第三朔月
第八話 流るる時を火光とともに①
ガイトさんとまた会う約束をした日から、私は少しだけ体調が良い。毎日というわけではないけど、睡眠も食事もしっかりとれているからか、頭も身体も軽い気がする。
何か心当たりがあるか、と聞かれれば、ひとつある。それは、アロマキャンドルを焚くようになったことだ。休みの日に出掛けた先で偶然見つけた雑貨屋さん。そこで見つけたアロマキャンドルは、グラス部分に蝶の図柄が彫られていたのだ。
それがなんだかフゥに似ている気がして、炎の灯りに惹かれていたのもあって、思わず買ってしまったのだった。我ながら単純だな、なんて思ったりもしたけど……。
そんなこんなで、寝る前にそのキャンドルを焚いて香りを楽しむのが、私の新しい習慣になった。揺れる炎とアロマの香り。そのふたつが、私を心地よい眠りへと誘うのだ。
それに加えて、キャンドルの炎を見ているとガイトさんを思い出す。あたたかくて、優しい炎。……はやく、新月にならないかな。
◇
そうして迎えた、新月の日。
珍しく病棟も落ち着いていて、私は定時で上がることが出来た。ガイトさんかフゥがこちらに来ていないか、ちょっと期待しながら駐車場を歩く。フゥと初めて出会った植え込みの側。ゴミ置き小屋と街路樹の間。少し足を延ばして、患者さん用の駐車場にも行ってみた。でも、どこにもガイトさんたちの姿はない。
「やっぱり今日は来れないのかな……」
私はそう呟いて、駐車場を後にした。なんとなくがっかりした気持ちを抱えて、とぼとぼ歩く。
狭間に変化が起こるのは新月の日だと予想したけれど、それは外れだったのだろうか。……いや、でもまだ分からない。ガイトさんたちにも何か都合があるのかもしれないし。前の時と同じくらいの時間まで、待ってみよう。
そう考え直し、私は自分の車まで歩き出した。
◇
車に戻った私は、スマホをいじりながら時間が経つのを待つ。
そういえば、あちらの世界では時間の流れはどうなっているのだろう。そんなに気にしていなかったけど、あちらとこちらでは時間の進み方が違っていたりするのだろうか。それこそ昔話の竜宮城のように。……いや、そうだったら私に変化があるはず。でも、そんな変化は無いから大丈夫なはずだけど……。そもそも時間の進み方が違っていたら、こうして約束しても意味が無いんじゃ……?
そんなことをぐるぐると考えていると、いつの間にか時間が経っていた。前の新月の日の、私の退勤時間がこのくらいだったと思う。
スマホの時計から、運転席側の窓の外に目をやる。……やっぱり、特に変わった様子は見られない。
「今日は来ないのかな……」
思わずそう
「フゥ……!」
私は嬉しさのあまり、思わずそう叫んでいた。はやく会いたくて、でもフゥにぶつけないように、そっとドアを開けて外に出る。するとフゥは私の前に飛んできて、その場でホバリングした。
「フゥ、来てくれたんだね」
私が声を掛けると、フゥは嬉しそうにその場でくるりと一回転した。
「ガイトさんは、一緒じゃないの?」
そう聞くと、フゥは私の前から移動し始めた。そしてそのまま車の向こう側に回り込むと、その場でホバリングした。……どこか別の所にいるのかな。そう思い、フゥに着いて行くことにする。
持っていたスマホをカバンに仕舞おうとして、ふと手が止まる。……そうだ、これがあれば時間が分かるかも。もし、あちらの世界とこちらの世界の時間の流れが同じなら役に立つし、そうでなくても違いは分かる。……いや、でも壊れたらどうしよう。……あ、時間だけなら腕時計でも良いかも。
そんなことを考えて、私はスマホをカバンに仕舞い直し、腕時計を取り出して着けた。そして車から出て、フゥの後を追う。
フゥは駐車場をゆっくりと飛びながら、私を案内してくれているようだ。車と車の間を低く飛ぶフゥは、時々辺りを
しばらく歩いたところで、前を行くフゥが建物の陰で止まった。私もそこで足を止める。改めて辺りを見回すと、そこは本館と二号館を繋ぐ渡り廊下の下だった。街灯の明かりもここまでは届かず、辺りはとても薄暗い。そんな中でも、フゥの炎はあたたかく辺りを照らしている。
「ここ……?」
目を
「……ガイトさん?」
私は反射的にその名を呼んでいた。するとそれに応えるように、フゥの陰から大きな影がぬうっと現れた。ガス灯のような頭に、四本の腕。そして蛇のような胴体。
『ミチル~! また会えマしタ~!』
そう言って私に抱き着いてきたのは他でもない、ガイトさんだ。私はその勢いに押されそうになりながらも、なんとか踏ん張って耐える。
「ガ、ガイトさん……ちょっと、重……っ」
『ア……! すンマせン!』
私の言葉に、ガイトさんはパッと離れて謝ってくれた。……ちょっと苦しかったけど、でも嬉しい気持ちの方が大きかった。
「大丈夫ですよ、ガイトさん」
『ホントに大丈夫でスか?
そう言って私の顔を覗き込んでくるガイトさんに、私は思わず吹き出してしまった。
「ふっ……ふふふ……っ。ガイトさん、大丈夫ですから」
『そウでスか? ナら良かっタ!』
私の返事に、ガイトさんは安心したような声を出した。そして四本の腕を広げようとして、ハッと動きを止めた。
『ア、ダメでしタ……! 誰かニ見ラれたラ……!』
そう言って慌てた様子でキョロキョロと辺りを見回すガイトさん。私も辺りを見回すけれど、人影は無さそうだ。
「大丈夫そうですよ。でも、早いとこそちらの世界に行った方が良さそうですね……」
『ソでスね。デは、コッチでス!』
「こっち、って……壁、ですけど……?」
ガイトさんが指差したのは、本館の壁だった。これまで、裂け目は地面に現れていたはずだ。
『大丈夫デす! ココに目印ガあルんでス!』
そう言ってガイトさんは、壁の一点を指し示す。私はその方向に目を向けてみた。するとそこには、小さな裂け目のようなものがあった。ちょうど前回、私が見つけたものに似ている。
『チょいトお待ちヲ……ココを……』
ガイトさんはそう言って、壁の裂け目を指でなぞった。すると、その裂け目はみるみる広がっていき、人がひとり通れるくらいの幅になった。裂け目の向こうには、暗闇が広がっている。
「おぉ……。え、これ大丈夫なんですか? 建物の中からも見えてたり……とか」
『ン? 大丈夫でスよ。コッチかラしカ見えネ~デすカら。ね、フゥ?』
ガイトさんはそう言って、フゥに同意を求めた。するとフゥは円を描くように飛んだ。肯定しているように見える。
「そうなんですか。良かった……」
ふたりの返事に、私はホッと胸を撫で下ろした。どういう理屈なのかはよく分からないけれど、建物の中からは見えないのなら安心だ。
『サ、行きまショ!』
そう言ってガイトさんは私の手を引き、別の手で壁の裂け目を指し示す。私はコクリと
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