第4話 転機

 後日、ある程度体調が回復したトルスタは外出許可が下り、ドンワーズの運転する四駆に乗り、共にとある場所に来ていた。目的地は、郊外にひっそりと建つ火葬場である。

 先の犠牲者は合同で火葬されることになり、そこには調査局に勤めている人間や、あの時トルスタを助けてくれた職員の遺族の姿があった。


 結果的に、今回の事件は調査局内部で起きたガスの爆発事故。という風な処理になった。

 当然ながら、所属不明の人間に突如テロ紛いの襲撃をされたなどという正直な情報を流せば、民衆が半ばパニックになることは火を見るよりも明らかである。

火葬前に改めて行われた局長やその関係者の謝罪に、残された者らの納得が得られたかどうかは分からない。悲しみ嘆く者、ただただ茫然とする者と反応はそれぞれであった。


 棺が炉に入れられる前、『ケイル・ロフナー』と、そう書かれたネームプレートが棺を乗せた台車に掛かっているのを見て、トルスタは初めてかの職員の名前を知った。

 今更だとは心底思うが、彼が収まった長方形の箱を目の前に、深い後悔と感謝を込め『ごめんなさい』、『ありがとうございました』と、そう口ずさんだ。

そして、僅かな時間であったが共に過ごした共犯者たちにも、それぞれが収まった棺の前で礼をし、別れの挨拶を済ませた。

 重苦しい雰囲気を味わい諸々が済んだ後、ドンワーズに連れられ火葬場の外に出た。トルスタの相変わらずはっきりしない表情を肌寒いそよ風が慰めるように撫でた。


「………これから、どうするんですか?」


「うむ。とりあえずはこの前言った通り、君を本庁に連れてゆくつもりだ」


「その話ですけど……ほ、本当にいいんですか?僕は罪を………」


「まぁ、こんなことは本来ありえないが、『クヴェルア』絡みの事由だからな。どの道、一般的な罪状が適用されることはない。司法長にも話はつけてあるから安心していい。いわば、超法規的措置ってやつだ」


ドンワーズは眉間にしわを寄せた。複雑そうな顔をしたまま煙草を一本咥え、ライターに火を吐かせる。


「……それで、何か聞きたいことはないのか?」


「そうですね………。あります……たくさん」


 結局あの遺物は何だったのか、彼らの正体は何なのか、何故自分なのか、思えば聞きたいことだらけだった。



その後、局長であるドンワーズから直々に調査局への加入を許可されたトルスタは、彼と共に調査局本部へと赴いていた。例の襲撃があった庁舎とは別の、いわゆる本庁舎と呼ばれる建物である。

 あの夜、取り調べを受けていたレンガ造りのやや古めかしい風貌の建物の一部は、事件の爪痕を隠すために青く巨大なシートが張られ、まるでかさぶたのように破壊を受けた箇所を覆っていた。


 彼が言う本庁舎とは、そんな歴史的印象を抱く見た目とは真逆に、全体的に白い外観でガラス張りといった先進的なデザインになっていた。

 最初に敷地内に入った時は真夜中だった為気付かなかったが、こんな建物があったのかと興味深そうにあちこちを眺めた。


「おい、どこ見てるんだ? 行き先はこっちだ」


 館内に入ってからもよそ見をするトルスタに注意を促しつつ、ドンワーズは慣れたように目的地へと足を進める。

いくつかの階段と廊下、曲がり角を経て、ようやく〝そこ〟へとたどり着いた。


 建物が真新しい外観だからといってすべてが綺麗というわけでもないようで、彼の目の前に聳え立つドアは若干の風化を感じさせるような錆が所々に散見される。


 その風貌に見合うような、金属が擦れる音を奏でながら開かれたドアの先には俗に言う事務所のような空間があり、事務机が四つ部屋の中心に鎮座している。中にはスーツ姿の人影が三つあり、ドンワーズが入ってくるのを見るや奥から声が上がり、椅子から立ち上がった影はやや小走りでこちらに向かってくる。


「……あっ、お帰り~局長!」


「お帰りなさい、ドンワーズ局長」


「局長、戻られましたか。お疲れ様です。例の話はカウン大臣からお聞きました。〝超法規的措置の一環として、罪人トルスタ・ロヒートを一時的に異界探査部門に引き入れる〟ということですね? 僕たち三人でも既に話し合いましたが、特に異存はありません」


「話が早くて助かるよ。正直、反対を食らったらどうしようかと気が気でなかったが……」


「事情が事情ですので、致し方ない事だとは重々承知しています。それに、局長が直々に決められたことなのであれば、尚更です」


 矢継ぎ早に何やら報告をし始めた、眼鏡を掛けた黒髪でセンターパートの彼は、本部門においてドンワーズの実質的な補佐と秘書的な役割をこなす優等生である。


「それで………失礼ですが、局長の後ろにいる方が件のトルスタ・ロヒートさん。ですか?」


 彼はチャームポイントの青いフレームの眼鏡の位置を少し調節し、ドンワーズの陰に隠れるようにやや引いた距離でやり取りを眺めていたトルスタに話を振る。

おっかなびっくり突然話を振られ、慌ててドンワーズの陰から飛び出した。


「あっ、す、すみません。その、僕がトルスタ・ロヒートです。よろしくお願いします……!」


「えぇ、よろしくお願いしますね。僕はテルル・ハリーファッツ。テルルとでも呼んでください」


 簡潔かつ礼儀正しく挨拶をすると軽く握手を交わした。そしてそのまま数歩後退し、少し後ろにいた二人を前にズイと押し出す。


「…ほら、あなたたちも挨拶をしてください」


「あー、今しようと思ってたのにー」

勉強する気でいたら、第三者にそれを促され滅入ってしまった時のような声音で、少女が前に出た。


「……こほん、トルスタくん——でいいかな? アタシはアドノ。アドノ・ミドリィよ。普通にアドノって呼んでくれていいから、よろしくね~!」


「じゃあ、私もトルスタ君と呼ばせてもらうわね。私はカーラ・クルチカント。カーラと呼んでくれたらいいわ。よろしく」


「よろしくお願いします……!」


「………そうか、トルスタ君からしたら、全員年上になるんだな」


後ろで様子を見守っていたドンワーズは、何かやりずらいように挨拶をするトルスタを見てふと年齢のことを思い出した。


「えっ、そうなんだ? トルスタくんっていくつなの?」


「えっと、二十一です………」


「え、うっそ!? アタシより五こも下じゃん!」


 年上………!? トルスタよりも背が低く、童顔の彼女は最初見た時に少なくとも同年くらいだろうと何となく推測していたため内心面食らった。


「あはは、アドノ、ずっと弟を欲してたもんね~」


「ちょっとカーラ!それは言わない約束でしょ!」


 彼女ら二人は顔こそ似ていないものの、その身長差ややり取りからまるで姉妹のようにも見える。

 クリーム色のナチュラルロング。そして赤系暖色のメッシュが入っている髪が特徴的なのはアドノである。

 そして、黒々とした茶髪で清潔感のあるロングポニーテールのカーラ。

アドノの方は、他二人と比べて着用しているスーツを少し着崩しており、その点でも軽薄そうな印象を抱かせたが、それが彼女の性格なのだろうと一目で理解できた。


「そういえば、お前たちがここに加入してきた時が、ちょうどそのくらいの年齢だったな」

 少し離れた位置で壁にもたれかかりながら様子を見ていたドンワーズが懐かしそうに言う。


「えーもうそんなに経つんだ~。なんか懐かしいなぁ~」


「えぇと、その………失礼じゃなければ、皆さんの年齢を聞いても………?」


「年齢? いーよ、アタシはトルスタくんの五こ上で二十六だよ~。あぁ、ため口でいいからね~」


「私はこの娘の一個上で二十七よ。私もため口で大丈夫だからね」


「………………」


「ちょっと、テルルも無視してないで言ってよぉー、年齢~」


「年齢なんてどうでもいいでしょう。活動には差し支えありません」


「そういうとこほんとノリ悪いよね~テルルは」


「そうですよ。コミュニケーションを円滑にするためにも、互いの年齢は把握しておくべきです!」


「………はぁ、分かりました。僕は三十一です。補足しておきますが、僕に対してもため口で問題ありませんので、そのつもりで」


 誰が見ても心底面倒そうな表情で渋々答え、その直後調子を直すように眼鏡のフレームを触る。彼にとっては癖のようなものでもあった。


「あぁ、いえ!——でも、テルルさんが僕に対して丁寧語っていうのは何というかその……」


「僕は誰に対してもこういう喋り方なんです。どうかご理解を」


「はぁ…」


「ま、こういう奴なんだ」諦めたように肩を竦める局長。


「そういえば、局長。局長自ら殺害したという例の襲撃犯ですが、その遺体が見当たらないのは何故か?という話を大臣からいただいております」


「あぁ、そのことか。あの後忙しくてすっかり忘れていた。大臣の方には私から返答しておくよ、ありがとう」


「あの時……確かドンワーズさん、殺した後2人を外に放り投げてました……よね?」


 当時の記憶が断片的に蘇る。ドンワーズが当の襲撃犯を絶命させた後、確かにドンワーズはその遺体を壁に空いた穴から外に放り棄てていたはずだ。あの時はそれに言及する余裕もなかったが。


「ほ、放り投げた……?それは……———」なんてことをするんだ。というような驚愕の顔でドンワーズを見るテルル。こんな表情もするのかとトルスタも感心すらした。


「あーまてまて。大臣に説明する前に、お前たちにちゃんと説明するから」


 ——その局長曰く、彼らの正体は本物の人間ではなく、向こうの技術力の結晶なのだと言う。人間の肉体を九十九パーセント以上模倣し、機能が停止———つまり絶命した数分後、勝手に身体が自然分解され証拠も残らない優れ物。要は使い捨てのクローンのような物なのだそうだ。


「……その、クローンという概念自体は分かりますが、そこまでの実用化が伴っているとなると相当な技術力ですね……」


「でも、それってかなり……というかめちゃくちゃヤバい代物なんじゃないの?」


「〝ヤバい〟で済めばいいがな。あれは人間のDNAを注入することでその該当人物をコピーするんだ。そして、その複製した人間に独自の思考プロセスを乗せれば、立派なスパイの完成だ」


「そんな、それじゃ、こっちの人間のDNAを使われたら………」


「まぁ、そういうことだ。どれだけ恐ろしい発明かはこれ以上言わなくても分かるだろう」


「それ、大臣に正直に言うつもりなの?」


「うむ。だから少し迷っている。国防上のことを考えたら申告すべきだろうが、今現在実質的に対処不可能なことを告げても逆効果だろう」


「それもそうですね……ただでさえ、今回のことで手一杯でしょうから」


「その通りだ。こんな事実を告げてみろ。国全体が疑心暗鬼で潰れかねなくなる」


「ドンワーズさんでも、それを見破ることは出来ないんですか?」


「まぁ、無理だろうな。殺して解剖でもしない限りは。しかし言っておいてなんだが、そう悲観的になることはない」


「………?」


「アレは一体生産するだけでもかなりのコストがかかっていたはずだ。だから、そう易々と大量生産なんてことは出来ないだろう」





 また別の時間。『クヴェルア』にて——


「………私怨で襲撃した挙句、あっさりと返り討ちに遭い、おまけに人形を無駄にするとは——」


「「………」」


「黙秘しても私の怒りは収まらないぞ、二人とも」


「悪かった………考えが、浅かった………」


バツの悪い表情をしたリメイオがようやく口を開いた。


「はぁ………君らが奴を死ぬほど憎んでいるのは分かっているが、勝算もなく挑みに行くのは大馬鹿者のすることだ。まったく、ただでさえ資金難だというのに………」


 二人の目の前でデスク越しにイライラしている藍色の短髪を携えた男はシアティレとリメイオの現上官、ディクター・ルーヴォルである。

 彼らを呆れたような眼で見てため息をつきながら、机に肘を立て顎の辺りで手を組んだ。彼が不機嫌な時によくやる動きだった。


「で、でも、博士が出撃許可を出したのよ!?」


「そうだ、博士も博士だ。あの人が一番資金を無駄にしている。俺が止めなかったら『ダッカニア』に人形をあるだけ送り込んでいただろうからね」


「え、人形を?いくらなんでも無茶じゃ………?」


「もちろんそうだとも。あれを聞いたときは目玉が飛び出るかと思ったよ。本当に」


「どうりで、博士のタブレットに使いもしないDNAデータがたくさん入ってたわけね。この間の血液検査はそういうこと?」


「あぁ、血液検査なんて珍しいことを実施するもんだと思っていたが、まさかこんな陰謀が企てられていたとはな」


「………それで、あたしらへの罰則は?」


「なんだ、罰して欲しいのか………?俺はあいつとみたいに罰則を科すようなことはしない。反省はしてもらうがな。——それと、シア、リメイオ」


先ほどまでとは打って変わってディクターの声音が変わり、やや威圧的なものになる。

「何………?」


「お前たち……一般人を殺したそうだな」


「………」


「いいか、目標意外の命を奪うことは許されない。それをしたら、奴らクヴェルア軍事研究所と同じになってしまう。これは離反当時に掲げた鉄則だろう。違うか?」


「………」


「で、でも、あぁでもしなきゃトルスタを………」


「回収も出来なかったんだろう?何かトラブルがあったにせよ、禁則を破った挙句目的も達成できなかったら、それはもう最悪だ」


「………すまなかった」


「………ごめんなさい」


「………謝るなら俺じゃなく、その死なせてしまった命にするんだな。とにかく、よく反省しろ」


 そう言い残し上官は離席した。彼が去った後の室内には二人だけ残され、居心地悪い雰囲気が漂う。その静寂を誤魔化すように、隣で突っ立っていた相方が露骨にため息をついた。


「………なによ」


「いや、なんでも。なんにせよ俺らは失敗したんだ。しばらくは任務につけないだろうなって」


「休みが取れて嬉しい?」


「……別に……退屈になるなってだけ」


どこか諦めたような声音。その顔からは反省の色よりも、どこか虚しい色が伺えた。



『博士。バッセル博士………聞こえていますか?』


「あぁ、聞こえとるよ。どうした、ディクター」


『どうしたもこうしたもありませんよ。リメイオとシアティレの件です』


「あー………そのことかね。なんだ、ワシにも説教かい?」


『博士相手に高説を垂れるわけではありませんが、何故今回のような無謀なことを決行したのかお聞きしたく。それも独断で』


「無謀か。ただワシは、二人に少し頭を冷やす機会を与えようと思ったんじゃよ」


『頭を冷やす?』


「アレが去ってからというもの、あの二人は奴への憎しみを増すばかりじゃった。最初こそ突然の裏切りに心身を病み荒んでおったが、それが段々と眼に見える憎悪に変わっていった」

「ワシはそれが危険だということを知っておる。個人に向けられる憎悪ほど恐ろしいものはないと。しかも、アレが去ってから一年以上。しばらく会わない内に、今の自分たちなら、それを成し遂げられると妄信し始める始末だ」


『だから、それをたしなめるためにわざと?』


「宿願叶ってようやく『ダッカニア』に足を付けたんだ。ちょうど良い機会だと思ったんじゃよ。まぁ遺物カピシーチアは後からでもどうにかなる。しかし、計画を進める前に、二人の我執を先に少しでも解消しておいた方が冷静になれると思ったんじゃ」


『確かに、以前に比べて思い詰めるような様子は減ったとは思いますが………逆効果になる可能性も………』


「まぁそこは賭けじゃな。いずれにせよ、どのような形であれドンワーズと再び合わせていくらかガス抜きをさせなければ二人の精神衛生的にも悪かろう」


『……そこまで考えていたんですね。私が浅慮でした』


「ははは。あの二人の上官は本来ドンワーズの役目。お前にその荷が重いというのはワシも理解しとるよ」


『いえ、本質的なことを見抜けずにいた私の失態でもあります。はぁ……やはり、私は教育者に向いていないのでしょうね』


 ドンワーズの後釜として、リメイオ、シアティレの上官をなし崩し的に継いだディクターだったが、慣れない部下とのコミュニケーションに常に頭を悩ませていた。

 そんな立場を半強制的に与えられた彼にとってもドンワーズは職務上憎むべき相手であった。


「まぁ、君に迷惑をかけているのは重々承知しとるよ。だが、あの二人はまだまだ成長途中じゃ。これからも面倒を見てくれると助かるよ」


『分かっています。ただですね博士』


「……?」


『それとは別に、あの二人が一般人を殺害したことについては?』


「………あぁ、それはワシにも多少非があるやもしれんな。ワシが曖昧な指示を出したのが原因じゃ。今後は気を付けるよ」


『そうですか……分かりました。では私から言うことはもうありません。失礼します』


 礼儀正しく挨拶をし、通信が切断される。音声が聞こえなくなり、一人電子機器の駆動音が微弱に響く室内で、白髭を蓄えた老年の彼は不満そうに鼻を鳴らした。



「………それで、そうして『ダッカニア』に帰ってきたんですか」


 それから数日間は先のような襲撃事案もなく、この前の騒動が嘘のようだった。

そんな中、ドンワーズはトルスタに自身のことと、異界である『クヴェルア』との確執について説明する機会が必要だということで、部門メンバーも併せて改めて確認しあうことにしたのだった。           

 庁内の広くも狭くもないブリーフィングルームに集った四人は、それぞれ講義室に座る学生のように席に着き、ドンワーズは講師さながらホワイトボードを背にして立っている。

 彼は何から話すべきか癖のように腕を軽く組み考える素振りをした後、目の前の生徒たちを一度見渡してから静かに語り始める。


 「………今から、約五年前のことだ。私は異界探査部門の部長として当時も活動していたわけだが……そんな時、私は突如として時空の裂け目に落ちた。その裂け目は私が認識する間もなく不意に現れ、私を偶然『クヴェルア』という未知の世界に導いたんだ。トルスタ君以外は知っての通り、我々はかねてより異界の存在を探していたわけだが、私が経験した一連の出来事は当部門の宿願を果たしたものだったと言える」


 ドンワーズは視覚的に理解しやすいようにホワイトボードに抽象化した図形を描いてゆく。ドンワーズを攫った裂け目は霧のように。そこから矢印が伸び、『クヴェルア』と思しき超未来的な世界のイメージ。それを描いた後、ペン先でコンコンとその図形を軽く叩いた。


 「しかし…その異世界というのは、獣人やエルフが闊歩する、誰しもが空想するような幻想的な世界じゃなかった。私たちと同じような人類が存在し、同じように自らが築き上げた文明社会の中で活動していただけに過ぎなかった——ただ、唯一の違いは彼らが我々より、遥かに卓越した技術社会を築いていたってことだ」


「平行世界ってやつ」


 隣に座っていたアドノがボソッとトルスタに耳打ちした。


「もとより、彼らは『ダッカニア』に存在する〝遺物〟の在処を以前から探っていたんだ。幸運にも、その頃はまだこちらとの通路が確立していなかったが故に、直接探しに来るってことも無かった」——だが、と少し表情を曇らせた。


「…だが、私がこちらに帰還する少し前。彼ら——ここを襲った研究所の奴らは『ダッカニア』へと通じる通路の確立に成功してしまったんだ」


 既に事を把握している三人を除いて、トルスタはあまりにも現実離れした話を飲み込めずにいた。


「その…なんて言えばいいのか…」

 そこまで聞いたトルスタは僅かな沈黙に耐え兼ね、敢えて何かを言おうとした。しかし漠然とし過ぎていて、上手く言葉を紡ぐことは出来なかった。


「あはは、大丈夫だよトルスタくん。アタシたちも同じだったから」


「え…?」


「そうね。今となっては懐かしいけど、局長が帰ってきた時は、私たちも混乱だらけだったから」


「直ぐに理解する必要はありませんよ。この世界の既知の常識外の事ですから、ゆっくりと時間をかけて咀嚼していけばいいんです」


「そうだな。一気に説明しても飲み込めないだろうし、一つずつ理解していけばいい」


「そーそー。ま、こう言うアタシらも、実際のところはちゃんと理解してはないんだけどね~」


 ドンワーズ直属の異界探査部門。彼が受け持つ部門の役割は文字通り異界を探求することにある。しかし、その名前や活動指標とは裏腹に当の部門には致命的な矛盾ともいえる弱点が存在していた。

 トルスタはドンワーズに手渡された件の異界渡航を経て作成された厚みのあるレポートを捲る。最初の方のページには肝心の異界に行く方法が示されており、その要項にはそれを図解したイラストが挿入されていた。


「ボイドホール………?」


 曰く、異界に通じるトンネルのようなもの。ドンワーズが異界に転移した直接的な原因となった現象だった。そのイメージは黒い霧のようなもので、それが存在する地点を生物や物体が通過すると向こう側、つまり異界に移動することが出来るのだという。


「この、ボイドホールってのが厄介でな……」


 トルスタがそれを纏められたページを凝視していると、横からドンワーズが指で資料の表面をなぞった。


「書いてある通りだが、そいつに出会えないと、そもそも異界に行くことが出来ないんだ。それを人為的に作り出す方法もまぁ……無いわけじゃないが、かなり難しい。『クヴェルア』の技術をもってしてもな」


「え?でもドンワーズさんがこっちに戻ってきたのって………」


「あぁ、それはさっき言った、向こうの研究員が作った通路を通ってな」

ドンワーズは当時の様子を思い出すように目を細めた。


「あの時は………。いや、まぁ簡潔に言うと、完成したばかりの人為的転移装置を私が勝手に使ってな。彼らを裏切ることになるが、それ以前に私はこの世界を裏切りたくはなかった。まぁ、そのおかげで向こうからは相当恨みを買っただろうがな」


「ええっ?」


 当時、既に『ダッカニア』に人員を転移させる準備が整っていた研究所施設では次々と遺物を確保する算段が打ち立てられていた。そんな中、所内でも上位の地位にいたドンワーズは『ダッカニア』へと繋がる転移装置を権限を以て起動し、一人この危機的状況を一刻も早く故郷である『ダッカニア』に伝えるために帰還することを決意したのだった。


「でも、その時にこっちに来る装置が出来てたなら、なぜ今になって襲撃を?」


「局長が無策でこちらに帰ってくることはありませんよ」


「あぁ、帰還する前に、その転移装置に保存されていた『ダッカニア』に繋がる情報を根こそぎ消去するように時限式トラップを仕込んだんだ」


「トラップを…?」


「簡単に言うと、その装置にいわゆる罠を仕掛けたということです。局長は帰還した後にその仕掛けた罠、まぁ爆弾とでも言いましょうか。その時限式の罠が後で作動し、彼らの『ダッカニア』行きの列車は脱線したわけです。おかげで彼らの計画に遅れが生じ、局長の目論見通り『ダッカニア』への侵入が遅れ、今になってそれが顕在化したのです」


「ま、そういうことだ。話がずれたが、要するにそのボイドホールが無いと、そもそも異界に調査に出向くことすら出来ないということだ」


 とどのつまり、ボイドホールが都合よく用意出来ない。その一点だけで、『ダッカニア』の異界研究が全く進歩しないというわけであった。


 折角奇跡的にドンワーズが異界渡航を成しても、それを裏付けるのは彼が作成した資料だけであり、第三者がそれを実証することすら叶わない。そのため、その資料自体の信憑性の是非や、それが政府の信用を得られるかどうかも問題となってくる。

 となると、その探査行為すら出来ないこの異界探査部門なる集まりは一体何をしているのか。当然そのような疑問がトルスタの中にも湧いてくる。


「えっとその…じゃあ、異界探査部門では普段どんな活動を…?」


「ふむ。まぁ君の疑問は至極当然だと言えるな。どこから話したものか…そうだな——まず、この異界探査部門が設立されたのは今から五十年余り前の話だ。設立の理由を簡潔に言うと、私の師であるパルフォル・ジーオクリオという調査局の歴代でも凄腕の調査官が、異界と関連するとある現象を突き止めるために個人的に立ち上げたのが始まりだった」


「異界と関連する…?」


「あぁ。その現象はまだ広く認知されちゃいないが、俗に未解決事案として処理されることがほどんどでな。そいつは、私たちの間では「異界干渉」と呼ばれてる」


「それは、ボイドホールと関係があるってことですか?」


「いや、それとは全くの別物だ。ただまぁ、いつどこで発生するか分からないっていう特性だけは似てるかもしれんがな」


「局長、トルスタくんに何か例でも見せてあげたらどう?」


「そうだな、例か………」


 アドノの提案を汲み取り、何か視覚的に分かりやすいものはないかと考えたがすぐに用意できるものはなかった。しかし、資料などはすぐ用意できないが聞くだけなら用意ができるものがあった。

 おもむろにポケットから自身の端末を取り出し、大衆向けの動画投稿サイトにアクセスする。

そしてその動画を室内に備え付けてあるプロジェクターを通してホワイトボードに映した。


「おっ流石、局長冴えてる~」


「これは……?」


 そこに映し出されていたのはなんの変哲もないどこかの町を写した映像だった。

しかし動画の再生と同時に、突然天井に設置されていたスピーカーから不気味な音が響き渡る。獣の低い呻き声のような、金属をゆっくりと力強く擦り合わせる時に鳴る音のような、掴みどころのない音だった。


「トルスタさん、「アポカリプティックサウンド」という名称を聞いたことはありますか?」


「ええと……すみませんテルルさん。さっぱりで……」


「そうですか、いえ、こちらこそ唐突に尋ねてしまい申し訳ありません。先ほど聞いた名称は些か俗な呼称でして。呼び方は色々ありますが、「星鳴り」という呼称が世間一般での呼ばれ方です。今流れている音がそれに当たります」


「星鳴り………」


「この音は、この世界の至るところで目撃報告が上がっててな。これを偶然聞いた人がこうして動画撮影してネットにアップロードしてるってわけだ。何件もある」


「どこで鳴っているのか分からない。なぜこんなにも大音量で響き渡るのか。そんな正体不明の怪音はテルルが言っていたように、いつしか「アポカリプティックサウンド」なんて仰々しい名前で呼ばれ恐れられるようになったの。この音が響くのは世界の終わりが近づいている合図だ!神が怒っているんだ!超兵器の使用の余波だ!なんて感じでね」


カーラはそういったことに詳しいようで、やや早口で興奮気味に解説を挟む。


「補足ありがとう、カーラ。しかし、真相はそういったオカルトじみたことが原因なんじゃなく、まさに「異界干渉」が原因だったんだ」


「そ、それで……それが鳴るとどうなるんですか?」


「……何も起こらん」


「え………?」


「何も起こらん。ただ不愉快な音が響くだけだ。それによる精神的ダメージを除けば基本的に無害に等しい」


 あっけらかんと答えるドンワーズ。何かすごいことがあるのかと勝手に想像していたトルスタは内心ずっこけそうになる。

 では一体それはなんなのか——?


「雨が降るだろう?」


「……?」


「雨が降ったり、風が吹いたり……あるいは地震が起きたりすることは、異常なことだと思うか?」


 唐突に問われ、トルスタは思考が一瞬止まった気がした。異常なことか……?

いや、それらは自然現象だ。異常なことではない……はずだ。


「いえ……普通のことだと思います」


「そう、これも同じなんだ」


その時、ドンワーズの言いたいことが理解出来た。


「この現象は、自然の一部だということですか?」


「そう。もちろん、「異界干渉」の在り方は様々だ。今見せたのは単に音が鳴るだけで、特に被害が出るものではないが、時には物理的に被害を出す場合もある。山が削れたり、地面が一部消失したりとかな」


「…………」


「だが、それもすべて自然現象なんだ。異界が関係してるってだけでな。ずっと答えを追い求めていた異界干渉が、ただの一介の自然現象に過ぎなかったっててオチだ。なんとも笑える話だろう」


「……その発生タイミングは、別の世界で何か災害のような局所的な現象が発生した際のエネルギーが、別の世界に生じることで発生すると結論付けられています。しかし残念ながら、『ダッカニア』の現在の技術でこれを予測し対処することは不可能という結論です。これは局長が『クヴェルア』から得た価値のある知見の一つです。まぁ、僕たちが長年追い求めていた答えを局長が異界に渡ったことがきっかけで得てしまうというのは、何とも皮肉な話ではありますが」


「………そうだな。師匠が聞いたら呆れかえるだろう……とまぁ色々一気に説明して混乱したかもしれんが、そういうことだ。そこで最初の疑問に立ち返ろう。我々が普段何をしているのか」


ドンワーズがそう告げた途端、皆は何かやりずらさを醸し出し始める。


「そ、そうね……。だから、私たちの仕事は基本的には調査局本部から割り当てられる仕事がほとんどで、部門としての活動は………まぁ、現状同好会みたいなものなの」


 濁したような口をしながら苦し紛れにカーラが答える。彼女ですら、ここに入れば憧れの異界という存在に足跡を残せると思い加入した身である。

憧れであったパルフォルに会えたはいいが、実際は何とも場末感の漂う同好会組織なのだから、落胆もひとしおであった当時の心境を思い起こさずにはいられない。


「ま、否定は出来ないのよね~。結局、局長がその異界に行って帰って来れたのが、本当の意味で異界と接触出来た最初で最後の出来事だったから」


「強いて付け加えるなら、先に起きた襲撃事件。正確に申しますと、あれが最後の異界絡みの出来事でしょう」

つまらなそうに言うアドノの言葉に、眼鏡の位置を調整しながらテルルが付け加えた。


「強いて言うならそうなるな。まぁとにかく、そんなことで我ら異界探査部門はまともに異界と接触する機会もなく存続している悲しき部門ってワケだ。分かったか、トルスタ君よ」


 部の長である彼ですら呆れ顔である。

素朴な疑問を投げかけた結果なんともいたたまれない気持ちになったトルスタだが、実際問題、本当にそのボイドホールがなければ異界の調査など全く出来ないのだろうという納得のいく答えは得られた。


「さて、他に何か聞きたいことはあるか?」


「あ、あります。えっと………」


トルスタの視線は分厚い資料の束を半分ほど捲ったところに留まっていた。


「遺物、か」


「そ、そうです。あの遺物………」


 自身が盗みだした物であるというのもあって些か直接ドンワーズに尋ねにくいものだった。何より、これについて血相を変えてドンワーズに質問をしていたメディルの姿がまだ記憶に新しい。

トルスタ自身、遺物を間近に見て実際に触れた経験がある。だからこそ資料に記載してあることに少し怪訝に思った。


 他のページに綴ってある情報と比べて、圧倒的に遺物の項目のみ情報量が少ない事がわかる。そこに挿絵として描かれてる遺物の姿も、トルスタが直に見たものとは少し異なっている。

 記載されている内容としては、それの形についての言及のみで、肝心の用途についての記載は無い。また、遺物という名称とは別に〝カピシーチア〟という名詞がついている。


「………ここまで引っ張っておいてなんだが、遺物について詳細に語る気はないんだ」


「………え?」

またしても雰囲気が一変する。まるで聞いてはいけないことを聞いてしまったかのように。


「実は、その遺物に関しては、実は私たちも詳しいことは教えてもらってないの……」


「そーそー、別に教えてくれてもいいのにねー」


 その微妙な空気感を感じ取ってか、二人が隙間を埋めるように言葉を繋げる。

部門員である彼女らすら知らないという事実に驚きながらも、依然として顔色を変えないドンワーズを再び見やる。


「僕もそれについては聞き及んでいません。しかし、局長が遺物について語りたがらない以上、僕たちも無理に言及する必要はありませんから」


「でも、それじゃ………」


確かに、長である彼がそうすると決めたのなら、それに従うのが筋だろう。


 しかし、それをいつまでも黙秘することが果たして良いことなのか、トルスタは怪訝に感じていた。

ましてや、トルスタが逮捕された原因でもある。やはりどのような物なのか知りたいと思うのは当然のことと言えるし、それは彼ら三人も同じだろう。


「………あの時も、メディルさんに対して遺物のことは絶対に答えませんでしたよね」


「あぁ、これは知らない方がいい事だからな。………だがそれと同時に、知る必要のあることでもある」


「………?」


「あー、また局長難しいこと言ってるー」


「………実は、ここ数日。このことについてずっと考えていた。君らが遺物を盗み出し、実際に襲撃にもあった。以前なら、この遺物に関しては極力伏せておくべきだと………」


言いながら、ドンワーズはおもむろにトルスタが見ていた資料を手にし、まじまじと見た。


「ここだけの話……。あの遺跡に入り、遺物に実際に触れたのは恐らく『クヴェルア』連中を含めてもトルスタ君らが初めてだろう。遺跡内部が具体的にどうなっているのかは我々も知らないことだ。しかし、君は実際に遺跡に入り遺物を手にすることをした…………」


 彼は少し息を吐いた。


 ドンワーズがこのことを口外するのを今まで避け続けていたのは、異界という常識外の、さらに常識外の概念にかつて『クヴェルア』に居た時に触れたからであった。

 無論、その概念に触れたからといって直ちに何か起こるというわけではない。しかしこのことは、世界の根幹を揺るがしかねない事実になり得る。


 ドンワーズは過去の経験から些か慎重になる傾向にあった。自身の判断がこの世界の結末を握っていると考えたからだ。これは決して自意識過剰な考えではない。

『ダッカニア』に生きる者の中で、それを知っているのが現状自分のみだからである。しかし実害が起きた今、これを自身の内に伏せたまま事に当たるのは難しいようにも思えた。


 今までは上手く話題を逸らし、この事実を誰にも悟られないように、詮索もされないようにしてきたつもりだった。しかし、トルスタを異界探査部門に加入させると決めた時に同時にこれを開示しようと——そう考えてもいた。


「どったの局長、ボーっとして?」


 アドノの声で少し我に返り、見つめていた資料を元に戻した。

その動作の余韻で、部門に所属するドンワーズにとって家族同然とも言える三人の顔、表情を無意識に見渡した。


「…………アドノ、カーラ、テルル」


「っは、はい!?」


「なになに~?」


「はい、局長」


「これから、我々は本格的に『クヴェルア』と渡り合うことになるだろう。だからそれに際して、今まで黙っていた遺物に関してのことを公開することを決めた」


「…………!」


「完全に私の独断でだんまりを決めていたことは謝罪する。ただ信じて欲しい、これは私が良かれと思ってしたことだ」


「局長のことを疑う者はいませんよ。少なくとも、僕たちはそうです」


「そうです局長!らしくないですよ!」


「もちろんアタシらは局長の見方だよ?………でも、どうするの?あの大臣たちにもう一回説明するの?」


「あぁ、そのつもりだ。今回の件は大臣を通して政府内にも行っている。今はまだ何も言及されていないが、情報が整理され次第、遅かれ早かれ遺物に関しての照会が届くだろう」


「じゃーその時に?」言いながら席を立ち、資料を見にトルスタの隣に座った。


 トルスタは見やすいように、資料を彼女の方に向けたが手でそっと戻される。


「気を使わなくていいよ。適当に覗き込むから」

 そう言いながら、何となく身をこちらに寄せてくるアドノ。そうされる方がより気を遣うのだが、と心の中で困惑する。


「………そういえば、その遺物は今どこに?」

アドノと一緒に資料を見に来ていたカーラが不意に尋ねる。そのページは依然として遺物の項目を晒していた。


 カーラに不意に尋ねられ、彼は公然と言った。


「………もちろん秘密だ」

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