第9話 何を信ずるべきか
クヴェルア統制国における心臓部である行政集中地点、クヴェルア統制庁。
そこは軍組織も内包しており、統制国において、あらゆる軍事的作戦は、この頂点機関から始まる。
——軍事司令室。電子モニターで四方を囲まれた空間。ひな壇状に段差が連なるその機密エリアの座席には然るべき階級のオペレーターが腰を据え、作戦の開始を待っていた。
「カジャリ総司令、数日前から仕掛けていた検知網において、特定箇所での転移反応が再び確認されました。座標は前回同様、旧ルベタ公国北東部の牧草地帯、地下約六百~七百メートル地点。恐らくこの位置で間違いないかと」
上空から移されたその場所は、一見何の変哲もない牧草地帯に見える。しかし、彼が言う位置というのは、それよりも遥か地下を指しており、地中深くのある地点から検出された反応が彼らクヴェルア軍が今回動く理由であった。
「よろしい。では、そろそろ行動を開始しよう。後手に回るのはもう終わりだ」
老年の彼はクヴェルア軍部における最高地位の象徴である透き通るような純白の軍帽を被り直し、モニターに出力される光景を見据えた。
◆
「博士は——何をしようとしているんだ?」
やや憐憫を孕んだような彼の声は、随分疲弊しているように聞こえた。ドンワーズはその声を知っている。もはや自分の手に負えない事象を前にしたときに、その答えを縋るように求めている時の声だ。
「バッセルは………」
ドンワーズを除けば、研究所の人員の中で最も博士の近くに居たであろうディクターがこんな事を聞いてくる時点で、ドンワーズの予想がある程度的中していたことを物語っている。
そしてディクターを始め、彼らが博士の真意に未だ気づいていないということも。
「バッセルは、ドラゴニュート計画を『ダッカニア』で——っ……!?」
言いかけた瞬間、建物自体が振動した。パラパラと粉塵が舞い落ち、周囲からは軋むような音が響く。
「な、なんだ………!?」
「っ…わ、分からん! そこで大人しくしていろドンワーズ………!」
そう言い残すと、ディクターは何処かへと足早に去って行った。
「クソ……どうせ動けねぇっての……」
再び振動。今度ははっきりと爆発音のようなものが聞こえた。まだ遠くだが、何かにここが攻撃されていることは間違いない。
ドンワーズはベッドの上から動けないまま、振動だけを享受するしかなかった。
今この天井が崩れたら今度こそあの世を拝めるだろう。
いくらドンワーズでも節々が悲鳴を上げたまま動き回るのは生まれたばかりの子供に走れと要求するようなもので、危機迫るなか行動出来ないことがよりジリジリと焦りを生む。
「何が、起きてる……」
ドンワーズは『クヴェルア』に居た頃の記憶を必死に思い起こした。今この状況を作り出す可能性があった何か。
——離反、統制庁、報復。
「………まさか」
また振動。今度はもっと強い。巨大地震が起きているのではないかと錯覚するほどの衝撃が建物全体を一瞬揺らした。
「はぁ、クソ………こんな所で死ぬのだけはゴメンだぞ——」
「ドンワーズ!!」
毒づいていると、ディクターが血相を変えて戻ってきた。
「っ………ディクター、いったい何が——」
「統制庁だ………! ここが見つかっちまったんだよ———————!!!」
「………!!?」
◆
——同時刻、地上。
「ふん…ようやく見つけたぞ」
平坦だったはずの地上の大地には、深々とした、まるで隕石が落下したかような窪みが出現しており、削られた部分は圧倒的熱量でスライムの如くドロドロに溶け、あちこちからは蒸気が沸き立っていた。
貫通融解弾——正式名称「開墾用穿孔式広域融解装置」。高高度より飛来したその弾頭が目標に接触した時、内部に仕込まれているもう一つの弾頭が射出され、ドリルのように目標を貫く。そして、設定距離まで突き進んだタイミングで熱膨張を起こし、設定規模に応じてその周囲を発生させた超高温で溶かし尽くす————。
それが作り出す光景は奇妙なもので、熱で溶かし裂いた巨大な峡谷のようにも見える。そして峡谷の底には研究所——彼らが隠れ蓑にしていた建造物の一部が露出していた。
「まったく、本当にこんな地中深くに姿を隠していたとはな。通りで見つからんわけだ……」
クレーターの縁からその様子を覗き込む男——クヴェルア統制国軍部、
背後には彼ら実働部隊の仮拠点が既に構築され、物資補給も満足に行える状態が整っており、今回動員された約十名の隊員が忙しなく動き回っていた。
「……ま、これを使うまでもねぇだろうがな」
そんな様子を侮るように振り向きながら確認する。実際、逃げ出した離反者を一部を除き全滅させるだけの任務にそこまでの準備は必要ないだろうと思っていたが、軍規である以上は仕方がない。
「しっかし、旧時代の核シェルターね。こんなもん造る余裕があったとは………」
改めて目の前のそれに視線を戻す。まだ少し露出しただけだが、既に地上からその白銀色に輝く片鱗が確認できる。
『バッセル一味が隠れ蓑にしている場所は、かつて隣国のルベタが秘密裏に建造していた巨大核シェルターだということが判明した。地下五百メートル超の地点に埋まっており、音波による索敵を搔い潜る何かしらの手段を得ていると思われる』
『また、このシェルター地上付近一帯は民家も無く牧草地帯が広がっている。故に今回の作戦では手っ取り早くシェルターを掘り起こすために融解弾を使用する。既に
「チッ…あそこまで降下すんのにも時間かかるっての」
ブリーフィングの内容を思い出しながら毒づく。これまで様々な任務に当たってきたが、ここまで大規模なものは「統一戦争」以来だろう。
そんなことを思っていると、背後で空気を噴射するような音が響き渡る。
「隊長、飛行ユニットの準備整いました。いつでも出発できます」
目的地は地上地点からまだ五百メートルほど降下する必要がある。そのため飛行ユニットを着ている装備に接続し、空中から降下しながら向かうのだ。背中に空いている接続口にユニットを取り付け、手には棒状の操作ハンドルを握る。
防弾兼防毒防火ヘルメット着用した彼らの姿は戦闘員というよりはどこかの危険物除去作業員のようにも見えるが、どこにでも突撃を敢行しなければならない彼らにとっての正装であった。
「よし、分かった。んじゃ、そろそろこっちも動くとするかね。粛清の時間だ——」
◆
——一方、研究所内部
「ディクター、とにかく皆を下層まで避難させろ。まだ上の方が攻撃を受けているだけだ」
「分かってる……!お前は俺が担いでやるから、とにかく一緒に避難するぞ」
「別に担ぐ必要はない……上はともかく足は——なんとか動く」
「おぉそりゃ助かる、お前を担ぐなんざお断りしたかったんだ」
そんなこんなで移動を開始した二人。とはいえ、いざ立ち上がると予想以上の痛みに見舞われ、牛歩にならざるを得ないドンワーズを見て流石に気が引けたのかディクターはやむお得ず肩を貸すことに。
そんなディクターは既に遠隔で避難指示を出していたようで、上層に居たであろう人員が数十人雪崩のように階下へと移動を開始している。
数か所存在する地上連絡用のエレベーターで、先に職員だけでも逃がしたらどうかというドンワーズの提案は既にディクターも思案したようだったが、万が一それで職員が捕らえられたら数少ない入口を知られることになるという懸念から断念となった。
「バッセルと連絡は未だに取れないのか?」
「いや、博士とはまだ………」
「チッ……こんな状況でまだ引きこもってるのか」
「どのみち下に行くんだ。最下層まで行ったときに様子を見るつもりだ」
「………その時に応答しなかったら、扉をぶち抜くぞ」
ドンワーズは苛立ちを隠さずに言う。バッセルが人形での活動をメインにしてから数年は経過しているはずだが、本体は依然として研究所の最下層であるバッセルの自室兼研究室に閉じこもったまま姿を見せたことはなかった。
「何があったのか知らんが、強引なことをするのは止めてくれ。今の我々にとって博士を失ったら本当におしまいなんだ」
「あぁ、今はそれについて話す余裕はないから我慢してやる。バッセルを殺すのはこれが落ち着いてからでいい」
「ころ——お前、一体………」
「詳しい話は後でちゃんと話すが、とにかくバッセルがもうなりふり構っていられるような状態じゃないってことだ。恐らく——」
——遥か上で再び薄っすらと爆発音が響いた。
「……この状況が関係しているんだろうな」
そんな話をしている間に下層への避難は完了しており、最後にドンワーズとディクターがそれぞれ下層部へと足を踏み入れた。
「そういえば……あの二人は——」
ドンワーズがディクターに尋ねようとした時、まだ前方の通路に人込みが見える中で、その二人が視界に入った。
「ん……?どうした」
ディクターが聞き返すより早く、その二人はこちらに気づき、ドンワーズと目が合う。そして硬直したように動きを止めた。
「…え?」
「っ………!?」
二人からすれば、上官であるディクターがドンワーズに肩を貸しながら歩いているのだから余計に理解が追いつかない状況であった。
ディクターも少し遅れてそれに気づき、四人は時間が停まったかのように静止する。
「……おい——二人には言ってなかったのか」
呼吸すらしづらい状況の中でドンワーズは小声でディクターを問い詰める。
「……お前が現れてから、色々重なって伝える暇なんてなかったんだ。暇があったとしても、お前が戻ってきたことを素直に伝えられるわけないだろう…!」
「っ、それもそうか……」
その間も尚無言だった二人は困惑とも真剣とも見える表情を浮かべ、ドンワーズに近づいた。足を動かしたのはリメイオだった。シアティレはそんな彼を後ろから心配そうに見守っている。
「……ディクター、どういうことだよ、これ」
「………これは、ドンワーズは…不慮の事故で────」
「私がバッセルを押さえつけて、共にここに戻ってきた」
「おい……!?」
「………そうかよ」
ディクターの咄嗟の嘘を遮り、ドンワーズは表情を変えず淡々と言い放った。
それを聞いたリメイオは特に何か反応することなくドンワーズをやや睨みつけるようにして少し後退した。
「……大丈夫だよ、ディクター。変に嘘をつく必要はないから。どの道、今は構ってる余裕はないし」
彼は少し上ずった声でそう言うと、振り向きざまにドンワーズを一瞥した。
「………っ、あぁ。すまない、余計なことを言ったな」
「行こう、シア」
踵を返し、ディクターの言葉を背中で受け止め、シアティレの肩を押す。
まだ状況を飲み込めず些か混乱しているシアティレはリメイオにつられて、下層部へ続く道へと姿を消した。
「……無駄な嘘は、信用を損なうだけだぞ」
「…お前にだけは言われたくない」
「私は、あの二人に対して嘘をついたことはない」
「っ………そうか。俺に足りないのは誠実さか?」
「………さぁな…———」
そうして、彼ら二人もまた奥へと歩を進めた。
◆
——地上
地上では、シェルターの輪郭を掘り出そうと自律機構ユニットと掘削用爆弾を使い細部から掘り出す作業が行われていた。まるで地中に埋まっている遺跡の発掘作業のように見えるが、掘り出されるのは科学技術の塊である。
そんな様子をサイベスはスラスターをふかし飛行しながら横目に見つつ、数人を牽引しながらシェルター上部にようやく上陸。覆っていた土や岩はバランスボールに手足が生えたようなロボットによって綺麗に取り除かれ、まっさらなそれが蓋のように姿を現わしていた。
「隊長、周囲を一通り見て回りましたが、入口らしきものは見当たりません」
隊員の言葉通り、多少なりとも熱や爆風に晒されていたはずだが、雪原のように純白で円形のステージには凹凸一つなく、波風一つない湖面のような静けさを保っていた。
「おーけー。…さーて、どこから入るのかな………っと!」
言いながら、腕に取り付けられていた掘削用のドリルを足元に突き立て、一気に回転させる。けたたましい音と猛烈な火花が散り、やがてそこには穴が開く——かに思われた。
「おっと…思ったより硬いな…………腐っても対爆装甲ってわけかい?」
先にドリルの先が根を上げる。その後には僅かに傷が付いていたが、少し眺めているとその外傷が徐々に自己修復を始めた。
「はぁ?おいおいちょっと待てよ、自己修復機能だぁ?…冗談だろおい」
——高密度修復ナノマシン。一般的にはそう言われている代物だが、それがこんな場所に、それもこの建造物全体に適用されていると仮定するならば規格外にも程がある。
しかし、なぜここまでの代物が放置され、あまつさえバッセルたちに利用されているのか。サイベスには分からなかった。ましてやこんな事実は説明もされていない。
彼は少し苛立ったように声を僅かに荒げ、同行する隊員らに指示を出す。
「お前たち、ここは無理だ。どこかに突破口があるかもしれん、とにかく手当たり次第に攻撃を試みて修復機能適用外の箇所を探し出すぞ」
了解の号令が響き、数名がその場から離散した。サイベスのみがその場に残り、背負っていたバックパックの中からアタッチメントをいくつか取り出すと腕に取り付けていたドリルを外し、別の道具に取り換える。
「司令、応答しろ。こちら
『こちら司令本部、ゼルビィ。ご苦労サイベス隊長。そうしたいのは山々だが、最初の融解弾の使用で黎審院による兵器規制がかかってるのは知ってるだろう?こちらでも遠隔で外殻を解析しているが、恐らくエカンデルクラスの兵器でなければその外殻の破壊は困難だ。通常の空爆支援ではあまり役に立たないだろう。故に、すまないがそのまま個々での突破を試みてくれ』
「そりゃねぇぜ、ゼルビィのおやっさん。さっきから色々試しちゃいるが、ドリルもレーザーもパイルバンカーも全部ダメだ。こっちの腕が先にダメになっちまうよ」
『作戦中は「おやっさん」は禁止と言っただろう。それはさておき…了解した。直接的な破壊が難しいなら、そのナノマシンを停止させる方法を考えよう。とはいえ、根本的に動作を停止させるのは難しいだろうな。それ用の電磁パルスモジュールを直ぐに送る。それまでその場で待機していてくれ。焦る必要はない』
「りょーかい、お…——副司令」
『よろしい——』
通信が切れる。遠くから他の隊員が必死に外殻を削る工事音が聞こえてくるが、同じように成果は芳しくないようだった。
サイベスが今さっき削った場所も直ぐに塞がり、新品同様の輝きを放っている。
その様子を見てため息をついて胡坐をかき、指でコンコンと陽光を反射する表面を叩いた。
「…これ、『リバイド・ピーリア』の遺構じゃねぇだろうな…?」
◆
研究所全体の構造は、言わば巨大な壺のような形をしており、その楕円からさらに細く通路が伸び、まるでアリの巣のような形状を成している。
その構造故に無数にスペースが存在しており、この中で生活する職員ですら知らない空間は無数にあった。
サイベスらが到達した地点はその最上部であり、ドンワーズらが辿った下層部まではまだ三百メートル以上の距離がある。
その中でディクターたちは一旦落ち着ける部屋を各自見つけ、腰を下ろして休憩することになった。
「…はぁ、お前が戻ってきてから災難だ」
「人のせいにするな。…とはいえ何か兆候はあったんじゃないのか?今までは平気だったんだろう?」
「あぁ…別にこれといって危機を感じたことはなかった。ここは平和そのものだったし、何かそういったことを聞いたこともない…」
壁際にもたれ座り込む二人は疲れ切った様子で、もはや敵対する態度を保つ余裕もなかった。
「…お前、
「…いや、しかし……こんなにもピンポイントで攻撃を敢行するのであれば、やはり何か決定打があるはずだ。本来、奴らが待つ必要はないはずなんだ。場所が分かり次第すぐにでも報復を仕掛けるはずだろう」
「…じゃあ、ここ最近の出来事がきっかけってことか…?」
「恐らくな。じゃなきゃ説明が——っ…………!」
「おい…まさか」
「…あぁ。多分そうだ」
「「転移装置………!」」
偶然声が重なり、向かいに座っていたリメイオとシアティレも反応する。
「なんか、お前ら仲良くね?」
「ちっ、違うリメイオ…!今のは、俺の推理にコイツが乗っかって来ただけだ。って、そんなことはどうでもいい!おいドンワーズ、それじゃここが特定されたのってそういうことなのか!?」
「…まだ推測の域を出ないがな。だが可能性は高いと思う。以前はそんな技術は無かったと記憶してるが…………」
しかし、数年時間が経てばボイドホールの生成を探知する技術が生まれても不思議ではなかった。正確には、ボイドホールの発生検知技術自体は『クヴェルア』では以前から存在していたのだが、地下という範囲においての発生までは検知領域外だったはずなのだ。
「………バッセルが最初にここでボイドホールを発生させたのが二年前。あの時は調査用のナノマシンを送り込んだだけだったな。そして私が『ダッカニア』へと渡った時が二回目。恐らくこの時点で検知されていたのかもしれん。そして三回目、バッセルやリメイオが来た時。最後に——」
「お前が戻ってきた。これが四回目………」
「こんな地下で四回も、それも同じ場所で反応が検知されていたら誰でも不審に思うだろう。こんな初歩的なことまで頭が回っていなかったのか、バッセルは………いや、そもそもそう何度も行ったり来たりを繰り返す予定ではなかったのかもしれないが——」
憶測でものを語っていても仕方がないが、ディクターたちもその説で納得がいったようだった。とはいえ、それが分かったところで今の状況が変わるわけではない。
いつ本格的に攻め込まれるか分からない中、シアティレが突然上ずった声を上げた。
「………!ディクター!!博士がっ………!」
彼女の視線は腕時計のように腕に巻き付いていた端末にあった。
ディクターも気づき、同様に端末を見る。そこには博士からのメッセージがあった。
「………!」
ドンワーズも即座に反応し、痛む体を引きずりながらディクターのそれを覗きこむ。
『このメッセージは一部職員にしか送信していない。まずは暫く連絡を断っていたことを謝ろう。ワシは研究所最下層の一画におるが、とある事情で未だ動けそうもない。皆も知っての通り、今この場所は攻撃を受けておる。しかし安心してくれ。そう簡単に突破されることはない。分かっておるとは思うが奴らの狙いは転移装置じゃ。アレを取られればワシらの夢は潰え、皆死に絶えることになるじゃろう。そのためにも、転移装置の保護を最優先として動いてほしい。そして、この状況に際してこの研究所の元メンバーであるドンワーズ・ハウ君が来てくれておる。彼を頼ってこの危機的状況を乗り越えようじゃないかね——』
「なっ………ふざけたことを………」
『追伸:ドンワーズ君、今の重症の体では動きずらいじゃろう。下層部の医療用道具保管庫に繊維結束薬があるから飲んでおきなさい』
「………流石、博士は抜かりないな」
「何がっ…クソ………」
まるで掌で踊らされるような気分になり、苛立ちが込み上げてくる。
「……ドンワーズ、思うところはあるだろうが、今は一旦博士の言う通りにしないか?傷が癒えるなら従った方がいい」
「……分かってる。使える物は何でも使うと決めてるしな」
「そうか。じゃあ、さっさと動こう。もうお前のおもりもしたくないからな」
そう言って立ち上がろうとすると、同じ文面に目を通したであろうリメイオとシアティレがこちらを見ているのに気付いた。
「………」
ディクターとしては、あんなことがあった後なだけに心苦しいような雰囲気もあった。こうなった以上は二人が許容するしないは関係なく、ドンワーズと一時的に共闘せざるを得ない。
ドンワーズ自身は特にどうとも思っていないような態度を依然として貫いているが、二人がどう対応するのかはディクターには予想できなかった。
特にシアティレはリメイオよりも動揺しているようで、ドンワーズを視界に入れたり外したりを繰り返していた。
ドンワーズが居たとしても、現状二人の上官が自分であることに変わりはない。こんな状況だからこそ、二人に寄り添わなくてはいけないのではないかと——
◆
「ここか………」
長い間使われていなかったのだと推察できる扉を開ける。バッセルが言うように、まさに倉庫と言った空間が広がっていた。照明をつけると壁を埋めるように聳え立つ収納棚が姿を現わす。日用品や非常食、そして彼が言っていた薬もその中にあった。
「どれも保存状態は良さそうだな。どれくらい経ってるのか分からんが」
ディクターは二人を連れ棚にはめ込まれているように収納されている長方形の箱を引き出し、中を確かめる。
「ドンワーズ、多分これだろう」
ディクターが手渡したガラス容器に入っていた薬。赤みがかったその液体が封入されている容器には「繊維結束薬」と書かれたラベルがあった。
「どうすればいいんだ。このまま飲めってか?」
「いや、流石に直飲みはしないだろう。どこかに注射器があるはずだ。もう少し見て——」
「注射器ならここにあったよ」
別の場所を探していたシアティレが注射器を片手に持ち、ドンワーズの手のひらに落とすようにして彼女の手から渡る。
「………はい」
「………あぁ、ありがとう」
一瞬彼女と目が合うが、必要以上にドンワーズに視線を向けることはなく、それだけ言うと彼女はそれ以上何も言わず、元の場所に戻っていった。が——
「あ、待って……——」
踵を返した彼女はもう一度向きなおり、ドンワーズの手から容器を奪い取るようにそれを手にすると、容器の上部に指を当てた。
すると、みるみるうちにその部分は赤熱し、ガラス質のそれはドロドロと形を変え始め、あっという間に容器に穴が開いた。
「——はい」
「……そうか、シア、よく思いついたな」
「ふん……死なれたら困るでしょ」
「助かるよ。ありがとう、シアティレ」
加工が済んだそれをドンワーズに返して今度こそ戻っていった。
「………なるほど、そういう使い方もあるのか」
思わず感心しながらドンワーズは事前に洗浄剤で拭いた針を中に入れ、薬液を抽出する。そして、上腕の静脈に向けて針を突き刺し、一気に注入した。
「おまっ………そういう心得はあるのか?」
迷いなくそれを腕に突き立て、押し込む様子をおっかなびっくり見ていたディクターが思わず口を開く。
「っ………いや、そういうわけじゃないが、注入くらい打ったことあるだろう。見よう見まねでな」
「命知らずだな………」
半ば呆れるディクターを他所に、内部まで沈み込んだ針をゆっくりと抜いていく。その隙間から鮮血が僅かに溢れ、鋭い痛みが走る。
しかし、少しするとその傷が直ぐに塞がる。臓器全体がゆっくりと縛り付けられているような感覚と共に、先ほどまでドンワーズを悩ませていた節々の痛みが徐々に消え失せていく。
「………おぉ。すごいな、もう効いたのか」
試しに首を動かしてみるが、もう痛みは感じなかった。完治したのだ。
「よかったな。さて、治ったなら他に使える物資があるか探して下に行こう」
ディクターやシアティレたちと共に使えそうな物資を探り、部屋を後にする。
次に目指すのは転移装置がある部屋だ。とはいえ、そこまではそう遠くは無い。
「ドンワーズ、一応聞くが、お前と博士が一緒にここへ転移してきたってことは、遺物はまだ『ダッカニア』にあるんだよな?」
「………あぁ。お前たちの作戦が失敗に終わってから、バッセルは何としても在処を知りたかったようだがな」
「………なら、尚更転移装置を奴らに渡す訳にはいかないな」
「………」
「どうした?」
「いや、バッセルが強硬策に打って出た理由を考えていた」
「あぁ、博士があの姿になっていた理由か?そういえばさっきは〝なりふり構っていられなくなった〟とか何とか言ってたが」
「あぁ。あの腕を見たろ、詳細は省くが、あぁまでして遺物を寄越せと迫ってきた。これまで水面下でずっと慎重に動いていたアイツがだ」
「………」
「私にはバッセルの行動原理の全てを理解出来るわけじゃないが、さっきのメッセージを見て何となく合点がいった」
「それはつまり………動けない今の博士に関係してるってことだろう?」
「バッセルが計画を焦る理由の一つとして考えられるのは、今の状況が起こることを何かしらの手段を使って予見していたからじゃないのか?」
「………じゃあこっちが博士と連絡が取れなかった期間はそっちに掛かりっきりになっていたからか?」
「ありえるな。本体が今どういう状況なのかは想像つかんが、外部の状況を確認する手段くらいはあるはずだ」
リメイオとシアティレに転移装置を任せることにして一旦別れ、再び二人で行動を開始した彼らはその真相を確かめるべく博士の元へと向かう。しかし、転移装置が設置されている部屋の前をその道すがら通りかかった時、不意にディクターは自身の端末を見て驚いた表情をする。
それと同時に、慌てるような声が中から聞こえてきた。先に中に入っていたリメイオたちの声だった。
思わずドンワーズらも中に駆け込むと、二人が見つめる先には起動中で光を発している転移装置の姿があった。
「二人とも、何やってる!? 起動させたのか!?」
「ち、違う!ここに来て少ししたら勝手に動き始めたんだよ!」
軽くパニックになっている二人とディクター。ドンワーズも理解が追いついていないような顔でその様子を訝しげに眺めていた。
「ドンワーズお前、また何かやったのか!?」
「何でも私のせいにするな、こっちも分からん………!」
しかし、この状況下で勝手に転移装置が起動しているという事実は、ある推測を裏付けるものだった。
そうこうしているうちに緊急停止も間に合わずボイドホールが生成され、一同は静まり帰る。その静寂の中、皆が固唾を飲み現れた異界へと通じる穴に視線が注がれる。
「………? なんだこれ、ロボットか?」
その中から微細な機械音が徐々に聞こえてくる。その音は段々と鮮明になり、静寂を破る。やがて中からゆっくりと這うように現れたのは四足歩行をする抱えられるくらいの小型の機械。予想外の物が現れ、皆あっけにとられるが、その中でドンワーズだけが眼を見開いていた。
「これは………『ダッカニア』の!」
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