 ブランドンによれば、妾と息子の存在を知ったのは偶然だった。王都の古道具屋で見覚えのある飾り棚を見つけた。刻まれた紋章からプレスコット家の遺品とわかった。どうやら館の残骸から誰かが引っ張り出し、叩き売ったのが流れ着いたようだ。これも何かの縁かと買い求め、執務室に置くことにしたという。


「あれだ」

 と指さされると、部屋の隅に小さな棚が据え置かれてある。マホガニー製だろうか。両開きの扉には鷲獅子グリフォンの装飾が刻まれている。言われてみれば見た事がある、ような気がした。


「見てみろ」


 父は立ち上がると棚を開け、中の戸の金具を外し、時計回りに捻った。すると棚の下から入れ違いに引き出しが飛び出して来た。仕掛け棚かと身を乗り出して覗いてみたが、中は空だった。


「この中に、手紙が入っていてな。いわゆるその……妾への恋文というやつだ」


 わざわざ仕掛け棚まで作らせて、入れたのが浮気の手紙とは。先程から亡きハーバード・プレスコット伯爵への失望が止まらない。


「隠し子の存在を知ったワシは、その子を探し出すことにした。そしてつい先日、ようやく見つかったのだ」


 ここのところ外出が続いていたのはそのためだったのか、とジェラルディンは得心する。


「何故その母親? は名乗り出なかったのですか?」

「ハーバードの奴は、妾にも自分の素性を偽っていたらしくてな。死んで連絡が途絶えたのも捨てられたからだと思っていたらしい」


 ブランドンが説明を続ける。

 妾は幼い息子を抱えながらもハーバード伯爵からもらっていた金を元手に荷馬車を買い、遍歴商人として各地を回っていた。結婚はせず、一人で働き、子を育てた。


 だが王国内の飢饉で物価は高騰し、商売が苦しくなっていたところで母親は病に倒れ、そのまま世を去った。息子は己が伯爵家の血を引くとは知らずに受け継いだ荷馬車で商売を続けてきたという。


「わしは直接会って、これはハーバードの息子だと確信を持ったので、陛下に上申した」


 父の顔も知らず、商人として育ってきたのが急に伯爵家の落とし胤で告げられた。その青年の心中はどのようなものであっただろうか。ジェラルディンは少しだけ哀れみを覚える。


「陛下はかねてより建国以来の名家があのような形で潰えたのを残念がっておられた。改めてプレスコット伯爵家を継がせるよう下命されたのだ。しかし、貴族の育ちではないため礼儀も作法も知らぬ。そこらの華奢な令嬢では勤まらぬ。側にいて支えられる者でなくてはならぬのだ」


「領地はどうするのですか?」


 プレスコット家の領地は、既に親類連中に分割されている。土地は貴族にとっての命だ。いかに国王の命令といえど、ムリヤリ取り上げればその後の軋轢あつれきは免れない。


「当面は宮中伯という扱いになる」


 ドリスコル王国では、王宮にて政務に関わる伯爵を意味する。担当する政務において国王陛下を補佐し、時には諫言かんげんすら許されている。


 反面、領地の所有を許されていない。権力の集中を防ぐためとされているが、実質は分け与える領地がないためだ。事実上の名誉職である。


「『切り花』ですか」


 領地を持たない貴族の別称である。切り花は根を張ることがない。つまり土地に根付かない=領地がないという皮肉である。蔑称といってもいい。


 ドリスコル王国には、領地を持てない貴族がわんさといる。いかに爵位が高くとも、領地を持たない貴族は一段低く見られていた。宮中伯も例外ではない。


「そう言うな」

 不服が顔に出ていたのだろう。父の言葉には機嫌を取るような響きがあった。


「元の領地も相続やら褒美やらで持ち主が増えて収拾が付かぬのだ。十七家全部から取り上げるわけにもいくまい」


 そろいもそろってプレスコット家の領地をむしり取ったようだ。まさにいなごだな、とジェラルディンは独りごちる。


「それに家臣もいない以上、領地を与えられたとしても統治はできまい」


 いずれ折を見て国王陛下の直轄地を下賜かしされるという。

 屋敷は王都に与えられるので、当分はそちらに住むことになる。


「商家の出だけあって算術が得意らしくてな。今後はヘーゼルダイン卿の元で働いてもらうことになる」


 ヘーゼルダイン侯爵は王国に三人いる大臣の一人であり、内政を預かっている。


「言っておくが此度の縁談はすでに決めた事だ。陛下より許しも得ている。ワシの口から言うのもなんだが、傑物だぞ。今は不服かも知れぬが、いずれお前にも真の価値がわかる時が来る。ある意味、王族と結婚するより難しいと……」

「まだ肝心なことを伺っておりません」


 ジェラルディンは途中で遮った。言い慣れない仲人口を言う父の姿など見たくもなかった。


「その方のお名前は?」

「ああ、そうであったな」

 ふと我に返った様子で父がせき払いをする。


「テオ、という。テオ・プレスコットだ。婚姻は来月だが、その前に顔合わせでこの館に来る手はずになっている」


 めまいがしそうになった。貴族の婚姻は普通、準備に年単位を要する。来月では、花嫁衣装の仕立てすら間に合わないではないか。


 父の短気と、相談なしに事を進める性格は知っている。が、そのせいでいらぬ苦労をさせられるとなれば、顔をしかめたくもなる。


 とはいえ、今更諫言かんげんしたところで直るまい。ジェラルディンはあきらめて前向きに考える。母が嫁いできた時の衣装がまだ残っているから、それを手直しさせればいいだろう。招待客も最低限に抑える。


 マクファーレン家の親類は少ないし、プレスコット家に至っては呼ぶ必要もあるまい。簒奪さんだつした領地を返すというのなら考えてもいいが。


「それで、顔見せはいつ頃ですか?」

「明日だな」


 やはり父とは一度話し合わねばならないようだ。



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