第5話 護衛(2)

 清那と惣介が向かったのは郊外を走る高速道路だった。交通量はそれなりにあるようで、目の前を絶え間なく車が横切っていく。今日は風が強く、道路脇の山の木々が時折大きく揺れている。

 近くの山肌には墓地が見えた。

「あのお墓から悪霊がくる可能性があるってことですよね」

「ああ。あと、少し離れてるが反対側のあっちからも来るかもしれない」

 惣介が指さしたほうを見れば、清那が見つけた場所とは道路を挟んで向かい側の少し奥まったところに墓地があった。少し離れているうえに木々が被さっているので確認しづらい。

「悪霊が取り込んだ魂ってどうなるんですか?」

「取り込まれた魂は悪霊に消費されるだけで、成仏できずに消えちまう」

「消える……」

「輪廻転生ってやつだな。本当なら転生して生まれ変わるはずだった魂が消えてなかったことになるんだと」

 惣介はそう答えると、清那の表情を見て苦笑した。

「輪廻転生、信じてないだろ」

「ええ。生きてる間も生まれ変わりとか信じてなかったので」

「ま、俺も理屈として理解してるだけだからな。知識として知ってれば、とりあえずは問題ない」

「なんかふわっとしてますね」

「管轄外のことなんてそういうもんだよ。レイさん言ってなかったか?」

「レイさんは仕事は見て覚えろって感じで、説明とかほとんどなかったですよ」

「レイさんが説明しなかったなら、今は必要ないってことだよ」

 ぐっと伸びをして、惣介はあたりを見渡した。通常業務とは異なる特殊な任務なのに余裕がある様子なのは、やはり場数の違いだろうか。

 時計を見れば、事故の発生時間まであと十分ほどだった。

「そういえば、資料にはこの事故で何人亡くなるか書いてなかったんですけど、具体的な数は分からないものなんですか?」

「いや、宵さんと”上”は把握してる。俺らは管轄外だから教えてもらえないんだよ。」

「そうなんですか?護衛なら亡くなる人の数とか分かってたほうがやりやすそうですけど」

「俺らはそれを知らなくても仕事ができるからなあ。それに––––」

「あなた方に管轄外の魂に手を出されてはたまりませんからね」

 惣介の言葉を遮って聞こえた別の声に、途端に惣介が顔をしかめた。清那が驚いて声のしたほうを向くと、生真面目そうな男性が立っていた。

 かっちりとしたスーツに身を包んだ男性は、二人を厳しい目で見据えた。

「よりによってお前かよ……」

「ご挨拶ですね惣介さん。まあ、こちらもあなた方にはあまり会いたくありませんが。そちらのお嬢さんが新しく入った方ですか」

 清那に視線を移すと、上から下までじろじろと見つめる。無遠慮な視線にたじろぎながら、ぎこちなく会釈をする。

「初めまして、白崎清那です」

「どうも。須藤宗一郎です。これから嫌でも顔を合わせることがあるでしょう」

 なんだか、言葉の端々に棘がある話し方だ。初対面だというのに嫌われているらしいということは、執行人自体が嫌いなのだろうか。

「須藤さんが”上”の方ですよね?さっきのってどういう意味ですか?」

「言葉のとおりですよ。執行人が処刑するのは彷徨っている霊のみ。あなた方が処刑した霊は浄化に時間がかかるんですから、これから死ぬ人間の魂に手を出されてはたまらない」

 その言葉に、清那は以前宵に聞いた話を思い出した。

 穢れとは、人間の負の感情や罪なのだという。怒り、悲しみ、妬み……あらゆる負の感情は人の精神を蝕み、やがて不道徳な行為––罪を犯す。

 感情が伝播するように、穢れは現世に蔓延しており、誰もが穢れを負っている。けれど、生きている間の穢れは基本的にすべて肉体に宿るため、体の内側にある魂は穢れず、無垢な状態を保つ。どんな罪を犯したとしてもそれは変わらない。ほとんどの人の魂は死んですぐであれば穢れることなく常世へ渡れるが、死んでから現世へとどまると魂がむき出しの状態になるため穢れてしまうのだ。

 そして、彷徨う霊が生者を道連れにすると道連れにされた側の魂も穢れてしまう。執行人が道連れを防ぐのは肉体から離れたばかりの魂が穢れないようにするためでもある。

 ただ、執行人は何度も現世へ降りるため任務に行くだけでどんどん穢れていく。さらに、執行人の仕事は彷徨う霊を常世へ送るための処刑であって、現世でいえば殺人という罪を繰り返しているのと同じ。肉体を持たない執行人は、生きていれば肉体に宿る穢れを直接魂に負う。穢れを帯びた処刑人の霊力が処刑対象の魂に影響し、処刑した魂も穢れるのだ。

「穢れた存在であるあなた方に、無垢な魂を触れさせるわけにはいかないんですよ。それで、今回のお嬢さんはちゃんと任務できるんでしょうね」

 ちらりと清那を見た。宗一郎の言葉の意味を掴みかねていると、惣介がこっそり耳打ちした。

「前に瑞樹が任務できなくなってな……死体見て、しんどくなったんだ」

 その言葉に、宗一郎の言いたいことにも合点がいった。清那も同じように、事故現場に動揺して仕事ができなくなることを警戒しているのだ。

「大丈夫です。これでも元警察官ですよ」

 宗一郎を見返しながら清那が言うと、一拍おいて宗一郎は鼻を鳴らした。

「それなら結構。そろそろです。気を抜かないように」

 腕時計で時間を確認すると、宗一郎は道路へと視線を動かした。清那も気を引き締め、車が向かってくる先を見据える。

 車が次々と通り過ぎていく中、少し先にあるトンネルから大型トラックが現れた。風に煽られたのか少しふらついている。トラックの少し後ろからバスが2台、並走しながら近づいているのを確認しつつトラックの運転手の様子を見て、清那ははっとした。

 トラックが清那たちの前を通り過ぎ、ひときわ強い風が吹いた、その瞬間。

 ドンッとぶつかる大きな音と、金属が潰れ、地面をこするような音が響いた。

 風に煽られたトラックが車線にまたがって横転したのだ。

 清那がそれを確認した直後、後ろを走っていた二台のバスが甲高いブレーキ音を響かせながらトラックに追突した。

「清那、少し下がれ」

「え?」

 惣介に腕を引かれて数歩下がった瞬間、爆発音とともに熱風が吹き荒れた。風に煽られた火が漏れ出したガソリンに引火してどんどん広がっていく。強い熱風に思わず手をかざすと、視界の端をもう一台通り過ぎた。次いで、衝突とほぼ同時に爆発。

 バスが近づいているときは気づかなかったが、追い越し車線を走るバスの後ろに乗用車がいたのだ。ほかの後続車はギリギリ衝突しない距離で数台止まっている。

 炎の熱気と黒煙が風に吹かれて巻き上げられる。止まっている車に乗っていた人々が外に飛び出して逃げ惑う中、もう一度爆発音が響いた。

 バスの車内には二台とも煙が充満していて乗客達の様子は見えない。その代わり、白く淡い光がふわりふわりと浮かび始めていた。宗一郎はそのバスを表情一つ変えずに見ながら、白い箱を取り出し、清那と惣介に指示を出した。

「魂が肉体から離れ始めましたね。それでは、回収を始めます。あなた達は任務を全うしてください」

「分かってるよ。清那、気を引き締めろ」

「……はい、分かってます」

 その返事に惣介と宗一郎は一瞬清那に目を向け、すぐに逸らした。

 清那は拳銃を握り、周辺へと意識を向ける。炎の熱気とは別の、ピリピリとした感覚が肌を刺す。黒煙の合間へ目をこらせば、影のような姿を捉えた。

「惣介さん、右側から来ます!」

「おう!」

 惣介の位置を確認し、清那は煙に紛れている影を煙の外へ誘導するように撃つ。案の定、煙から溶け出すように影のような姿の霊が出てきた。禍々しい姿に、思わず眉を潜める。

 霊は清那たちに構わずバスの方へ––––魂を回収している宗一郎へめがけて飛んで行く。

 その霊よりも早く、前に回り込んだ惣介が刀を一閃させる。そのまま清那を振り返った惣介は、はっと目を見開いた。

「––––清那、後ろ!」

 惣介の言葉とほぼ同時に、ぞわりと肌が粟立った。反射的に振り返って飛び退ると、さっきまで清那が居た場所に別の霊が佇んでいた。先ほどの霊よりも形がはっきりしていて、人の形に近い。

「アァ……ガァ……」

 地を這うようなうなり声を漏らし、表情のない顔を清那に向ける。そして、まっすぐ清那に向かって襲いかかってきた。

「っ……!」

 振り下ろされた腕を避け、腹部に向かって撃つ。すると、霊は形を変え、清那の銃弾は空を切った。

(そんなの反則でしょ……!)

 思わず舌打ちをして今度は肩を狙う。しかし、それも形を変えて避けられてしまう。

「清那、頭か胸を狙え!他は俺が対応する!」

 霊との距離を取った清那に、別の霊を斬り伏せながら惣介が言う。対峙している悪霊から距離を取りつつ周囲へ目を走らせれば、煙に紛れて近づいてくる黒い影が見えた。気づけば他にも悪霊が寄ってきていたようだ。

 目の前の悪霊に精一杯で気づけていなかったことに悔しさがよぎるが、今はまだ任務中だ。反省なら、あとでいくらでもできる。

 拳銃を握り直し、悪霊との間合いをはかる。ほかの悪霊たちは清那や惣介に構わず抜け出したばかりの魂へ向かっているが、この悪霊は清那を狙ってくる。魂を取り込むには、清那たちが邪魔だと分かっているのだ。

 うなり声を上げて清那に襲いかかる。矢継ぎ早に繰り出される攻撃を避けながら数発撃つが、うまく照準が合わせられず頭にも胸にも当たらない。

「宗一郎!あとどのくらいかかる!?」

 じりじりと押され気味になっている清那を横目に、惣介は宗一郎に問いかけた。宗一郎はチラリと腕時計で時間を確認し、惣介を見ずに答えた。

「あと二分ほどです」

 二分––––それまで、清那が持ち堪えられるか。幸い、寄ってくる悪霊のほとんどはたいしたことはない。魂の回収が終わればすぐに清那の援護に回れるが、それは清那が耐えることが前提だ。

(この前、もう少し実践的な稽古をすれば良かったか。宵さんがこんなに早く護衛につかせると思ってなかったからな……人使いが荒いというか、容赦がないというか……)

 思わず胸中で嘆息する。きっとこの状況を宵はある程度予想していたはずだ。

 宗一郎の様子を見るに、魂の回収は順調に進んでいる。たとえ清那があの悪霊を処刑できなくても回収が終わってしまえば、悪霊は魂へ手出しできなくなる。そうなれば問題ない。

 そこまで考えたとき、清那がいる方から鈍い打撃音が聞こえた。ハッとして振り返ると同時に、呻き声と一緒に清那が吹っ飛んできた。

「ちょっ、清那!?」

 かろうじて受け止めるも、思わず体勢が崩れる。腹を押さえているということは、どうやら避けきれず殴られたらしい。

 清那を吹っ飛ばした悪霊がまっすぐ宗一郎へ向かう。宗一郎は魂の回収が仕事であり、戦闘能力は皆無に等しい。惣介に半分抱えられながら清那が悪霊に向かって撃つが、弾は逸れて空を切った。

(まずい!)

 近づく悪霊に気づいた宗一郎が、目を見開くのが見えた。惣介が駆け出そうとしたその時、慣れた気配が惣介の隣に立った。

「随分手間取っているな」

 抑揚のない声に惣介と清那が同時に顔を上げる。そこには、後から合流するはずだったレイが立っていた。レイは二人を見ることもなく、悪霊へ向かってスッと右手を掲げる。その途端、まさに宗一郎へ襲いかかろうとしていた悪霊が霧散した。さらに周囲の悪霊も次々と黒い霧となって消えていく。

 その様子に呆気に取られながら、清那は場の空気が変わったのを感じた。よどんだ空気が払われ、少しだけ息をするのが楽になる。

「レイさん、後から合流じゃなかったんですか」

「他の任務が予定より早く終わったからな。律儀に待っている必要はないだろう」

「まあ、確かに。来てくださって助かりましたよ」

 あのままなら確実に惣介の援護は間に合わず、宗一郎が襲われていただろう。未回収だった魂も悪霊に取り込まれてしまいかねなかった。

 今回はさすがに肝が冷えたと思いつつ宗一郎を見れば、おそらく最後と思われる魂を箱へ収めていた。

「宗一郎、回収は終わったか?」

「ええ、おかげさまで」

 宗一郎が魂を収めた箱に鍵をかける。清那はその時初めて宗一郎の持つ箱をまじまじと見た。最初は何も模様のない白い箱に見えたが、よくよく見ると精緻なデザインが施されている。

「レイさんが最初から居てくだされば、もっと楽だったと思うのですが」

「執行人は忙しいからな。護衛なしよりマシだろう」

 乱れた服と髪を直し、非難がましく惣介と清那を見る宗一郎に、二人は思わず苦い顔をした。レイは気にしていないようで相変わらず無表情だ。

「では、私はこれで失礼します」

 それだけ言うと、宗一郎は姿を消した。

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