第十一話 流るる時を火光とともに④

『ミチル、ドコ見ルでス?』

「そうですね……」


 ガイトさんにそう問われて、私は改めて辺りを見回した。暗闇のカーテンの向こうには、相変わらず様々な景色が流れている。右から左へ、あらゆる場所の今が映されているのだろう。


「ガイトさんは、何を見たいですか?」

『ン~? ワァシでスか?』


 私の問いに、ガイトさんは不思議そうに首を傾げた。それにあわせて尻尾もくねっと動く。


『ワァシはミチルが楽しムようナらモォ~どゥでもイインデすヨ~! ソれデ、ミチルガ見タイモノを見マしょう! サっそク!』

「ふふ、そうですか。……そうだ、ガイトさんは普段ここから何を見てるんですか?」

『フだン……ソ~でスね。ワァシは建物ノ多いトコを見テますネ。人間のイロんナ話を聞いてマす!』

「建物、ですか?」

『ハイ! 人間の話デすネ。ワァシたちの知ラナイコトもたくサんアりマすヨ!』

「なるほど……」


 ガイトさんの話に頷きながら、私はふと疑問を覚えた。それをそのまま口にする。


「……あの、話ってどこから聞くんですか? 音声は聞こえない気が……」


 景色は見えるけれど、私の耳には音は何も聞こえてこない。話を聞くには、何か別の方法があるのだろうか。


『エ? 聞こエねぇデス? 話、聞こえテマすヨ?』

「えっ、そうなんですか?」

『ハい。ア、今“オやすミ~”っテ聞コえまシタ!』

「え……っ?」


 ガイトさんの言葉に、私は耳を澄ませた。けれど、それらしい音は聞こえない。


『ウ~ん? フゥは聞コえル? ソですヨね』


 ガイトさんはフゥにもそう尋ねたけれど、フゥにも聞こえているようだった。……となると、私だけが聞き取れないということになる。


「……私だけ、聞こえないみたいです……」

『そウなんデスか……』


 ガイトさんはそう呟くと、腕を組んで何かを考えるように黙り込んだ。でもすぐに、腕を解いて明るく声を発した。


『マぁ、イいデショ! 出来ナいコトあっテモ大丈夫デ~す!』


 腕で丸を形作りながら、ガイトさんはそう言ってくれた。……気を遣わせてしまっただろうか。でもそれならそれで、あまり気にしすぎてもダメだ。今はこの環境を、素直に楽しませてもらおう。


「ふふ、ありがとうございます。……音は聞こえなくても、景色は楽しめますからね」

『デすネ! 話は、ワァシがミチルニ言いマす! わかラなイことハ聞イてもイいデすか?』

「はい、もちろんです」


 ガイトさんの言葉に私はそううなづき返す。するとガイトさんは頭の内部の炎を明るくさせて、『アりがトゥごザいまス~!』と嬉しそうに笑った。


『サっそク、見マしょウ!』


 ガイトさんの言葉に私は頷いて、改めて景色に目を向ける。今流れているのは、どこかの海岸の景色だ。押しては返す波の音が、耳ではなく脳に直接響いてくる。


「ふふ……」

『ミチル? ドウしまシた?』

「あ……いえ、すみません。音なんて聞こえないはずなのに、なんだか波の音が聞こえてくるような気がしまして」

『ナミの音……ソレっテ、“ザ~”ってヤツでスか?』

「えぇ。……不思議ですね」


 私はそう笑って、再び景色に視線を向ける。するとガイトさんも私と同じ方向に頭を向けた。そしてしばらく黙り込み、波の音に聞き入っているようだった。


『……ザ~ン……』

「……波の音、聞こえますか?」

『ハイ! “サっパ~ン、さッパ~ん”ッテ』


 腕の二本を軽く振りながら、ガイトさんは楽しそうにそう言った。“さッパ~ん”って……なんだか可愛い。


「ふふ……」

『ふフ、ミチル。楽シ~デすか?』

「はい。とても」

『ソっカ~! 良かっタでス!』


 そう言ってガイトさんは、四本の腕を前後に振った。蛇のような尻尾も楽しげに揺れている。

 ……ガイトさんが喜ぶと、なんだか私も嬉しくなる。不思議なものだ。


『あ、ソ~だ! ミチル……アれ、何デショう』

「え? どれですか?」

『あレ、アレデす。アれ!』


 ガイトさんはそう言って、ある方向を指差した。私はその指の先を追っていく。……するとそこには、塔のような建物があった。その最上部からは水平に光の筒が伸びていて、ゆっくりと回転している。


「あれは、灯台ですね」

『“トウダイ”?』

「はい。海を走る船……つまり明かりが必要な場所に、ああやって光で合図を出しているんです。夜でも船を安全に導くために」

『ホぅ……。ツマリ、人間ノ役に立つっテコトデすネ』

「えぇ」


 ガイトさんの言葉に私は頷く。明かりがあることで、人間は安全に海を渡れるのだ。暗い夜に、明かりは欠かせない。……そう言えば、ガイトさんは昼間はどうしているのだろうか。


「……ガイトさん」

『ハイ?』

「昼間……えっと、太陽が出ている間は、どう過ごしているんですか?」

『ん~?“タイヨウ”っテ、強い光ノやツでス? アれハ苦手デすネ』

「そうなんですか?」

『ハイ。前ニ月がナいと言ッたデすガ、コノ世界にハ太陽もネ~んでス。ダから、アンま強イ光だトマブシくテ……』


 そう言ってガイトさんは、頭の内部の炎を弱めた。……なるほど。月も太陽も無い世界……明かりの無い世界にいるガイトさんにとって、太陽の光は強く感じるのか。


『ココから太陽ノ見エる時間ハ、拠点にイまス。ソレで、太陽が見えナくナッたら散歩に出テ、ココに来タりスる』

「あ、そうなんですか」

『ハイ。イツも同じデす。拠点デは面白いコトがねェのデ、夜ニなるノが楽しミナんデス!』

「ふふ、なるほど」


 ガイトさんの説明に私は笑って頷いた。確かに、何か楽しいことが無ければ退屈かもしれない。……それにしても、ガイトさんは本当に好奇心旺盛おうせいだ。


『ア、拠点デ過ごスのモ大事でスよ? 休ンだリ、壊れタとコをナおしタり。デも、ヤっぱりココに来ルのがイチバンでス!』

「そうなんですね。……ふふふ」


 ガイトさんの言葉に、私は思わず笑みを溢してしまった。……やっぱり子どもみたいだ。可愛いな、なんて思いながら、私はそっと笑いをこらえた。


『何デすカ? ミチル』

「あっいえ、すみません……ふふ」


『ソんナに笑わナイでくだサ~イ!』と少し不満そうなガイトさんに、私はさらに笑ってしまうのだった。



 それからしばらく景色や会話を楽しんで、気付けば夜の九時半。私はガイトさんに「そろそろ」と切り出した。


『オわァ! ワァシ、時間ノコト忘れてマした! スんまセん!』

「いえ、私も楽しかったです。ありがとうございました」

『ソれはコっちのセリフでスよ~! 楽シカッタデ~ス! アリガト~ゴザぃマシタ!』


 そう言ってガイトさんは、また四本の腕を大きく振ってくれた。私もそれにならって手を振る。するとフゥも、ガイトさんと私の周りをくるくると楽しげに飛び回った。


「それでは、また次の新月に」

『ハぁイ! フゥに迎エに行かセまス! 待ッてマすネ~!』

「はい。ではまた」


 私はそう返して、暗闇のカーテンの向こう──出口へ足を向けた。そして、名残惜しく思いながらも一歩踏み出したのだった。



「……ん」


 次に瞼を開いた時、私はどこかの建物の床に横になっていた。身体を起こして辺りを見回す。正面と後ろには手すりのある壁。そしてガラス張りの窓。立ち上がってその窓から外をのぞいてみて、この場所が私の勤める病院の渡り廊下であることがわかった。


たまき、先生……?」

「あ、はい」


 不意に声をかけられてそちらを見ると、一人の看護師が立っていた。


「先生、今日は当直じゃないですよね? どうされたんですか?」

「あぁいや、ちょっと忘れ物を取りに……」


 本当のことを話したところで、きっと信じてはもらえないだろう。私はそう言って曖昧あいまいに言葉を濁した。すると看護師さんは「あぁ」と納得したように頷いた。


「珍しいですね、環先生が忘れ物だなんて」

「えぇ、まぁ……。では、私はこれで」

「あ、はい! お気を付けて!」


 看護師さんの言葉に軽く会釈を返して、私はその場を後にした。



 病院から出て自分の車まで戻り、一息つく。……まさか病院内に戻ってくるなんて。行きと帰りはなんとなく同じ場所だと思っていたけれど、少しズレがあるのだろうか。仕組みが全くわからない。……まぁ、別の世界に行くなんていう超常現象を体験しているんだから、もうこれ以上あれこれ考えても仕方ないのだけれど。


「……まぁ、いいか」


 私はそう一人呟くと、車に乗り込んだ。分からないことはまだまだ多いけれど、ゆっくり知っていけばいい。それに、私は新しいことを学ぶのは好きだ。知らないことを知る喜びというのは、中々に面白いものだと思うから。

 今日は、ガイトさんたちに会って、同じ時間を過ごせて、私はとても楽しかった。また次の新月まで、あと四週間ほどある。それまでに、知りたいこと、やってみたいことをたくさん考えておこう。


「ふふ……楽しみだな」


 私はそう独り言をこぼすと、ゆっくりと車を発進させたのだった。

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