イルメニア編 第5話 平穏なる第一夜の終わり

 その夜、ツムギの歓待や幹部クラスのエルフたちへの紹介は滞りなく終わる。

 オセのみ、食事の席には同席せず、自室で食事をとりはじめたため、エルフたちは歓待の席で不在のオセに対する陰口を叩き、アリシアがそれを強くたしなめる一面もあった。どうやらアリシア以外のエルフから、オセはあまりよく思われていないらしい。

 歓待の場で出された料理は「歓迎の場における北部エルフ伝統の料理」というもので、香辛料の利かせ方がやや日本では馴染みの低いものだったが、あのスープよりかは遥かにおいしく、ツムギはどれも喜んで食べた。薄味なのもツムギの好みに合っていた。


 食後、アリシアに呼ばれて、作戦会議室にいくと、すでにオセが待っており「戦争について今後の話し合いをしたい」とのことだった。

「そういえば、先ほど三百人くらいのエルフが砦にいるとおっしゃってましたよね?」

 ツムギは話し合いが始まる前にそう切り出した。

「そうだな。正確には三百四人だ」

「それでは、戦闘員は多く見積もって六十名前後くらいですかね」

 動員できる兵数の具体的割合にツムギも明るくなかったがざっくり「子ども、老人、けが人を抜けばこんなもんか?」と計算する。口にしてツムギは「あれ? そう言えば妙に老人や子どもを砦で見てないな」と気づく。


「いや、数えたことはないが……多分、二百六十人くらいじゃないかな」

 アリシアの返答でツムギは目を見開く。国家とは言わずとも、集落レベルでも人口の九割弱を戦時に動員できるのは一言で言って「あり得ない」。

「嘘だ! そりゃ多すぎですよ!」

「ほ、本当だ! 多分そのくらい行くぞ!」

 アリシアは見栄をはっているというより、思いのほかツムギが強く反論してきたので少し驚いていた。自分が言った動員数を普通だと思っているのだ。

「女性、老人、子ども、けが人、病人どんだけいないのですか!?」

「おかしなことを聞くな、ツムギ殿。まず、私が女じゃないか。エルフは女も戦う。それにエルフに子どもや老人はほとんどいないぞ」

「え?」

 言われてみればそうではある。どうみても軍人のアリシアは女だし、先ほども思ったが老人や子どもはたまには見るがほとんど見ていない。


「ツムギ君」

 黙って聞いていたオセが口をはさんだ。

「はい?」

「アリシアの言っている動員人数はたぶん本当。エルフは平均五百年生きて、四百五十年くらいを青年のままで過ごす種族。だから砦のエルフは殆どが青年。人間の尺度で、考えたらだめ。目の前のアリシアも三百歳近い」

「え!? おばあちゃんじゃないですか!」

 ツムギにしてはデリカシーに欠ける言葉であり、思わず本人も赤面して「あ、ごめんなさい」という。しかし、アリシアはツムギ以上に顔を真っ赤にした。

「おばあちゃんではない!! 確かにここら辺のエルフでは年齢的に年上の方だが、族長なんだから当たり前だろ! そもそもオセ殿も『三百歳近い』というのは失礼だろ! 私はまだ二百と九十七歳! アラウンドスリーハンドレッドだ!」

「あらうんどすりーはんどれっど……」

 聞いたことがないが単語飛び出してきた。


「そういえば、オセさんはおいくつなんですか?」

 女の人に年齢を聞くのは失礼ではないかと思いつつ、話の流れで質問する。

「私? 二十一歳」

 質問されたオセは平然と答え、むしろ何故かアリシアのほうが「え? 若すぎないか?」とポカンとする。

「う、年上ですね……私は十七歳です」

「そのくらいでしょ? だから、ツムギ"君"でいいよね」

「ええ、構いませんよ」

 ツムギは快諾して、今後「オセのツムギ君呼び」が確定する。


「私としては、二十一と十七歳は若すぎる。いや、むしろ幼すぎる。赤ちゃんではないか。ツムギちゃんとオセちゃんだな」

「じゃあ、アリシアはおばあ"ちゃん"で三人ちゃん付で」

「……おい」

 オチもついたところで、アリシアは咳払いし、今日ツムギを呼んだ本題を切り出す。


「……ツムギ殿。出会ってから疑問だったのだが、話を聞くに君はもしかして、軍事に明るいのか?」

『そうだよね。僕も気になっていた。君は十七歳にしては歴史や軍事の知識量が多いし、やや偏りも感じる』

 ピクシーもそこが気になっていた。仏教徒である割には、プレートアーマーやら戦時動員数やら砦の稼働人数やらツムギは妙に相反するような分野に明るいのだ。ツムギは微笑して首を横に振る。

「いや、机上でしか学んでいない手慰みレベルです。『軍事に明るい』なんてとてもとても……」

『そうなの!? 君、机上で軍事を学んでいるの!?』

 ピクシー・スーが驚嘆の声をあげる。彼女が知っている神野ツムギの人柄はとても「軍事に詳しい」とは考えられない。アリシアもツムギの人柄を知っているのでやや驚いたが「平和な世界で十七年間過ごしてきた僧侶」というバックボーンは知らないので、その驚きはピクシーより小さい。


「ほう。誰かに教わったのか?」

「殆どは母です。母が戦記とか戦争とか、軍略とか大好きでして。幼いころからよく聞かせてもらいました」

『どんなお母さんだよ』

 ピクシーは突っ込むが、料理下手で、軍事物が好き。ピクシーがイメージしたツムギの母像はそのまんま目の前のアリシアであったが、ツムギにそのことを話すと(いえ、アリシアさんはかなり母のイメージから遠いです)と否定された。

 そして、心の内で「母ではない」と否定されたアリシアはそんな事つゆ知らず、ツムギに対して頭を下げた。


「……無理を承知でお願いしたいのだが、我々のもとで一緒に戦う気はないか? 軍略に明るい君がいてくれると大いに助かるんだ」

「ええ!? いやいやいや、私はただ学せ……いえ、記憶喪失の男ですよ? しかも、戦争に詳しいのも趣味で実戦経験はゼロです!」

「私だって、軍に憧れてこんな格好はしているが、ほぼ机上でしか学んでいないさ。我々エルフは本来狩猟民族。軍事に明るい者が極端に少ない。一人でも多いと助かる。私の弟が多少は詳しかったと思うが、弟はすでにいなくてな……」

 遠い目をするアリシア。ツムギは同情の目を向けつつ、オセを見た。

「オセさんは詳しいのでは?」

「私はしょせん、傭兵だから。視野としては、本来は戦闘レベルの観点しかない。精々出せても戦術レベル。戦略レベルの考え方はできない」

「わ、私だって戦略なんて無理ですよ!」

 否定するツムギだが、アリシアが重ねて否定をする。


「いや、私の見立てだが、ツムギ殿は知識も才能があるぞ。そもそも、普通は戦闘、戦術、戦略の違いを理解していないだろう。ツムギ殿。きみさえよければ、参謀として私を支えてほしい。期間はこの戦争の終了まで。報酬は……恥ずかしながら、安すぎて済まないが三十万ディルほどしか払えないが……」

 おずおずとアリシアは金額を提示するが、ツムギは金銭価値がまるでわからないので困惑する。むしろ、転生後初めてイルメニアで流通している通貨単位が「ディル」であることを知ったくらいだ。

(え? ピクシーさん、いくらくらいですか、それ)

『日本円で換算して大体百万円前後くらいだね。物価が全然違うから、一概に日本円換算はしにくいけどさ』

 ツムギは驚いた。

(高額じゃないですか!? 受け取れませんよ!)

『学生の君は高額と思うかもしれないけど、アリシアの言う通り、むしろ安すぎるよ。君は命を懸けて、しかも未定の長期間この場所に拘束されるんだぜ? でも、絶対引き受けるだろ、君。引き受けるなら絶対もらいなよ』

 しかし、ツムギは腕を組み、悩みだす。

(……うーん。お金のための人助けは気が進みませんねぇ……)

『誰かを助ける前に路銀が尽きちゃ野垂れ死にだ。高尚なのは結構だけど、君が野垂れ死んだら助けられた誰かが死ぬだけだね。それに坊主だって、葬式でお経唱えるだけ金がもらえるだろ? 君はあれも否定するのかい?』

(いや、まぁ、そこを突かれると坊主としては痛いのですが……確かに、受け取ったほうが良いですね……)

 ツムギは正面からアリシアを見る。


「わかりました。この戦争の間ですが私は北部エルフの陣営に付きましょう」

 ツムギがそういうと、アリシアは喜び、オセも鎧の下で胸をなでおろしたようだ。

「ただ二つ、申し上げたいことがあります」

 ツムギが何かを告げようとしていたことは、ピクシーも聞いていない。彼女はひどく嫌な予感を覚えた。


「一つ目は私の素性についてです。オセさんとアリシアさんにはお伝えしておきたい。記憶喪失だと言いましたが、アレは嘘でした。申し訳ありません」

 アリシアとピクシーは驚くが、その驚愕は無論、性質の違うものである。オセのみ、察してはいたようで「やっぱり」と軽くうなづいた。

『おい、ツムギ君。そりゃ内緒にしろって……』

(我々はもう仲間ですよ。いつまでも自分を偽れないでしょう)

『うーん、僕が内緒にしたほうが良いって言った事情とは別に、結構異世界の人って"異世界転生"の話をしても信用してくれないぜ? 不信感が募るだけだからおすすめはしないなぁ』

 ピクシーの苦言を無視してツムギは説明を始める。そして、神野ツムギが始めた話は長く、アリシアとオセが全く想像をしていない話であった。


 元々文明がひどく発達していた平和な別世界で十七年間暮らしていたこと、自分が「仏教」というその世界の宗教徒であったこと、ある日、事故にあい命を落とす寸前であったこと、それを助けられ七つの「チートスキル」を選びこの世界に転生した事、転生直後にアリシアに出会ったこと。

 半生はかなり端折ったものの、ツムギの話は長くかつアリシア達の理解の外にある話ばかりのため、極めて難解な話であるはずであったが、ツムギの説明は理路整然としており、わかりやすかった。話がうまいのだ。父の説法を身近に聞いていたからかもしれない。平和な日本で過ごしているなら、そのまま坊主になるか、あるいは教師が向いていただろう。


『あれあれぇ? 君のチートスキルは八つじゃなかったかなぁ? 一個隠しちゃうんだぁ?』

 途中でピクシーのあおりが入ったが、それ無視する。隠した点はもう一つ。胸の宝玉についても「三回攻撃されたら死ぬ」という点を特に触れなかった。ただ「スキルを取りすぎたせいで胸が赤く光って恥ずかしい」という話にとどめる。これは「弱点の話をするのは憚られる」という考え方ではなく「自分の胸を一回攻撃しているオセが気に病む」という点を配慮したのだ。


 オセとアリシアはツムギの話について、驚愕しっぱなしであったが、ひと段落がすむと「うーむ」と二人してうなった。

「かなり信じがたいが……だが、すべての物事に説明はつくな」

「正直、説明がつくだけで、理にはかなっていないと思う。ここではない世界なんて聞いたこともないし、考えたこともない。私は半信半疑。まだ超常的な能力を生まれつき七つ持っているとかの説明のほうがわかりやすい」

 やはりピクシーの言うとおり、異世界転生は理解を得られるものではないらしい。比較的思考が柔軟でツムギに好意的な二人ですら話には難色を示した。不信感を募らせるだけの結果に終わったか、とツムギが落胆していると意外にもアリシアは好意的なほほえみを浮かべていた。


「まぁ、私はツムギ殿の話を信じ切れないが、ツムギ殿自身は信用できると思っている。今日であったばかりだがな。ツムギ殿がこれまで生きてきたバックボーンはあまり関係がない。『七つの不思議な力を使える、軍事に明るい神野ツムギ』は私の友だ。それではダメかな?」

「い、いえ! それでいいです!」

 ツムギはその一言はとても嬉しかった。オセもアリシアと同じ思惑らしいが、一つ質問があるようでツムギに問いかける。


「……ツムギ君の話が本当だとして、君は最終的に元の世界に戻りたいのか?」

「え?」

 考えたこともない話であった。なんとなく、戻れないと思い込んでいた。しかし、父や友人に会いたいという気持ちは間違いなくある。

(どうなんですか? 戻れるんですか?)

 ピクシーに訊ねるが、質問は即否定される。

『無理。元の世界から異世界に行ける以上、完全に不可能じゃないかもしれないから、言い方を変えるなら九割九分九厘無理』


 そもそも戻れるとは考えていなかったツムギは落胆はしない。

「戻るのは不可能なようなので、この世界でそう生きるかはこれから考えます」というにとどめた。

 そしてアリシアがあくびをする。時計がないので時刻がわからないが、だいぶ夜も更けているだろう。

「一つ目の話が長くなったな……先ほど、『話は二つある』と言ったが二つ目はなんだ?」

「私は宗教上の理由でたとえ戦争とはいえ、殺生はできません。この戦争をエルフ陣営として支援しますが、私は誰も殺しません。そこを理解していただきたい」

 そう言われたアリシアの表情は決して平たんなものではなく、怒気すら秘めているような険しいものであった。


「……ツムギ殿。その言葉は、我々エルフにも王国民を殺すなと言っているのか? 向こうはこちらをバンバン殺す気で来るのに?」

「いえ、そんなことは言っていません。エルフが王国民を殺すことを私は止めませんし、説教もしません。それを止めるのであれば私は世界中にで起きている戦争をすべて止めねばならない。ただ、『神野ツムギは人を殺せない』ということをご理解いただきたいのです。私からより無駄な血を流さない作戦立案をするかもしれませんが、採用はアリシアさんに委ねます」

「ふーむ……」

 アリシアの表情から険しさは消えたが、それは決してポジティブな表情ではなかった。

「ツムギ殿。戦争を助けてもらっている身として言ってはなんだが、それは随分と甘いのではないか? 偽善的にも聞こえるし、第一、生殺与奪の権利を持つのは絶対強者だ。『命に対して自分には選択の余地がある』という思想こそおこがましいのではないか?」

 オセもおおむねアリシアと同意見のようで、アリシアの言葉に一々うなづいていた。

 

 ツムギはアリシアの話を吟味、珍しく自信にあふれた微笑を返す。

「アリシアさん。私こそ言ってはなんですが……」

「む?」

「私は選択の余地がある強者だと自負していますよ。そう言う戦い方をできるためにスキルは選び抜いてきました」

 ツムギは微笑みを浮かべてそういった。アリシアは神野ツムギが「単純に見た目通りの優しく温和な人間ではない気配」を感じ、背筋がゾクリとする。アリシアは咳払いした。


「……ツムギ殿の思想で我々の作戦を阻害しないなら、私としては神野ツムギ個人の不殺は許容しよう。異世界転生の話は話せんが、不殺については砦内で周知して構わないよな?」

「構いませんよ」

 ツムギが了承する。後々、「神野ツムギは不殺主義である」という情報がエルフに出回ることは、あるルートからイルメニアに流出し、彼にとって致命の情報になるのだが、この段階で気づけというのが酷であろう。アリシアは伸びをした。


「では今日は遅くなったので解散とするか。ツムギ殿の部屋は個室を用意してある。部下に案内させよう」

 アリシアがそう言ったが、ツムギがオセの方を見た。

「ああ、最後に。オセさんはエルフじゃないのですよね。一体何の種族なんですか?」

 ツムギにはその点が気になっていた。オセの身長はおおよそ、一八〇センチ程度か。かなり高身長ながら、人間の女性でも十分にあり得るレベルだ。しかし、全身鎧を着て大剣を片手に機敏に動き回る膂力は人間ではありえない。間違いなく、人間ではない異種族のはずだ。


 しかし、オセはプイっとツムギからそっぽを向いた。

「……。ヒミツ」

 その反応はツムギには意外であった。アリシアも困った風の表情を浮かべる。

「種族は私も聞いてるのだが、教えてくれない。オセ殿は流れの傭兵だ。ふた月前に我々エルフ陣営にふらりと現れた。安価でかつ、実力は折り紙付き。心強い。しかし……」

「……アリシア。言葉を濁さなくてもいい。正直に言って大丈夫。でも、私は聞きたくないから自室へ戻るね」

 オセは一人退室してしまい、アリシアとツムギが残される。アリシアが「はぁ」とため息をついた。


「オセ殿は、界隈では有名な傭兵でな。二つ名は『呪われたオセ』、または『死にたがりのオセ』だ」

「剣呑なあだ名ですねぇ……」

 そういえば歓待の席でも、エルフたちがオセの悪口を言っていたが『死にたがり』だの、『呪われいる』だの言っていた気もする。


「まず、『呪われた』だが、オセ殿が就く軍勢は高確率で負けるのだ。オセ殿は十五の戦場に参加していると聞くが参加陣営が勝ったのは一つだけだ」

「いやいや、そんなはずないでしょう。呪いなんてあるわけないじゃないですか。……あるんですか?」

『ないよ。呪術ってのはあるけど、今言う呪いとは全く別物だ』

 最後の質問はピクシーに拾われた。


「その通り。呪いなんてあるはずがない。オセ殿が付いた陣営が負けるのは、それにはもう一つの名、『死にたがり』がかかわっている。オセ殿は死地を求めてさまよっている傭兵だ。戦場は苛烈な物を選び、常に最前線へ出たがるらしい。『オセ殿が就いた軍勢は負ける』のではなく『負けそうな軍勢にオセ殿が就く』のだろう。負けそうな方が死ぬ確率は高いからな。ただ負けても負けても最前線のオセ殿は生き延びてしまうから、実力は本当に折り紙付きなのだが……」

「それがアリシアさんの陣営に付いたってことは……」

「遺憾だが、我々の陣営が形勢不利だとオセ殿は判断したのだな」

「そんなにこの戦争、不利なんですか?」

 アリシアは言葉に詰まった。ツムギに協力を取り付けてから、敵の話や形勢不利の話をするのがフェアではないと考えたからだ。

「ツムギ殿は先ほどエルフ陣営の動員人数を気にかけ、私も二百六十人程度と回答したが……。小国とはいえ、イルメニアは最大一万人は動員できる」

「え!?」

 三百対一万。まともに考えてひっくり返る数字ではない。レオニダス一世でもなければまず無理だし、彼もそもそも勝ってはいない。南北朝時代、楠木正成は五百人の軍勢で一万から三十万人の攻勢をしのいだが、それでも勝利はしていないし、第一、神野ツムギは学生であるのにたいして、楠木正成は「日本開闢以来の名将」と謡われる軍神である。


「実際に一万人は総動員だから現実的な数字ではない。超大規模な徴兵をしてギリギリ届く数字だな。北部エルフに対する動員できる数は最大四千人程度、推定二千人程度とと踏んでいる」

「それでも十倍から七倍の差ですか……」

 昼間に話したエルフが「歴々の族長では、降伏しか選んでいないでしょう。小国とはいえ、国一つと正面を張れる傑物はアリシア様くらいでしょうなぁ」と言っていたのを思い出す。

「……勝ち目はあるのですが?」


「勝ち筋は二つある。イルメニアの市民たちは北部エルフに対して友好的、兵士たちは今回の内乱に懐疑的だ。籠城戦を続け、戦争を長引かせ、兵や市民に厭戦感情を高めさせる。籠城戦の合間に情報戦も仕掛ける。我々と取引している親身になっている商店に近づき、現状を訴え、同情心を煽るつもりだ。市民から王に対して、反戦感情が高まってくれれば結果的に向こうからよりいい停戦の条件を引き出せるはず。最低限、現状相手が提示している『エルフは森を出ていき街に住め』ではなく、賠償金はいらんから『森への永住と領域侵犯の不可』を認めさせたい」

「もう一つは?」

「籠城戦の基本方針は変わらないが、イルメニアが戦争を辞めなかった際の案だ。ここから南西に一国またいだ国にオービュロンという国がある。この国の……何代前だったかな。五代だか、七代だか、十代前だかの国王が第三夫人としてエルフを選んでな。このエルフが長寿ゆえに国王は何代も代替わりしたが未だ健在で、『大祖母』として親しまれ国内での影響力も高い。この大祖母殿に間に入ってもらい、イルメニアと和解する」

「おお。かなりいい案に思えますが、どこが問題なのですか?」

「オービュロンはイルメニアの同盟国だが我々、北部エルフとの縁が全くない。繋がりはエルフという種族のつながりのみだ。エルフは種族のつながりは厚いが大祖母は『鉄の女』ともいわれる。よく知らないエルフが窮状を訴え助けてくれるかどうか……」


 しかし、どちらも思いのほかしっかりした勝ち筋にツムギには思えた。戦争は何も「相手を打ち砕いて勝利」ではないことをアリシアは理解していた。アリシアは猪突猛進に戦っているわけではなく、長い視野で動いているようだ。

「問題点としては長い籠城戦になってしまうということだな。ツムギ殿は最悪年単位の拘束になってしまうかもしれない……」

「籠城戦になるならば、砦の改良も不可避ですね……現状、この砦は大きすぎますよ」

 そう言ってツムギがあくびをした。「失礼しました」と赤面する。

「いや、確かに夜も更けた。部屋まで案内する」

 アリシアは立ち上がり、ツムギを客室に案内した。


     ◇◆◇


「ここがツムギ殿の部屋だ。私は目がさえてしまったからコーヒーでも飲むかな……」

 そういってツムギが寝るための部屋へ案内したアリシアは去っていった。狭く殆ど何もない部屋であったが、個室であった。

 木製のベッドにペラペラの布団がしいてあり、枕は布にわらを詰めたものらしい。現代人のツムギにはさぞ寝づらいだろうとピクシーは同情したが、ツムギは平然とベッドに横になる。

「今日は疲れたし、寝ますね」

『君、よくそのペラペラの布団で寝れるね……』

 呆れるピクシーにツムギはあくびをかみ殺して返す。誰もいないので思念ではなく声に出してピクシーと会話している。

「寝ようと思えば床でも寝れますよ。寝つきだけはとてもいいので。あ」

『どうした?』

 とんでもないことに気付いてしまい。ツムギは声を上げた。

「これって、布団かぶったら胸の部分が焼け落ちます?」

『よく気付いたね。そうだよ』

「うぅ、今日からこの寒い中、掛布団なしで寝るのか……」

 身体は頑丈なのであまり風邪をひいたおぼえはないが、これはいよいよ風邪を引くかも。そう思い、神野ツムギは目を閉じた。

「……」

 しかし、ここで考えてもみなかった事態に神野ツムギは遭遇することになる。

 暗闇の中、自分の胸がピカピカ光ってとてもまぶしいのである。

「寝れますかぁ!! 目を閉じても赤い発光がピカピカしてるのがわかるじゃないですか!!」

『あっはっはっはっは!』

 ピクシー・スーは何かのツボに入ったのか爆笑し、神野ツムギはすぐに自室から出た。


 食堂でコーヒーにハチミツを入れて飲んでいたアリシアに「すいません! 自分の胸が光ってまぶしいのでアイマスク的な物はありますか!?」と訊ねる。

「そんなこと言われたの初めてだな……」

「私もそんなことはじめて言いました……」

 アリシアはしばらく考えてから立ち上がり、何かの布をツムギに渡す。

「汗が目に入るのを防ぐためのバンダナならある。目に巻いて寝ればなんとかなるか?」

「ありがとうございます。あと、私の掛布団、胸の部分が焼け落ちますけど、かけてもいいですか? 我慢しようかと思いましたが、やはり寒くて……」

「布団が一つ台無しになるのか……とても否定したいが、仕方ない。好きなだけ胸の部分が焼け落ちたまえ」

 アリシアにお礼を言って、神野ツムギは目に受け取ったバンダナを巻いて試しに横になってみるが、先ほどよりかははるかにマシだ

 布団も胸の部分以外にはかかっているため、先ほどより寒くない。


 しかし、さっきは疲れ切っていたが、この一悶着のせいで目がさえて眠れない。ツムギはピクシー・スーに話しかけた。

「ピクシーさん起きてます?」

『起きてるよ。というか、僕たちは睡眠をほとんど必要としないから、ほぼ起きてるよ。悪魔は人間の姿をしているだけで、構造全く違うから十五分くらい寝れば超元気』

 ツムギは割とショートスリーパーではあるが、それでも五時間は眠りたい。普通に目を丸くする。


「え、そりゃ凄いですね。じゃあ、ちょっとお話しません?」

『いいよ。今日は色々大変だったしね』

 ツムギは起き上がり、ベッドに腰を掛けるとピクシーに声をかける。

「まず、ちょっと気になったのですが。異世界転生事業が始まって何年ですか?」

『五十年かな。このシステムは再発見されたシステムらしいけど、再発見が大体五十年前だね』

「年に転生する方は何名くらいいるのですが?」

『年間、世界各国で五百人くらいいるね』

 さすがに予想外だった。もっと少ないと思っていたのだ。

「多くないですか!? 異世界転生が始まって五十年って言ってましたよね!? じゃあ、のべ二万五千人近い転生者がいたのですか!?」

『そりゃいたよ。でもほとんど死んでるぜ? 殆どはスキルを十個とって即自滅するから、年間、転生する人間は五百名でも、実際に僕らに質問しまくって獲得スキルを抑えて生き延びるのは多い年で二十名弱、少ない年は二、三人だね。警戒心のない馬鹿が多くて助かるよ』


 それもそうだろう。悪魔としてはシステムに「死んでほしい」ので、スキルを十個付けて即死させようと必死だ。スキル十個のペナルティはまず生存ができるものではない。(ピクシーさんが担当で私はラッキーだったな)と人の好いツムギは考える。

「なるほど……でも、何人かは生き残ってるわけですよね」

『今、何人くらい残ってるのだろうね? 悪魔間で契約している転生者の話をするのはルール違反だからなぁ。僕の契約している人とみんなが同じくらいなら合計百人くらいかな? いや、軽井沢明美に契約中の転生者がいるはずないな……あいつは全員殺しているはずだ。それにクワトロ・ペコリは間抜けだから、僕より多いぞ』

 ツムギはピクシーの言葉を聞き「うーん」と何かを考えこむ。


『何か気になるのかな?』

「うーん、文明レベルが半端だな、と思いまして。転生者がガンガン文明を取り入れているならもう少し近代化してもいいものを、アリシアさんの服装の様に、ところどころ現代から近代レベルの様式は見えますが、他エルフの格好や武装、砦内の設備を見るに基本の文明レベルは十五世紀くらい、近世ヨーロッパ位に見えますね。食事に至ってはもっと前時代的で粗末ですよ。不思議なちゃんぽん感ですよ。それだけ転生者がいるなら、車とか走っててもおかしくないのに」

 ピクシーはツムギの言葉が引っ掛かる。

『ん? 近世? 中世ヨーロッパくらいじゃないのかい? そういえば、君、さっきもそのことをツッコミ入れてたね』

「中世そのものについては意見が分かれますね……マルクス主義の歴史学で、中世という区分を用意していますが、中世という概念は西ヨーロッパにしか存在しないという識者すらいますよ。ただ、一般的に想像される『中世ヨーロッパ』の図は、実際は近世ヨーロッパくらいのことが多いです」


 年の割にツムギは世界史にも割と明るかった。母の影響である。

『ああ、聞いたことあるな。異世界転生ものの文明レベルは歴史学者から見たらおかしく見えるって。そもそもここは田舎だしね。中央の方では機関車の配備もできてるよ。もちろん転生者絡みのものだ』

「へぇ、この時代に機関車ですか。蒸気機関車ですよね? 私の想像より、三百年ほど先行ってますね」

 ツムギは感心して声を上げる。

『話を戻すけど、ツムギ君の疑問に対する理由は二つあるね。まず、転生者のほとんどが高いモノづくりのレベルや科学知識を持たない者だったからね。君たちの元の世界で暮らす人間はそのほとんどが基本消費側だ。さっきツムギ君がたとえ話で、車とか走っててもおかしくないって言ったけど、君、ゼロから車を作れる?』

「あー。無理無理。無理ですね」

 ツムギは納得した。他転生者と比べるとツムギは相当知識が深い方ではあるが、それでも色々な開発を飛躍して車を作るのは無理だろう。物事には何事もステップがあり、車を作るにはタイヤやエンジンの開発史を辿れねばいけない。いくら現代知識で無双するとはいえ、その開発ステップをスキップするのは困難である。しかしピクシーは言葉を続ける。


『ただ、この一つ目の問題は急激に解消されるだろうね』

「なんでですか?」

『チートスキル"スマホ持ち込み"だよ。あれ三年前に僕たちが新しく追加したスキルなんだ。これで、誰でもお手軽に科学知識等を得られるようになってしまった』

 昔、とある著名な芸能人が「インターネットでは核爆弾の作り方は調べられない」と語ったことがあるが、それも昔の話で今なら十分に調べられる。実際に作れるかは別にしても、車の作り方も飛行機の作り方も調べられる時代だ。


「うーん、私はスマホがあってもゼロから車を作れる気はしませんね……」

『予測だけど、この世界の文明レベルはここ数年でおかしなことになるよ。今のところ、野心的な転生者が少ないけど、数年後にはジェット機が飛んでるかもしれないぜ?』

「いやいや、まさかぁ!」

 ピクシーの予測は当たらないまでも、割といい線に行くのだが、全く持って本筋からは余談なので割愛する。


「二つ目の理由は?」

『うーん、これ秘密だったんだけどなぁ。聞かれたからには答えなくちゃなぁ』

 ピクシー・スーは言葉でも嫌がっても何か嬉しそうだ。ツムギの質問を誘導していた節もあったが、実はピクシー・スーは「人にネタバレすること」が好きなのだ。

『これは、さっき君に"ツムギ君の素性をアリシアに話さないほうが良い"という話にもつながるけどさ。本来、転生者はあまり目立ちたくないんだよ。高い文明をもたらした転生者なんて目立って仕方がない。現代知識無双をしたら"こいつ転生者だ"とバレる。それを避けたいわけだ』

「なんでです? むしろ、異世界でこそ目立ってちやほやされたい方が多いのでは?」

 ツムギにはそこがわからなかった。ピクシーはニヤリと笑い、ツムギにも笑みが見えるほどの嬉しそうに語る。


『転生者は転生者を殺せば、そのスキルを奪えるからね。目立ちすぎると、他の転生者に命を狙われる』

 ツムギにとってはそれは衝撃的な言葉だった。もちろん頭がいいので「胸が光ってる自分は転生者とバレバレで狙われやすい」という事実にも気づく。

「……。えー!? 聞いてませんよ!?」

『聞かれてないからねぇ』

 神野ツムギが驚いてくれて、心底嬉しそうにピクシー・スーは笑う。そもそも「聞かれてないからね」というフレーズを吐く瞬間はピクシーならずとも、悪魔にとって気持ちのいい瞬間であった。


「あー、それで……」とツムギはある疑問が解消して納得する。

『何に納得したんだい?』

「いや、チートスキル一覧に明らかに『対転生者』を想定したチートスキルがいくつかあったので、おかしいと思ったのですよね。『精神安定』の説明文にも『副次効果として魅了を無効にする』と書いてありましたし『精神安定』程度ならともかく『チートスキル解析』や『チートスキル封印』は相手が転生者じゃなければ全く無意味なスキルですからね。奪う前提ならこれも有用ですね」

『チートスキル解析』は相対した転生者の所持スキルがわかるスキルであり(副次効果として一見して相手が転生者とわかる)、『チートスキル封印』は指定したチートスキルを三つまで使用不可にできるスキルだ。『チートスキル解析』は一見して役に立たないスキルで『チートスキル封印』は一見すると対転生者として強力だが「使用には相手のスキルを当てなければいけない」ので『チートスキル解析』と『チートスキル封印』は合わせないと生きないスキルだろう。


「でも、これに枠を割くのは考え物ですね……世界に何人もいない転生者の対策を立てても仕方がないですし」

『どうかな? しっかりした奴は、最初の質問時に転生者を殺せばスキルを奪えることを聞いてるだろうし、頭のいいやつは対転生者スキルで固めて、異世界でスキルを奪ってるかもしれないぜ? 転生者が選ぶスキルは割と似通ってくる。"超回復力"とか"身体能力向上"とかを"チートスキル封印"で封印して奪えればおつりがくる』

「うーん……どのみち、私は人を殺してまでスキルを奪う気はないので、自衛には有用な情報でしたが、その情報は半分しか生かせませんね……」

 そういうとツムギは黙ってしまった。しばらく沈黙が訪れる。


 寝たのかな、とピクシーが思うとツムギが口を開いた。

「ちょっと待ってください。まだ疑問がありました」

『おっと、ツムギ君、今日はぐいぐい質問来るね。その感じを最初の質問時に発揮できりゃねぇ。で、質問は?』

「奪った際の弱点や欠点ですよ。奪ったチートスキルが五つ以上になったら弱点や欠点が発動するのでは?」

 ツムギの疑問は「チートスキルを奪える」、「五つ以上のチートスキルを持つとマイナス点が発露する」を知っていれば誰でも思いつくことだ。

『それが奪った場合は発動しないんだ。異世界で、チートスキルを五つ以上持ってて弱点がまったくないやつは、基本奪ってるやつだね』

「では奪ったスキルで十個持ちもいるかもしれないんですね」

 そう言うツムギだが、ピクシーは否定した。


『それでも奪い取ってチートスキル十個持ちはそうそういないと思うよ』

「なんでですか?」

『奪えば奪うほど、殺さなきゃいけない転生者数が増えるからさ。一つ目を奪う場合は転生者一人殺せばいいが、二つ目を奪う場合は転生者二人殺す必要がある。この場合、殺した二人のスキルから一つ選択だな。数はどんどん増えていく。三つ目を奪う場合は三人、四つ目は四人だぜ。仮に四個初期チートスキルをつけたやつが十個目までのチートスキルを奪うには二十一人の転生者を探し出して殺害しなきゃいけない。これはちょっと無理だと思うよ』

「なるほど……」

 そう返したツムギの返答は眠気を多く含むものだった。急に眠くなってきたらしい。

「明日はアリシアさんに提言がありますし、そろそろ寝ますね……」

『ん、おやすみ。また明日』

「はい。おやすみなさい……」

 こうしてツムギの異世界転生初日は終わり、その意識は深い眠りについた。

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