黄昏の帰還

月水蒼

黄昏の帰還

 逢魔が刻。境界の入口から、百鬼夜行が地を這い、空へと登る。向こう側に生きる者たちなどお構いなしだ。


 神社の境内から見ていた僕は、隙間を広げるように障子を開いた。閉塞した空気から解放され、橙から紺色に変化していく空に目を奪われた。


「そら、いきたい?」


 か細い声が首元をくすぐった。


「ああ、行きたいな」


 ふわふわの毛並みを指で撫でる。しばらくそうしていると気持ちよさそうに目を細めていた管狐が、僕のポケットに入れていた竹筒に戻った。


「またここにいたのか」


 後ろの障子が開くと、そこにいたのは僕の祖父だった。

 僕に両親はいない。神主を務めている祖父の元で育った。厳しいところもあるけれど、怒りをあらわにすることはほとんどない人だ。いつも冷静沈着で、愛想なく接されても僕はそんな祖父が好きだ。だって、絶対に追い出そうとはしないから。


 祖父が近づいてくる。同じように障子の隙間を覗いても、祖父の目にはあれが映っていないらしい。

 隣に座った祖父は僕のほうを、正確にはポケットからはみ出した竹筒を見て言った。


「管狐は、今もお前を守っているか?」

「守ってくれてるよ。僕が成人するそのときまで。それが約束だからね」


 仮の主ではあったけれど、管狐がいてくれたことで、僕は悪意から守られていた。


「もう僕も十八だ。そろそろ選ばなきゃいけないよ」

「…………」


 眉を下げる祖父は、普段と打って変わって弱々しい。刻一刻と迫る限界を、祖父が一番わかっているのだろう。ずっと一緒にいたのだから。


 祖父なりに愛してくれていたことを知っている。大好きだけど、それでも僕は『僕』になりたいのだ。


「今までありがとう」



   ◇



 ――……その二年後、黄昏の空に龍が登った。とある神社の神主にも見えるよう姿を現した龍は、己の根源へと戻ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄昏の帰還 月水蒼 @sounovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ