イルメニア編 第3話 エルフ砦へようこそ
「おお、立派な砦ですね!」
「ふふん、そうだろう、そうだろう。私が生まれるよりはるか昔、信じられないほど過去に建設されたものらしい」
数分も歩かずとも、遠くにその砦は見えていた。砦というか、城と呼んでいい巨大な木造の建築物だった。
山というより、丘の上にできており、攻めづらそうである。周囲も木でできた高い外壁で囲まれている。
(構造的に日本の城にも見えるし、古代ヨーロッパの要塞にも見える……しかし、ほとんどがむき出しの木材ですね。本来、石垣などであるべきところが、全て木でできている。こんな城、元居た世界でも見たことがない)
エルフに出会ったことよりも、デス・ジャッカルにあったことよりも、元居た世界では考えられない巨大な城を見てツムギは自分が異世界に来たことを痛感した。
「これ、砦には何人くらい入っているのですか?」
「今の北部エルフほぼ全員だから……三百人くらいか?」
三百人と聞いてツムギは考え込む。
「うーん……」
「何か気になる点でも?」
「いえ、でしたら砦が立派で巨大すぎますね……三百人は非戦闘員込みの人数ですよね? 何の目的で作られたか知りませんが、まともに運用するには最低でもその五倍の数は必要に思えますね」
「ほう……」
アリシアはツムギのコメントに感心する。その通りであった。現状、砦が広すぎて持て余し気味なのだ。敵が攻めてきたら全範囲を守り切れる自信もない。
「あと、これ、素材は木材ですよね? 火責めにあったりしないのですか?」
「いや、防腐・防御・耐火の魔術コーティングがされているから、見た目以上に火に強い。ただこの砦がまともに稼働してたのは相当前だしな。最近はあっちこっちのコーティングがガタが来てるから、今、必死に魔術に明るい者が耐火を優先して再コーティングしている」
それを聞いてツムギも納得した。木材メインの砦は水にも火にも弱く不安だったが、あまり自分のいた世界を基準に考えてはいけないのかもしれない。
「なるほど。うーん、魔術便利ですね」
「私も魔術には明るくないが、『時間をかけていい』、『動かない対象に行使していい』なら、割と何でもできるそうだ。その場で空を飛んだり、火の玉を出したりはできんらしいが、罠を張ったり、動かない建築物に処理を施したりには魔術は適任だな」
砦、正門の前にはアリシアと同じ軍服を着込んだエルフが一人、見張りをしていた。
直立不動ではなく、少し片足を傾けている。だらしくなく見えるが、これは長時間の見張りで疲れないためのテクニックだ。アリシア陣営が形式ばった軍隊式を取り入れず、よくこの手の研究をしているのがわかる。
「エルフ!」
「エルフ!」
アリシアと見張りのエルフは互いに敬礼した。
『挨拶、だっせぇ!!』
ピクシー・スーが即突っ込むが、ツムギは無視した。内心ツムギも少し、ダサいとは思っていたが。
改めて近くで見ても、アリシアの部下が着ている服装も近代的な迷彩柄の軍服だ。耳が尖っていなければ外国の軍隊と間違えるかもしれない。いや、アリシアも見張りのエルフも女性で顔がよすぎるので「軍服のコスプレと間違える」が適切か。
(ピクシーさん、アリシアさんの軍服ってこの世界ではよくある服装なんですか?)
これまで出会った異世界人が軍服エルフ以外は全身鎧のオセしかいないので、わからない。
『いや、そんなことはないね。君が大好きな攻略本で読んだことあるかもしれない、この世界の現在のスタンダードはよくあるRPG的なごく一般的な中世ファンタジー世界の恰好のはずだよ。僕だって面食らってるさ』
(あの手のRPGは中世ファンタジーではなく、後期中世ヨーロッパファンタジーないしは近世ファンタジーが正しいと思いますが)
ツムギは細かく訂正を入れて、その細かさに少し辟易したピクシーは返す。
『本っ当細かいな君は!』
(しかし、では、アリシアさんの格好って……)
『知らないよ。本人に聞いたら?』
ピクシー・スーがむくれたので、ツムギは仕方なく当人に質問した。
「アリシアさん。アリシアさんたちの服装、変わった服装ですよね。どこで手に入れたのですか?」
アリシアはツムギの質問に目を輝かせた。
「よくぞ聞いてくれた! これは帝都での最新鋭の軍服らしい! とても高価であったので、とりあえず一着だけなんとか購入し、あとは見よう見まねで我々が自作したのだ!」
「え、それ作ったんですか!?」
とても自作品には見えなかった。縫い方も色付けも既製品にしか見えない。
「我々エルフは裁縫や染物がとても得意だ!」
アリシアが胸を張るとオセが即ツッコミを入れた。
「アリシアは裁縫不得意。その服だって部下が必死に作った」
「む。エルフの中で裁縫が得意なものが多いなら、つまりは族長の私が得意ということでも過言ではなかろう!?」
「過言」
オセが冷たく言い放ち、ツムギはその場をフォローするように尋ねる。
「アリシアさんはこういう軍服とかお好きなんですか?」
その質問にはオセが答えた。
「好きも好き。大好き。アリシアは軍事マニア。エルフの中では相当な変わり者」
アリシアは心外とばかりにオセに言う。
「オセ殿、私はエルフの中でもなく、全種族の中でも変わってる方だと自負しているが!」
「誇れるところじゃない。アリシアは新しい軍服や軍事マニュアルをすぐ取り入れたがる。古いのは武器の弓矢だけ」
「ボウガンや銃、大砲の類だけはなぁ……あれだけはどうしても、エルフの肌に合わん……一応帝都からたまに輸入しているが、どうも好きにはなれん」
アリシア達のやり取りを聞き、ピクシー・スーは何かに納得したようである。
『ああ、帝国の異世界人が流行らせてるのか。そうじゃないかとは思ったけどさ、こりゃ、帝国に誰か軍人か軍オタクが転生してるね。軍服を作って流行させるくらいには影響力があるようだ』
(帝国の異世界人って……何か他人事ですね。ピクシーさんが選んだ方では?)
そのツムギの言葉に楊彪とピクシーは回答する。ピクシー・スーが肩をすくめている絵がツムギにも想像できた。
『実際他人だよ。僕が担当している転生者じゃないよ。僕含めて九人の悪魔が異世界転生の担当をしているからね。"神託"がなくても担当新人の五感はジャックして情報を得れるけど、他悪魔の担当している人間の情報はさっぱりわかんないよ。ルール上、担当してる転生者の話を悪魔同士でしてもいけない』
それを聞いたツムギにある疑問がよぎる。
(……ん。そもそも思ったのですが、ピクシーさん、他に何人か担当してるんですよね)
『それは異世界とは関係ない質問だから、詳しく言えないけど、肯定はしておくよ。手の指の数では足りなくて、足の指を足せば十分程度には担当してるね』
(他の方とは神託でやり取りしてないのですか? 何か今日は私につきっきりですけど、ご自身の仕事は大丈夫ですか?)
ツムギが異世界転生をしてからピクシーはずっとつきっきりだ。ツムギを相手にしたように転生者候補の相手をしたり、死にかけの人間を探さなくていいのか?
『いやいや、気にするなよ。確かに"神託"は時間がとられるから嫌う悪魔が殆どだけど、僕は一緒に冒険してるみたいで好きだぜ? そもそも君以外で"神託"を選んで生き延びてる僕の担当者はあと一人しかいないし、そいつとは事務的なやり取りしかしてないしねぇ。最近はそいつの異世界生活が安定してるからあまり声もかからないし』
ツムギたちが一向に門をくぐろうともしないし、自分への紹介もないので、門番をしていたエルフがいい加減しびれを切らして咳払いした。
「あの、そちら男の人はどちら様なのでしょうか? 紹介していただけないでしょうか?」
「ああ、紹介しよう。私の恩人の神野ツムギ殿だ。私がアサシン・ベアに襲われたところを……」
アリシアがそう告げて、ツムギは驚く。
「え!?」
「どうした?」
「い、いえ、なんでもありません」
ツムギはアリシアを襲ったクマの名前を耳にして、思わず「え!?」と口にしてしまったのだ。
(もう名前がデスジャッカルからアサシン・ベアに変わってる……ピクシーさん、超仕事速いですね)
『ふふん、そうだろう。仕事の速いピクシーさんなのだよ。というか、僕は仕事を迅速に片づけないやつが大嫌いでね。できることを後回しにするなんて言語道断さ。そもそもさっき君に言われてジャッカルを調べたけど、確かにあれは全然違うね。異世界言語マスターのメイン監督は僕だから、あんな雑な登録、許せないよ』
ピクシーとツムギがやり取りしている間、アリシアが門番に顛末の紹介を終えて、門番が握手をしようとツムギに近づいてきた。
「エルフ! 私はぎゃー! 胸が光ってる!!」
門番は初めてツムギの胸を目視し、即座に弓を構える。アリシアは慌てた。
「待て待て、構えた弓を下ろせ。神野ツムギ殿は怪しい者ではない! 大体胸が光ってるだけで打つ奴があるか!」
「え」
アリシア自身に「胸が光ってるだけで殺されかけた」ため、ツムギはアリシアを見た。どうも本気で言っているようで、先ほどまでの自分の行動が欠如しているらしい。
「怪しい! 滅茶苦茶怪しいですよ! 騙されてますよ! こいつ、敵の斥候に違いないです!」
「お前が敵の上官なら胸が光ってるやつを斥候に出すか!」
アリシアの発言は先ほどまで本人がオセから受けて全否定していたものである。
「そりゃそうですが。し、しかし、ですね。逆の逆だということもあり得ます! この人みたい怪しいヴィジュアルなら『斥候のはずがない』と思わせて、逆にそう思わせる心理トリックで、実は斥候かもしれません! マーズはそういうことをしかねませんよ!」
「では、断言しよう! 例え、王国の斥候であっても神野ツムギ殿は私の恩人だ! 私は彼が私の命を狙う暗殺者でも、恩義に報いてもてなすぞ! ここに誓う!」
手を挙げ、胸を張って言うアリシア。その言葉は熱意や誠意にあふれており、ツムギの胸を打った。
「アリシアさん……どあっ!?」
アリシアの言葉はツムギの胸を打ったが、矢もツムギの胸を打つところだった。
「無敵の盾」で、矢を防ぐ。遥か頭上、見張り台の若い男性のエルフが矢を防がれたことに目を見開いていた。
「こらー! わたしの大事な客人だぞ!? なぜ打った!?」
見張り台は相当高いため、大声でアリシアが叫んだ。
「すいません! 胸がピカピカしていて、怪しかったのでつい! アリシア様が手を挙げたのが『今だ、殺れ』の合図だと思ってました!」
「胸がピカピカしてる人差別だぞ! 胸が光ってりゃ殺して良いのか! 貴様はあとで、腹筋五百回な!」
エルフは筋肉がつきにくく、腹筋五百回はそもそも過酷だが、一般的なヒューマンの想像する何倍も過酷だ。
「えー!?」
「復唱はどうした!?」
「エ、エルフ!」
アリシアはツムギに深々と頭を下げる。
「すまなかった、ツムギ殿! 私の部下が粗相を行ってしまい……」
「い、いえ、お気になさらず」
頭をあげたアリシアは涙目になっていた。鼻をすすりながら、ツムギの手を握る。
「ツムギ殿。胸が光ってるばかりにこれまで、このような差別を受けてきたのだな。必ずや私が胸が光ってる人でも暮らしやすい社会にしてやる!」
「アリシアも出会い頭に殺そうとした」とオセが言う。兜で表情はうかがえないが、冷めた目をしていただろう。
「燃えているところ申し訳ありませんが、私以外に胸が光ってる方はなかなかいないとおもいますよ」とツムギは申し訳なさそうに言った。
『いるとしたら、異世界転生者確定だね。ただ、経験上、ツムギ君と同じ欠点が発露して長生きした転生者は全然いないから、今、胸が光ってるのはツムギ君しかいないと思うよ』と最後にピクシー。
三者三様の意見を漏らしながらも、ツムギは微笑みを浮かべていた。
(アリシアさんは優しい、いい方ですね。……ちょっと感情的で変なのは否めませんが)
そして、同時に装備している武器にも注意深く目を向ける。
見張り台のエルフが手にしているのは、和弓に匹敵するくらい大きなロングボウ。
城門前の見張りが手にしているの射程や威力よりも、速射性、連射性に優れた短弓である。
アリシアが手にしているのは、その間くらいの大きさか。よく見るとアリシアは予備の短弓も腰に下げている。
(役割や用途に分けて運用する武器を変えてますね。砦の様子といい、意外としっかりしてそうだ)
ツムギが感心してエルフたちの装備を眺めていると、オセはツムギが「物騒だ」と思っているのと勘違いして声をかけた。
「みんながみんな感じではないから安心して。北部エルフはもっと牧歌的な種族」
「え、そうなんですか?」
ツムギは驚いたが、ようやく入場できた砦の中はたしかに牧歌的であった。戦中とは思えない穏やかで和やかな空気が流れていた。
「大変なことになったわねぇ」、「そうねぇ」というようなエルフ同士の井戸端会議も「戦争の話」というより「キャベツの値上げ」程度のノリだ。
神野ツムギにとって意外だったのは、殆どのものの服装がごく普通の中世後期から近世ヨーロッパくらいの服装であった事だ。質素な服で、動きやすそうではある。軍服を着てるエルフの比率はかなり少なく、砦に入ってからは哨戒をしている一名に出会っただけだ。
「軍服を着てる方は少ないですね。何名くらいいるのですか?」
「『アリシア隊』か? 私と共に軍事訓練した二十名くらいだな。それも、ニ百年かけてやっと二十名だ! しかも今回の戦争でそれなりに志願者が出たが、皆、すぐに辞めやがった!」
「アリシアの訓練は厳しすぎる。むしろ、その軍事ごっこによく二百年間、二十人もついてきた」
最後はオセのツッコミである。砦内は思ったより開けており、ツムギは興味深く各施設の解説をアリシアに求め、アリシアは解説を求められるたびにきっちり説明をした。なお、すれ違うエルフとは絶対に「ツムギの胸に関するひと悶着」が発生したが、割愛する。
「砦内に井戸がありますね」
「うむ。まだ使用できる。砦の建設目的は不明だが、ある程度籠城戦を意識して建設されたもののようだ。天守閣を囲っている蔓。アレは水分が多く燃えにくく、しかも食べれる。味はゲロマズだがな。いざ食料がなくなれば食べざるを得ないだろう」
そのような雑談をしながら、ツムギは広い部屋に案内された。
「客間がないゆえに、食堂ですまんが……ここで待ってていただけないか? 何も準備をしていないので、歓待は夜になるが、何か簡単な物でも食べるか?」
今は空腹であったため、軽食をもらうことにする。エルフは時計を使わないらしいので(「異世界言語マスター」で時間は二十四時間に表記に翻訳されるとはいえ、この世界が「二十四時間」ではない場合、時計の見え方はどうなるか不明なのでツムギは興味があったが)、大体であるが今は「夕方よりの昼過ぎくらい」と説明された。またツムギは肉は使うなら少な目で注文する。神野ツムギの浄土真宗は肉食に対する戒律は緩いので、戒律上の問題はなかったがツムギは個人的に肉を避けていた。
出されたのは山菜と豆のスープであった。干し肉の切れ端が少し入っている。
「これ、畑でもあるのですか?」
「いや、エルフは農耕をしない。これはほとんど森からとれたものだな。味付けに使った塩などの一部は首都イルメニアからの輸入品も含まれているが、今後は輸入が難しくなるから、今のうちに堪能したほうが良いかもな」
「私なんかのために、貴重な塩を……ではいただきます」
ツムギが口にスープを運ぼうとしたら、ピクシーが警告をしてきた。
『君、覚悟しといたほうがいいぜ? 飽食の日本と違って、食文化も発展していないど田舎だ。ゲロマズ前提で食べなよ? だしなんて全くとってない、ただの塩味のお湯と思えよ』
そう言われると、さすがに覚悟して口に運ぼうとする。するとアリシアがオセに訊ねた。
「そういえばオセ殿は腹が減ってないか? 飲むか?」
「これ、滅茶苦茶まずいからいい」
「なんだと! エルフ滋養スープは健康にいいんだぞ! 今に見てろ! ツムギ殿の評価を聞いて驚くな!」
アリシアは期待の目でツムギを見て、フルフェイスの兜をつけたオセは表情を伺い知ることができなかったがきっと同情の目をツムギに向けているだろう。ツムギからは姿が見えないピクシーは滅茶苦茶楽しそうにその様子を見ていた。
覚悟してスープを飲む。
スープは無茶苦茶薄味だった。当然、だしは全く効いておらず、山菜は下処理があまりされておらず苦みがひどく、豆と干し肉は信じられないくらい固い。
しかし、口に入れた瞬間、ツムギがポロポロと泣き出した。これはピクシー含めて誰も想像していないリアクションだった。
「ど、どうした!? そんなにまずかったか!?」
「い、いえ、違うんです……いなくなってしまった母の料理に似ていて、なんだか懐かしくて……」
神野ツムギの母は神野ツムギが十三歳になったとき、別れを迎えている。優しくて強かった母。だが、母は料理が壊滅的に下手だった。いわばメシマズだった。
山菜のスープは普通にまずい料理だったが、母の味に似ていた。神野ツムギは懐かしがってパクパク食べた。
涙しながらスープを飲むツムギを見て、アリシアはもらい泣きをしていたが、何かに気付いて真顔になる。
「ん? ツムギ殿は記憶喪失では? なぜ、母のことを?」
完全に自分の設定を忘れていたツムギは冷や汗を流して弁解をする。
「……えっと、私は断片的な記憶喪失で、自分の名前とか、昔の記憶の一部とかは覚えています……」
「そうか、そういえばそういってたな!」
ツムギの後ろめたさとは別に、アリシアは快活に笑う。そんな中、一人のエルフがやってきて、アリシアに何か渡す。
「そうだ。ツムギ殿も着れる服が一着、余っていたから持ってきてもらったのだ」
アリシアがツムギにくれた服は胸がUの字に大きくはだけている開襟シャツであった。着てみると、ちょうどよく旨の赤い宝玉が露出するようにできている。
「……ありがたいですが、なんですかね、この服」
「ああ。かなり胸筋に自信があるエルフが、自分の胸筋を見せびらかすために作った服らしいが、初日で恋人に『ダサい』と言われたから着なくなった悲劇の服だ……」
「そんな……」
悲しい物語にツムギは二の句を告げなかった。
「ちょっと恥ずかしいですが……失礼します」
そう言いながら、ツムギは自分の胸部が破れた半そでのシャツを脱ぎ、胸の開いた長そでを切る。
「え?」
ピクシーを含め、周りは皆、絶句した。
下にTシャツを着ていたが、ツムギのシャツが着替えの時に捲れた。一瞬見えた腹筋はバキバキに割れており「どこかなよなよした弱弱しい」これまでのツムギの印象と全く異なった。
そういえば腕は細いが「細腕」というよりもガゼルを思わせるしなやかな筋肉という印象である。
「な、なんですか!? 恥ずかしい!」
ツムギは周囲が自分の着替えをまじまじ見てることに気付き、赤面する。
「い、いや、すまない。あまりにその、うん、セクシーだったもので」と咳払いするアリシア。彼女は筋肉フェチなので内心のツムギ評価が三段階くらい上がっていた。
『え、何君? 何かスポーツとかしてた?』と未だに驚きから覚めないピクシー。
(いえ、とくには)
『いえ、とくには!? じゃあ何さあの筋肉!?』
ピクシーは聞くがツムギは曖昧に誤魔化した。
その後、食堂からもう一つ、意外なものが運ばれてくる。コップに入った暖かい黒い液体であった。ツムギには何度か嗅いだことがあるにおいがする。
「これは……」
「コーヒーだ。十年前にたまたま首都イルメニアで飲んでから、私個人がはまっていてな。定期的に取り寄せている。それを砦のエルフたちはやれ『あんな苦い液体を飲むなんて信じられない』だの、『まずい』だの、好き放題いいやがって……! 私しか飲んでなかったが、ヒューマンはコーヒーが好きだと聞いている」
実は神野ツムギはコーヒーが苦手である。神野ツムギの認識内では「コーヒーを禁ずる戒律」はなかったはずだが父も飲んでいなかったし、母はかなりの牛乳と砂糖を入れて飲んでいた。「苦いものは子どもにとって毒物と認識されるため、子どもは苦いものが苦手。苦いものが苦手な人は舌がまだ幼い」という話を聞いたこともある。しかし、好意で出してもらった以上、飲まないわけにはいかない。ツムギは一口飲んで「やはり砂糖が入ってなくてまずい……」とは思い、今度のまずさは懐かしさが伴うものではなかったため、ツムギには苦痛だった。
そんなことおくびにも出さず、ツムギは「ありがとうございます」といい、コーヒーを飲みほした。十七歳にしては人間が出来すぎている。
「おお、全て飲んでくれたか! で、どうだった?」
「ええ、とても黒くて、匂いがよかったです」
「そうかそうか! ……む、味の感想は?」
「さて……そろそろ王国と何があったかを話していただいて構いませんか?」
ツムギは強引に話を変えたが、アリシアもその話をそろそろしようと思っていたので、自然に受け入れた。
「ふむ。四か月ほど前、イルメニア王国が突如、北部の森の伐採を初めてな。その時は威嚇射撃で追い払ったのだが、三日後にまたすぐ伐採が始まった」
アリシアはイルメニア王国の地図を広げた。縮尺も『異世界言語マスター』で理解できたが、かなり小さい国らしい。そして国土の半分以上が森だ。現在、ツムギ多たちがいる砦は森の最北端に位置しており、首都からだいぶ離れている。ちなみにイルメニア王国は首都の名前も「イルメニア」らしい。
「この森、この土地は地図の上ではイルメニア王国だが、事実上、エルフたちの自治区だった。我々北部エルフとイルメニア王国は基本的に互いに不可侵の条約を結んでいる。首都から東部にもエルフが暮らしているが、東部エルフはイルメニアとの関係がもう少し薄いようだな」
「条約上では、伐採行為は禁じられているのですか?」
アリシアはツムギの質問に難しい顔をした。
「いや、それが微妙でな。王国とエルフで不可侵条約は結んでいるが、何百年も前の条約だ。明確な文章ではなく、どうともとれる、少しあいまいな不可侵条約でな……伐採についての是非は、微妙な線だから我々も攻撃は加えず、威嚇射撃で追い払っていた」
「むしろ、攻撃を加えてしまったら条約違反とかなんですか?」
ツムギの質問は的確でアリシアは「やはり頭の回転が速い」と驚く。
「その通りだ。何度か向こうが伐採をしては我々が威嚇射撃で追い払う日々が続いたのだが、私の部下がしびれを切らしてしまい、人間の手を射抜いてしまってな……それから、もう一触即発。向こうも怒って、こちらに具体的な要求を飛ばしてきた。向こうの要求は、『森もイルメア王国の領土であるはずだから、エルフは全て王国民として、森から出ていき、税を納め、街で暮らしてほしい』というものだ。期限までに回答がない場合、イルメニア王国は北部エルフに宣戦布告をおこなうというものだ。現状では、向こうの要求は全面的に無視している。会談や交渉の要求もあったが乗っていない」
難しい話だとツムギは思う。客観的に見れば、イルメニアが正しいようにも思えるが、身びいきもあるかもしれないがエルフの立場もわかる。
「回答期限はいつなんですか?」
「三日後だ」
「三日後!?」
ツムギは驚く。相当切羽詰まっている時期にまぬかれてしまったらしい。
「王国は何のために森を伐採しようとしているのですか?」
「そこが全然わからん。私にはわざとやった挑発行為としか思えない。しかし、挑発行為だとして、向こうの利益はなんだ? 北部エルフと内乱を起こして何がしたい?」
ツムギもアリシアの解答に少し考えてみる。
「……うーん。国王が変わったとか? 次代がとんでもないポンコツな方で、特に意味もなく戦争を吹っかけている?」
「いや、エルフは都会の噂に疎いが、さすがに国王が交代したレベルの情報は入る。国王は初老だが、もう二十年以上国を治めている人だ。その統治法はむしろ消極的で、ここまで大胆なことはしてこなかったはずだが……」
ツムギもアリシアも答えの出ない問いに悩んだ。この時点で答えは出るはずがない。現時点で、王国が森を伐採する目的が、「アリシアを殺すため」という真相を読める者は狂人か預言者だろう。
「なにか些細な変化でもいいので変化はないのですが?」
アリシアは考え込んでいたが一つ何か思い出したようだ。
「そういわれると、気になる点はあるな」
「何かありましたか?」
「エルフにも金は必要ゆえに、時々、毛皮やハチミツ、加工した木材などを街に売りに行っているのだが……その売りに行っているエルフから、気になる話は聞いている」
ツムギは座り直して改めてきちんと話を聞くことにする。些細な話かもしれないが、案外こういう点が重要だったりするのだ。
「気になる話ですか」
「ここ最近、街が急激に栄えて活気づいている気がすると。確かに、我々の商品も高値で引き取ってくれようになった。あと、道路が整備されて、森から首都へ行くのが楽になっているらしい」
ツムギは口元を抑えて深く考え込む。
「景気の発展と森の侵略……因果関係はなんでしょう……いや、むしろなぜ、急に経済的成長を遂げているのでしょうか? 道路が整備……うーん」
「わからん。言ってはなんだが、イルメニア王国は森に囲まれた資源に乏しい田舎だ。海にも面していない。これまで貧乏だった国がどうやって急成長を遂げたのか……」
考えても考えてもツムギにはわからなかったので助けを求めることにした。
(ピクシーさん、何か知ってますか?)
『いや、僕は知らないな。僕が担当している転生者の様子はわかるが、世界中好きに見れるわけじゃない。イルメニアに転生して生き延びてるのはツムギ君が久しいからね。この辺の事情はさっぱりだ』
(歴史上、意図のつかめない戦争はありますが……)
ツムギは世界史(主に戦史)に明るいので、似たようなケースに戦争はないか考えてみたが、やはり単純に「イルメニアが何らかの理由でエルフを森から排斥したいから強引に仕掛けた戦争」だろうか? しかし「保守的な王」がそれをするか? やはり「おかしな戦争」は代変わりしてから起こることが多い。
『森林の伐採も謎だねぇ』とピクシーは告げ、ツムギは首を横に振る。
(いえ、長い目線で見れば森林の伐採は正解ですよ。エコロジーとかそういうのは置いといて。とにかく、文明が進んでいないと人間の行動範囲が狭いんです。行動範囲を増やし、領地を拡大することが国の発展に繋がりますから。でも、現地民と不可侵条約を破ってまで、消極的な気質の王がやりますかね)
ツムギが答えるとピクシーは思い出したように補足した。
『あ、ただ、経済成長はちょっとわかるかも。貧国の急激な経済成長なんて、僕は一つしか思い当たらない』
(なんでしょうか?)
『転生者だよ。転生者が元の世界の知識で無双してるのさ。ツムギ君、この案件、陰に転生者がかかわってる可能性が高いよ』
(あー。なるほど。可能性はありますね)
そうなると、森の伐採も転生者視点の話かもしれない。それならば案外、行動範囲、国土を広げるために普通に行ってきた可能性はある。
そこまで考えて、思考が広がりすぎてらちが明かなくなったので、ツムギは立ち上がった。
「あの、何人か砦の方とお話ししてもよろしいですか?」
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