第6話 護衛(3)

「えーっと、これで任務完了でいいんでしょうか?」

 宗一郎が去った後、清那は惣介とレイを見上げた。二人とも自分より背が高いから、並んで立っていると壁みたいだ。

「いや、もう少し残って、後から寄ってくる悪霊が入ればそいつの処刑をする。まあ、魂の気配がないからほとんど来ないけどな」

 特に今はレイさんがいるし、と惣介は胸中で付け加えた。刀を収めながら周囲を見渡すと、まだ火災による煙は上がっているが悪霊が近づいてくる気配はない。悪霊たちはレイの霊力を嫌うらしく、レイがいれば大抵の悪霊は近寄ってこない。宗一郎が『レイがいれば楽だった』と話した理由でもある。

 ただし、寄ってこないということはこちらから探さなければ処刑できないということだ。それでは悪霊の処刑が進まないため、宵はあえてレイ以外に護衛任務を担当させている。

 清那はまだ任務は終わっていないという言葉に気を引き締め直した。そして、鼻をついた臭いに、ようやく周囲の状況に気づく。

 漏れ出したガソリンと、背筋に嫌な感覚が走るような人の焼けた臭い。風に煽られた炎が時折大きく揺らいだ。乗用車が追突した方のバスは火が大きく、車内が見えないほど煙が充満している。もう一台からはバス前方の乗り口から乗客の数人が這い出てきていた。子どもの泣きじゃくる声と、さらに中にいる人を助けようとする人たちの声が響く。事故からどれくらいの時間が経過したのかは分からない。かすかにサイレンの音が聞こえてきた。

 ほどなく、救急車両が到着し消火作業が始まる。バスの中へも救助が入り、人が運び出され始めた。宗一郎が回収は終わったと言っていたということは、この場で亡くなる人はもういないのだろう。

「あの、さっきはすみませんでした」

 悪霊の対処に手こずり、惣介にも宗一郎にも迷惑をかけた。あきらかに自分の実力不足のせいだ。

 悄然と俯く清那に、惣介はどう声をかけるべきか少し悩む。下手に慰めてもあまり意味はないだろう。

「ん。まあ、あんま気落ちすんなよ。それより、怪我はないか?」

「大丈夫です」

 反射的に殴られた腹を押さえてはいるが、確かにそれほど大きな怪我はしていないようだ。すでに死んだ身とはいえ、執行人は不死身ではない。攻撃を受ければ怪我をするし、痛みも感じる。ひどい怪我ならすぐにでも”家”に帰って治療した方がいいが、今の清那はそこまではしなくてもよさそうだ。惣介はほっと胸をなで下ろした。

 そもそも、今回の失敗は自分が清那の力量を見誤ったのが原因でもある。まだまだ新人、しかも護衛任務は初めての清那があまり気にする必要はない。まだ若干表情の暗い清那の頭を少し雑に撫で、惣介はレイに向き直った。

「レイさん、ありがとうございました」

「あれくらいなら問題なく対処できると思ってたんだがな」

「いやー、すんません」

「私のせいです。すみませんでした」

 頭を下げた清那をレイは無言で見つめる。レイがあまり話さないのはいつもだが、この沈黙は居心地が悪い。

「清那、今度和彦と組んでみろ」

「え?」

「お前は実戦経験がないからな。和彦に稽古でもしてもらえ」

「……分かりました」

 苦い顔をしながらも清那は頷いた。


「皆さん、おかえりなさい」

 清那たちが家に戻ると、エプロン姿の瑞樹が出迎えた。夕食をつくっている最中だったのかもしれない。

「おう、ただいま」

「宵さんから”よくできました”って、惣介さんと清那ねぇに言伝です。レイさんもお疲れ様です」

「宵さんがそう言ってたの?」

 思いがけない言葉に思わず清那は聞き返した。惣介も一瞬驚いたように目を見開いて、すぐに呆れたように苦笑した。

「なるほどな……。清那、今日は飲もうぜ」

「え、なんです急に」

「初の護衛任務成功を祝って。レイさんもどうです?」

「俺はいい」

 話が読めない清那を置いて、レイは自室へと向かっていく。惣介はといえば、いつものからりとした笑顔を浮かべている。

「お酒飲まれるなら、夕飯におつまみ作りましょうか?」

「お、いいな。じゃあ頼むよ。瑞樹も一緒に飲もうぜ」

「ちょっと、瑞樹君は未成年ですよ」

「今更未成年も何もねぇだろ」

 反射的に咎めたが、確かにその通りだ。

「僕もご一緒していいんですか?」

「いいに決まってんだろ。夕飯の後、談話室で飲もうぜ」

「楽しみにしてますね。夕飯ももうすぐできますし、それまでゆっくりしててください」

 瑞樹は嬉しそうに笑ってキッチンへ戻っていった。


「つまり、宵さんは須藤さんを懲らしめたかったってことですか?」

「そう。まあ宵さんは俺らのこと大事にしてるしな」

 夕食後、談話室で惣介や瑞樹と飲みながら宵の言葉の真相を聞いた清那は、呆気にとられて惣介を見た。惣介は楽しそうに笑って盃を飲み干す。

 談話室のテーブルには、瑞樹が夕食のついでに用意してくれたおつまみと数種類のお酒のビンが並ぶ。惣介は日本酒、清那と瑞樹は果実酒を炭酸で割ったものと、それぞれが好きなものを飲んでいた。

 肉体がない分、アルコールの影響を受けないためお酒を飲んでも基本的には酔わない。ただ、お酒の味はしっかりと感じるし、それにあわせて酔った気分になることもあるらしい。高校生ほどの見た目の瑞樹と飲むのはなんだか変な気分だが、今となっては関係ないことだと清那は自分に言い聞かせていた。

 今回の任務、宵は”上”から派遣されるのが宗一郎だと事前に知っていたらしい。そのうえで、初任務でミスをする可能性があった清那に担当させた。

 事の発端は、清那が執行人になる前に起こった護衛任務だ。父親が乱心の末に起こした一家心中によって子ども三人と母親が殺害され、父親自身も自殺した事件だった。護衛任務が初めてだった瑞樹は現場で一部始終を見て、その凄惨さに動けなくなってしまった。

 寄ってきた悪霊は任務に同行していた惣介が対応したため何も問題はなかったが、魂の回収に来てた宗一郎が、瑞樹にあれこれと嫌味を言ったらしい。

 この任務後、瑞樹はしばらく通常の仕事もこなせなくなり、一時は執行人を辞める話もでていたらしい。今は問題なくこなせるようにはなったが、他の執行人よりも多めに休んで無理をしないようにしている。

 宵としては部下をけなされたことに腹を立てていたらしい。宗一郎へお灸を据えるために、まだ執行人になったばかりの清那をあてがったのだ。惣介の説明に、清那は今日のことを振り返りながらグラスを傾けた。

「大事にされてるんですかね……?」

「されてるよ。俺らがいなくなると悪霊の処刑ができなくて困るんだからな」

「あ、そういうことですか」

 確かに、現世に渡って彷徨う霊たちを処刑する存在がいなくなれば宵は困るだろう。そういう理由なら納得がいく。

「多分、レイさんにも後から俺たちのところへ行くように指示してたんだと思うぜ。もし本当にうっかり宗一郎が悪霊に取り込まれたりすれば、こっちも”上”から責められる。宗一郎をちょっとビビらせて、かつ任務は成功できるようにしてたんだ」

「だからレイさんがタイミングよく現れたんですね」

「そういうこと」

 つまり、最初から宵は清那がうまくできないと判断して手を打っていたということだ。それなりに執行人の任務に慣れてきたと自負していたが、宵からすればまだまだだと思われているのだろう。

「宵さん、僕たちのことちゃんと見てくれてますよね。僕、宵さんがここの管理官で良かったって思ってます」

 穏やかに微笑みながら話す瑞樹は、心底そう思っているようだ。瑞樹にとっては自分を苛めてきた相手を懲らしめてくれた人でもある。仕事の配分も調整してくれていることを考えれば、好意的に思っているのも納得できる。

「”上”の管理官は宗一郎みたいな堅物ばっかだし、確かに宵さんはいい人だよな」

「”上”にも宵さんみたいな管理官がいるんですか?」

 清那の質問に、瑞樹は苦笑いをしながら頷いた。なんだかとても微妙な表情だ。惣介は手酌をしながら顔をしかめている。

「いる。すっげー性格悪くて嫌みったらしいし、俺らのことを見下してる。上がそんなだから宗一郎や他の連中も似たような奴が多い」

「時々宵さんに用事があってここに来ることもあるよ。僕たちはあまりないけど、宵さんが居ないときに千代さんや和彦さんが代わりに対応してることもある」

「あの二人が?」

「人当たりがいいからなー。嫌味っぽい相手の対応も慣れてるし」

「千代さんは分かりますけど、和彦さんもですか?逆に嫌味を言って怒らせそうですけど」

 千代はいつも穏やかに話すし細かなことにもよく気がつく。基本的に和彦を立てるが時には窘めることもあり、しなやかながら芯の通った印象で、大和撫子という言葉がぴったりな女性だ。

 一方の和彦はといえば、言葉遣いこそ丁寧だがしょっちゅう皮肉を言うし高飛車な態度が目立つ。

「和彦さんはもともと軍に所属していたらしくて、上下関係が厳しい人と話すのは得意なんだって」

「へぇ、なるほど」

 和彦が軍人だったとは知らなかったが、言われてみればそう見えなくもない。キビキビとした所作やいつもきちっとした格好をしているのは、軍人だったからなのだろう。

 そのとき、談話室の扉が開いて和彦が入ってきた。三人を見て意外そうに眉を上げた。

「ここで飲んでたんですか」

「おう、和彦もどうだ?ちょうどお前の話をしてたんだよ」

「私の話ですか?」

 首を傾げて瑞樹や清那にも視線を向ける。そして清那に目を留めるとフッと小馬鹿にしたように口の端を上げた。

「仕事の愚痴ならまだしも、同僚の愚痴を言うのは関心しませんよ」

「別に愚痴なんて言ってません」

 ムッとして清那が言い返すと、惣介と瑞樹も笑いながら清那に加勢した。

「そうそう、お前が人当たりがいいって話してたんだよ」

「あと、もとは軍人だったってこととか」

 そう言うと惣介は、思い出したように持っていた盃を置いて和彦の方へ体を向けた。

「そういや、レイさんが清那に、和彦に稽古をつけてもらえって言ってたよ」

「レイさんがですか?」

 怪訝そうに聞き返し、和彦は考えるような素振りをした。伏し目がちな表情がやけに綺麗に見える。

「和彦も鉄砲を使うし、俺やレイさんより戦い方は似てるだろ。稽古つけてやれよ」

「私は構いませんよ。ただ、私と清那君では扱う銃が違うんですがね……」

「でも似たような形のも使ってるだろ」

「そっちはあまり使わないのも知っているでしょう」

 ため息交じりに言うと、和彦は談話室横のキッチンへ入っていく。しばらくすると茶筒を片手に戻ってきた。

「これ、しばらくもらいますよ」

 和彦が持っている茶筒を見て眉を上げた。清那は何が入っているのか分からなかったが何かのお茶だろうと気に留めず頷いた。

「いいんじゃないですか。そこ、ほかにもお茶ありましたし」

「では、私はこれで。基本的に酔わないとはいえ、お酒はほどほどに」

 そう言い残して和彦が出て行った後、瑞樹は首を傾げながら惣介を見た。

「あのお茶、時々和彦さんと千代さんが飲んでるやつですよね?お二人しか飲んでるの見たことないですし、部屋に置いててもいいと思いますよ」

「あれは薬みたいなもんだから、飲み過ぎないようにここに置いてるんだよ」

 薬みたいなものってどういうことだろう。瑞樹もよく分かっていなさそうな表情をしている。

「気になるなら今度二人に聞いてみな。別に隠し事とかじゃないし、教えてくれると思うぜ」

 結局何なのか教えてくれなさそうだ。惣介の言う通り、知りたければ本人達に聞くしかないのだろう。まだまだ自分の知らないことが多いようだ。

「それより、稽古引き受けてくれそうで良かったな」

「まあ、そうですね……」

 先日の口ぶりだと、思い切りいたぶられそうだ。その様子が見えるようで、思わず清那はため息を吐いた。

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