第3話 ジェラルディンと不可解な縁談 上

 マクファーレン伯爵家の館は小高い丘陵にある。ジェラルディンは、なだらかに曲がりくねった道を父に続いて登っていく。突き刺すような西日に目を細めながら振り返れば眼下には緑の平原が広がり、青い麦畑が点在している。


 ドリスコル王国屈指の穀倉地帯であり、秋には王国の半分の民が満たされるはずだった。街道沿いの村には幾筋もの煙が上がっている。夕餉の時間なのだろう。平穏な景色がジェラルディンは好きだった。


 それにしても、と思考は自然と自身の嫁ぎ先に向かう。ジェラルディンは今年で十九歳。貴族としてはやや適齢期を過ぎている。


 母譲りの容姿を持ち、伯爵家の娘ということもあり、数年前まではたくさんの縁談が持ち込まれていた。それが全て流れたのは、マクファーレン家の事情のためだ。


 ドリスコル王国は、大陸の南東部にある小国である。東と南が海に面しており、北から東には、大小あわせて七つの峻厳な山が連なっている。


 建国以来、武勇の誉れ高き騎士の国として栄えてきた。マクファーレン家はその中でも特に名の知れた武門の家柄である。歴代当主は王国の剣となり盾となり、王国と王家、そして民を支えてきた。その跡継ぎに問題を抱えていた。


 ジェラルディンの兄・マイルズは幼い頃から病弱だった。生まれた時から何度も生死の境をさまよい、医者からは十歳まで生きられないと宣告されていた。


 母はジェラルディンが五歳の時に病でこの世を去り、父も後妻を迎えようとはしていない。兄が病弱で短命となれば、残るはジェラルディンのみ。王国では女性の襲爵しゅうしゃくは認められていないため、婿を迎えなくてはならなかった。


 当主の代理が勤まるようにと、父はジェラルディンに跡継ぎとしての教育施した。礼儀作法は言うに及ばず、貴族としての心得や武術、馬術、軍事は元より家政、領地経営と、貴族令嬢と次期伯爵、二人分の教育を受けた。


 国内外から縁談が山ほど持ち込まれたのはその頃である。中には王族や公爵家からの縁談もあったというが、父は全てはねのけた。病弱であろうと、跡継ぎである息子が生きている間はその手の話を進めたくなかったのだろう。


 マイルズはその後も寝たきりで、一時は今生の別れかと手を取って家族家臣総出で涙した。ところが『病魔の愛人、死神の天敵』のことわざにあるように、何度も死に瀕しながらもどうにか持ち直し、二十歳を過ぎた頃に近隣の子爵家から嫁を迎え、昨年子供も生まれた。男の子である。


 跡継ぎ問題はどうにか解決し、適齢期を過ぎた娘が残された。


 それでも父からは今まで結婚にうるさく言われた覚えはない。母親似の娘を手放したくなかったのだろう、とは世間のウワサだがそうではあるまいとジェラルディンは思っている。おそらく忘れていたのだ。昨今は問題続きでそれどころではなかったはずだ。


 ここ数年、王国全土では飢饉に悩まされていた。麦は枯れ、土地は荒れ果て、わずかに残った作物はいなごの大群に食い荒らされた。農民の多くが食いつなぐために草や木の皮を煮て食べ、子供を人買いに売った。


 国王・エルドレッド二世は国庫の食糧を解放して民に配ったが、焼け石に水だった。追い打ちをかけたのが戦争である。


 伯爵家の領地はドリスコル王国の西側にあり、山を二つ越えれば隣国のハイド王国である。ハイド王国とは長年、境界をめぐる確執を抱えていた。それが爆発したのは、二年前だ。ドリスコル王国の飢饉を好機と見たのだろう。


 国境を越えて約八千の兵が進軍してきた。迎え撃ったのは、マクファーレン家を中心とする近隣の貴族である。山頂付近に布陣したハイド王国軍と、何度か小競り合いを繰り返しながらも二ヶ月に及ぶにらみ合いの末、撃退することができた。


 戦いにはジェラルディンも兄の名代みょうだいで参加し、敵の騎士を討ち取っている。


 防衛には成功したが、得るものはほとんどなかった。爪の垢にも満たないような賠償金と、領土の境界を認めるという約定だけである。逆


 に侵攻してはどうかという意見も出たが、そんな余力はなかった。そもそもハイド王国自体、荒廃を迎えていた。飢饉やいなごは隣国でも発生しており、各地で内乱や農民の蜂起も起こっていた。


 今回の戦争も一か八かの大博打だったのだろう。仮にハイド王国を侵略したところで、統治どころか戦費すら回収できそうになかった。互いに貴重な資源と時間と人命を浪費しただけに終わった。ドリスコル王国はますます困窮した。


 マクファーレン伯爵領では備蓄用の食糧を解放した。加えていなごの天敵となるオニガラスを放ったり、いなごの嫌がるフタクビザメの油を麦畑に撒いたりと、いち早く蝗対策を打ち出したため、被害も抑えられてはいる。


 領内ではまだ餓死者を出してはいないが、それも時間の問題だった。国王直々に他領への食糧輸送を命じられており、それを出してしまえば領地の民に食わせるものがなくなってしまう。


 そんな時期に降って湧いた縁談である。父はどういうつもりなのだろうか。ジェラルディンは首を傾げざるを得ない。


 侯爵家や伯爵家など、家格の釣り合う相手は既に相手が決まっている。残るのは格の落ちる家ばかりだ。わざわざ大変な時期に急いで婚姻を結ぶ必要があるとは思えない。いくつかの名前を出して父に尋ねてみても「館に戻ってから話す」の一点張りである。気の短い父には珍しい態度だった。


 考えられるとしたら、人身御供だ。どこか他国の貴族、あるいは豪商に嫁がされるのだろう。貴族の婚姻である以上、政治的あるいは金銭的な損得勘定は避けられない。マクファーレン伯爵の娘として、覚悟はしてきた。


 友人のモリーは子爵家の娘だったが、借金返済のため十歳も年上の商人に嫁がされた。自分の嫁ぎ先もそれに近いのだろう。断るつもりはなかった。貴族である以上、義務と責任がある。今更、顔や年齢や家柄は問わない。ただ、せめて人生を任せるに足る男であって欲しかった。


 館に戻ると、まず着替えに向かった。鎧や楔帷子を脱ぎ、浴室で水浴びをして血の臭いを落とすと、薄茶色のロングドレスに着替える。本当は湯に浸かりたかったが、父を長く待たせるわけにもいかない。髪の毛も首の後ろでくくっただけだ。


 父の執務室に入ると、焦茶色の椅子に腰掛けながら苛立った様子で腕組みをしていた。


「やっと来たか」


 女の身支度は長いから困る。しかめた眉が雄弁に物語っているが、ジェラルディンにも言い分はある。まさか血の臭いをさせながら縁談でもあるまい。


 向かいの席に座り、居住まいを正す。どのような嫁ぎ先であろうと腹はくくった、つもりだった。


「先程も言ったが、お前の嫁ぎ先が決まった」


 拒否も反論も許さない口調は、裁判の判決文のようにも聞こえた。自然と喉が鳴った。


「結婚の相手は、プレスコット伯爵家の嫡男だ」

「ほ?」

 予想外の名前に間の抜けた声が出た。

 

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