第1話 隠れ聖女は公爵令嬢
小鳥のさえずりが聞こえる。
この部屋で唯一カーテンのない窓から差し込んだ光が、天蓋付きのベッドを照らした。
布団にくるまり、もぞもぞと光から逃れようとする少女が1人。薄っすらと開けた目で現在の時刻を確認する。
(....まだ9時....)
まだ寝れる。だって今は休暇中なのだから。
再び意識が遠のいていきそうになった時、運悪く扉がノックされた。
「お嬢様、朝でございます。起きておられますか?お嬢様」
げっ....この声はメイド長....
若くしてメイド長となった扉の向こうの女性は、私が幼いころから面倒を見てくれる世話係であり、色んな意味でしごかれた先生でもあるのだ。
嫌だなぁ....まだ寝てたいなぁ....そう思うも、「入りますよ」という声とともに無情にも開けられる扉。布団にくるまっていたからわからないが、いまだにカーテンが閉まっているこの部屋を見て、どんな表情をしているのかは簡単に想像がついた。
シャッとカーテンが開き、布団越しにもその光と熱を感じる。
雪が解け、冬が明けたこの春の朝、さすがに直射日光を浴びながらくるまり続けるのは無理があるわけで....
「ん....むぅ....暑い」
「暑いなら早く出てきてください。そろそろ学園も再開します。生活習慣を戻されてはいかがでしょう?」
「や....このままぐうたらしてるもん」
「“もん”じゃないです。旦那様が呼んでましたので、早々に支度をして朝食を。朝食後、旦那様は書斎にいるそうですよ」
そう言いながら抵抗する私が被っている布団を容赦なく引っぺがすメイド長。仕方なく体を起こした私は大きなあくびをする。
白の薄いネグリジェに流れるような金色の髪。眠たげにとろんとした瞼から除く瞳は透き通るような蒼色の少女。
そう、“私”こと公爵令嬢のライラ・ティルナノーグであった。
***
この国は人間界の中でも一際大きい国だ。
それもそのはず、この国は人界に保管されている『世界創成記』の舞台となった土地にできた国なのだ。そのため、他国よりも“竜”に対する信仰心が高い。
だからこそ、この国には特殊な貴族位が存在する。
表向きは公爵家と同格だが、その実は公爵の1つ上。人界を護る“四大守護竜”から直接加護を与えられた4つの貴族達。それが“ドラグニア竜爵家”である。
私の実家であるティルナノーグ家もこの竜爵家の1つだ。“竜爵”は他国には存在しない爵位のため、表向きは“公爵家”の扱いである。
与えられたハーフネームは“
私はティルナノーグ家の長女にして末っ子だ。上には兄2人と義姉がいる。
父親は現ドラグニア王国騎士団総長のデオル・ゲオルグス・ティルナノーグ。母親はテレス・ティルナノーグ。
長兄は成人しており、第1騎士団副長のリオル。同じく竜爵家の長女マアンナ・エリュシオンを婚約者にして実家で同棲している。
次兄のセルカはまだ学生で、私と同じドラグニア王立学園の6回生だ。ちなみに私は今年3回生である。
と、これがティルナノーグ家の家族構成である。私は末っ子兼唯一の女児ということもあり、大層可愛がられてきた。
教育も十分に受けやりたいことは何でもさせてくれたし、私もそんな家族の為にとできることは頑張ってきた。
....わがまま娘は悲惨な末路を辿ることが多いですからね。
まぁ、人には言えない感情があったり、貴族令嬢らしからぬことをしているのは本当だが、家族公認なので問題はない。というか、諦められた。
欠伸をしながらダイニングへと向かう。開けられた扉の向こうでは、既に着席して朝食を食べている家族の姿が見えた。
「おはようございます」
「あ、おはようライラ。今日も眠り姫だったね」
「おはようライラ。そういえばさっき父上が呼んでたぞ。後で行ってあげなさい」
「ライラちゃん、おはよう。もう、髪が乱れてるわよ。お義父様とのお話の前に私の部屋にいらっしゃい。直してあげるわ」
兄姉たちと挨拶をする。決まった席に座ると、メイドが料理を運んできてくれたので「ありがとうございます」と感謝をした。
出てきた食事はコーンのポタージュにパン、簡素なサラダと紅茶と少量のローストビーフといったものだった。
ティルナノーグ家は公爵家である。であれば、もっと裕福なご飯も食べられるのでは?と考えた方もいるだろう。
そりゃもちろん。でも、朝から使用人の前で見栄を張って豪華な食事を食べるメリットなんてどこにもないし、何より朝から重たいのは勘弁だ。
家族との談笑も終わり、着替えて義姉:マアンナの部屋に向かい髪を整えてもらう。その後、呼ばれていた通りティルナノーグ家当主である父親にいる書斎に向かった。
ノックをし、一言言ってから中に入る。
「失礼します」
「あぁ。入っていいぞ」
扉の向こうには執務用の机に向かって書類に目を通す男性と、その補佐をする女性がいた。彼らがティルナノーグ家の当主とその妻であり、私の義両親だ。
「おはよう。よく眠れたかい?ライラ」
「昨日も夜更かししてたの?寝不足はお肌に悪いわよ?」
「あー....ちょっと本を読んでいたんです。止まらなくなってしまって....そんなことより、お呼び出しの要件はなんですか?」
「ふむ、毎度のことだからお前も見慣れているとは思うが....」
そう言って私の目の前に差し出されたのは1枚の手紙。刻まれた蝋印の紋章は竜爵家の1つであるシャングリラ家の物だった。
『見慣れてる』とお父様が言ったように、私はこの家からの手紙は何度も見てきました。というのも、差出人は誰なのか、そして何が書いてるのかは見なくてもわかるくらい何度も送ってきてるからです。
「....またあのおバカさんですか」
「あぁ。また性懲りもなく縁談など送ってきたよ」
この手紙の差出人は竜爵家の1つであるシャングリラ家の次男坊だ。傲慢で高飛車、おまけに頭も悪いというダメ人間的要素の塊。
数年前に行われた王家主催のパーティにて、当時貴族社会のしきたりに慣れていなかった私はバルコニーから街を眺めながら果実水を飲んでいたところを見られ、『可憐で儚い』などと印象付けてしまった挙句に求婚。断るのはこれで5回目だ。
「なんで当主様とペリノア様はまともなのにあの人だけ馬鹿なんでしょう?」
「全くだ。この前ペルー侯爵と話す機会があってな。頭を抱えてたよ」
ペルーとはシャングリラ竜爵家の現当主にして国の宰相を務める男だ。次期当主のペリノアは現在学園の6回生であり、その弟たるバカことペライアは次男坊なのをいいことに遊びまくっている。皮肉なことに私と同い年だ。
「一応形式上聞いておくが、考える気は....」
「ないですね」
「だろうな」
結婚する気などさらさらない。相手が竜爵家のご子息であっても、そのスタンスは変わらない。
「そろそろ休暇も終わる。学園で会うこともあろうがペルー侯爵にはこちらから断りを入れておこう」
「ありがとうございます」
「....ライラは婚約者を作る気はないらしいな」
「はい。私は縛られることなく自由に生きたいもので」
「ちなみに今年、第2王子殿下が編入なさるそうだが....」
「興味ないです」
ばっさりと切った。両親としては早々に婚約者でも作ってほしいというのが本音だろうが、私は自由な今の生活を縛られるわけにはいかないので、婚約者だなんだという話の一切を斬り捨てている。
というより、元々恋愛に興味などないのだ。
「わかった。そろそろ荷を纏めなさい。出発までもう日数がないだろう?」
お父様のその言葉に「では、失礼します」とだけ言って書斎を後にする。部屋に戻って荷造りを始めるためだ。
数日後、私を含むティルナノーグ家の子息一行を乗せた馬車が領地から出発した。
***
ティルナノーグ領南の森にて、多数の男たちが倒れた巨獣を囲んでいた。ロープやらで巨獣を縛り、近隣の街や村から集めた力自慢とともに死んだ巨獣を引っ張っていた。
「おーし!そのままひとまずサルマ村まで行くぞ!騎士どもは近辺警護を頼む!」
おーー!!という掛け声とともに運び作業が再開された。
この場を仕切る男の名はミドル。ティルナノーグ領直轄、エキドナ王国騎士団所属第2騎士団こと“東の騎士団”師団長を務める男だ。
そのルックスと男らしさ、そして立ち居振る舞いから人望も厚く、次期第2騎士団団長との呼び声も高いイケおじだ。
「ミドル師団長!ご報告に参りました!」
そんな中、ミドルに近づくのは若い騎士だ。昨年度に入団試験を突破し、晴れて騎士となった新米の若手騎士が報告書とともにミドルの下にやってくる。
「おう、どうした」
「はっ!近隣の魔獣調査の結果を報告いたします!近辺にて討伐級レート3以上の魔物なし。一部討伐級5の魔獣が確認されましたが、多少肉を食い荒らされてはいるもののすべて死亡が確認されています!」
「ご苦労さん。一休みしたらもう近辺警護を頼む」
「了解いたしました!....ところで団長、この巨獣は....?」
若手騎士が問う。騎士団や冒険者になればこのレベルの魔獣はよく見るのだが、騎士になりたての若僧が見ればこの魔獣だけでもすごいのだろう。
「こいつは『ベアロックボア』っつってな、名前の通り岩みたいに硬い皮膚が特徴の魔猪だ。討伐級は7だな」
「討伐級7?!騎士団が数十人でかかって敵うかどうかっていう....」
「そう。それも、こいつを倒したのは1人の冒険者だぜ」
その言葉に絶句する。そこでふと、若手騎士はミドルの言葉に引っかかる。その言い方ではまるで、倒した人物を知っているみたいではないか。
若手騎士が聞くと、目を丸くしたミドルが突然笑い出した。
「ハッハッハッハッ!!そうかそうか、有名だと思ったんだけどな!」
「えっ?」
「ベアロックボアの頭を見て見ろ。額のあたりに焦げた点がいくつかあるだろ?あれは炎魔法と雷魔法の合わせ技だ。しかも集点することで貫通力を上げてる。あんな芸当、普通の魔法使いにできると思うか?」
「そんなまさか!王宮の魔導士様ですらできるか怪しいと思いますよ!」
「それは....うん、聞かなかったことにしよう。俺も部下が不敬罪で処罰とかごめんだしな。宮廷魔導士様ならさすがにできると思うが、国内で見ても片手で数えられるレベルの人数しかいない」
簡単に言えば焦点を当て、額にのみ火力を集中して岩石のごとき強度を焼き切ったのだ。それも頭のど真ん中1点狙いで。
「でも、俺はそれができる人物を知っている。聞いたことないか?東の領土で活動する“魔女”の噂」
その言葉で気づいたらしい。若手騎士がまさか....とつぶやき、
「まさか、あのA級冒険者....“白金プラチナの魔女”アリアですか?!で、でも彼女は今は王都で活動してるって....」
「一時的に帰ってきたんだろうさ。里帰りってやつかもな」
意味深なその言葉に疑問符を浮かべる新人。ミドルの頭には、フードを被り背丈ほどもある杖を持った少女を思い浮かべていた。
(約束は守ります。あなたがバレたくないというのであれば、それ相応の理由があるのでしょう?お嬢)
運ばれていくベアロックボアを見ながら、ミドルは1人約束をした少女に向けてそう思うのだった。
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