第8話 特訓(2)
次の任務先には、歩いて向かうことになった。休憩していた公園からは歩いて二十分ほどの場所にあるためたいした距離ではないが、レイとの任務時には浮遊して移動することが多く、街中を歩くのは久しぶりだ。
「いつもこうして歩いてるんですか?」
「そうですね。一時間程度で着く場所であれば歩いて向かいますよ」
一時間ならそこそこの距離を歩いているのではないだろうか。人通りの多い通りを歩いているため、時々人が清那の体をすり抜けていく。最初こそ変な感覚だったが、何度もすり抜けられるためしばらく歩けば慣れた。清那の隣を歩く千代は、時折周囲に目を留めている。少し前を歩く和彦も周囲の景色を見ているようだ。
「何か気になるものでもあるんですか?」
「いえ、街を見ているだけですよ。来るたびに景色が変わるので面白いなと」
千代の様子からすると、本当にそれだけらしい。清那にとっては特に珍しくもない景色だが、八十年前に亡くなったという二人には違って見えているのだろうか。
「清那さん、あの看板の写真の人たちはどなたですか?」
横断歩道で信号待ちをしていると、千代が道路の向かい側にあるビルを指さした。そこには男性アイドルのポスターがあった。近いうちに発売される新曲の宣伝ポスターだ。
「最近デビューしたアイドルですよ。グループ名は忘れちゃったんですけど、十代の子たちに人気らしいです」
「なるほど」
感心したように呟いて、千代は再度ポスターを見た。ふと思いついて、清那は千代に訊いてみた。
「……ああいうアイドルグループが気になります?」
「そうですねぇ、アイドルというのはまだよく分からないんですが、ハンサムな人たちだなあと思いますよ」
「私もあんまり詳しくないですけど、学生の頃は流行りのグループの中で誰が好きかとか、友達とよく話してましたよ。ちなみに、あのグループだと誰が好みですか?」
千代に聞きながら千代の隣にいる和彦の様子を伺う。無表情でまだ変わらない信号を見ているが、こちらの会話は聞こえているはずだ。
「うーん、誰が好みとかはあんまりないですかねぇ」
「……見た目だけなら、真ん中の黒髪の子じゃないですか」
千代に続いて、なぜか和彦が答えた。信号が変わり、信号待ちをしていた人々が歩き出す。後ろにいたらしい人が清那をすり抜けていった。三人も歩き出しながら、清那は和彦を見た。
「なんで和彦さんが答えるんですか」
「分かるから。ついでに、君の考えてることも分かってますよ」
和彦は呆れた表情をしながら言い、横目で清那を見る。からかおうとしたのがバレていたらしい。千代は否定せず、再度ポスターを見上げた。
「確かに、見た目ならあの人が好みですね」
千代の答えに、清那はポスターに写るアイドルを見た。和彦が言った真ん中の黒髪の人は、メンバーの中でも特に整った顔立ちだ。清那が生きていた頃も雑誌や広告で見ることが多かったため、きっと人気も高いのだろう。
「千代さんって面食いですか?」
「綺麗なものは好きですよ」
にこりと微笑む千代。それは答えになっているのだろうかと思いつつ、清那は「なるほど……」とだけ返した。
次の任務先は総合病院だった。病院という場所柄、駅よりも死が身近で霊も集まりやすく、処刑対象も駅以上に多い。和彦は駅の待合室にあった館内図を見ながらひとつ頷くと二人に向き直った。
「ここは階ごとに担当を分けましょう。千代は地下一階から三階、清那君は四から七階をお願いします。八階より上は私が対応します」
「その割り振りだと、和彦さんの対応数が多くなりますけどいいんですか?」
この病院は十三階まである。八階よりも上なら千代や清那よりも対応数が多くなってしまう。
「私が対処した方が早く終わるでしょう。君はさっきと同じく射撃精度と霊力のコントロールを意識してください」
「……分かりました」
千代は案内図を見てしばらく沈黙した後、和彦に向き直った。
「終わったらどこで集合しますか?真ん中の階でしょうか」
「いや、最後に処刑対象の霊が現れる一階にしよう。理想は集合してから最後の霊の処刑をしたいところだが、もし霊の方が先に来たら居合わせた人が処刑する。清那君も、それでいいですね?」
「分かりました」
「承知しました。では、私は地下一階から進めていきますね。お二人とも、また後で」
にこりと微笑んで千代は地下へ繋がる階段へと向かっていく。その姿を和彦はじっと見つめていた。
「……和彦さんって千代さんにベタ惚れですね」
「なんです、急に」
「いや、なんだか思っていた以上に二人ってラブラブだったんだなーと」
ラブラブはもう死語だろうか、と一瞬考えたがそもそも生きていた時代が違うので気にしないでおこう。任務中にあんなに仲睦まじい姿を見せつけられるとは思っていなかったが、お陰で自分が想像していた以上に二人の仲が良いことが分かった。さすが、亡くなってからも長年連れ添っている夫婦ということか。
感心している清那に対して、何故か和彦は沈黙した。何も言い返さないことを不思議に思って見返すと、和彦は首を振ってため息交じりに呟いた。
「当然でしょう、夫婦なんですから。さあ、行きますよ」
歩き出した和彦に、慌てて清那もついていく。なんの沈黙だったのかと横目で和彦をうかがったが、和彦はいつもの無表情に戻っていた。
和彦と別れ、清那は四階に向かった。この階はいくつかの科の外来があるようで、複数の待合スペースがあり、ソファには生きている人にまざって霊が座っている。
(こんなに普通に霊が紛れてるのね。処刑対象の霊と間違えないようにしないと)
霊の中でも、処刑対象とそうではない浮遊霊がまざっている。宵から渡された資料を確認しながら処刑していかなければならないため、いつもより手間がかかる。
手が空いているといつも通り両手で撃ちそうになるため、利き手で拳銃を握り、もう片方の手で資料を持つ。これなら片手撃ちの練習になるだろう。
(片手で照準をあわせて、霊力を必要な程度に絞る……)
和彦から指摘されたことを意識しながら、一人目の霊を処刑する。当たりはしたが狙っていたところより上に逸れ、霊力も安定しない。
拳銃へ霊力を流す方法はレイから教わったが、霊力をコントロールする方法については何も言っていなかった。以前、惣介は「説明していないなら今は必要ないということ」と話していたが、レイの判断では霊力のコントロールは清那には必要なかったということだろうか。
(でも、和彦さんにつけたのはレイさんの提案だし……今は必要になったということ?)
レイは基本的に口数が少ないし、研修中も言葉で説明されたのは基本的な霊力の流し方だけで、他は見て覚えろというスタイルだった。今までの任務ではとくに困っていなかったが、先日の護衛任務を受け、今のままでは執行人として不十分だと判断されたということか。
二人目の処刑対象の霊を処刑しながら、自分の霊力の流れを意識する。和彦曰く霊力を使いすぎているらしいので、とりあえず力を抜く感覚で霊力を調整する。四階での処刑を終えて上の階へ上がりながら、手を何度か握り、霊力が流れる感覚を確かめる。
癪ではあるが、レイよりも指導が丁寧で分かりやすいためか、和彦から受けた指摘を意識して撃つと自分でも上達しているのが分かる。
(元々軍人だったらしいし、そのときから指導経験があるのかな……なんで宵さんは最初から和彦さんを指導役にしなかったんだろ)
どう考えてもレイより和彦の方が指導係に向いている。性格に難ありではあるが、口数の少なさと無愛想さを考えればレイも良い勝負だ。今度宵に聞いてみよう。
五階、六階と順調に処刑を終えて七階に向かう。階段を上がりながら、清那は背後へ意識を向けた。
誰かがついて来ている––––。
気配的に浮遊霊だ。処刑対象を見逃していただろうか。拳銃を握る手に力を込め、階段を上りきったところで柱の陰に移動する。程なく、霊が一人姿を現した。誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見渡し、清那のいる方へ向かってきた。
「なんの用ですか」
「わぁっ、ビックリした!」
飛び出して拳銃を向けると、あからさまに驚いた顔をして声をあげた。本心から驚いているらしい。清那は拳銃を下げずに霊を観察する。目鼻立ちがはっきりした女性で、勝ち気そうな印象がある。古いデザインのワンピースを見るに、亡くなったのは何十年も前だろう。
悪意は感じられないし、今回の処刑対象者のリストにもない。
「あなた、私のあとをついてきていたでしょう」
「ちょっとした興味本位で……何もしないから撃たないでよ、お姉さん。あたし、まだあちらに渡りたくないからさ」
降参とばかりに両手を挙げて清那を見る。本当に敵意はなさそうだ。ひとまず拳銃は下げつつ、少し霊と距離をとった。
「ここによく来る執行人さん?とはちょっと違った雰囲気だから気になってついてきたんだよ。お姉さんにも何もしないし、生きてる人間にも憑かないからさ、堪忍してよ」
「執行人のこと、知ってるんですか」
「そりゃあ知ってるよ。ここにはよく軍人と怖いご婦人が来るんだ。今日も二人が来てるみたいだけど、別の気配もあったからどんな人か気になったんだよ」
軍人と怖いご婦人……十中八九和彦と千代のことだろう。ただ「怖い」という形容詞と千代が清那のなかでつながらない。執行人=怖いというイメージでもあるのだろうか。
「ねえお姉さん、なんにもしないからさ、ついていってもいいかい?」
まだ警戒している清那に対し、女性の霊は人懐っこく提案した。思いがけない提案に驚いていると、女性は勢いよく顔の前で手を合わせて懇願した。
「仕事の邪魔はしないからさ。ね?」
「……分かりました。ただし、絶対に邪魔しないでくださいね」
敵意は感じられないし、もしも何かしてくるつもりでもいざとなれば処刑できる。清那が頷くと女性はぱっと笑顔になり、清那の横に並んだ。
「話が早くって助かるよ。あの二人はなかなか許してくれなかったからさ」
軽い口調で話す女性は、特に他意はなく、本当にただ仕事の様子を見たいだけのようだ。浮遊霊にもいろんな人がいるらしいが、この女性みたいなタイプもけっこういるのだろうか。
見学されていることに若干のやりにくさを覚えつつ、七階にいる処刑対象の霊を探す。六階から入院病棟になっており、七階には大部屋の病室が並んでいる。基本的には大部屋を回りながら処刑を進めるが、患者にくっついて部屋から出てきている霊は見つけた場所で対応した。
「お姉さんも鉄砲を使うんだね。あの軍人さんとおんなじだ」
三人目の処刑を終えたところで、女性は感心したように清那を見た。清那が処刑をする度に感嘆の声を上げており、明らかに今の状況を楽しんでいる。
「まあ、そうですね。銃の種類は違いますけど。……あの、見てて楽しいですか?」
「楽しいというか、勉強になる感じ?自分もいつかおんなじように殺してもらうだろうからさ」
世間話のようにあっけらかんと言った女性に、清那はなんと返せば良いか分からず口ごもった。その様子に、女性はさっぱりとした笑顔を見せる。
「軍人さんたちにお願いしてるんだよ。その時が来たら殺してねって」
「その時って、どういうことですか?」
「一緒にあの世に行きたいと思っている人が、寿命で死ぬときだよ」
軽い口調のまま、女性は穏やかな表情を浮かべていた。
以前、レイが浮遊霊のなかには自分から処刑を頼んでくる霊がいると言っていたが、この女性の霊がその一例なのだろう。
常世へ一緒に行きたいと思う相手。それはつまり、女性が生きていた頃、とても大切に思っていた人だったのだろう。
「……どんな人、なんですか?」
「え?」
「その、一緒にあの世に行きたい人って」
聞いてから、さすがに無神経だったかと後悔した。こんなことを聞いていい間柄ではない。慌てて撤回しようと女性を見ると、女性はどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「あたしの初恋の人だよ。戦争から戻って来たら好きだって言おうと思ってたのに、あの人が戻ってくる前に私のほうが先に死んじゃったんだ。好きって言えなかったのも、死ぬときにあの人に会えなかったのも悔しくてこっちに残ってた。そしたら戦争が終わって、あの人が戦地から戻ってきてさ。あたしのお墓にも毎年来てくれちゃったりして、それが嬉しくってね。やっぱ離れたくないなーと思って、でもあんまり側にいるのも良くなさそうだから、憑かない程度で見守ってるんだ」
堰を切ったように話しながら、女性は懐かしそうに目を細めた。懐かしい日々を思い出すような表情に、清那は少し胸がざわついた。
もう戻らない過去を懐かしみ、後悔を抱えながらも、全部受け入れている。それが苦痛というわけでもなく、水を飲むように、ただ飲み込んで。それは、清那も知っている感覚だった。知っているからこそ、なんと返すのがいいのか悩んでしまう。
清那が言葉を探しながら口を開こうとしたとき、近くに慣れた気配がした。
「浮遊霊まで連れて、何をしてるんです」
「和彦さん……」
「おや、あんた来たのかい」
女性は意外そうな顔で振り返る。すでに口調は軽い調子に戻っていた。和彦はとくに気にした様子もなく、呆れたように肩をすくめた。
「新人が浮遊霊と一緒に行動してるようだったので、様子を見に来たんですよ。私の担当分は終わりましたしね」
「え、終わったんですか!?」
「君が時間をかけすぎなんですよ。で、なんであなたは一緒にいるんです?」
和彦が女性へ目を向けると、女性はさっぱりとした笑顔を浮かべた。
「ここに来たらたまたまあんたたちと一緒に知らない子もいたから、どんな子なのかと思って声をかけたんだよ。いい子だね、この子」
「お人好しなだけですよ。千代にも会ったんですか?」
「いやー、あの人はなんだかピリピリしてたから声をかけなかったよ」
ピリピリしていた?任務中だから気を張っていたということか。和彦は驚いた様子もなく、納得したような顔をした。
「そうですか。まあ、あなたなら声をかけても問題ないと思いますけどね」
「だってピリピリしてるあの人は怖いからさ。うっかりで殺されたくないよ」
「まさか、千代さんはそんなことしないでしょう」
基本的に穏やかな千代がうっかりで霊を処刑してしまうなんて、清那には想像できない。本心からの言葉だったが、女性は「どうだかねぇ」と首を横に振った。
「それより清那君、まだこの階の処刑が終わってないならさっさと済ましてきてください。この人は私が見ていきますから」
「……分かりました」
「あたしはもう付いていっちゃあダメなのかい?」
「あなたはここにいてください」
和彦が引き留めると女性は肩をすくめた。残りの霊の処刑へ向かいながら二人の様子をうかがうと、和彦も気安い雰囲気で話しており、それなりに付き合いがありそうだ。
(そういえば、あの人戦争で亡くなったって言ってたし、和彦さんたちと年が近いのかな)
それなら、あの気安い雰囲気も理解できる。同年代の相手のほうが話しやすいのは、死んでも変わらない。同じ時代を生きていた相手だから、和彦も話しやすいはずだ。
処刑を終えて戻ると、雑談をしていた二人はすぐに気がつき、清那が声をかけるよりも早く振り返った。
「お疲れ様、お姉さん」
「……ありがとうございます。担当分の処刑、すべて終わりました」
報告すると和彦は頷き、女性に向き直った。
「では、私たちはもう帰ります。あなた、もう少しなんですから、余計なことはしないように」
「分かってるよ」
和彦はじっと女性を見つめ、ややあってため息を吐く。話が読めず、清那は二人を見比べた。女性はとくに変わった様子はなく、清那に軽く手を振った。
「お姉さんもまたね」
「はい、また……機会があれば」
思わず返事をして、和彦の視線を感じて語尾が尻すぼみになった。和彦は女性に軽く会釈すると階段に向かって歩き出す。清那も慌ててついていきながら振り返ると、女性は笑顔で手を振っていた。
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