第2話 銀翼姫と盗賊たち 下


 途中、壁に立てかけてあった熊手ピッチフォークに手を伸ばす。


 盗賊の馬は既に村を出て、街道に入っていた。

 緑萌える草原を分かつように白い道が山向こうへと伸びていく。山に入られたら探すのは難しい。昼下がりの日差しを浴びながら追跡する。


 アンドリュースはあっという間に盗賊の馬との距離を縮めていく。連中が奪ったのはいわゆる農耕馬である。体力はあるが短足で、速度は出ない。


 盗賊どもは苛立った様子で何度も鞭をくれるが、戦馬として鍛えてあるアンドリュースから逃げ切れるわけもなく、すでに二頭分まで迫っている。


 若い方の盗賊が苛立った様子で抱えていた幼子を放り投げた。この速度で落馬などしたらまず助からない。気を取られた隙に逃げ切る算段か。


 ふざけるな、と心の中で悪態をつくとアンドリュースの速度を落としながら体を傾ける。


 宙に投げ出された幼子の顔は迷子のように途方に暮れていた。手足を空へ伸ばしながら背中から地面に落下していく。道に転がっていた石に打ち付けられる寸前、ジェラルディンの伸ばした腕がその腕をつかみ、強引に胸元へと引っ張り上げた。


 若い盗賊の顔が驚愕で固まる。その顔を追い抜きざまに熊手ピッチフォークで殴りつけた。後方で叩き付けられる音がした。一度だけ振り返ると、首があらぬ方向に曲がっていた。


「つかまっていろ」


 胸の中に抱き寄せると、首魁を追いかける。一度は差が付いたが馬の地力が違う。追いつくのは時間の問題だ。


 逃げ切れないと判断したのだろう。盗賊の首魁は、坂道の中程で速度を落とし、ゆっくりと馬の向きを変える。額の汗を拭い落とすと、地面に向かって唾を吐き、剣を抜いて雄叫びを上げる。土埃を巻き上げ、盗賊を乗せた馬が突進してくる。


 受けて立つまで、と背を叩くとアンドリュースがさらに加速する。視界が狭まっていく。同時に感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。


 風を纏うような、馬蹄の音すら置いてきぼりにするようなこの感覚がジェラルディンは好きだった。熊手ピッチフォークの柄を脇に抱え、馬上槍ランスの要領で突っ込む。四本の歯が鈍く輝く。


 二頭の馬がすれ違う。駆け抜けた瞬間、ジェラルディンの手には何もなかった。坂道の手前でアンドリュースを止める。振り返ると栗毛の馬が街道を駆け抜けていくのが見えた。


 大きく息を吐くと元来た道を戻る。街道沿いの草むらには盗賊が仰向けに倒れていた。胸に突き刺さった熊手ピッチフォークが風に揺れ、青い翅の蜻蛉が柄の先に止まっていた。


「もう大丈夫だぞ」

 ずっと胸に抱いていた幼子の顔を見た。この時初めて女の子だと気づいた。


 村に戻り、母親に幼子を引き渡す。拝み倒さんばかりに何度も礼を言われたが、ジェラルディンは素直に喜べなかった。その向こうでは、馬上で父のブランドンが不機嫌そうに待っていた。


、終わりました」


 ジェラルディンは気まずさを感じながらそれだけを言った。若い頃には諸国を放浪して修行に明け暮れ、敵軍からオーガとも悪魔テーモンとも恐れられる父の顔を見れば、それしか言えなかった。


 父は何も言わなかった。その分、怒りの大きさを感じた。これは久々に大きいのが来るな、と密かに奥歯を食いしばる。


 だがブランドンは盛大なため息をつくと、不機嫌そうに馬を反転させた。


「館に戻るぞ」

 背中越しにそれだけを言った。

「後始末はオスニエルに任せろ」


 オスニエルは父の腹心である。見れば、既に騎士達が死体の片付けと、負傷した村人たちの手当てをしている。いずれも戦いに慣れた勇士たちである。何の心配もなかった。


 ジェラルディンは改めて村の中を見渡し、麦畑の向こう側が透けて見えるのに気づいた。例年であれば、村中が青々とした穂で満たされていた。山から吹き下ろす風にたなびきながら命の息吹で村を染め上げているはずだった。それが今では斑模様のように土色が混ざっている。


 かろうじて実を付けた麦も老人のように腰を曲げている。村人たちの顔も記憶よりもやせ細っていることに気づいた。盗賊の襲撃より前からこの村は災禍に見舞われていたのだ。


「災難だったな」


 ジェラルディンは顔見知りの村長に声を掛け、手持ちの金を革袋ごと渡した。


「足しにしてくれ」


 盗賊や不作の被害を埋めるにはまるで足りないが、そうせずにはいられなかった。

 村長が膝を付いて深々と頭を下げる。


 もう少し何か言いたかったが、言葉が出なかった。


「早くしろ」

 父に急かされて後を追う。


 雷が落ちなかったのを訝しみながらアンドリュースの鼻先をブランドンの乗る葦毛に並べる。娘を一瞥しただけで無言のままだ。短気な性分でいつもなら所構わず怒鳴りつけるはずなのに、今日はやけに静かだった。


 何事か、とジェラルディンがあれこれ理由を考えていたら、とんでもない不意打ちが待っていた。


「お前の嫁ぎ先が決まった」

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