蛮族姫と金貨百万枚の詐欺師伯爵

白金透

第一章 『銀翼姫』の結婚

第1話 銀翼姫と盗賊たち 上


 最後の一人を切り伏せた時、ジェラルディンは聞き覚えのある馬蹄の音を聞いた。嫌な予感とともに振り返ると、村の中へ数頭の馬が駆けてくるのが見えた。


 先頭にいるのは、武骨な風体の貴族である。なでつけた金髪に口元を覆った髭を風にたなびかせ、太い眉に落ちくぼんだ目は熊のようである。ブランドン・マクファーレン伯爵。ジェラルディンの父である。


「これは、なんたることだ」


 馬を止めると怪訝な目付きで周囲を見回す。矢の刺さった村長の家に、扉の壊された倉庫、藁葺きの屋根にはまだ煙がくすぶっている。そこら中に転がる血塗れの死体は、村人のものではない。いずれも剣による傷が付いている。


 そしてジェラルディンの手には血の滴る剣。おまけに鎖帷子に銀色の胸当てに手甲すね当てを身に付け、面頬つきの兜まで被っているのだ。誤魔化しようがないと悟りつつもジェラルディンは自然と剣を背に隠してしまう。


「何故、お前がここにいる」


 父の問いかけに、観念して兜を脱いだ。長い銀髪が風にたなびく。青緑石アレキサンドライトのような瞳に、紅を塗ったような薄い唇、整った鼻筋。亡き母譲りの美貌も父親相手では意味をなさない。


「盗賊です」

 絞り出すようにそれだけを言った。


「グルベンキアン領から流れ着いたようです。おそらく食い詰めた傭兵のなれの果てかと」

 欠けた剣に手製の槍、戦斧に合成弓、数は少ないが石弩まで用意していた。戦いにも慣れていたし、飢えた農民ではあり得ない。


「お前には留守を任せたはずだ」

「館に救援の要請が入りましたので」


 館からこのハリス村までは馬でも半日はかかるが、愛馬のアンドリュースならその半分で到着出来る。


「レジナルドを付けていたはずだぞ」

「あれももう年ですから」


 マクファーレン家の忠臣であり勇猛果敢で知られた騎士だが、既に六十に手が届こうかという高齢である。それにここ数日胸を悪くしている。戦闘になど耐えられまい。ほかの騎士はまだ見習いか、戦いも未経験である。連れてきたところで役に立つかは疑問だった。何より、アンドリュースの脚に付いてこられる馬はあの時、館にはいなかった。


「何かあればどうするつもりだ」

「兄上がおります」


 五つ上の兄は妻子ともども館に待機していただいている。ジェラルディンが武運つたなくして命果てたとしてもマクファーレン伯爵家の血は途絶えない。


「馬鹿を申すな!」

 暴風のような怒号に身をすくめる。耳鳴りがした。普段は口数も少ないが、戦場となれば山を二つ越えるほどの大音声を響かせた。その声で敵味方ともども周囲の者の鼓膜を破ったとの逸話すらある。


「とにかく、もう終わりましたので、ご心配には……」


 こうなれば抵抗する術がないのは今までの経験で嫌と言うほど身に染みている。どうにか逃げを打とうとした時、視界の端に屋根の上にいる男をとらえた。頭から血を流しつつも好機とばかりに矢をつがえている。


 まだ生き残りがいたか。


 ジェラルディンはとっさに剣を持ち替え、愛剣を放り投げた。無銘ではあるが、切れ味の良さと頑丈さを気に入っていた。今度も期待を裏切ることなく、盗賊の胸に深々と突き刺さった。血反吐を吐き、仰向けに屋根から転げ落ちていく。


 庇を壊しながら地面に叩き付けられ、血だまりを広げる。入れ違いに、風切り音とともに銀色の矢が別の方向から飛んできた。ジェラルディンは横に飛び退き、転がりながら飛んできた方角を確かめる。樹の上だ。


 目を凝らせば生い茂った木々の間から弓を持った男がいる。男は思い切りよく樹の上から転がり落ちると、一目散に逃げ出す。逃げを打つことにしたようだ。


 ジェラルディンは愛剣の代わりに落ちていた剣を拾う。追いかける途中で、物陰から三人の盗賊が合流するのが見えた。生き残りは合計四人か。うち一人は小脇に五、六歳くらいの幼子を抱えている。母親らしき女が悲鳴を上げて駆け出すが、数人の村人に取り押さえられる。


 多くの村人がそうであるように、薄汚れた貫頭衣を着た、やせぎすの子だ。身代金ではないだろう。行きがけの駄賃とばかりに、奴隷として売り飛ばすつもりか。


 向かっているのは村の出入り口ではなかった。馬小屋の方だ。

 それならば、とジェラルディンは盗賊の背中を追うのを止め、角を曲がった。馬小屋ならこちらの方が近い。この村にはよくアンドリュースとともに遠乗りに来ていた。土地鑑ならこちらに分がある。


 真正面に、石を積んだ塀がそびえる。高さはジェラルディンの胸ほどまである。肺に息を溜め、加速する。塀を蹴り上げて跳躍し、塀の縁に足を掛けると一気に踏み切り、屋根の上に飛び乗った。


 板張りの屋根を駆け上がり、頂点まで来ると滑るようにして駆け下りる。加速して狭まった視界の端に、馬小屋へ近付いていく盗賊の姿が移った。


 気合いとともに屋根の縁を蹴り、高々と舞い上がる。眼下に驚愕する盗賊を捉えながら手にした剣を一気に振り下ろした。


 首筋から脇腹に掛けて深々と切り裂かれ、先頭を走っていた盗賊が血しぶきを上げて倒れた。


 飛び降りた拍子に艶やかな銀色の髪が風に舞う。銀髪をなびかせる外見に、鼻の下を伸ばした男どもから『銀翼姫』などと呼ばれたこともある。


 だが、血しぶきを浴びながら戦う姿に、男たちは青い顔をしながら『蛮族姫』などと陰口を叩く。


 どちらの呼び名もジェラルディンは好きではない。前者は自分に不釣り合いだし、後者は不適当だ。マクファーレン家は、建国より仕えてきた家系の一つである。蛮族などでは断じてない。


 ドリスコル王国、特に貴族社会では髪を伸ばすのが美しい女性とされている。ジェラルディンが伸ばしているのは慣習のためだ。とはいえ手入れも大変だし、戦いでは視界を塞がれるしつかまれる可能性もある。


 本当ならばっさり短くしたいのだが父と兄と義姉に反対され、今もその願いは叶わない。戦いの時は髪を纏めて、兜に納めるようにしているのだが、盗賊との乱戦でいつの間にかほどけてしまった。


「バケモノ女め!」


 盗賊の一人が口汚く罵りながら剣を抜く。同時に年かさの男がジェラルディンの脇を駆け抜けていった。食い止めたかったが、目の前の男に斬りかかられて足止めされてしまう。どうやら逃げた方が首魁のようだ。ならば見逃すわけにはいかない。


「ジャマだ!」


 数度切り結ぶ。存外にしぶとい。膂力はともかく、受けた瞬間に剣筋をそらそうとする技巧は、傭兵にしては洗練されている。騎士崩れなのかもしれない。


 稽古の場であれば、褒め言葉の一つも掛けてやるべきだろうが、ジェラルディンは嫌悪感しか抱けなかった。剣は鏡。剣術には性根が表れる。腕前はともかく、性格は残虐非道。無辜の民を手に掛けたことも一度や二度ではなさそうだ。


「虫唾が走る」

「うるせえ!」


 ジェラルディンのつぶやきに激高したらしい。喚き声と同時に盗賊が力任せに振り下ろしてきた。ジェラルディンは力負けした振りをしてわざとよろめく。好機と見たか、盗賊は思い切り踏み込むと腕力に任せて振り下ろしてきた。かかった。


 ジェラルディンは腰から短剣を抜き、身を低くしながら突進する。盗賊の足下に抱きつき、そのまま引きずり倒す。鈍い音がした。頭でも打ったのだろう。意識が朦朧とした様子の盗賊に飛び乗り、首筋を切り裂いた。


 生温い血しぶきを鬱陶しく払いながら振り返ると、いななきをあげて二頭の馬が馬小屋から駆け出してきた。うち一人はまだ幼子を抱えている。もう一人、父のブランドンと変わらぬ年頃の男がすれ違いざまに笑った。その顔には、逃げ切れたという安堵とジェラルディンへの侮蔑がこもっていた。


 逃がすものか。


 心の中で叫ぶと、ジェラルディンは刃こぼれのする剣を投げ捨て、走りながら口笛を吹いた。数瞬後、建物の陰から雄々しい白馬が現れる。愛馬のアンドリュースだ。黒々とした瞳を輝かせて横に並ぶ。ジェラルディンが飛び乗り、鐙に足を掛けると、速度を上げた。


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