第三朔月

第八話 流るる時を火光とともに①

 ガイトさんとまた会う約束をした日から、私は少しだけ体調が良い。毎日というわけではないけど、睡眠も食事もしっかりとれているからか、頭も身体も軽い気がする。

 何か心当たりがあるか、と聞かれれば、ひとつある。それは、アロマキャンドルを焚くようになったことだ。休みの日に出掛けた先で偶然見つけた雑貨屋さん。そこで見つけたアロマキャンドルは、グラス部分に蝶の図柄が彫られていたのだ。

 それがなんだかフゥに似ている気がして、炎の灯りに惹かれていたのもあって、思わず買ってしまったのだった。我ながら単純だな、なんて思ったりもしたけど……。

 そんなこんなで、寝る前にそのキャンドルを焚いて香りを楽しむのが、私の新しい習慣になった。揺れる炎とアロマの香り。そのふたつが、私を心地よい眠りへと誘うのだ。

 それに加えて、キャンドルの炎を見ているとガイトさんを思い出す。あたたかくて、優しい炎。……はやく、新月にならないかな。



 そうして迎えた、新月の日。

 珍しく病棟も落ち着いていて、私は定時で上がることが出来た。ガイトさんかフゥがこちらに来ていないか、ちょっと期待しながら駐車場を歩く。フゥと初めて出会った植え込みの側。ゴミ置き小屋と街路樹の間。少し足を延ばして、患者さん用の駐車場にも行ってみた。でも、どこにもガイトさんたちの姿はない。


「やっぱり今日は来れないのかな……」


 私はそう呟いて、駐車場を後にした。なんとなくがっかりした気持ちを抱えて、とぼとぼ歩く。

 狭間に変化が起こるのは新月の日だと予想したけれど、それは外れだったのだろうか。……いや、でもまだ分からない。ガイトさんたちにも何か都合があるのかもしれないし。前の時と同じくらいの時間まで、待ってみよう。

 そう考え直し、私は自分の車まで歩き出した。



 車に戻った私は、スマホをいじりながら時間が経つのを待つ。

 そういえば、あちらの世界では時間の流れはどうなっているのだろう。そんなに気にしていなかったけど、あちらとこちらでは時間の進み方が違っていたりするのだろうか。それこそ昔話の竜宮城のように。……いや、そうだったら私に変化があるはず。でも、そんな変化は無いから大丈夫なはずだけど……。そもそも時間の進み方が違っていたら、こうして約束しても意味が無いんじゃ……?

 そんなことをぐるぐると考えていると、いつの間にか時間が経っていた。前の新月の日の、私の退勤時間がこのくらいだったと思う。

 スマホの時計から、運転席側の窓の外に目をやる。……やっぱり、特に変わった様子は見られない。


「今日は来ないのかな……」


 思わずそうつぶやいて、私は窓から目を離した。その時、視界の端で何かが動く気配がした。ふと視線を戻すと、そこには橙色の炎がかたどった蝶──フゥがいた。フゥは私の存在に気付いているかのように、運転席側の窓の辺りをヒラヒラと飛んでいる。


「フゥ……!」


 私は嬉しさのあまり、思わずそう叫んでいた。はやく会いたくて、でもフゥにぶつけないように、そっとドアを開けて外に出る。するとフゥは私の前に飛んできて、その場でホバリングした。


「フゥ、来てくれたんだね」


 私が声を掛けると、フゥは嬉しそうにその場でくるりと一回転した。


「ガイトさんは、一緒じゃないの?」


 そう聞くと、フゥは私の前から移動し始めた。そしてそのまま車の向こう側に回り込むと、その場でホバリングした。……どこか別の所にいるのかな。そう思い、フゥに着いて行くことにする。

 持っていたスマホをカバンに仕舞おうとして、ふと手が止まる。……そうだ、これがあれば時間が分かるかも。もし、あちらの世界とこちらの世界の時間の流れが同じなら役に立つし、そうでなくても違いは分かる。……いや、でも壊れたらどうしよう。……あ、時間だけなら腕時計でも良いかも。

 そんなことを考えて、私はスマホをカバンに仕舞い直し、腕時計を取り出して着けた。そして車から出て、フゥの後を追う。


 フゥは駐車場をゆっくりと飛びながら、私を案内してくれているようだ。車と車の間を低く飛ぶフゥは、時々辺りをうかがうような仕草をしている。前来た時に“他の人間に見つかったら大変だ”とガイトさんに怒られていたから、それを思い出して慎重に行動しているのかもしれない。……病院に向かっているように見えるから、今回はそっちに裂け目が現れたのかな。この時間でも病院には人がいるから、そうした意味でも慎重になるのは正解だ。



 しばらく歩いたところで、前を行くフゥが建物の陰で止まった。私もそこで足を止める。改めて辺りを見回すと、そこは本館と二号館を繋ぐ渡り廊下の下だった。街灯の明かりもここまでは届かず、辺りはとても薄暗い。そんな中でも、フゥの炎はあたたかく辺りを照らしている。


「ここ……?」


 目をらして辺りを見ると、フゥの陰で何かが動いた気がした。よく見ると、それは尻尾だった。


「……ガイトさん?」


 私は反射的にその名を呼んでいた。するとそれに応えるように、フゥの陰から大きな影がぬうっと現れた。ガス灯のような頭に、四本の腕。そして蛇のような胴体。


『ミチル~! また会えマしタ~!』


 そう言って私に抱き着いてきたのは他でもない、ガイトさんだ。私はその勢いに押されそうになりながらも、なんとか踏ん張って耐える。


「ガ、ガイトさん……ちょっと、重……っ」

『ア……! すンマせン!』


 私の言葉に、ガイトさんはパッと離れて謝ってくれた。……ちょっと苦しかったけど、でも嬉しい気持ちの方が大きかった。


「大丈夫ですよ、ガイトさん」

『ホントに大丈夫でスか? ツブレテなイ?』


 そう言って私の顔を覗き込んでくるガイトさんに、私は思わず吹き出してしまった。


「ふっ……ふふふ……っ。ガイトさん、大丈夫ですから」

『そウでスか? ナら良かっタ!』


 私の返事に、ガイトさんは安心したような声を出した。そして四本の腕を広げようとして、ハッと動きを止めた。


『ア、ダメでしタ……! 誰かニ見ラれたラ……!』


 そう言って慌てた様子でキョロキョロと辺りを見回すガイトさん。私も辺りを見回すけれど、人影は無さそうだ。


「大丈夫そうですよ。でも、早いとこそちらの世界に行った方が良さそうですね……」

『ソでスね。デは、コッチでス!』

「こっち、って……壁、ですけど……?」


 ガイトさんが指差したのは、本館の壁だった。これまで、裂け目は地面に現れていたはずだ。


『大丈夫デす! ココに目印ガあルんでス!』


 そう言ってガイトさんは、壁の一点を指し示す。私はその方向に目を向けてみた。するとそこには、小さな裂け目のようなものがあった。ちょうど前回、私が見つけたものに似ている。


『チょいトお待ちヲ……ココを……』


 ガイトさんはそう言って、壁の裂け目を指でなぞった。すると、その裂け目はみるみる広がっていき、人がひとり通れるくらいの幅になった。裂け目の向こうには、暗闇が広がっている。


「おぉ……。え、これ大丈夫なんですか? 建物の中からも見えてたり……とか」

『ン? 大丈夫でスよ。コッチかラしカ見えネ~デすカら。ね、フゥ?』


 ガイトさんはそう言って、フゥに同意を求めた。するとフゥは円を描くように飛んだ。肯定しているように見える。


「そうなんですか。良かった……」


 ふたりの返事に、私はホッと胸を撫で下ろした。どういう理屈なのかはよく分からないけれど、建物の中からは見えないのなら安心だ。


『サ、行きまショ!』


 そう言ってガイトさんは私の手を引き、別の手で壁の裂け目を指し示す。私はコクリとうなづいてから、その裂け目をくぐったのだった。

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